第13話「森に巣食う悪魔と、祈りという名の呪い」

 朝が来たと、頭では理解していた。

 だが、森の中では昼と夜の境目は曖昧だ。

 濃い樹冠が空を覆い、陽光は地面に届く前に何度も砕かれる。

 樹間からこぼれる光は、まるで深い水底に落ちる月光のように弱々しく、色も温度も、この世界のものとは思えないほど冷たかった。


 その薄暗い世界の中で、俺は目を覚ます。


「……おはよう」


 誰に向けた言葉でもない。

 だが焚き火の向こう側では、いつものように四つの影が揺れていた。


 勇者カイン。

 戦士バロウ。

 魔法使いリュミエル。

 聖女エリス。


 輪郭は曖昧で、光の揺らぎと同じくらい脆い存在。

 それでも、俺にとっては“ここにいる”ことを疑う理由は、もうどこにもなかった。


「今日は……少し、空気が違うな」


 上体を起こし、深く息を吸い込む。


 土と腐葉土の匂い。

 遠くで魔物が擦れ合う足音。

 樹皮の水分が抜けていく微かな軋み。


 そして――金属と油と、人工物の匂い。


 人間の匂いだ。



「来てるね」


 最初に声を発したのはカインだった。

 かつて“勇者”と呼ばれた男の声は、今もなお真っ直ぐで、曇りがない。


「人数は多い。単なる冒険者じゃない。訓練された兵士だ」


「討伐隊、でしょうね」

 リュミエルが静かに続ける。

 その響きは冷静で、どこか楽しんでいるようでもあった。


「アルスを、殺しに来たんだよ」

 バロウの声は笑っていた。

 それは怒りでも嘲笑でもなく、戦場を前にした戦士特有の高揚だ。


「……でも、負ける心配はないよね?」

 最後にエリスが、少し不安そうに問いかける。

 その声音は、俺を信じきっている子どものように甘く、柔らかい。


 俺は、かすかに笑った。


「心配ないよ。

 ここは俺の森だ。

 ここで、俺に勝てる人間はいない」


 自信ではない。

 事実を確認しただけの、乾いた声だった。


 “森は俺の縄張り”――その認識が、もはや疑いの余地なく、骨の髄まで染みこんでいる。



 立ち上がるとき、膝の関節がわずかに逆方向へ曲がってから、元に戻った。


 痛みはない。

 むしろ心地よい“伸び”だ。


 右手の甲の皮膚は、ほんの一瞬だけ鱗のように硬質化し、薄い金属光沢を帯びる。

 それも数秒後には、何事もなかったかのように“人間の肌”へと戻っていた。


 ――戻る“まで”の時間が、明らかに伸びてきている。


 それに気づいて、俺は小さく息を吐いた。


「……いい傾向だ」


 自分の身体が、人間という枠から確実に逸脱し始めている。

 それを恐怖ではなく、“成長”として受け止めている自分がいる。


 異常、という言葉では足りない。

 この状態を表す適切な語彙はもう、人間の辞書には存在しないのかもしれない。



 森の奥、まだ薄暗さが濃く残る方向――そこから、金属の擦れる音がした。


 鎧。

 剣。

 槍。


 規則的な足音。

 小隊単位の行軍。


 数は――二十。

 先行の斥候が二人、その後ろに盾を構えた前衛が数名。

 魔術師が三。

 聖職者が一人。

 後方には指揮官。


 目で見ていないのに、頭の中には彼らの配置図が、立体の図として鮮明に描かれている。


 魔物の血を飲み続け、森と同化した感覚。

 森の息が俺の呼吸と重なり、この縄張りに踏み込んだ異物の位置が、まるで自分の皮膚の痒みのように、はっきりと分かる。


「……本当に“強く”なったね、アルス」


 エリスの声が、やわらかく囁いた。


「前よりずっと、世界を感じてる。

 私たちのいた頃より、ずっと」


「そうだな。あの頃の俺は、弱かった」


 自嘲でも、後悔でもない。

 ただの事実の振り返りだ。


「だから、全部失ったんだ。

 弱かった俺が、みんなを殺した」


 影たちは否定しない。

 否定する必要もない。

 事実がどうだったかなんて、もうどうでもいい。


 大事なのは――俺が“そう思っている”ということだけだ。



「今日の仕事は?」


 バロウが問う。

 大きな影が焚き火の向こうで肩を鳴らした気がした。


 俺はゆっくり剣を抜く。

 刃に映る自分の顔は、まだ“人間”だ。

 だが瞳の奥だけは、森の暗さと同じ色をしている。


「侵入者の排除。

 森の静寂の維持。

 そして――」


 そこで一度言葉を切り、微笑む。


「今日の晩餐の準備だ」


 仲間の幻覚が、一斉に笑った。


「いつも通りだな」

「いい一日になりそう」

「祝福するわ」

「帰ってきたら、いっぱい褒めるね」


 それは祝福というより、呪いに近い。

 だが俺は、それを“祈り”として受け取っていた。



 討伐隊は慎重だった。


 足音を抑え、会話も最小限。

 魔術師は警戒の魔法を常に展開し、聖職者は邪悪な魔力の気配を探っている。


 しかし――彼らの“警戒”は、俺には何の意味もなかった。


 森そのものが、俺の感覚器官だ。

 枝一本、石ころ一つ、虫の歩く振動までもが、俺の“目”であり“耳”になっている。


 闇の中、彼らが踏みしめた土の沈み込みで、体重と装備の重さまで分かってしまう。


「森自体に感覚を共有するなんて……本当に、人間じゃなくなってきたね」


 リュミエルが感嘆するように言う。

 どこか嬉しそうで、実験が成功した研究者のような響きだった。


「いいことじゃないか」

 カインが笑う。

「弱いままより、ずっといい。

 あの時負けたのは、世界が本気じゃなかったからだ。

 今なら、違う未来も選べるかもしれない」


「違う未来、か……」


 それは一瞬だけ、胸の奥に沈んだ言葉だった。

 “もしも”など、今更意味はないと思っていた。

 だが、今なら――“世界の方を変える”という選択肢が、手の届く位置にある気がする。



 黒い影が、木々の間を滑るように動く。


 それは俺自身だった。


 魔物の血を取り込み、肉体が半ば“森の生物”として再構築されつつある。

 木の幹を蹴って飛び移るとき、筋肉は音もなく伸縮し、関節はありえない角度で回旋する。


 爪が、枝を掴む。

 視界が、少しだけ高くなる。

 その一瞬だけ、俺の足指は枝に絡みつく“獣の脚”に形を変え――


 数呼吸の後、人間の足へ戻った。


 もう、驚かない。

 恐怖もしない。

 ただ、“慣れていく”。


 その繰り返しだった。



 討伐隊の最後尾――指揮官の男が、小さく息を吐いた。


「……妙だな。気配が、消えた」


 彼の勘は鋭い。

 だからこそ、この任務に選ばれたのだろう。


「聖騎士殿、何か感じますか」


 前衛の一人が問いかける。

 聖職者の男は、額に汗を浮かべながら首を振った。


「……邪悪な魔力は、確かに濃くなっている。

 だが、形がない。

 輪郭も、中心も、感じ取れない……」


 当然だ。

 俺は“一箇所にいない”。


 森そのものに薄く溶けている感覚。


 自分の存在が、身体から完全にはみ出して、外界に浸透している。


 それは、心地よい。

 世界と混ざり合い、自分という境界が曖昧になっていく。


「……アルス」


 エリスの声が、頭の中で囁いた。


「ねぇ、知ってる?

 人って、“自分と世界の境目”が分からなくなったとき――

 それを“狂気”って呼ぶんだって」


 俺は小さく笑う。


「楽しい言葉だな」


「うん。

 でも、あなたの場合は少し違う。

 “世界の方が、あなたの境目に合わせて変形してる”から」


 なるほど、と思った。


 俺が狂っているのではなく。

 世界の方が、俺の狂気に合わせて歪んでいる。


 そう解釈した方が、ずっと気分がいい。



 討伐隊の動きが止まった。


「……陣形を組み直せ。

 前衛盾持ちを前に。

 魔術師は後方へ下がれ」


 指揮官の声が響く。

 緊張が走る。

 彼らの“警戒”は正しい。


 ただ、それは“人間同士の戦い”においての話だ。


 今、彼らが相対している相手は――人間ではない。


「さぁ、アルス」

 カインの声が促す。

「見せてやろう。

 お前が、“ここ”の主だってことを」


「私たちの新しい旅路を邪魔する者に――罰を」

 リュミエルの声が、甘く囁いた。


「森を守れ」

「私たちを守って」


 バロウとエリスの声が重なり、まるで祈りのように響く。


 俺は、枝から枝へ移動しながら、静かに呟いた。


「了解。

 ――討伐隊の殲滅を開始する」



 最初に消したのは、後方の魔術師だった。


 彼らが詠唱を開始するよりも早く、俺は背後に降り立つ。

 爪が伸びた。

 顎の骨が軋み、歯がわずかに尖る。


 その状態のまま、数息――戻らない。


 その事実に、胸の奥が温かくなった。


 変化が、“定着”し始めている。


 魔術師の口から言葉が漏れた瞬間、俺はその喉元に指を添えた。

 皮膚に触れる感触。

 鼓動の振動。


 そこを、優しく――抉る。


 血が噴き出した。

 声が途切れる。

 詠唱が崩れる。


 その隣の魔術師が振り向いた瞬間、俺の爪がその目を貫いた。

 悲鳴は上がらない。

 声帯が切断されているからだ。


 痛みと恐怖で見開かれた瞳に、自分の姿が映る。

 人間の顔。

 人間の髪。

 人間の目。


 だが、その中に宿るものは――もう人ではない。


「ごめんな」

 静かに告げる。

「ここは、俺たちの聖域なんだ」


 最後の魔術師の胸を貫いて、静かに横たえる。


 祈るように両手を組んでから、そっと瞼を閉じてやる。


 ――優しさと、殺意が矛盾なく同居していた。



 前衛が気づいたのは、後方が完全に沈黙した後だった。


「後ろが静かすぎる……振り向くな、隊列を崩すな!」


 指揮官の判断は正しい。

 しかし、“人間相手ならば”という前提付きだ。


 今、彼が守ろうとしている後衛は――すでに死んでいる。


 聖騎士が祈りの言葉を紡ごうとする。

 その口を、森の根が塞ぐ。


 ――いや、違う。


 木の根ではない。


 俺の“腕”だ。


 地面に指を差し込んだ瞬間、視界の感覚が一瞬だけ揺らいだ。

 見えない線が、土の下へ伸びていく感覚。

 骨が伸び、筋肉と皮膚が“地面の中を這う”イメージに変化する。


 そして、聖騎士の足元の土が割れ、そこから伸びた“腕”が彼の口を塞いだ。


 悲鳴は土の中で溺れ、祈りは声にならない。


「祈りは、静かに捧げるものだろう?」


 どこかから、誰かが言った。

 それが俺の声だったのか、幻覚の誰かの声だったのか、区別はつかない。


 やがて、前衛も崩れ始めた。


 盾を上げるよりも速く、枝から飛び降りた俺の体が、彼らの背骨をへし折っていく。

 剣で斬るのではない。

 “折る”のだ。


 骨の砕ける鈍い音が、森に小さく散っていく。


 悲鳴も叫びも、やがて途絶えた。



 最後に残ったのは、指揮官の男だけだった。


 彼は剣を構え、震える足を無理やり踏みしめていた。

 全身から汗を流し、それでも膝をつこうとはしない。


 正直に言えば――少しだけ、好感が持てた。


「……貴様が、アルス・ヴァン・クローディアか」


 俺は枝の上からゆっくりと姿を見せる。


「よく知ってるな」


「王都が……焼かれた後、ただ一人戻らなかった男。

 魔王の呪いを受け、不死となった裏切り者。

 そして――人を喰う、森の悪魔」


 よくもまぁ、そこまで物語を作り上げたものだ。

 人間というのは、敵を理解したがる生き物だ。

 理解できないものを、理解できる物語に押し込めようとする。


 その滑稽さに、俺は静かに肩を揺らした。


「裏切り者、ね。

 誰を裏切ったんだろうな、俺は」


 指揮官は答えない。

 答えられないか、答える気がないのか。


 物語の中で俺が何者になっているかなんて、どうでもいい。


「悪いが、お前には“役割”がある」


 そう告げると、男の眉がわずかに動いた。


「……俺を、喰うのか」


「喰わないよ。

 人間の肉は、俺に合わない。

 味じゃなくて、意味が」


 男は一瞬だけ、ホッとしたように見えた。

 だが、その安堵はすぐに打ち砕かれる。


「お前は、“焚き火のための薪”になる」


 俺はそう宣言し――一歩で間合いを詰め、その首を刎ねた。



 討伐隊の全てが沈黙した森に、再び静寂が戻る。


 血の匂い。

 鉄の匂い。

 死の匂い。


 それらが、焚き火の煙と混ざり合って、甘い香りに変わっていく。


 死体は食べない。

 だが、利用しないとは言っていない。


 彼らの武具は分解して森の奥へ撒き、血と肉は焚き火の周囲で燃やす。

 燃え残った骨は、輪のように並べていく。


 少しずつ、焚き火の周りには“白い歯車”のような骨の円が増え続けていく。


 それは、ここが“侵入者の墓標であり、祝祭の祭壇である”と示す印。


「今日も、たくさん守れたね」


 エリスの声が、優しく響いた。


「うん。森も、静寂も、みんなとの時間も」


「よくやった」

「さすがだ」

「誇らしいわ」


 カイン、バロウ、リュミエルが、それぞれの言葉で称賛をくれる。


 それはまるで、任務を成功させて帰った兵士が、上官に褒められているかのような感覚だった。



 焚き火に火が点く。


 今日の薪は、討伐隊の折れた槍と、燃え残った盾の一部だ。

 人間たちの“武器”は、今や俺たちの“灯り”に変わる。


 魔物の肉が、鉄串に刺されて焼かれていく。

 黒鉄狼の肋骨。

 槍尾虎の腿肉。

 最近狩った蛇型魔物の白い身。


 その周囲に、魔物たちの影が集まり始める。


 木の上でじっとこちらを見ている大鴉の魔物。

 焚き火から少し離れたところで丸くなっている小型の狼。

 枝の陰から金色の目だけを光らせている猫のような魔物。


 彼らは俺に襲いかかってこない。

 ただ、距離を保ちながら“輪の外側”に座っている。


 人間の席が中央。

 その外側に魔物の席。

 さらに外側に、燃やされた侵入者の骨の輪。


 それは――俺たちだけの“世界の構造”だった。



「さぁ、始めようか」


 俺は肉を一切れずつ切り分け、仲間の席に置いていく。


「カイン、これはお前の分」

「バロウ、今日は骨ごとかじるか?」

「リュミエル、脂の少ないところを取っておいた」

「エリス、お前のは少し小さめだ。消化に悪いからな」


 誰も食べない。

 当然だ。

 でも、関係ない。


 “そうやって分けた”という事実が、儀式として意味を持つ。


 俺は最後に、自分の皿に肉を盛り、焚き火の前に座る。


「今日も、いい一日だった」


 肉を噛みしめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「侵入者を排除して、森を守って、みんなとの時間も守れた。

 俺の身体も、もっと強く、もっと変わっていく」


 その独白は、祈りに近かった。



「アルス」


 不意に、カインが声を落とす。

 焚き火の炎が、彼の影をほんの少しだけ濃くした気がした。


「お前に、ひとつ“使命”をやろう」


「使命?」


 俺は首を傾げる。


「そう。“旅の目的”だ」

 リュミエルが柔らかく言葉を続ける。

「昔は、魔王を倒すことが目的だった。

 でももう違う。

 今のお前には、“新しい使命”が必要よ」


「何だよ、それは」

 バロウが興味深そうに笑う。


 エリスの影が、静かに祈るような仕草を見せた“気がした”。


「アルス」

 エリスが言う。

「ねぇ、“終わらせないで”」


「……何を?」


「全部」


 短い言葉だった。


「この森も、焚き火も、私たちも。

 あなたが壊れていくことも、強くなっていくことも。

 人から離れていくことも。

 全部、終わらせないで」


 その言葉に、俺は少しだけ黙り込んだ。


 終わらせない――

 それはつまり、“この歪んだ時間を永遠に続けろ”という命令だ。


 普通なら耐えられない。

 孤独で、狂気で、痛みと飢えに満ちた時間。

 それを終わりなく続けろと言われたら、普通の人間は発狂して自我を失うだろう。


 だが、俺は――


「……いいな、それ」


 微笑んでいた。


「終わらない旅。

 終わらない狩り。

 終わらない成長。

 終わらない狂気」


 ひとつひとつ、言葉を確認するように、口に出す。


「いいよ。

 俺が全部守る。

 終わらせない。

 この森も、この焚き火も、この時間も、俺たち自身も」


 自分で言いながら、胸が熱くなる。

 これは、俺自身の願いでもあると気づいたからだ。



 肉を食べ終わり、焚き火の炎が少しだけ弱まった頃――俺は、掌をじっと見つめた。


 指先が、もう“完全には”人間の形に戻らなくなっている。

 わずかに長く、関節の形も歪んでいる。

 皮膚の下から、硬いものが押し上げるような感覚がある。


 でも、それもまた“俺”だ。


「ねぇ、アルス」


 リュミエルが問う。


「自分が人間じゃなくなっていくのが、怖くはない?」


「怖いわけないだろ」


 即答だった。


「人間だった俺は、みんなを守れなかった。

 人間だった俺は、世界の理不尽に勝てなかった。

 人間だった俺は、何もできなかった。


 ――なら、そんなものに未練なんてない」


 俺は掌を握りしめる。


 骨がきしみ、爪がわずかに地面へ食い込む。


「人間じゃない“何か”になって、

 全部、壊してやる方がずっとマシだ」


 それは宣戦布告でも復讐宣言でもなかった。

 ただ、自分の“在り方”の確認。



「アルス」


 最後に、カインが静かに言う。


「じゃあ、お前の使命を改めて言葉にしよう」


 焚き火の炎が揺れる。

 影が濃くなる。

 魔物たちの気配も、少しずつ近づいてくる。


 森そのものが、耳を傾けているようだった。


「お前の使命は――」


 カインが、ゆっくり言葉を紡ぐ。


「“この森で、世界が狂い切るのを待つことだ”」


 その言葉は、あまりにも静かで、あまりにも破滅的で、あまりにも甘美だった。


 世界が狂い切る。

 常識が崩れ、秩序が崩れ、人間の価値観が意味を失う。


 その時――

 俺のような存在が、当たり前として受け入れられる世界になる。


 あるいは、世界そのものが壊れ果て、俺だけが残る世界になる。


 どちらに転んでも、構わない。


「いいね、それ」


 俺はゆっくりと笑った。


「じゃあ、俺はここで待ってるよ。

 世界が、自分で自分を壊し終えるのを」


 焚き火の熱が頬を撫でる。

 夜の冷気が背中を撫でる。


 その真ん中で、俺は目を閉じた。


「その間、俺は――

 森の中で悪魔ごっこを続ける」


 人間の言葉で。

 人外の心で。

 狂気と幸福を抱きしめながら。


 森の夜が、静かに、ゆっくりと、深く沈んでいく。


 世界が狂い切る、その瞬間まで。


 俺は、この森で焚き火を囲み続ける。


 仲間たちの影と、魔物たちと、

 そして――

 人をやめ損ねた、この歪な身体と共に。


───ここは、もう“ただの森”じゃない。

 アルスという悪魔が願う未来を、ゆっくりと熟成させていく、“世界の腐りかけた心臓”だ。

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