4・この島とボールペン(下)

【すみません! 本殿に、います誰か! 建物崩れていますが、あ! 中から動いた! 誰? 誰?? え……。】


「まさに四月馬鹿だと言ってほしいと思ったわ、あの大地震。新卒二年目で遠方への着任をした早々、災害対応に追われるとは思わなかったし。」

 

 かつての参道は雑草が伸び放題で、葉先を踏むたびにぎしぎし音が鳴る。彼女は廃村になったこの岩尾島の現状を、定期的に写真に撮って上司に報告しなければいけないらしく、車で島を回っていたところだった。


 話をしながら前へと進む向後リサさん、彼女の所属は【離島管理庁岩尾島出張所】で、わかりやすく言うと「地方駐在のバリキャリ公務員」である。それが人間の社会でどのくらいすごいのかは、この世に生まれて四、五年の鬼にはよくわからない。


 しかし頭の切れる彼女には、たびたび論理的に問い詰められることが多く、弁が立たない私はまるで頭が上がらない。それくらいでなければやっていけない難しい仕事なのであろう。

 その向後さんが地震にあった五年前の四月一日は、自分もおぼろげに覚えている、重要な日だ。

 

「あのときは突然、はっと意識が目覚める感覚でしたね、気づいたら息苦しく感じて、重苦しい瓦礫の中にいて、このままではだめになると思う間もなく反射的に体が動いて、重い木材をもがきながら押し上げて。」


「そうして倒壊した神社の本殿の瓦礫が持ち上がって崩れたと思ったら、その中から出てきたのは、角をはやしたすっぽんぽんの鬼さん、というね。上司になんと説明すればいいか悩んだわ。あのときは私も口をあんぐりさせるしかなかった。」


 私は、口をつぐむしかなかった。


「でもまあ、発見された未確認生命体を、その安全確保第一で保護できたし、上司には【鳥居と本殿の倒壊、及びそれによるものと思われる未確認生命体の出現】という、それっぽい理由でゴリ押ししておいたわ。あとからすっごいうるさくネチネチ言われ続けたけれど。」


「向後さんには感謝しきれないです。」

 段々と猫背になりながら、参道だった石畳を歩く。

 

 神社の敷地の行き止まりにつく。本殿はすでに撤去され、がらんどうの草むらが広がっていた。清浄第一である神社の時代とはうってかわって荒れ放題の、鎮守の森の合間。湿度は高い。


 脇にある掲示板が、この社が大切にされていた頃の話を、苔むされながら記録を地面に杭打っていた。それにはこの神社の御由緒も書かれていた。

 二人で掲示板を見上げ、苔に隠されそうになっている文字を追う。


「ここのように鬼神を祀っている神社は、本土にもいくつか残っているけれど、岩尾島のような離島では珍しいんですって。そういった稀有な信仰についての記録も少ないから、ウェブで読みかじっただけだけど。」


 私は、右の角の先をクイクイとつまんだ。

 向後さんとて、自分のような、例えばクリーチャーのような存在の出現に頭を抱えただろう。人類が宇宙進出を果たし、いわゆる宇宙人と呼ばれる生命と触れ始め、今後如何に付き合っていくかという議論も上がっている現代。そういう意味では、人ならざるものの認知は進み始めている。


 ただ、私が土着の独自な信仰によって存在しているものだとしたら、当局職員として彼女は科学というもので説明のつかないものを、一生懸命それなりの説明をしなければならない。私は研究対象でもある。彼女の仕事は増える。

 

 私は、この神社で生まれた。いや「生まれた」という表現より「あらわれた」といった方が正しいだろう。父も母もいなく、女性のお腹から生まれたわけでもない。今まで長い時間信仰対象として数多の人の願いとともに祀られてきた、と聞いている。


 しかし、祀られていた頃の記憶はほぼない。むしろ実体として存在していなかったので、彼らの願いに応えていない、祈りを空に帰したもどかしさを強く感じ、そしてやりきれなさで体を震わせている。


 その後、国の政策によってもともとの島の人々が一斉移住し、祈りを捧げる人がいなくなったいま、私は身体を持って、おそらく生を受けた。生き物である自信はないけれども、声なき言霊の存在として、今日も海を見ていた。

 

「まあ、保護することは容易かったわ、絵本に出てくるような鬼さんのように、棍棒振り回して暴れるとか、そういう粗暴なことはしなかったから。むしろ拍子抜けするくらいあどけない、おぼこい表情であったのを覚えているわ。ただね、その後がね。」


「なかなか人間の生活に馴染めなくて、ご面倒をおかけしました。」

 崩れた本殿から研究所へと運ばれたあと、出張所で、体に合う服もなく、全裸で洋式トイレを前に立ち尽くしていた私。これ以外にも社会生活を歩むうえで幾度となく壁にぶつかっていた。


「トイレもできなかったところから、今は喫茶店のマスターを務めるほどに成長したもん。この五年ほどはずっと心配だったけど、とりあえず安心しているわ。」

 深く一礼。

 

「大きな異常がなかったから写真だけ撮って報告に回すわ。厳さん、異常はないよね?」


 少し震え声で向後さんが訪ねた。霊感的なものを恐れているのだろうか。


「そうですね、心配するとしたらむしろ、ここだけでなく島のあちこちが雑草伸び放題で、安全とは言えないですね。今日も圭太郎池に行ってきましたが、通り道の両側から草に突かれました。」


「景観管理も上の方に頼んでおきますかあ。ああ、どれだけチクチク言われるんだろう。」

 公務員らしいやる気のない返事を受けた。


「あの、向後さん。」

 不意に、思いついてしまった。

「私が生まれたこの土地の手入れがありましたら、少しでもお手伝いしたいのですが。」


 自分のこの身があらわれた場所が、荒れ放題で朽ちていくのは、やはり悲しいから。


「そうね、ボランティアが入ることができないかも聞いてみます。やはりね、巌さんにとってここはルーツだから。」

 このあと、出張所は忙しくなるだろう。

 

 神社を出て、今は公用車の中。晩夏とはいえまだ暑く、カーエアコンで涼を取ろうという話になった。ワゴン車といえども、人ならざる身長二メートル強の存在である私には、助手席の足元が窮屈で、シートの位置を目一杯後ろに引き下げた。それでも少々狭かった。


「圭太郎池では何やっていたの、磯遊び?」

 私はショルダーバッグをまさぐり、先程描き殴ったスケッチパッドを取り出し、無言で運転席に渡した。


「あらあ。」

 ため息を付くような歓声。

「上手というと、私素人だからあれだけれども、圭太郎池の海水浴場の楽しそうな雰囲気が出ているじゃん。好きなの、ここ?」


 好きか嫌いか、ではないような気がしている。島に存在している者として、見て回りたい一心である。


「ねえ、これ出張所の窓口あたりに飾っていい? あそこ雑然としているからさあ。」

 確かに出張所の入口は、何かを啓発するポスターばかりで色使いも落ち着かず、雑然とした印象ではあった。


「この島を守ってきた神様の作品、っていうのもいいかも。」

「いや、そんな。守護神のような言い方はやめてくださいよ。飾るのはいいですけど。」

 絵を飾ってもらえるのは嬉しいが、余計な二つ名を通さずに見てほしい。


「じゃあさあ、右下に小さく、サインを入れてくれないかな。なんでもいいから。」

 なんでもいい、ならこうするか。

 

 漢字で「巌」。一文字。

 

 フロントガラスから覗いて見る、車両止めの向こうに広がる空に擦り付けられた雲の絵の具が、一層と厚みを増していた。

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