番外編 アイドル転生
ファンは匿名。顔なんて見られてない。
そう思っているかもしれないけれど、案外見えているものだ。
……特にステージの上からは。
退屈してスマホいじってるやつ。
アタシのファンのくせに浮気して他のメンバー目で追ってるやつ。
パフォーマンスじゃなくて何か別の目的で来てるっぽい色眼鏡をかけたやつ。
熱気の冷めた
まるで葬式のようだと、アタシは思った。
アイドル活動およそ八年。
思えば十五の時にオーディションに受かった瞬間、あれがアタシの全盛期だった。家族、親戚、ご近所さん、みんなが祝福してくれて、テレビに出たら教えてねって背中を押してくれたっけ。アタシは鼻高々で、ルックスじゃ今のセンターに負けてないし、すぐに人気アイドルになってみせるって息巻いていた。
でも、上京した瞬間……それはしょせん東北の田舎娘が抱いていた幻想に過ぎなかったと、思い知らされたのだ。
元から可愛いのは当たり前。努力ができて当たり前。ダイエットに過酷なレッスン、どれだけ身体がきつくても、カメラの前では常に笑顔。
センターの子はそれでいて愛嬌もあって、他のメンバーや大人たちに愛されていたし、テレビウケする特技も持っていた。歌もダントツに上手いし、ダンスでは自分の魅せ方をよく分かっている。
かなうわけがなかった。
一度だけグループのMVにバックダンサーのような形で映ったことがある。
でも、それだけ。
アタシたちのような万年補欠メンバーはライブハウスでのパフォーマンスを中心に活動する。トップメンバーの前座としてたくさんライブをしたおかげで多少ファンになってくれる人もいたけれど、歳を重ねるとともに分かりやすくその数は減っていった。
そして極めつけは一ヶ月前のスキャンダル。
地元の同窓会。ついストレスで飲み過ぎたアタシは……同級生の男子とラブホテルの前まで行ってしまった。それを他の同級生がSNSにアップしたせいでプチ炎上。騒ぎを知ったプロデューサーは――たぶん元々年齢的に限界でグループのお荷物だったアタシを体よくあしらえる口実を探していたのだろう――責任とってアイドルを卒業するように言ってきた。強めの態度に逆らうことはできず、承諾せざるを得なかった。
そしてとんとん拍子に事が進み、今に至る。
「事前にお知らせしていたとおり、アタシ、
晴れやかな満面の笑み、そして少し間を置いてから込み上げる涙。
すかさず駆け寄ってくれるメンバーたち。
計算され尽くした演出に、観客席からわっと拍手が起こった。
それから場所を移動して握手会へ。
卒業ライブとはいえ恋愛絡みの炎上の後だ、いつも「瀬名子がイチバンだよ!」と言ってくれていた常連ファンの姿が見えなかった。その代わり、これまで見たことのない客が何人か。
「一般人とも寝るんだね……さすが落ち目のアイドル」
中にはそういうキモいことを言ってきたやつもいたけど、アタシは笑顔を作って「応援ありがとうございました」って爽やかに対応してやった。内心悪寒と苛立ちでゲロぶちまけそうだったのにね。
列の最後に並んでいたのは、大学生くらいの若い男子。全身でオタクってことをアピールしているような垢抜けない雰囲気のやつだった。寝癖そのままの髪、シワだらけの室内干しの嫌な臭いが染み付いたチェックシャツに、サイズの合ってないダボっとしたチノパン。
「お、おお俺、こういう場所に来るの、初めてでっ……」
彼は下を向いて目を合わせないまま言った。
「そうなんだ? もしかして最後のライブのために勇気出してきてくれた感じですか?」
こういうファンへの対応は初めてじゃない。
前髪で隠れた顔を覗き込むようにしながら、アタシは優しく声をかける。
女の子と話すこと自体に慣れていないのか、彼はびくりと一歩後ずさった。
「そ、そです。今までDVDとかで応援してて、MVの瀬名子ちゃんずっと素敵だと思ってたんですけど、金もないし、受験だったしで、ライブハウス来れなくて、あの、あの……」
他のメンバーの握手会はすでに終わっており、スタッフがちらちらと時計を見ている。しかし目の前の彼は全然周囲の様子に気づいておらず、自分のことでいっぱいいっぱいな様子だった。
「来てくれて嬉しいです。本当は、もっとアイドル続けられていたら良かったんですけど」
アタシはそう言って早く切り上げられるよう握手を促した。
しかし、彼は手を出さない。
「続けたかったんなら、どうして、その……恋愛なんてしたんですかっ」
ああ、堪忍袋の尾が切れるとはまさにこういうことなのだろう。
最後までアイドルでいたかったけれど、もう我慢できない。
何重にも蓋をして押し込めた汚い本音が喉の奥からせり上がる。
「アタシたちだって人間だよ」
一度口にしてしまえば、もう止まらなかった。
「人間だからさあ、二十四時間笑顔でい続けられるわけじゃないし、トイレにだって行くし、意味わかんない恋に落ちることもあるよ。でもアイドルだから、みんなに応援してもらってるから、一生けんめい見栄張ってんのよこっちは……! だからさあ、あんたらも少しは気ぃ遣いなさいよっ……!」
ぼろぼろと熱い涙が堰を切って流れ出す。
彼はハッとしたように顔を上げた。怯えた瞳。水から出された魚のように口をぱくぱくしながら何か言おうとしていたが、声にはならなかった。
スタッフに引っ張られ、アタシは控え室に連行される。
あーあ、やっちゃった。
最後の最後、初めてライブに来てくれたファンと握手すらできず、アタシのアイドル生活はそこで幕を閉じたのだった。
それからしばらく、読モや派遣、飲食アルバイトと色んな職を転々として、特に目的もないまま、生きるために生きる日々が続いた。
五年も経つと国内アイドル全盛時代に影が差し始め、そしてさらに数年、コロナの影響もあってか、徐々に韓国アイドルやバーチャルYouTuber(略してVTuber)に人気が移っていったように見える。こんな時代にアイドルをやっていたら大変だっただろうと、アタシは他人事のようにそんなことを思った。
「瀬名子。あんたいつまでもふらふらしとらんと、こっちに帰ってきて結婚しんさい。うちの畑は無理に継がなくてもええから」
親戚の葬式で久々に地元に帰ったら、母は顔を合わせるなりそう言った。これだから地元は嫌なのだ。ムカついて家を飛び出したアタシは、実家からあてもなくふらふらと歩く。いつの間にか幼馴染の家の前に着いていた。アイドル時代、ラブホまで一緒に行って未遂で終わった彼の住んでいる家である。
せっかくだし、顔を見てから帰ろうか。
……って、いやいやいや、何考えてるんだろ、アタシ。
さすがに三十にもなって実家に住んでるとは限らないし……。
引き返そうとした時、何の運命の悪戯か、畑仕事から戻ったらしい彼とばったり出くわした。
「瀬名ちゃん、久しぶり! 十年近く経っても変わらんねえ」
「う、うん。そっちこそ」
日焼けのせいか顔にシミができているけれど、人懐こい彼の笑顔は昔のままだった。
でも、その左手の薬指に指輪がはまっているのをアタシは見逃さなかった。
そりゃそうか。あれからずっと会ってないんだもんね。
あの時――同窓会で告白してくれたこの人。昔からずっと優しくて、この人とならアイドル辞めてお嫁さんになるのもいいかなって思ってた。けど、ズルいアタシは告白の返事もせずに、情で繋ぎ留めようと彼をホテルに誘って……。
「結婚、してたんだね」
アタシは彼の顔を見ることができず、俯きがちにそう言った。
「ああ……うん。親がいい加減身を固めろってうるさいもんだから、少し前に。歳取ってきたのもあるし、安心させたくてな」
「あはは、相変わらずいいやつ。アタシとは真逆だわ」
「瀬名ちゃん……。アイドル辞めたって聞いたけど、今何しとるん」
「えー、特には別に。アイドル辞めたら媚び売るのが嫌になっちゃって、なかなか職場の人と上手くいかないんだよね。だから、色んなところを転々と」
そんな話をしたら、彼はぷっと吹き出した。
「……え、笑うとこ?」
「ごめんごめん。でも、その方が瀬名ちゃんらしいと思って」
どういうことだ。アタシがムッと眉間に皺を寄せると、彼はますますけらけらと笑った。
「瀬名ちゃんって昔から完璧美少女って周りに思われとったけど、実のところけっこう忘れっぽかったり、抜けてたりするべ?」
「そ、そうかな……」
いや、そうかもしれない。今日だって新幹線の時間一時間間違えてて、危うく乗りそびれるところだったし。
「ひひ。おれ、よく宿題手伝ったもんな。それにカッとすると早口で人が言われたくないことよう言うし」
「え、ああ〜……そんなこともあったっけ?」
あったなあ、卒業ライブの時。
「でもさ、なんだかスカッとすんだわ。おれは瀬名ちゃんのそういうとこ良いなって思っとったから、アイドルやってしんどい思いしてんじゃないかって、ずっと心配しとったよ」
「うるさい……他人と結婚するやつに言われても嬉しくないよ」
そう言いながら、アタシは目の端をぬぐった。
それから他愛もない話をして、アタシは実家には寄らずに東京に戻った。
ファンの顔は意外と見えているものだ。
あからさまに興味のない顔をされたり、悪口を言われたりしたら当然傷つく。
けれどその逆も然り――たった一人でも応援してくれる人がいたら、支えてくれる人がいたら、どんなに辛いことがあっても乗り越えて、また立ち上がろうと思える時がある。
「マイク良し、カメラ良し、画面良し……それじゃあやりますか」
稲城瀬名子――、改め「千石みねあ」。
彼女はそうして第二のアイドル(?)人生を歩むことにしたのであった。
〈番外編 アイドル転生・了〉
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