第17話 ソリチュード

アニタが現れるまで、私の世界は完璧であった。

木々のこずえに芽吹いた感情を持て余していたけど、それでよかった。

もちろん物騒な話は聞こえてきていたけど、宮廷のなかで聞くそれは、遠くの別の国で起きたキネマみたいなものであった。


あの頃帝国を動かしていたのは重臣達であり、皇帝陛下もその意思決定を無視する事は出来なかった。

その下に紐づく財閥から、御用商人まで、帝都の派閥闘争は宰相が凶弾に倒れると、堰を切って溢れ出す膿のように活性化した。

陛下も疎ましく思っていただろう。

発話障害をお持ちであることから普段からあまり喋らなかったが、心情を読まれまいと、表情の筋肉が動くのを、ご家族と一緒にいる以外でほとんど見ることが無かった。


そんな折、突如現れた彼女は異質そのものだった。

皇太子殿下であるテディの病状を緩和させる唯一の人物であり、次第にセシルの精神的な拠り所になって、皇后専属の侍女から、相談役へと転身していくのに、そう時間は掛からなかった。


宮廷では腹芸で示唆を多用する会話を好む為、表情と本心を切り離す事が自分達を守る術だ。

だがそんな事は存ぜぬと言わんばかり、彼女はあまりにも感情が顔に出過ぎていたし、相手からの嫌味と分かれば面と向かって噛みついていた。

(そんな彼女を見て、セシルは面白そうにクスクスと笑っていた)

幾ら皇后の後ろ盾があるとはいえ、権謀に長けた廷臣たちに歯向かうのは危険であったが、不思議と咎める感情は湧かなかった。


「立場で語る無能な男に、世辞でも媚を売ることにはもう飽きたの」


やれやれと嘯く彼女を眩しく思っていた。彼女に新時代の女性の姿を見ていた。


彼女が皇后付きの侍女となった頃、交流を深めるべくハンティングに誘った。

三つ編みに結って、鹿打ち帽を被り、グリーンのツイードジャケットとタイを絞め、レインブーツを履いてきていた。

誘ってくれてありがとう、今日が来るのを楽しみにしていたとアニタは言った。

彼女の父親が作った借金により、貴族位を剥奪されたが、元貴族としての嗜みが出来ることに興奮していた。


「宮廷のモード大臣カラカラ女史に声をかけてもらえるなんて思わなかったわ」


「やめてよ。その俗称。揶揄して言っているのよあいつら」


「いいじゃない。有名税ぐらい、平民出のモード商が宮廷のトップだなんて、気味が良いわ」


「いまだに馴れないのよ。田舎者が急にチヤホヤされて自分がバカになったみたいだわ」


「自由とは、何が正しいのかわからないのに、好きにしてみろと放り出されてしまった、不安定な状態」


「なにそれ?」


「さあ?昔の偉い人の言葉」


上空に大きな影が現れた。翼竜だ。

アニタはラッパ銃を取り出して、翼竜に狙いを定める。

ラッパ銃は私たちには聞こえない類の音を銃口から飛ばして、翼竜にめがけて飛んでいく。

音弾に当たった翼竜は力をなくし虚しく落下していった。


「おみごと」


「体が覚えているものね」


得意げに振る舞う仕草が、少し幼なげに見えて可愛いい人だなと思った。


「しかしフリントロック式のブランダーバスとは驚いたわ、どういう構造になってるのかしら」


ちょっとなにを言っているかわからなかったけど、銃に詳しいのかもしれない。


「マヨリア卿は、その…」


「台所で首を吊って死んだわ」


「ごめんなさい。私、疎くて」


「いいの。気にしていないわ」


そうじゃなくて、よくハンティングに連れてもらっていたのかって聞きたかったんだけどな…

彼女の表情から何も読み取れなかったが、その目は遠くを追っていた。

それからアルミラージを二匹、コボルトを一匹を二人でしとめた。

小腹が空いたら木陰でサンドイッチを広げて食べた。

葉野菜はみずみずしく、チーズと燻製魚が挟まれていた。

水筒の水を飲むと疲れていた体に染み渡った。


彼女を見た。

とても綺麗なひとだと思う。

でもなにか見ていると心がざわつく。その理由は分かりかねていた。


「聞いてる?」


「ごめんなさい。ぼーっとしてたみたい」


「いや改まって言い直すほどでもないんだけど、求愛をしめすのに歌って踊るのって、あれなに?」


「私もよく知らないわ、創世神話で初代王が求婚するのに歌をめされたと言われているから、そこからじゃないかしら?宮廷楽長は私が知っている限り世界で一番忙しい職業だわ」


「自作の歌なんでこの世で一番贈られたくないものじゃない。目の前でやられたら、ぶん殴ってやるわ」


ふたりでひとしきり笑った。

森の中を風が吹き抜け、若葉が揺れていた。

一緒に連れてきてた猟犬は蝶を追いかけていた。

彼女は私の唇に自身の唇を重ねた。


「歌になんて頼らないで、行動でしめしたらいいのにね」


西陽は彼女を後ろから照らし、輪郭だけを際立たせていた。

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