第71話 聖化は三位一体の始まり
「ふむ……強大な魔力はこっちから感じるのぅ」
悪魔を退けながら実験棟へと進む人影が三つ。
その内、戦場の風に夕焼け色の髪を靡かせるエレミアは、禍々しい瘴気が溢れる実験棟を見るや、眉間に深い皺を刻んだ。
「ネビロスめ……この期に及んでまだ何かするつもりか……!?」
「じゃが、この魔力……ふむ……」
「どうした、オリアス殿? 何か気になることが──くっ!!?」
「むぎゃ!!?」
突如、実験棟の方角から吹き付ける旋風に足を止める。
騎士団長のエレミアでさえ足を止める風圧だ。隊長とは言え、魔法職のオリアスはあまりの風圧にひっくり返りかけ、寸前でヴァプラに支えられて事なきを得る。
「これは……魔力か!? なんと凄まじい……!」
「すでに〈海の乙女〉が突入していたようです。急ぎましょう!」
「ああ、よろしく頼む。ヴァプラ殿!」
「は! ──……それはそれとして」
ヴァプラは、自分の足で歩くどころかいそいそと自身の背後に回り、背中に『よいしょ』と飛び乗ってきた同僚に目を移す。
そして、実験棟の方へ指を差す。
「よし、行けぃ!」
「自分で歩け、ババア」
「待て待て待て待て仰け反るな! 危ないじゃろうが!」
「貴様が許しも得ずに乗るからだろうが!」
「いいじゃろう、このぐらい!」
「重いんだよ!」
「年上を敬え、若いの!」
「山に捨てるぞ、古いの!」
見るに堪えない争いを繰り広げる雌猫共。
それを傍から見ていたエレミアはと言えば、
「古い……古いの……? 私は行き遅れ……?」
予想外の方向からダメージを負い、地に伏していた。
だが、そこへ今一度猛烈な突風が吹きつけてくる。今度は先ほどより一層勢いが強かった。言い争い仰け反っていた二人は、まんまとバランスを崩して転倒するレベルだ。
魔力だけでこの風圧である。発生源ではどれほど強大な存在が身構えているか、エレミアは突入する前から身震いするようだった。
(しかし、この感触は……)
肌に吹き付ける魔力には身に覚えがあった。
もはや遠い昔の思い出だ。まだ新兵だった頃の上司──孤児だった自分に、時に父のように厳しく、時に母のように優しく接してくれたかけがえのない恩師が居た。
これは彼にとてもよく似た魔力だった。忘れるはずがない。
「ベルゴ団長……?」
8年前から行方の知れなかった恩師の陰に、エレミアは妙な高揚を覚えた。
未だかつてない胸の高鳴りは、急かすように彼女の足を前へと突き動かす。
──あそこだ。
──あそこに今、取り戻しに行くべきものがある!
何の確証も得られていないが、エレミアは走り出した。
「邪魔だぁ!」
群がってくる悪魔など鎧袖一触。
剣の一振りで複数体を切り裂き、道をも拓く。
彼女は真っすぐ突き進む。
この先に夜明けが待っていると信じるが故に。
***
「まずは人質の避難を」
〈
「命大事に、ってやつだな」
「一人でも無辜の民を犠牲にしてしまったのなら、それは騎士としての敗北ですから」
普段ははっちゃけ具合が天元突破しているセパルであるが、こういう真面目な戦いの時に限っては極めて冷静な指揮官だ。
ああ、ぱっらぱらーな人間のふとした瞬間に出る真面目な態度から得られる栄養素がキまるぅ~。
「まったく……そういうとこ本当好きだぜ」
「なるほど。プロポーズですね?」
「世の中の結婚詐欺でももうちょい段階踏むわ」
きりっとした顔のまま急にぶっ込まないでくれる? アクセルベタ踏みかよ。
「団員がお前の態度の温度差で風邪を引いてないかが不安になるわ」
「頭痛がすると言われたことがあります」
「諸症状が出てるじゃねえか」
部下に頭を下げな。誠心誠意を込めて。
とまあ、精神統一を兼ねたセパルとの会話はこれくらいにしてと。
「それじゃあ皆さんに一つお伺いしますけれども、あれを倒す策とかなんかある?」
「ライアー、何かあるか?」
「フッ、パワーで殴」
「それならオレに作戦がある」
「にゃ~ん」
せめて最後まで言わせて。
しかし、大真面目な顔をしたベルゴにそれ以上言及はできず、俺はしょんぼりにゃんこになって俯くことしかできなかった。世の中は世知辛いにゃあ。
「──で、作戦って?」
「……オレが奴を一撃で吹き飛ばす」
「俺とあんまり変わらねえじゃねえか」
まあ実際は違うんだろう。
俺が言いかけたのは無策の総攻撃。
一方ベルゴが提案したものは、確実に仕留められる一撃で屠るというもの。
けれどもベルゴの表情はどこか煮え切らない。
「問題なのは準備に少し時間が掛かるのだ」
「にゃるほど。要は俺達に時間を稼いでほしいと」
「頼めるか?」
「チッチッチ」
縋るような眼差しを送るベルゴの前で、俺は人差し指を左右に振った。
「こういう時は『頼めるか?』じゃねえ」
怪訝な顔をするベルゴの肩に手を添え、俺は押しのけるように前へと躍り出た。
「『頼んだ』、だ」
そうして俺はネビロスを見上げる。
忌々しいものを見る視線が痛いほどに突き刺さるが──むしろ望むところだ。
「そういうわけだ、死にぞこない」
「……誰が死にぞこないだぁ……?」
腸がグツグツと煮え滾っているのだろう。吐き出すネビロスの声も随分震えていやがる。
「おやおや、自分の姿も見えなくって? 鏡でも持って来てやろうかぁ?」
「抜かせぇ。そういうおまえも死に体だろぉ……?」
「……たしかにな」
「それでおれに勝てるとでもぉ? ──思い上がるなぁッ!!!」
「っ……!!」
ネビロスが魔力を解き放ち、周囲に暴風が吹き荒れる。
正直、レイエルとの戦いで魔力はすっからかんだ。
さっきの〈
「……お前の言う通り、今の俺が誰かに勝とうなんて思い上がりかもなぁ」
「ハッ……だったら、」
「でもな」
悪魔の囁きなんて聞き飽きている。
だから、話を強引に切って捨てた。
「今の今まで──勝てると思った勝負にだけ臨んできたつもりはねえよ」
サンディークもそうだ。
レイエルだってそうだ。
あいつらは全員強敵だった。
俺なんかより遥かに格上の相手だった。
それでも戦いに臨んできたのは、絶対に勝てる見込みがあったからではない。
勝算が多かったからでもない。
「勝たなきゃ守れないもんがあるから、
そう言ってやれば、あからさまにネビロスの顔面は壮絶に歪んだ。
腹立たしいのだろう。忌々しいのだろう。
不愉快という感情を顔一つで表現しきる大悪魔は、身も心もぐちゃぐちゃにさせながら、腐敗する竜の巨体を揺るがしながら身じろいだ。
「そうかぁ。なら──死ねぇ!!!」
竜の咆哮。
直後、腐り落ちて露わとなっている竜の頭骨より、禍々しい瘴気の息吹が吐き出された。見るからに猛毒。吸い込めば……シャウトラット2000匹は死ぬってとこか。
しかし、先述した通り俺は魔力がすっからかんな俺にできることなどない。
地下水路で模倣した『
というわけなので、
「セパル、頼んだ!!」
「喜んで!!」
喜んでもらって何よりだ。
というのは冗談で、ああいう手合いの攻撃は魔法使いに任せた方が安全に収まる。
それはセパル自身も理解していたのだろう。
あらかじめ魔力を高めていた彼女は両の掌を突き出し、渦巻く風の弾丸を解き放つ。
そして、
「〈
瘴気の息吹を上空へと巻き上げる竜巻が、ネビロスの眼前で発生する。
「ぐッ、おぉお……!!?」
「今です! わたくしが抑えている間に、ライアー様は準備を!」
「ありがとうな! 今度礼はする!」
「えっ?」
「ただし内容は協議を重ねた上で!」
「チッッッ!!!」
「やだぁん……怖ぁい……」
最後に念押ししたら、暴風の中でもはっきりと聞こえるぐらい強めの舌打ちが聞こえて、本日二度目のオネエになっちゃったわ。あいつ、言葉を狩ろうにももうちょっと自制心つけてくれないから。乱獲しようとするんじゃあないよ。
「ネズミ、がぁ……!!!」
しかし、流石に〈極大風魔法〉一つで押さえ込められるほど〈腐敗せし地獄公〉は非力ではないらしい。
腐肉を風に巻き上げられながらも、黒ずんだ骨をスパイクのように地面に突き立ててこちらに迫ってくる。
「たかがぁ……団長一人でぇ~~~……!!!」
「告解の時。我が〈
「告解します! 我が〈
「っ、おおおおぉ……!!?」
その時、ネビロスに相反する氷と炎の嵐が襲い掛かった。
極寒の冷気は腐った巨体を地面に縫い留め、酷烈な熱気はネビロスの視界を覆い隠すように腐竜の頭部を焼く。
「私達を忘れられるとは甚だ不愉快ですね」
「さっきは遅れを取りましたが……!」
〈
〈
彼らも立派な人類の上澄み。連携を取れば〈六魔柱〉と言え足止めくらいわけはない。
「さあ! 我々が食い止めている内に!」
「どいつもぉ、こいつもぉ……退けぇええぇえええ!!!」
「あら、三日も経たずに見飽きられるなんて……」
眼帯を嵌める人魚は、厚ぼったい唇を妖艶に歪ませながらフリルのようなヒレのついた片腕を差し向ける。
「そんなの……妬けてしまいますわ♡」
刹那、謳うようにセパルが唱える。
そうすると渦を巻いていた竜巻に、周囲に撒き散らされていた水も参戦するように加わった。
猛烈な竜巻と渦巻。まるで二匹の龍が蜷局を巻き、ネビロスを締め付けているような光景だった。
呼吸一つさえ許さぬ風と水の螺旋の監獄は、その猛烈な勢いのままに腐竜を閉じ込めてみせる。
「──〈
「ぎっ、いぃいいぃぃ!!?」
「もっとわたくしを見ていてくださってくれてもいいんですよ」
「〈悋気〉ぃいいいいい!!!」
「というか……ライアー様に色目使ってんじゃねええええええ!」
罪魔法を繰り出し、セパルの全力でネビロスを押さえ込みにかかる。
この時間を無駄にするわけにはいかない。スッとベルゴの方に目配せすれば、承知済と言わんばかりにベルゴの魔力が高まっていく。
「はああああ!!!」
気炎を吐き、魔力を高めていくベルゴ。
すると彼の全身から鈍い音が鳴り響いてくる。みるみるうちに筋肉は膨れ上がり、衣服の合間から覗く素肌から黒々とした体毛が生い茂り始める。
側頭部からも白銀の髪を掻き分けるように、角が素肌を突き破って生えた。天を衝くような立派な二本角を携える姿は、まるで
「フシュー……!!!」
外気よりも熱を含んだ吐息は白く染まり、風に流されていく。
しかし、彼の姿は吐息とは裏腹に漆黒だった。
針のように鋭い無数の体毛。骨など容易く噛み砕けそうな太い牙。そして、巨木の如き両腕。
一言で言い表すならば、熊と牛の怪物。
それが極みへと至ったベルゴの
……なるほど。
「んぎゃっごいい゛!」
「お、おぉ。なんだ、急に褒めおってからに」
「すまん。心の声が抑えきれなかった」
「そ、そうか……」
「もう一回いい? んぎゃっごいい゛っ!」
心の声を吐き出す俺に、恐ろしい見た目のはずの熊男の方が引いている。
でも、しょうがないじゃい。オタクは本編で見られなかった強化形態とかが大好きなんだから。
あぁ~、気分が高まって魔力が湧き上がってくるぅ~。
一方、そんな俺の興奮を察して否か『ライアー様の視線を独り占めにして……!』とセパルが嫉妬の炎を燃やしていた。燃やすな、おじさん相手に。
「……で? まだ準備が掛かりそうか?」
「長いのはここからだ。──コナトゥス!」
魔人と化したベルゴは、右手に持っていた罪器に呼びかける。
すると魔力を流された途端、沈黙を保っていた罪器は蠢動してベルゴの肉体を包み込んでいく。金属で覆われたベルゴは、瞬く間に鎧を身に纏ったような姿と化す。
「──〈
「お、お、お、おっひょ~……!!!」
「奇声を上げるな。これもまだ前段階だ」
そう言うと鎧を着込んだ獣人は、背後に聖霊を顕現させる。
「──これより
「!」
「……聖化?」
一瞬呼吸を忘れる俺の傍ら、聞いたことのない言葉にアータンが小首を傾げる。
だが、俺の様子から大体を察したのだろう。ベルゴの精神統一は始まった。
不意に風が凪いだ。
ベルゴの周囲だけ時間が止まったように、全ての“動”が沈黙を始める。
「な、何が始まるの……?」
「──聖化は聖霊使いの最終奥義。己の肉体を聖霊で満たし、聖霊と完全に一体化するんだ」
「……一体化するとどうなるの?」
「そいつは……っとぉ!?」
「きゃあ!?」
説明しようとした傍から、猛烈な波動がベルゴより解き放たれた。
転びかけるアータンを抱き留めつつ、視線をベルゴへ移す。そこには筋肉という鎧の上に罪器をも着込んだベルゴから、煌々と神々しい輝きが放たれていた。
しかし、それはネビロスが垂れ流すような禍々しい魔力ではない。
もっと清廉で、それでいて高潔な聖なる力の波動。これこそがベルゴの魂の輝きであると、直感で理解できるようだった。
「……すごい」
「聖化した聖霊使いは肉体と精神が一つになることで、100%の力を発揮できるようになる。罪使いが罪化するみたいにな」
アータンはハッとした顔で俺を見上げる。
そう、今のベルゴはすでに罪化した状態。ただでさえ膨大な魔力が肉体に漲っている上で聖化しようものなら、全力で放たれる一撃がどれほど強大か想像もつかない。
……いや、ゲーム上でなら見たことならあるけども。
『ギルティ・シンⅣ 怠惰の
消し飛んでたよ、ラスボス。
割とデカめな奴だったのに。
そういうわけだから、同じ〈怠惰〉の〈罪〉持ちのベルゴが同じ真似をしようものなら……う~ん、ネビロス消し飛ぶんじゃない?
「ぐっ……!」
しかし、万事が滞りなく進んではいなさそうだ。
途中途中、ベルゴより苦しむような息遣いが聞こえてくる。
「ベルゴさん、大丈夫なの……!?」
「本来、罪化だけでも肉体に負担を強いるんだ。そこに聖化も併せようとなるとなぁ……」
俺達が思うよりもずっとベルゴは苦しいだろう。
けれども、ベルゴは泣き言一つ漏らさずに聖化を推し進める。刻一刻と溢れる光の量は増していく。
「でも、ベルゴはそれも承知の上だ」
「っ……!」
「俺達にできることはあいつを信じ抜く……それだけだ」
それだけでいい、と最後にもう一度念を押す。
「……そっか」
それだけ答えてアータンはベルゴの前へと躍り出る。
「それなら任せて!」
まるで盾になるとでも言わんばかりに身構えるアータン。
随分と小さな背中ではあるが、これ以上心強い盾もないだろう。
「その意気だぜ、アータン」
「うん!」
「よし、それじゃあ〈罪〉の準備はいいか?」
「えっ?」
あらあら、どうしちゃったの?
急にそんな冷や汗を掻き始めて。
「あ、えっと、ライアー……誠に申し上げにくいのですが……」
「何故に敬語?」
「罪冠具……が、そのぉ……壊れてしまいましてぇ……」
「ほわぁ?」
今度は俺が間の抜けた声を上げる番だ。
しかし、実際にアータンの右腕を見てみれば、あの陰険クソ眼鏡司祭に嵌められたはずの罪冠具がなくなっていた。
あらあら! 良かったねぇ!
今この場でないことを除けば!
「Oh……」
「ご、ごごご、ごめんなさい。わたわたわたし、どどどどうすればっ……」
「落ち着け、アータンよ……〈罪〉は罪冠具がなくとも解放できる」
そう断言しながらほっぺをもみもみすれば、壊れた機械みたいになっていたアータンがようやく元に戻った。
「そ、そうなの?」
「ああ、罪冠具はあくまで
まあ、流石に罪度Ⅲにまでなるのは不可能だが……そこ横に置いておこう。
「〈昇天〉──今必要なのはそっちの罪魔法だ」
「! たしか、周りの人の魔力を増幅させるっていう……?」
「えっ、なんで知ってんの?」
「リーンさんから教えてもらったから……」
「……」
「か、悲しい瞳を浮かべている……!」
そうだよぉ……悲しくもなるさぁ。
折角人が段階踏んで教えようとしているところをさぁ。ああ、だからか。アータンがさっき〈堕天〉使ってたのは。
あいつが今この場に居れば文句の一つでも言ってやっていたところだが、居ないものは仕方ない。
俺達は俺達のやれることをするだけだ。
「アータンは〈罪〉を解放して俺の魔力を補助してくれ。そんで俺がベルゴのサポートをする」
「わ、わかった!」
「チャンスは一度きりだ……気合い入れていくぜ!」
これまでベルゴが聖化を用いなかった理由は、単純に隙が大き過ぎるからだろう。
しかし、それを敢えてこの場面で使うと決めた理由──これは俺達への信頼と取るべきだろう。いいや、そうじゃなかったとしても取らせてもらうね。
なんたって、そっちの方がブチ上がるからなぁ!
「よし来い!」
「──告解する!」
俺の合図でアータンが告解し、〈罪〉を解放する。
〈堕天〉ではなく〈昇天〉の方だ。
聖なる〈嫉妬〉の罪魔法は、周囲の仲間に力を分け与える性質を持つようになる。これなら俺の残り滓同然の魔力でも罪魔法の一発は繰り出せるだろう。
「がああああああっ!!!」
その時、天を震わせる雄叫びが轟いた。
声の主は当然ネビロスだ。散々セパル達に足止めを喰らい業を煮やしたのだろう黒い長髪を振り乱す奴は、腐敗した竜から突き出すあばら骨より無差別に紫電を解き放った。
それは罪魔法の始動となる攻撃。
喰らうわけにいかないセパル達は即座に回避行動に移ったが、僅かな隙を突くようにネビロスは巨体を揺らし、走り出した。
「くっ……止まりなさい!」
「フ、フフ、フ……フハハハ、ハハハ、ハァ!!! 誰がぁ!!!」
セパルの制止も虚しく、〈腐敗せし地獄公〉と化したネビロスは猛毒のガスを撒き散らしながら、こちらに突き進んでくる。
背後からセパル達が魔法で止めようとするも焼石に水。一度勢いのついた巨体はちょっとやそっとの魔法如きでは止められなかった。
「ラ、ライアー……!」
「まだだ」
地響きが近づくにつれ、振動もより大きくなる。
心なしか俺の背中に手を触れているアータンも小刻みに震えているようであったが、まだその時ではない。
「殺すぅ!!! 殺してやるぞぉ、〈怠惰〉ぁ!!!」
血走った眼を剥くネビロスが迫って来る。
距離は──おおよそ百メートルといったところだろうか。
「ライアー!」
「まだだ」
まだ、ベルゴの聖化は完了していない。
ギリギリまで力が高まった時でなくては、ゴキブリ同然にしぶといネビロスを仕留める最大級の一撃を繰り出すことは叶わない。
「〈虚飾〉と〈嫉妬〉ぉ、おまえらもだぁ!!! 地獄に叩き落としてやるぅううう!!!」
残り50メートル。
奴の巨体からしてみれば、ほとんど目と鼻の先だ。
「ライアーッ!!」
「──シャックス!!」
「おう!!」
「っ……な、ぁ……!!?」
刹那、ネビロスの巨体が俺達の視界から消え失せた。
いいや、正確には少し離れた場所に転移したというべきだろうか。
突然の転移に驚くネビロス。
だが奴が転移した場所は、まさに自身が繰り出したネフィリムが現れた地割れの傍だった。すぐさま奴は重力に襲われ、その下半身を奈落の底へと引き摺られる。
寸前で淵に手を掛けたはいいものの、突然の転移に狼狽したせいか、平静を欠いた動きだった
「ぐ、うぅうぅうう……!!?」
「ナイスだ、シャックス!!」
「わ、悪ぃ……!! 相手がデカすぎて思ってた場所に引き寄せられなかった!!」
「いーや、十分すぎるぜ!!」
実際ネビロスの不意は突けた。
シャックスの罪魔法は、対象が生物でも引き寄せられるとアータンで証明済みだ。
「ク、ソ……がぁああぁあぁあああああ!!!」
「なっ……まだ這い上がってくるのかよ……!!?」
「よくやった、シャックス!! お前は下がっておけ!!」
「あ、あぁ……!!」
もう一発と行きたいところだが、シャックスの罪魔法はその性質上、本人の近くにしか引き寄せられない。
ネビロスは罪器に細工を仕掛けるような狡猾な相手。二度も同じ手は通用しないと考えた方がいいだろう。
「今度こそ俺達が最後の防衛ラインだ……!!」
「う、うん……!!」
「緊張してるか?」
「すっごく……でも、大丈夫だよ」
アータンは俺の方を向き、にぱりと笑顔を咲かせた。
「ライアーが……皆が居るから!!」
「へっ……俺もだ!!」
「ネ、ズ、ミ、ど、も、がぁぁああああああああああ!!!」
とうとうネビロスの怒りが頂点に達した。
自壊さえ厭わず全身から腐食性のガスを垂れ流すネビロスは、あろうことか自ら竜に炎を吐かせ、ガスに着火させる。
噴出する猛毒のガスが燃え盛る光景は、油田の煙突から噴き上がる光景に似ていた。違う点があるとすれば、それが全身の穴から噴き上がっていることだろうか。
セパル達も魔法で炎を掻き消そうとするも、撒き散らされる猛毒で近づけず、そもそも火勢が強すぎて消すに至らない。
「……奴さんも最期の一撃ってところか」
「そうみたいだね……」
炎を推進力に這い上がって来るネビロスは、さっきよりも猛烈な勢いでこちらに突っ込んでくる。
恐らく猶予は一分もないだろう。
ベルゴは……随分と力が高まってきたように見える。
しかし、それでも動かないところを見るに準備が整っているとは言い難いらしい。
……そりゃそーか。
負担の大きい罪化と聖化は、本来“あの状態”に至って初めて為せる神業だ。
「もうちょい準備は掛かりそうか……!!」
「でも……信じてもらっている以上、やるしかないよね……!!」
「その通りだ……!!」
「それが無駄だと言っているぅううううう!!!」
半身が焼け焦げたネビロスは、吼えるように叫び倒す。
「おまえらの言ぅその信頼だとかぁ!!! 誇りだとかぁ!!! そんなもんでぇおれたちに勝てるわきゃねえだろぉがああああああ!!!」
それは最早、魂の叫びだった。
ネビロスという悪魔の、奴が悪魔と呼ばれるが所以となる価値観。
「だからおまえらは死ぬぅ!!! カスの役にも立たねぇもんを謳うおまえらはぁ!!! それを踏み越えていくおれたちにはなぁあああああ!!!」
灰を撒き散らし、大疑の悪魔は迫って来る。
人道を嘲笑い、外道を突き進んできた大悪魔が。
いよいよ逃げ場はない。
だが、俺達はこの道を逸れるつもりはない。
だって──。
「──〈
「な゛ぁッ……にぃ゛ぃいいい……ッッッ!!?」
「ベルゴ団長ッ!!!」
ほうら、後からやって来た。
新たに参上した人物を見て、切羽詰まっていたハアイヤの顔に安堵が浮かぶ。
「エレミア団長!!!」
「遅れて済まない、ハアイヤ!!! ──今、遅れるのは婚期だけにしろって思ったか?」
「思ってませんから真面目にやってください!!!」
夕焼け色の髪を靡かせる女騎士。
スカーフェイスを勇壮に輝かせる彼女は〈
彼女の放った氷魔法系最強〈
しかしながらネビロスも死に物狂いだ。
「ぐぅ、うぅぅうう、うぅううぅぅうおおおぉおぉぉおお!!!」
「なっ……あれでまだ動けるのか!!?」
「〈不精〉ぉぉおおぉ……おまえも地獄に堕としてやるぅぅううぅぁあああああああ!!!」
「地獄に堕ちるのは貴様だけで十分だぁ!!!」
火勢を強めるネビロスに対し、エレミアもまた追撃の〈氷魔法〉を放つ。
「がああああ!!!」
「うおおおお!!!」
「あああ──ぁぁあああああッッッ!!!」
「ッ、自分で体を……!!?」
拮抗した戦いはいつまでも続くかと思いきや、それはネビロスが自ら竜の上半身を引き千切って氷獄より脱して終止符を打たれた。
ズルズルと腐肉を引き摺り、両腕だけで這い寄ってくるネビロス。
エレミアが魔法で迎撃するものの、かつてないほどの気迫に満ちた奴を食い止めるには至らない。
「〈怠惰〉ぁぁぁあああああああああ!!!」
奴の狙いはベルゴ。
あくまで俺達はオマケと言った認識なのだろう……でもな。
「もう終わったみたいだぜ?」
ネビロスと、そしてもう一人が。
「なっ──」
刹那、戦場は眩い光に包まれた。
まるで神が降臨したが如き神々しい光に、あれだけの勢いで吶喊してきたネビロスもたじろいだ。
「ま、まさかぁああぁあ……!!?」
「──ネビロスよ」
「はっ!!?」
ネビロスは怯えた目を浮かべる。
その瞳に映り込むは、聖なる力に満たされた一人の騎士だった。彼は魔力と魂により生み出された剣を握り、悠然と正眼の構えを取った。
「貴様はどうして人間が先人の教えを守ろうとするか知りたがっていたな?」
その時、世界が半分に裂けた。
いいや、実際にはベルゴの角より迸った稲光のようにエネルギーが放出されただけだ。
けれども、その眩い閃光は見た俺達は自然とそう錯覚してしまった。受け入れてしまったのだ。それほどの力があそこには宿っていると。
「──〈
人と、罪と、聖霊と。
三位一体をなした聖騎士は、その突き上げられた二本の角に全てを注ぎ込んだ。
「う、ぁあぁ……!!?」
「それを──今から教えてやるッ!!!」
「く、来るなぁぁあああああああ!!?」
怯え切ったネビロスは、腐竜の頭蓋より劫火と猛毒を吐き出す。
触れるだけでも致命的な竜の息吹。当然、それは罪化と聖化を併用するベルゴであっても変わりはない。
なのでこうする。
「──〈
アータンの〈罪〉により、なけなしの魔力を注ぎ分身を生み出した。
誰の分身だって?
そりゃあ……ねぇ?
「行け、ベルゴ!!」
「「おお!!」」
二人のベルゴが飛ぶ。
しかし、最初に突っ込むのは分身のベルゴ。俺の魔力が残りわずかなのも相まって分身は本体の十分の一……いや、二十分の一の力にでも及んでいれば上出来だろう。
吐き出されるブレスを切り裂き、分身のベルゴは二本角と共に突き出された刺突を竜の頭蓋へと突き立てる。
ブレスのダメージですぐに分身は霧散するが、それでも脳幹を貫かれた腐竜にとっては致命的な一撃だった。間もなく腐竜はひれ伏すように地面に額を擦り付ける。
こうなってしまえばネビロスはもう逃げられない。
死刑執行を待つ罪人のような面持ちで、大悪魔はブルリと身震いしていた。
「ち……くしょうがぁあああ!!!」
往生際が悪く、ネビロスは最後の望みにかけるように両手を突き出す。
合計十本の指から放たれたのは、禍々しい紫に染められた電撃。散々俺達を苦しめた〈
あれでベルゴの動きを邪魔しようという魂胆だろう。
どんなに強大な攻撃でも当たらなければ意味がない以上、それは蜘蛛の糸のようにか細い一縷を託すのに最適解だったのかもしれない。
けどな──。
「そいつは通らねえだろ」
俺は空を仰ぐ。
その時だ、一筋の流星が落っこちてきたのは。
***
ヒュン、と。
何かがネビロスの眼前を横切った瞬間、奴の両手は消えてなくなった。
直後、鮮血が噴き出す。
「なッ、あ゛ぁ!!?」
信じられぬ光景を目にして当惑するネビロスは、血の尾を引いて上空を旋回する一匹の竜を見た。
白銀の鱗を携え、刃翼を羽搏かせる小竜。
その正体は言うまでもないだろう。
「ッ~~~……ガラクタがぁああああああああああああッッッ!!!」
罪器レナトゥス。
レイエルの遺品であり、遺された意志。
主が倒された後も彼は生きていた。
注ぎ込まれた魔力を糧に、この一瞬まで生き永らえ、そして遂に主君の仇敵に一矢報いたのである。
いや、実際にはレイエルの遺志そのものかもしれない。
ベルゴを──親友を守り、後を託すという想い。
親友はそれを行動で示してくれた。
──行けよ、ベル。
そう言わんばかりにレナトゥスは視線を送った。
──わかっているさ、レイ。
言葉は不要だった。
故にベルゴもまた行動も応える。
(これが……オレ達の明日を切り拓く一撃だッ!!)
とんっ、と。
誰かが背中を押してくれたような気がした。
誰ともわからぬ二人分の後押しを受け、ベルゴは駆け出した。
視界は良好。風向きもよし。立ち塞がる敵はただ一人。
この一歩が、長かった。
18年だ。幼馴染の二人が死んでから、ただひたすらに勤勉に努めてきた。
何度も足を止めそうになった。
膝を折ったのも一度や二度ではない。
それでも立ち上がれた理由は……他でもない。
「──貴様は、
足はすでに止まっていた。
何故ならば、目的地に辿り着いていたから。
通過点など、すでに通り過ぎていたからだ。
背後では巨体が斃れ、今まさに灰と化している途中だった。
頭から背骨までをも消し飛ばされ、支えを失ったネビロスは攻撃の余波に吹き飛ばされ、宙を舞っていた。
「そん゛、なぁ゛……ッ!!?」
「それは大きな間違いだ。人道とは先人が積み重ねた知恵……貴様の言う怠慢とは程遠い、多くの人間が長い時を費やし、試行を繰り返した努力の結晶だ」
罪化と聖化を解き、ベルゴは剣を納める。
「だからこそ人は人道を歩む。それこそが──
一方放物線を描くネビロスは、抗うことさえできず、自ら生み出した奈落の方へと吸い込まれていった。
まるで死者に手招かれるように。
「こん゛なことがッ……あっでぇ……!!?」
奈落に吸い込まれる寸前、ネビロスは咄嗟に市街地の方へ目を向けた。
(まだだぁ!!! まだネフィリムが居るぅ!!!)
残存戦力の内、最も信頼できる駒は聖堂騎士団の迎撃に出た巨神兵だ。
(試作型とはいえ奴は伝説の怪物ぅ……!!! 奴にこいつらを殺させてぇ──)
憎悪のままに思考を巡らせていた、まさにその時だった。
一条の火柱が天へと伸びる。
天をも焼き焦がす真っ青な炎。それはドゥウスの空を覆い尽くしていた暗雲を焼き払い、聖都に燦々と日の光を降り注がせる。
だが、ネビロスが目撃したものはそちらではない。
火柱の中に佇む巨大な人影。何年も時間を費やし、死肉をかき集め、地層より掘り起こした巨神兵の骨格を軸に生み出した対人類用の最終兵器。
ネビロスの最後の希望はまさに今、焼き尽くされていた。
「ちぃ──!!?」
地獄に垂らされた一縷の望み。
それは入念に切られ、焼かれ、そして消えていった。
──お前に救われる価値はない。
そう突き放さんばかりに。
「ぢぐじょおおおおおお゛お゛お゛お゛お゛ッッッ!!!!?」
そして悪魔は地獄へ堕ちる。
底の、底の、そのまた底へ。
死すらも疑った悪魔が死す理由はたった一つのシンプルな答えだ。
人が人道を歩む理由を疑わなかった──その〈怠惰〉である。
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