第2話 風を操る少女
天堂さんは不良から俺を助けたあと、一人でさっさと登校したりはしなかった。つまり、どこにも行かずに無表情のまま俺の近くで立っている。
これはきっと一緒に登校したほうがいいってことだよな?
こんなに可愛い子だから別に嫌とかいうことはない──というか実は、俺は密かにこの子のことが気になっていて授業中もチラチラ見てたりする。
上田の言ってたことは図星だ。だからあの場面でも俺は否定しなかった。
その天堂さんと二人っきりで登校できるのはすごく嬉しいんだけど、喋り方を思い出せないレベルで他人と話さない子だから何を話していいかよくわかんないのがちょっとプレッシャーだ。
「あの。一緒に学校へ行こうか」
「…………」
とりあえず勇気を出して誘ってみたところ、彼女は無言で頷いてくれた。
俺の誘いをどう思っているのか全然判別できないレベルで無表情。不良と戦ってる時には男みたいな雰囲気になっていたけど、今はなんとなくいつもの天堂さんっぽい。
俺は天堂さんと完全に横並びになって話そうと思っていたんだけど、彼女は常に俺の右斜め後ろに陣取った。一歩引いているところはイメージそのままだ。そこに位置取られると俺後ろ向かないとだし、ちょっと話ずらいんだけどなぁ。
「天堂さんってさ、こういう喧嘩みたいなのに慣れてるの?」
「……どうして」
「いや、だって、手際よく撃退したし」
「……慣れてない」
「そうなんだ。ス、スタンガンって、いつも持ち歩いてるの?」
「そうだよ……」
流し目でボソリと言われ、背筋にゾワっと寒気が走る。
美しさと負の気配が混在した天堂さんは何だか魔界の瘴気を纏っているかのようで、俺の頭の中には陰キャなサキュバスが思い浮かんでいた。
そして「サキュバス」という単語でさっき天堂さんが自ら口走ったとんでもない願望を無意識のうち想起してしまう。
──莉緒は、お前と交尾したいと思っている。
歩いている途中、この言葉が幾度となく頭をよぎって裸の天堂さんがずっと俺の頭の中に居座っていた。隣で歩く天堂さんまで裸に見えてくるほどだ。
というか「莉緒は」って、お前が莉緒だろって思ってたのにツッコミそびれてる。それくらい俺は動揺していたんだろう。
俺の席は窓際の最後列で、天堂さんの席はその隣。
普段から俺は、どこか別の場所や別の人を見るふりをしながらさりげなく彼女のことを視界に入れている。
そんなふうにしていくら眺めてみても、隣席の美少女の視線は黒板と机の上を行ったり来たりするだけ。休み時間なら文庫本とかスマホに視線が落ちるだけ。
なのに、さりげなくを装った俺の視線が、今日は天堂さんの視線とバッチバチに合う。
これって、今までと違って天堂さんもまた俺のことを見てるってことだ。
俺のことが気になってるからと思いたいところだけど、目が合い始めたのは今日だ。でも、俺は今日、特段彼女の好意を惹きつけるようなことをしていない。
普通に考えて、自ら「交尾したい」なんて男子に口走ったらそりゃ恥ずかしいはず。それをどう思われてるかが気になってこうなっているというなら理解はできる。
しかしそう考えると、あの言葉はマジで言葉通りってこと!?
なんかドキドキしてきた。付き合ってもいないのに女子から「したい」って言われることって現実にあるんだ。ただ、そこまでのことを言われる理由に全然心当たりがないけれど……。
休み時間になる。
トイレを終え、教室前の廊下の窓から曇った空を眺めた。まだ午前中なのに空はかなり暗くなっていて、今にも雨が降りそうだ。
こんな天気だったかなと思ってスマホで天気予報を見ると、どうやら今日は昼から雨らしい。俺は全くもって天気予報など見ていなかったから、余裕で傘は忘れた。
「うわ──……。こりゃ帰りはびしょ濡れかぁ……」
「悠人くん?」
「うおっ」
突然声を掛けられて飛び上がる。
振り向くと、そこには天堂さんがいた。
「あ……と。ごめん、ちょっとビックリしちゃって。突然、声を掛けられたから──」
彼女は後ろで手を組んで、首を
唇の端を自然に引き上げて、柔らかく、だ。こんな天堂さんは見たことがない。
じっと俺を見つめる瞳は、まるで俺のことが好きなんじゃないかと勘違いさせられてしまうほどに妖艶な色気がある。俺は知らず知らずのうちに、聖女とAV女優を足して二で割ったらこんな感じかなぁ──なんて考えていた。
「天堂さん……だよね?」
「そうだよ。他に誰に見えるかな? 天堂さんって、ちょっと他人行儀だよね。あたしのことは莉緒って呼んで欲しいな。あたしも君のこと悠人って呼ぶから。
……ん? いいじゃない別に。じゃあ、あなたが自分で言う?」
俺は別に人見知りってわけじゃないけど、距離の詰め方がいつもの天堂さんと真逆すぎて若干気後れしてしまった。
俺を助けてくれた時はどう見ても不良だったし、かと思えば登校中は根暗の精かと思うほどダウナーだったのに、今は一転して太陽みたいに明るくなって。
この人は一体どういう人なんだろう? 天堂さんには友達がいないから、人隣りを知るにしてもリサーチ方法が難しい。
下の名前で呼び捨てしろって言われたけど、まだあんまり仲良くなれていないので気が引けでしまう。だから、もうしばらく「天堂さん」で行かせてもらおうかな……なんて俺は考えていたんだけど。
「ね! 悠人、もしよかったら今日のお昼、一緒に食べない?」
「え……あ、ああ、いいよ別に──」
「約束だよ。莉緒も喜ぶよ」
彼女は人懐っこく微笑んで、ナチュラルに俺のことを呼び捨てする。そして俺のことを躊躇なくお昼に誘う。
お前が莉緒だろ、とまた言いそびれた。彼女と対峙する時は、今のところ俺は平常心を保てていない。
◾️ ◾️ ◾️
お昼休みになったが、こちらから声を掛けるべきかどうかで迷ってしまった。俺はまだ彼女と仲良く喋ることに慣れてはいなかったから。
天堂さんはそんな俺と全く真逆の態度。なんの遠慮も感じられない様子で迷いなく俺へ声を掛けてきた。
「悠人。いこっか」
「……はい」
振る舞いに余裕がありすぎて一方的に気圧されている。童貞が経験豊富なお姉様に対してとってしまう態度がこれかも、と心の中でこの状況を勝手に定義する。
普段誰とも話をせず独りを貫き通す、学校有数の美少女とのお昼。
これに何故かモブ中のモブである俺が選ばれるというのは、やはり周囲の人間からは奇怪な現象として映ったのかもしれない。クラスメイトたちはヒソヒソ話をしながら俺たちへ好奇の眼差しを向けていた。
群衆から色眼鏡で見られることに慣れていない俺は、もはや完全に陽キャかと思うほど胸を張って堂々と歩く天堂さんの後ろについて、背中を丸めながら申し訳なさげに教室を出た。
廊下の窓から見える外は雨がシトシト降っていて、天気予報の通りになっている。
「あー。せっかく中庭で食べようと思ったのにぃ」
天堂さんは、空を睨みながら
中庭にはベンチがあって、緑や花で溢れているからお昼は生徒たちがよく集まってくる場所だ。
どうやら彼女はそこで食べたかったらしい。
中庭に隣接している食堂の中ではたくさんの生徒たちが列を作っていたが、俺と天堂さんはお弁当だ。なので列には並ばず、食堂を通り過ぎて中庭への入口前に立った。
だけど、外は依然として、あいにくの雨。
「中庭はちょっと無理じゃない? そんな大降りじゃないけど、これじゃ──」
「うん。ちょっと待っててね」
言い終えると、天堂さんは空を見上げる。
それにつられて、俺も空を見上げた。
厚い雲で覆われた暗い空からはガッツリ雨が降っている。さすがに中庭は諦めたほうがいいと思うんだけど、天堂さんは諦めきれていない様子だ。
待っててと言われてもちょっとやそっとで止みそうな感じはないし、俺的には別の場所を提案ほうがいいだろうか?
それにしても、やけに速い速度で雨雲が動く。
上空は風の流れが早いのかぁ、なんて考えながら呑気に眺めていると……
空を埋め尽くす雨雲は、何故かみるみるうちに俺たちの頭上だけを避けるように掃けていく。天からは斜光が差し、どんよりしていた中庭はそこかしこで日光を反射して、雨はもう一粒も降っていない。
あっという間に、まるで台風の目のように、俺たちの周囲だけ──おそらくこの街の直上だけが、ぽっかりと綺麗な円形に晴れ渡った。
そのエリアの外は、まるで暗黒の世界が広がっているのかと思うほどに暗い。この街に魔法陣が敷かれて雨雲の侵入を許さない聖域にでも指定されたかのようだ。
「ほら、雨、止んだよ! ベンチは濡れちゃってるけど、
天堂さんはバッグからタオルを取り出し、鼻歌を歌いつつルンルンしながら濡れたベンチを手早く拭く。
こうなる前、天堂さんは「ちょっと待っててね」と俺に言った。彼女は、今からこの場所だけが晴れることを知っていたとでもいうのだろうか?
この怪現象について首を
ああ、案外スカート短いなぁ……とか思っている時点で俺の頭の中からは怪現象の考察がすっかり吹っ飛ばされて、代わりに煩悩が隙間なく満たされて、俺は知らず知らずのうちにIQが3くらいまで落ちていて。
彼女の魅力の一つでもある肉付きの良い太ももが俺の理性をガッツリ削り取っている。
チラリとでもパンツが見える瞬間が訪れたらそれを絶対に見逃さないようにするため視線をスカートの裾に固定し神経を全集中させ始めた矢先、彼女はその態勢のままお尻を隠そうともせず顔だけ振り向いて意地悪そうにニヤッとした。
「見たいの?」
「あっ……! いや、その、ごめっ……」
「ふふ。さ、終わったよ。座ろ」
見えそうで見えない桃源郷が尾を引いて、理性の戻りは緩やかだった。
それにしても、いつもと正反対とも言える天真爛漫なこの天堂さんは、クラスの中心に祭り上げられて多くの男女に慕われるべき存在そのもののように思えた。
人を寄せ付けないダウナーオーラを全開にしていた今までの彼女の雰囲気は影も形も見られない。
そんなことを考えながら隣に座る天堂さんへ視線を向けると、天堂さんはグーにした両手を膝の上に置いてうつむき、その姿勢のまま謎にずっと固まっている。
「……勘違いしないでよね」
天堂さんは、影のある表情になってボソボソと喋った。さっきまでお色気たっぷりの可愛らしい声で喋っていたのに。何か怒ったんだろうか?
スカートの中身を見せて欲しいという邪心を
「確かにお昼は一緒に食べるけど、別に、それだけだから。他になんかある訳じゃないから」
「あ……うん。他にって、例えば?」
「その……私があなたと仲良くなりたいだとか。こっ、こここっ、恋してる……だ、と、か」
ん?
「うーん……と。仲良くなりたくないなら、どうして誘ったの?」
「それは。……積極的に仲良くしたい訳じゃないけど、仲良くなりたくない訳でもないというか。気になった訳じゃないけど万が一、いや幾千万分の一くらいは気になったのかもしれないし念のためっていうか。ってか風華が勝手に言っちゃったからどうしようもなかったというか。だから私のせいじゃないし、私的には、その」
「え? 何?」
小さい声で早口にゴニョゴニョ言う天堂さんは、頬を真っ赤にして、プイッと向こうを向いてしまった。
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