第3話 阿修羅少女



 

 雨が上がった中庭で、天堂さんと二人でベンチに座る。


「あの。天堂さんって、ずっとこのあたりに住んでるの? 俺はさ、生まれは大阪でさ。でも、生まれてすぐにこっちに引っ越してきたんだ」


「…………」


「あ……と、天堂さんっていつもお弁当なの? それって自分で作ってるの?」


「…………」


「うぅ。そういやさ、食べ物では何が好き? そのお弁当のメインは唐揚げだから、中華とかが好きなのかな?」


「…………」


「ぐ……。天堂さんはさ、趣味とかある? 俺は漫画が好きでさ、一番好きなやつは格闘漫画なんだけど。そこに出てくるキャラでさ、壁にピタッと手のひらを密着させたら真空を作れる奴がいてさ、どんなものでも手のひらを当てるだけでバアン! って破壊しちゃってどんなすげぇ牢獄に閉じ込められても全然余裕で逃げられ────ハッ」


 いつの間にか陰キャみたいに好きな分野のことを早口でまくし立てる俺。

 相槌を打つこともなく無表情のままお弁当を口に運び続ける天堂さん。

 俺は元来おしゃべりとかじゃない。むしろ喋るのは苦手なほうだ。ただ、この場合は俺が喋らないと無言の時間がひたすら支配する。いやいや喋るつもりがないならどうしてお昼に俺を誘った!? 


「……あの時さ。どうして私のこと、かばったの?」


 にわかに意味が噛み砕けなかったが、しばらく考えてみて理解する。

「あの時」とは、おそらく教室で文化祭の話をしていた時のことだろう。俺が天堂さんをかばったのは、後にも先にもその時だけだ。   

 

「何もあんなふうに責めなくてもいいんじゃないかと思ってさ」


 それは本心だった。神田と上田の言っていることの全てが間違っているとは思わないが、少なくともあんなふうに責め立てる必要はなかったはずだ。

 あれはきっと、誰もが認める天堂さんの美貌に対するやっかみみたいなものが混じっているんじゃないかと思えたし。


「……責められてもいい。あれは罰なんだ」


「罰?」


「……私が責められても、別にあなたはつらくないでしょ。あんなことしても、あなたにとってなんのメリットもないし」


「メリット……ですか」


「もしかして、ああすれば私が手に入ると思った? 男ってみんなそうだもんね、ヤレたらいいんでしょ。それとも、助けたら私が泣いて感謝するとでも思った? 勘違いしないで」


 思いのほかキツめの言い方をされてしまった。

 でも……まあ、そう言われて考えてみれば彼女の言う通りかもしれない。

 助けたい気持ちはもちろんあったけど、言葉が口を突いて出た最たる原因は、なんかちょっと天堂さんが可哀想になってしまったとか、あいつらの物言いにムカついたとか。

 確かに、詰まるところ自分のためにやったと言えるかもな。


「迷惑だったらごめん。君のことを一方的に責めるあいつらのこと、単に俺がムカついただけなのかもね」 


「……思ったからってすぐに行動しちゃったら、後で大変なことになる。きっと神田さんや上田くんから恨まれちゃうよ」


 彼女の言うことは確かにそうかもしれないが、しかしそれだと天堂さんが責められていたあの場面で俺は黙ってなきゃならなかったことになる。

 自分の気持ちを抑えて、じっと。


「自分のことを抑えて生きるよりいいと思うけどね」


「わかったようなこと言わないで。自分を出して大変なことになったことがないからそんなことが言えんの。自分なんて、出さないほうがいいんだ」


 なんか天堂さんから嫌われてるのかなぁ俺。さっきだって勘違いすんなとか言われたし。せっかく彼女と視線が合うようになって嬉しかったけど、やっぱり俺のことが好きとかではないらしい。

 でも、今の話で言うと、天堂さんは元来の性格とかじゃなくて、自分の考えに基づいてワザと友達を作らないようにしてるってことだ。

 

 思いつきで行動して、大変なことになったから。

 だから、自分のことを一切出さず、誰とも話さず、全く人と関わらずに、ずっとひとりぼっちで生きているの? いったいどんな目に遭ったっていうの?


 つらそうに顔を歪める天堂さんを見ていると、なんだかこっちまで心が痛くなりそう。

 俺に向けられていると思っていた言葉の刃が、実は彼女自身をズタズタに切り裂いている気がして、俺はどういう態度をとったらいいのかわからなくなった。


 でも、心なしか、いつもの天堂さんよりも俺は好感が持てた。

 いつもの天堂さんは、無機質で、冷たくて、近寄るものを跳ねつける。

 今の彼女は、俺のとった行動や言動に対して、本音で対応してくれているような気がしたから。


「自分のことなんて出さないほうがいい」なんて言ってるけど、その言葉自体が彼女の意見。モロに自分を出していると思う。それを俺に伝えてくれているこの状況は、まるで俺に心を開いてくれているかのようで。

 そう考えると、俺は少し嬉しくなった。


「そうやって、自分の思ったことを俺にぶつけてくれる天堂さんのこと、すごく好きだよ、俺は。思ったことをきちんと出していく延長線上に、人を幸せにしたりすることがあると思うんだ。だから、大変なことになんてならないよ、きっと」


 悩んだ末に結局こんなことを言う。きっとまた「わかったようなこと言わないで」とか言われちゃうんだろう。

 この言葉もまた、天堂さんのことを傷つけたりしたのかもなぁ……。


「……幸せになったの?」


「え?」


「私が、思ったことを、青島くんにぶつけて。青島くんは、幸せになったの?」


「うん……そうだね」


 何も言わずに暗い顔でにらむよりは、と付け加えるのを俺は省いた。

 天堂さんは首から上を全部紅潮させていき、うつむいたまま膝の上で指先をクニクニし始める。


「……じゃあ、私、どんどん思ったようにしていいの? そうしたら、幸せになってくれるの?」


「えーと。もちろん。……それはもちろんそうだよ! そうすればするほど、幸せになるよ」


 君の周りの人たちが、と付け加えるのを俺は省いた。

 天堂さんは耳まで真っ赤になって、無表情とかじゃなくて、素直に感情が表れていて。 

 思わず抱きしめたくなりそうなほど可愛くなった彼女を見ていて、俺はふと思った。

 

 これは、日頃から暗い顔で周囲を寄せ付けないようにする天堂さんを、明るくて太陽のように笑う女の子にするチャンスなのでは……?

 そう、名付けるなら「天堂莉緒太陽化計画」だ!

 よし、そうと決まればどんどん褒めていこう。


「でもね、天堂さんはそもそも幸せにしてるよ! 君はすごく可愛いから、そこに居てくれるだけでも幸せだよ」


 君の周りのみんなが、と付け加えるのを (以下略)


「やめて! そんな……そんなふうに言うの、やめて。キモい。エロい。女ったらしだ。最低だっ」


 湯気が出そうなほど顔を沸騰させた天堂さんは、両手で自分の体を抱くようにしながら目にいっぱい涙を溜めて俺を睨む。

 ちょっとやりすぎたか。もっと徐々に、段階を踏んでやっていかないといけないかな。


 とりあえず、突発的に思いついた計画が順調に進みそうな予感がして俺は満足していたんだけど……突然、天堂さんの表情がスッと変わった。


 一瞬無表情になったかと思うと──なんというか、百戦錬磨の戦士を彷彿とさせる凛とした表情に。さっき溜まった涙が今になって頬を伝っているが表情と全然マッチしてない。


「お仕置きして欲しいってよ」


「はい?」


「いきなり口説かれてびっくりしたらしいわ。俺的にはむしろ普通じゃねーかって思うんだけど莉緒りおの頼みだから仕方ねーな。言っとくが俺の意思じゃないかんな? 恨むなよ。文句があるなら後で莉緒に言え!」


 世迷言をのたまった天堂さんが拳を振り上げる。

 命の危機を感じた俺は、直ちに反転ダッシュした。

 

「待ておらあああああっ」

 

「なんで、こんなこと、するんですかああああっ」


 食堂をすり抜けて階段へ向かおうとしたところで、ヘッドスライディングみたいに突っ込んできた天堂さんに抱きつかれて二人で廊下に転がった。


「おらっ、抵抗すんなっ」


 後ろから密着してくる彼女の吐息が俺の耳にかかる。

 デカい胸が背中に押し付けられて感触がまともにわかる。

 取っ組み合いながら、力づくで有利な態勢を作ろうとして発せられる喘ぎのような声が妙に色っぽい。男女でプロレスってただのエロ行為だよね。


 天堂さんは手慣れた身のこなしで俺を転がして馬乗りになった。

 マウントをとった彼女は、悪ガキみたいにニヤッと俺を見下ろしながらまた拳を振り上げる。


「へへっ。覚悟しろや」


 必死にマウントを取りに来たのでもっと盛大に連打で殴られるのかと思ったんだけど、天堂さんは一発殴っただけでやめてしまった。力無さそうだけどめっちゃ痛い。全力だろこれ!

 そして大勢の生徒が見守る学校の廊下という公共の場所で、俺に馬乗りになったまま再び無表情になる。


 次に表情が戻った時には、天堂さんは妖艶で朗らかな笑みを浮かべていた。

 次から次へと表情がコロコロ変わる。この一連の様子から、俺はなぜか三面の顔を持つ阿修羅像が頭の中に思い浮かんでいた。


「……やぁ、悠人。ごめんね〜ホント、ぶっ叩いたりしちゃってさあ。ウブな莉緒がちょっと恥ずかしがっちゃってね。ほんとに悪気はないから許してあげて」


 不良然とした天堂さんはどこかへ引っ込んで、明るく色っぽいお姉さんが顔を出す。

 今日はもう何度かこの現象を目の当たりにしているがちょっと性格が変わりすぎだ。これまで見ただけでも「不良」、「色っぽいお姉さん」、そして「ダウナー」な天堂さんの三種類が不意に入れ替わる。いくらなんでも異常だ。

 ってか、何度も聞いてるうちに麻痺して若干流してる感はあるが、この人は自分が莉緒なのに「莉緒が」って言う。意味わからんしそろそろ問い正したほうがいいのかな。

 

 天堂さんは、不良モードになる前から流していた涙を指の背でそっと拭う。

 俺の首筋を指先で優しく撫でて、わざとゾワゾワさせてきた。そろそろ股間の上にまたがるのやめて欲しいんですが……

 

「ふふ。風華ふうかは嬉しいよ。莉緒はね、誰かをお昼に誘ったことなんて今まで一度もないんだ。男の子をお昼ごはんに誘ってほしいなんて風華に頼んできたのも、君が初めてなんだよ。恥ずかしがって引っ込んじゃったけど、きっと、よっぽど君のことが気に入ったんだね」


「……〝風華〟って、誰」


 聖女とAV女優を足して二で割った女の子はとうとう俺の上からどいた。

 まるで学園のアイドルであるかのように陽光さえ差しそうな笑顔を振り撒き、俺へと手を差し伸べる。


「莉緒。いい? 話しても。……うん。もちろん。話すのはそこだけだよ。オッケ! じゃあ悠人さ、ちょっと中庭で話そ」


 誰かと相談するかのような独り言。

 天堂さんは俺の手を引いて中庭へと歩き出した。その様子をたくさんの生徒たちが唖然としながら見守っている。

 ここにきて、ようやく俺はもっと早く質問すべきだったことを堰を切ったように口にした。


「あの。天堂さん、ずっと気になってたんだ。君は、暗く沈んだ雰囲気になる時もあるし、かと思えば急に不良みたいになったり、今みたいに明るくて朗らかな人になったりするよね。自分が莉緒なのに〝莉緒が〟って言うし、それにさっきも〝風華〟って」


「うん。風華ってのはね、あたしのこと。莉緒のカラダに存在する、〝莉緒〟以外の別人格だよ」


 何を言っているのか分かりにくいのは、説明が下手だからというよりあまりにも突飛な話だったからだろう。現実感のない話というのはスッと頭に入ってこない。


「ああ、じゃあついでだから、もう一人のほうも紹介するね! あんま会いたくないかもしんないけど。あはは」


 カラカラと笑ったかと思うとまたもや無表情。

 直後、可愛らしい戦士の顔・・・・がニヤッと笑みを浮かべて顕現する。

 は、ドスの利いた声で俺を威嚇するように話した。


「……よぉ。ただいまご紹介に預かりました、莉緒の中に存在するもう一人の別人格〝雷人〟です。よろしくな、ボウズ」


 パキパキと指を鳴らし、声色を変えて──いや表情も仕草さえも変えて脅すように喋った天堂さんの話をまんま信じると、どうやら彼女は三重人格らしい。

 これまでの出来事がスッと腑に落ちた反面、「んな馬鹿な」と俺は心の中で呟いた。




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