第3章 キンギョの世界

第7話 止まった時計と淡水魚

明は日本に何度か、帰ってきていたようだった。

だが、私は彼女と会おうとしなかった。

連絡が少なくなっていた私は、むしろ彼女と会うべきではないと思っていたのだ。


それだけでない。

なにもできず、なににもなることができず、木偶といった方がいい私を彼女の前に晒したくなかった。

今の私に会ったら、明は絶対にガッカリする。

あそこまで私を認めてくれた明を失望させたくなかったのだ。

彼女からのメールも読まないようにしていた。


新卒派遣とはオモシロイもので、数カ月ごとに働く会社が変わる。

いってみればアルバイトの延長だ。

責任はそれなりに負わされ、給料もある程度は保証される。

だが、社会人としての信用なんてものは、あって無いようなもの。

ただ、毎日の食事を確保するため、短期でただ仕事をする。

淡々と、粛々と。

自分一人を生かすために、ただ、これを続けていた。


あるとき、急な腹痛に襲われ、派遣された会社を一日休み病院へ行った。

腹膜炎(盲腸)だと判明し、直ちに入院、そして手術。

結果、一週間ほど仕事を休む羽目になってしまった。


社会とは冷徹なモノで。

退院後に派遣された会社に出社すると、クビと言われたのだ。

急いで派遣会社に連絡するも、こちらからも解雇が言い渡された。


手元に残ったのは、家賃と手術代の支払だけだった。

私は急いで仕事を探すものの、年齢は既に29歳。

特別な資格もなく、ただ生きるために仕事をしてきた私など、どこも雇ってはくれなかった。


しかし、支払いというものは待ってはくれない。

私は、市中のローン会社に駆け込み、これを利用する。

その額は、あっという間に積み上がり、半年もせず100万円を超えた。

その間にも就職活動といったものをしていたのだが、これまた鳴かず飛ばず。

こんなオッサンを雇いたいと思う奇特な会社は現れなかった。


返済するあてのない借金は積み上がるだけでなく、私自身にも追い込みをかけてくる。

ローン会社からの連絡が鳴りやまなくなる頃、私は、住む場所も提供してくれる今の会社に出会うことができた。


私の給料からローン会社へ定期的に返済をしてくれる手続きもしてくれるなど、私にとっては渡りに船であった。

ただ、この仕事だ。

毎日、ただ同じことを繰り返す。

そういうものと交換に私の平安は保たれたのだった。


そして、明は社会に、世界に疑問を投げかけ、死を選んだ。

明の最後のコトバは私に突き刺さり、再びに自分と人生というモノに疑問を投げかけた。

「私は、生きているのだろうか……」

あのSNSの明の画像とコトバが目の奥に焼き付き、離れない。

そして、私に問いかけてくる。

「あなたは、今を『ちゃんと』生きていますか……?」

と。


―――――――――――――――――――――

「結局、あれは俺たちには、まったく関係ないんだよな」

今朝も佐藤が煙草を吹かしながら、モニターに向かい呟く。

お決まりのようにビシッとスーツを着込んだアナウンサーがしきりに注意を呼び掛けている。

最近、世間を騒がせているお隣の国から広がったといわれる肺炎について、専門家も交え、アツく議論をしながら視聴者に訴えかけている。


「どんなに危ないって言っても、俺たちには関係ねぇよ。

 生活をしていりゃあ、ゴミは出る。

 そして、その肺炎のヤツが痰を吐いたティッシュだって、俺たちが回収しなけりゃあならない。

 こいつらにとっては、危ないゴミは、ゴミのようなヤツ等に処理させておけばいいって考えてんだよな」


相変わらず、的を射たことをいう。

世間がどれだけ騒ごうとも、どんなに危機的な状況であろうとも私たちのやることは変わらない。

ゴミを回収し、焼却場へ運ぶ。

そのゴミがどんなに危険なモノであっても。

恐ろしいとされている肺炎に罹るリスクがあってもだ。

世界は、世の中とは、そういう風にできている。


私たちのような落伍者がどんなにもがいたって、這い上がれないように。

そして、その命を落とす可能性があっても。

決して逃れられないキンギョ鉢の中で、泳ぐ淡水魚のように。


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