第30話「揺らぎは内から」
焚き火の炎が、かすかに青く見えた。
色が変わったわけではない。
光の屈折が、いつもより柔らかい。
まるで、火が“思考している”ようだった。
白い粒は降り続けている。
だが今日は、森の奥にまで届かず、途中で霧散する。
世界が成熟に向かっている。
外の残骸へ滲み出た“静寂”は、確実に広がっている。
森の外側は、今や深い眠りに入っていた。
もう、見るものも、見られるものもない。
奪うものも、奪われるものもない。
完全な孤立と幸福。
本来なら、ここで物語は終わってよかった。
◆
だが――
火が考えるように揺れた瞬間、
俺の胸の奥が微かに疼いた。
痛みではない。
喪失でもない。
懐かしさでもない。
もっと単純で、本質的で、根源的な感覚。
変化だ。
森は停滞へ向かっている。
停滞は幸福と安定の果て。
しかし停滞は、永遠とは似て非なるもの。
永遠とは――
“生き続けること”。
停滞とは――
“止まり続けること”。
両者は似ているが、本質は真逆だ。
俺はずっと「永遠」を欲していた。
「停止」を求めたことは、一度もない。
だから、世界は揺れる。
◆
リュミエルが火の向こうで微笑んだ。
気づいていたのだろう。
「……アルス、“変わりたい”って思ってない?」
「思ってない。
でも――“変わることを拒まない”と思ってる」
それを聞いたリュミエルは、満足げに頷いた。
変化を望む必要はない。
ただ、拒まないこと。
それだけで世界は動く。
◆
「変わるって言っても、何が変わるんだ?」
バロウが焚き火の棒を弄びながら言う。
「俺がいなくなるわけじゃない。
消えるわけでも、壊れるわけでもない」
自分で言いながら、確信があった。
変化とは喪失ではなく、進行だ。
「アルスが深まれば、世界も深まるだけだよ」
エリスの声は優しい。
「その深まりが“分化”へ向かう可能性もある」
カインが冷静に補足する。
「分化?」
俺は聞き返した。
「アルスの精神が世界と共有され続けたら、
そのうち世界の側が“別の形のアルス”を生む可能性がある、ってこと」
バロウが笑いながら付け加える。
「つまり、アルスがもう一人できるかもしれない」
◆
世界を構成する意思はひとつ――
それが今の森。
だが俺が世界へ“自分の核”を渡し続けた結果、
森は俺の思想を保持し始めている。
森が自分を続けるための心臓を持ち、
価値観・幸福・狂気を理解し、
“自分のために世界を続ける理由”を得た。
それが進めば――
森が“新しい主”を生む可能性がある。
アルスの複製ではない。
模倣でも、反転でもない。
アルス“ではないのに”、
アルスと同等の存在。
火を囲み、
世界を抱き、
狂気と幸福を受け入れた者。
◆
「……それは、悪いことじゃない」
言葉が自然に出た。
「むしろ、正しい。
俺一人で永遠を維持するより、世界が自分のために永遠を望んでいるほうが確実だ」
仲間たちの影は笑う。
「嫉妬しないの?」
リュミエルが尋ねる。
「同類が生まれるのを怖がらないのか?」
バロウが煽る。
「世界の中心が分散すれば、君は特別じゃなくなる」
カインは淡々としている。
「それでもいいの?」
エリスは優しく問う。
俺は、喉の奥で笑った。
「特別でいたくて世界を壊したんじゃない。
幸せになりたくて世界を作ったんだ」
その幸福が他に分かたれても損ではない。
嫉妬や独占とは違う。
俺が望んだ永遠は、
俺だけの永遠じゃなくていい。
◆
焚き火が――
呼吸した。
火が吸い込み、
燃え、
吐き出した光が、闇をかすかに震わせた。
森が生まれようとしている。
“新しい主”を。
それは敵ではない。
外からの侵略者でもない。
救済者でもない。
奪う者でも、奪われる者でもない。
“俺の幸福を共有する存在”。
同じでも違う。
鏡でも影でもない。
ただ、森が俺の幸福に到達した結果。
◆
その瞬間――
世界の空気が変わった。
白い粒が止まった。
森も、炎も、狼も、影も、仲間も――
時間すら、静かに動きを止めた。
変化が始まる前の、一瞬の静止。
息を吸えば壊れるような静寂。
触れれば砕けるような均衡。
俺は立ち上がる。
仲間たちは座ったまま、嬉しそうに俺を見上げる。
息をする。
言葉は出さない。
だが、世界はもう次の段階へ入った。
永遠を独り占めせず、永遠を分かち合う永遠――へ。
もし森が新しい主を生むなら、
それは“敵”ではなく“継承者”でもない。
ただ、幸福の総量が増える仕組みだ。
俺が望んだ未来が、想定を超え、
世界がそれを拡張し始めた。
◆
火がひどく美しい。
光がゆらめきながら、
焚き火の中心に黒い影の塊が現れた。
まだ形になっていない。
心臓の鼓動にも似たリズムで脈を打つ。
森が“生みはじめた”。
これは胎動だ。
新しい主の“核”。
◆
仲間たちは座ったまま
姿勢も表情も動かさず――ただ期待している。
世界が深まることを。
永遠が広がることを。
幸福が増えることを。
森が俺を求め、
俺が森を求めた結果、
“別の俺ではない俺”が生まれようとしている。
◆
だが――
ここで大事なのは一つ。
この核を生まれさせたいかどうかを決めるのは、アルスだけ。
森は作ろうとしている。
けれど、世界の主導権はまだ俺にある。
望めば誕生する。
望まなければ止まる。
世界は俺の選択の続きを待っている。
◆
焚き火は揺らぎ、
影たちは笑い、
森は息を止め――
俺は、次の言葉を選びかけていた。
「――――」
まだ言葉になっていない。
だが確実に、次の声が世界を決定づける。
“新しい主”が生まれるのか。
あるいは別の永遠を選ぶのか。
森は待っている。
俺の声を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます