番外編

番外編 幕末最強 雷神隊

 時は幕末時代、旧幕府軍と新政府軍はしのぎを削りながら戦っていた。


 だが、鳥羽・伏見の戦いで桑名藩は旧幕府軍の主力として戦い敗北してしまう。


 隠居させられた桑名藩の藩主・松平定敬まつだいらさだあき越後柏崎かしわぎに脱出する。


 

 一方、恭順に不満を抱いた抗戦派は大鳥圭介おおとりけいすけ率いる旧幕府脱走軍に合流する。


 宇都宮城攻略戦に参加し一時は落城させた。


 しかし、新政府軍により宇都宮城は攻略されてしまい奪回される。


 奪回された後も北関東を転戦していたが、藩主健在の報を受けて柏崎に向かう事にした。


 

 しかし柏崎に集結した桑名藩の抗戦派は柏崎に藩主・松平定敬がいなくまた、北越がきな臭くなっていたため、部隊を編成することにした。


 

「藩主・松平定敬様がいない。ここは隊をいくつか組み、それらの組長を決める必要がある!! どのように編成するかここで決めるが異論はないか!?」


 異論はないのか皆その意見に納得していた顔つきであった。


「では隊を組むがその組長を誰にするか決めたいと思う。推挙したいものがいればその推挙する人物の名前を言ってほしい!!」


 すると、大勢の者がある一人の男の名前をあげたのである。


 その男とは、立見鑑三郎であった。


 

 「皆がお前を推挙しているぞ立見。お前に一つの隊を任せたいが同意してくれるか」


 鑑三郎は、一度皆の顔を見渡した。そして覚悟を決めたのか次の様に発言した。


 「分かりました。その任引き受けましょう!!」


 鑑三郎は一つの隊の隊長を務めることに同意したのである。


 それを聞いて多くの者が喜んだという。


 

 立見鑑三郎はそれほどの実力を有する人物であった。


 藩主松平定敬の京都所司代就任に伴い京都で藩の周旋役を任される。


 その後幕府陸軍に出向。歩兵第3連隊に籍を置きフランス式用兵術を学ぶ。


 その際、フランス教官からこう言われたという。


 「立見は天成の軍人である。ナポレオンの頃フランスに生まれていたら恐らく30になる前に将軍になっていただろう」と感嘆せしめたそうな。


 

 そのため、鑑三郎が雷神隊の隊長に抜粋されるのはことさらおかしなことではなかった。


 その後、他の隊の隊長が決められ部隊を以下の様に編成する。


 雷神隊 立見鑑三郎 75名、致人隊 松浦秀八 65名、神風隊 町田老之丞 57名、大砲隊 梶川弥左衛門 47名


 このように部隊を編成したのである。


 

 鯨波戦争が始まると新政府軍は海道と山道の分進策を採った。


 鑑三郎率いる雷神隊は海道から進撃する新政府軍と交戦したのである。


 「地の利は我らにある。迫りくる新政府軍を叩きのめすぞ!!」


 鑑三郎(尚文)率いる雷神隊は地の利を得て薩長の突破を許さなかったのである。


 「見ろ敵勢は我らの奮戦により、こちらに進撃するのが難しい状態だ!! このままならいけるぞ」


 しかし、夕刻となったことで同盟軍は番神堂ばんじんどうに退き、新政府軍も一旦は東の輪まで進んだが兵の疲労が大きく、鯨波まで後退したのである。


 だが、新政府軍の別働隊により山道の会津軍が撃破されたため、桑名軍は撤退するか判断に迷っていた。


 その時、 鑑三郎はこういった。


 「まさか山道の会津軍が敗北しようとは‥‥‥このままでは挟み撃ちにされてしまう!! ここは一旦引くぞ!!」


 山道と海道の両面から挟み撃ちされることを危惧した鑑三郎は桑名軍を撤退することにした。


 

 その後、長岡藩が新政府軍と戦っていたため長岡藩につくことになる。


 この長岡藩と新政府軍の戦いを北越戦争と呼ぶ。


 

 長岡・会津・桑名藩がまず朝日山と榎峠を奪取した。


 新政府軍は榎峠えのきとうげを奪回するため朝日山の確保を目指し、前線を離れていた山縣有朋の代わりに時山直八ときやまなおはちが新政府軍を率いて会津軍を攻撃する。


 その際、鑑三郎率いる雷神隊が反撃したのである。


 「雷神隊の者達よ。迫りくる新政府軍の軍勢を銃で迎え撃ってやれ!! それ猛射せよ!!」


 鑑三郎率いる雷神隊の猛射が繰り出された。


 その猛射を浴びたことで時山は戦死したのである。


 「見よ敵の大将を討ち取ったぞ!! 皆この勢いに乗じて敵を迎撃するぞ!!」


 「「おお――――――!!」」


 雷神隊の皆は歓声をあげたという。


 その後は両軍ともに攻め手を欠き、砲撃戦に終始した。


 

 それからも雷神隊は攻防を続けたが戦局は不利になる一方であり、新潟港が制圧され、長岡城も陥落した。


 「このままでは‥‥‥状況は不利だ‥‥‥ここは一旦会津に退却することにしよう」


 こうして、佐川官兵衛と共に会津に退却するのである。



 会津退却後は会津から寒河江に転戦したのである。


 その際の敵の大将は、西郷隆盛であった。また参謀には黒田清隆くろだきよたかがいた。


 桑名兵と庄内兵は、朝食の最中に西郷隆盛率いる新政府軍に急襲された。


 「敵襲だ。新政府軍が襲ってきたぞ!! 皆備えろ――――――!!」


 報告してきたものが警戒するように伝えてきた。


 皆は備えを行い、新政府軍に迎え撃とうとしたのである。


 

 桑名兵は立見鑑三郎の指揮で沼川沿いに陣を敷いたが、圧倒的な新政府軍の攻撃に損害が増加し、霧の中で唯一見える長岡山に兵を引きあげるよう鑑三郎は言った。


 「ここは一旦長岡山に撤退するぞ!!」


 こうして、雷神隊等は長岡山に引き上げたのである。


 そして庄内隊と桑名隊が合流し、守備戦線を築く。


 霧が晴れると再び新政府軍の猛攻が始まり、防衛戦を展開するが、午後になると新政府軍に包囲された。


 

 「新政府軍に包囲されたか‥‥‥ならばこの包囲網を突破するため一丸となって一か所に突っ込むぞ!!」


 庄内兵・桑名兵は包囲網を突破して、さらに北西の白岩方面に脱出した。

 

 

 ここで、左沢にいた桑名藩の神風隊が援軍に到着して、寒河江川さがえがわに架かる臥龍橋がりゅうきょうを挟んで、2時間ほど銃撃戦を展開した。


 しかし退路を断たれることを恐れて、銅山越どうざんごえの山道を通り、夜間行軍で肘折温泉ひじおりおんせんに引き上げ、庄内藩の領内に逃れた。


 庄内藩の使者が米沢藩の先導で海味に来て、参謀局に降伏謝罪の嘆願書謄本たんがんしょとうほんを提出した。


 古口の鎮撫軍の本営で参謀黒田清隆に面会し、降伏を申し出た。


 「ここが潮時だな!! 我らはよく戦った! 新政府軍に降伏するぞ!」


 鑑三郎(尚文)がいうと、皆も同意して降伏することにしたのである。



 こうして庄内藩と共に雷神隊も西郷隆盛・黒田清隆ら鎮撫軍に降伏したのである。


 

 以後、鑑三郎(尚文)は、裁判官となり身を立て、後に陸軍大将となる。


 また、大日本帝国の軍人たちからは幕末から明治期において最高の指揮官と言われた。


 特に野津道貫のづみちつらは「東洋一の用兵家」と高く評価している。



 

 


 

 


 


 


 


 


 


 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る