第2話 狐の毛皮と忠義の老犬(1)

 アルルカは目の前でカリカリと一生懸命木の実を食べる小さな生き物、ケープチップを見つめる。

 

「お前、着いてきちゃったの」

「チィ」

 

 いつから着いてきていたのか分からないが、あの時木から引き抜いて助けたケープチップで間違いないだろう。

 アルルカがケープチップに気づくまでそれなりの距離を歩いたはずだが、ずっと一緒に歩いてきていたのか、アルルカが休憩を入れようと立ち止まるとアルルカの目の前に姿を現して持ってきていた自分の木の実を勢いよく食べはじめたのだ。

 ケープチップは知能が高い。人間が飛ばして無くしてしまった布を器用に包みにして木の実をまとめていた。どうやら器用でもあるらしい。

 まだ半分以上残る木の実を見ては、まだ食べようかやめておこうか手を出したりひっこめたりと悩む仕草をする。

 

「ええと、着いてきてもお前の群れに出会えるか分からないよ?」

 

 ケープチップはアルルカの言葉に首を振ってそれが目的ではないと伝える。

 

「違う?」

 

 今度はそれだというように縦に振る。

 ケープチップは自分を指差し、次いでアルルカを指差す。そして走る真似をしてからもう一度交互に指を差して何かを伝えようとした。

 

「お前と、俺? が走る。急ぐの? 違う?」

 

 アルルカがケープチップが伝えない内容と違うことを言うと足をダンダンと鳴らして違うと伝える。

 

「え、もしかして一緒に来たい、とか?」

「チィ!」

「うーん。流石に旅の中で生き物の世話をするのはなあ」

「ヂヂヂヂィッ!!」

 

 騎乗が出来るわけでも空を飛んで遠くまで手紙を届けるようなことが出来るような生き物でもないため、アルルカはケープチップと共に行くことに否定的だ。しかしその気持ちをしっかりと受け取ったケープチップは不細工な声を上げて抗議する。

 持参の木の実の中でも立派なものをアルルカに差し出し、どうだと胸を張った。

 

「木の実を取ってこれるから役に立つよってことかな?」

「チィッ!」

 

 あと一押しだと思ったのかケープチップの鳴き声と共にもふっとしっぽがアルルカの手に当てられる。

 

「うーむ。確かにこのもふもふは捨てがたいかも」

「チチィ」

 

 自慢のしっぽを褒められたケープチップはそうだろうそうだろうとアルルカに更にしっぽを押し当てる。しかしアルルカはその誘惑に負けずに立ち上がる。

 

「休憩おーわり。じゃあね」

 

 まるで雷が落ちたかのような衝撃がケープチップを襲う。あれだけ己のしっぽをもふもふと堪能しながら、まさか同行を断るだなんて思ってもいなかったのだ。しかも気づけばアルルカにあげた木の実は返却されているではないか。

 あまりの衝撃によろよろとよろめき、しかし踏ん張る。広げていた木の実をまたまとめるとケープチップはアルルカの後を追った。

 

 たどり着いたのは小さな村。リチェルカ協会の支部のない、閑散としたただ人が住むだけの家が立ち並んだ村だ。

 畑と牧畜の存在が確認出来たが1番目立つのは大きな1本の風車だ。

 アルルカはその風車に近づいていく。村よりも丘になった場所にその風車はあった。登り道を歩いていくと村からは見えなかった光景が目に入る。墓地だ。

 いくつもの墓が並ぶ。よく見れば風車は動いていなかった。

 崖の端に近いところまで墓は立てられていた。もしかするとこの村はかつてはもっと大きな村だったのかもしれない。

 風車の陰になるところにもそもそと動く物体が見え、アルルカはそれに近づく。

 雪の積もるひとつの墓の前、それはいた。

 

「犬……?」

 

 それは灰色をした犬だった。皮膚の上からも肋骨の形が分かるほど痩せ細り、毛はところどころ抜け落ちていた。近づく足音に気づいたのか犬は目を開けて確認するがすぐにまた目を閉じてしまう。

 

「また来ておるのか」

 

 風車の中から老人が現れ犬を見つけると呆れたようにため息をつき、アルルカの姿を見つけると訝しげに観察する。

 

「あの、俺はさっきここについたばかりで」

 

 怪しいものではないと弁明しようと両手を顔の横に持って危害は加えないと示す。その時に腕から覗いたプレートを老人が見ると表情をまた呆れたものに戻した。

 

「なんだ、お前さんリチェルカか」

「はい」

 

 老人がリチェルカを知っていたため疑いが晴れた頃、ケープチップはやっとアルルカに追いついた。近くにあった墓石にもたれ掛かるがすぐに何かに突き飛ばされる。振り向き正体を見ればそれはケープチップからしたら大きな犬だった。

 ケープチップは犬に抗議をしようとしたが、何やらアルルカは老人について風車の中に入るらしく、それについて行きケープチップも風車の中に入る。

 犬はそれを目だけで追い、また目を閉じる。

 柔らかい雪が、犬に積もっていく。

 

「あの犬は、何故あそこに?」

「ジャックか。あいつは待ってんだ……死んじまった主人のことを、ずっとな」

 

 ジャックと呼ばれた老犬がまだ子犬だった頃、夫婦に拾われた。妻が作った蹴りぐるみを振り回すほどやんちゃだったジャックは主人であるトビーの狩りの相棒として訓練された。やんちゃさが抜けないジャックは狩りが終わりになっても時折1匹で狐や兎を捕ってきた。

 それをトビーは仕方がないなあという顔で褒めてやる。怒ることは出来なかった。ジャックのそれがトビーへの感謝の印だと分かっていたから。

 

「若いうちにトビーは嫁さんを亡くしてな。流行病だった」

 

 弱っていく姿を見ていることしか出来なかったトビーとジャック。妻のそばにいるトビーの代わりにジャックは狩りをした。ジャックには薬草の知識もなければ、摘み取る手もなかった。ジャックにあるのは狩りの知恵と自慢の 牙だった。

 ジャックの狩った獲物は食料となり、妻の薬代になったが、それでも病は強く脅威だった。看病の果てに妻は痩せ細り亡くなった。残ったのは老いたトビーとジャックだけ。

 トビーは妻が亡くなってから毎日狩りが終わると墓に訪れるようになった。

 花を持っていくこともあれば何も持たずにただ墓の前で座るだけの時もあった。そんな日々を送るある日、トビーは狩りの時に怪我を負ってしまう。

 

「トビーも嫁さんの後を追うように、怪我が元でぽっくり逝っちまった」

 

 残されたジャックはトビーの弟に引き取られた。けれどジャックは毎日、毎日狩りをしては墓へと行く。まるでトビーのように。

 最近ではもう弟の家に帰ることはなく、ただ墓の前に伏せてじっとするだけだ。

 

「ジャックももうそろそろなのかねぇ。あいつがずっとあそこにいるからこうして墓守なんぞする羽目になった」

 

 年老いた犬がボケてしまったように思われたのか、墓を暴かれてはたまらないと村の総意で墓守がつけられることになったのだ。しかし、墓守になった男はジャックは待っていると言った。

 

「あそこにいれば、誰かが迎えに来てくれるとでも思ってんだろうなぁ」

 

 墓守は短くなった煙草を吹かしてジャックに思いを馳せた。

 アルルカは墓守に、代わりに墓守をする条件で風車の中に泊まる許可をもらった。もちろん、ジャックが墓荒らしなどすることがないという信頼があってこその交渉だった。

 

「お前さん旅人なら料理くらい出来るか?」

「それなりには」

「なら、トビーの好物でも作ってやってくれ。俺は料理は出来なくてな。……明日はあいつの命日なんだ。材料は明日届ける」

「あまり複雑な料理だと無理ですよ?」

「なあに。ただ牛の乳で野菜を煮込むだけのもんさ。レシピも持ってきてやる」

 

 墓守は言うだけ言って風車を出ていく。

 アルルカは1度ジャックの元へと向かうことにした。

 先程の場所から少しも動かずにジャックはそこにいた。頭や体には雪が積もっている。

 

「寒いでしょ」

 

 アルルカが声をかけてもジャックは反応しない。

 墓に積もる雪を払ってからジャックの上の雪も優しく払ってやると、少しだけ目を開きまた閉じる。

 

「俺も拾われたんだ。一緒だな。なあ、お前の家族はどんな人だった?」

 

 アルルカの優しい声を聞きながら、ジャックは昔を思い出す。うつらうつらと意識は昔に飛んでいき、いつの間にか眠りについていた。

 ジャックが寝たのを確認するとアルルカは毛布をかけてやる。そしてついてきていたケープチップを拾ってから風車へと戻っていった。

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