第65話 劫奪は懺悔の始まり




 実験棟の地下を駆ける二つの影があった。


「ぬんっ!」

「ぎゃあああ!?」


 力強い掛け声と共に一閃。

 ベルゴの前に立ち塞がっていた悪魔は塵と還っていく。


 これを幾度繰り返しただろうか?


「おい! 一直線に突っ走ってってるけどよぉ、本当にこっちで合ってるのか!?」

「わからん!」

「わからんってお前!?」


 不安になって問いかけたシャックスであったが、案の定ベルゴは何もわかっていなかったらしい。


 しかし、ベルゴは振り向かぬままにこう答えた。


「だが、人を閉じ込めておく場所には心当たりがある! まずはそこを見てからだ!」

「そ、そうか……なら頼んだ!」

「ああ! ──ぬぅん!」


 再びすれ違いざまに悪魔を撃破するベルゴ。

 彼も彼で何も考え無しに突っ走っていたわけではない。


 その事実にホッと息を吐くシャックスは『それなら』と当然の疑問を投げかける。


「俺達はどこに向かってんだ!?」

「実験場──元々刑務所だったなら手当たり次第牢屋を当たっていけばいい!」

「畜生! やっぱり虱潰しじゃねえか!」


 半ば仕方ないとはいえ、尋ね人を探すには自分の足で駆け回るしかない。

 巨体を揺らし猛スピードで先を行くベルゴを、シャックスは残る力を絞り出すかのようにヤケクソで追いかける。


 扉を蹴り破り、悪魔を斬り倒す。

 それを何度も繰り返す。

 似たような行い。進んでいるはずなのに、一向に前へと進めていないような焦燥感に駆られながらも歩を進める。


 永遠に感じられるような時が、どれほど続いただろうか。

 いよいよ蹴破るのも面倒になって剣で扉を切り裂いたベルゴは、眼前に差し込む上からの光に刮目した。


「地下から出るぞ! この先だ!」

「あ、ああ!」


 地上階へと繋がる階段を見つけ、ベルゴが一段と語気を強めた。

 シャックスも応答の声を返すが、その声音はどこか上ずっている。まだ心の準備ができていないとでも言わんばかりではあったが、ここまで来て足踏みするようでは、そもそもここまで来てはいない。


「急げ! きっと地下での戦いも知られているはずだ!」


 既に時間との勝負であると念押ししながらベルゴは階段を駆け上がる。

 地下に慣れた視界には、地上階から差し込む光も燦然と輝いて見えた。


 これがどうか希望の光であってほしい──そう願いながら最後の一段を駆け上がった二人が目にしたものは……。


「な、なんなのだ……これは……!?」

「……ヒデェ」


 地上階に出た途端、無数の牢屋が二人を出迎えた。

 それだけならまだ想像の範疇だ。

 けれども、牢屋の中に閉じ込められた“もの”を見た二人は、しばし言葉を失わざるを得なかった。


「くる……くるじぃ……」

「あぁ~……」

「痛い……たすけてっ……!」


 苦悶と絶望が織りなす地獄が、そこにはあった。

 牢屋の中に閉じ込められていたのは悪魔や、その出来損ないに見える人間だ。

 ただし、彼らからは今までに襲い掛かってきた連中のような覇気や敵意は微塵も感じられない。


 ただただ自分に降りかかった不幸と災厄を呪うように苦しみ悶えるだけだった。


「まさか、こいつら……」


 シャックスが震えた声を漏らす。


……?」

「何? どういう意味だ」

「っ……」


 苦悩するように歯を食いしばるシャックス。

 だが、黙っていても進展しないことは彼が一番よく理解していた。


 震える指先で自分の首輪──罪冠具に触れる彼は、そのまま悪魔の出来損ないが閉じ込められた鉄格子の前に立つ。


「……俺が元は盗賊だったって話はしたろ。悪魔共に取り入って命拾いしたことも」

「あぁ。それがどうしたというのだ?」

「……俺みたいな屑はすぐに悪魔堕ちしたから小間使いにされた。けどよぉ、そうじゃない奴らだっているだろ?」


 シャックスの眼はこう告げていた。


 察してくれ、と。


 その縋るような眼差しを受けて何も理解できぬほど、ベルゴも鈍感ではない。

 目の前に立つ悪魔に堕とされた男の言葉を受け取り、沸々と腹の底から煮え滾るような怒りが、彼の顔色を赤熱に染め上げていった。


「ここに居る悪魔は……捕えられた人々なのかっ……!?」

「恐らくな」

「だが、これはっ……!!」


 ベルゴは今一度、鉄格子の奥に倒れる人々を見やる。

 ただ悪魔へと変貌しただけならまだ分かる。

 だがしかし、眼前に倒れる人間は体の一部分だけが悪魔へと変貌したり、全身が悪魔になりながらもてんでアンバランスな見た目だったりと、まるで子供に組み替えられた玩具のような有様だった。


「ネビロスだ」


 犠牲者の一人が告げる。

 恐怖と怒りが綯い交ぜとなった声を震わせ、シャックスは続けた。


「きっとあいつがやったんだ……! 面白半分で……てめえの慾を満たしたいが為にっ……!」

「っ……おのれ!」

「クソぉ! これじゃあ誰が姉貴かもわからねえ!」


 怒りの矛先をぶつける相手がこの場に居ない今、シャックスは石造りの壁を殴りつけた。

 それで何か解決するわけでもないが、こうでもしなければ頭が沸騰してどうにかなりそうだった。


 その甲斐もあってか幾分か冷静さを取り戻すシャックス。

 彼は神妙な面持ちでベルゴへ向かい直す。


「これじゃあ見た目も当てにはならねえ……どうすりゃこの中から姉貴を探し出せると思う?」

「……ネビロスだ」

「は?」


 予想外の回答に、折角取り戻した冷静さがどこかへと飛んでいった。


「お、おい……それってどういう意味だよ?」

「言葉通りだ。わからないのであればネビロス本人に訊けばいい」

「ば──馬鹿かっ!?」


 思わずシャックスはベルゴに掴みかかる。


「いくらなんでもそいつは無謀だろ!? 敵がご丁寧に侵入者の質問に答えてくれるってか!?」

「だから生殺与奪の権をこちらが握った上で問いかけるのだ」

「つってもよォ……!」

「それにだ。世の中、死霊術が使えるのは悪魔だけではないだろう?」

「!」


 悪魔が死霊術で人間を操れるのなら、また逆もしかり。

 死霊術とはただ死体を兵士として操るだけが目的ではない。あの世にある魂をこの世に降ろすことで情報を得るのが本来の運用方法だ。


「でもよォ、そりゃあ……」


 ある意味で、ベルゴが口にした手段が最も困難であるとはシャックスも理解していた。

 何せ魔都を統べる悪魔の将を討たねばならないのだ。前提条件からして、感性が小市民でしかないシャックスからしてみればぶっ飛んだ案である。


「わかっている。これは最終手段だ。それよりもここに居る人を全員逃がして確かめた方が手っ取り早いだろう」

「あ、ああ──って、全員か!?」


 愕然とするシャックス。

 これにベルゴは『無論だ』と答える。


「囚われた人間は誰一人として見捨てん。ここに来る以上、オレはそう決めていた」

「何人居ると思ってんだ! 全員逃がすにゃあ人手も何もかも足りねえぞ!」

「そうだな……このまま逃がしても追手が来るだけだろう。まずは目的を気取られぬよう、この建物に居る敵を全員排除するのが先だな」

「マジでやるのか……?」

「ついでにお前の姉も探せばいいさ」


 気楽にベルゴはそう語った。

 建物内の悪魔を全員排除するなど、よっぽどの強者でなければ口にできぬ提案だ。


 これが冗談であればどれだけ良かったことか。

 しかし、ベルゴにはそれだけの実力があることはシャックスもよく理解しているところだった。なまじ実力があるというのも考え物だと、元小市民の悪魔は大いに頭を抱えた。


「あ~、わかったよ! どうせ言ったって聞きやしねえんだからやってくれ!」

「苦労を掛けるな」

「ホントだよ、ったく……!」


 そうは言いつつもシャックスはまんざらでもない表情だった。

 ベルゴもつられて笑みを零す。共に過ごした時間は短くも、二人の間には確かに絆が萌芽していた。


「よし、そうと決まれば一通り見て……」

「……お、おい。急に黙り込んでどうしたんだよ?」


 『怖いからやめろよな』と怯えながら呟くシャックス。

 そんな彼を後ろへ下がらせるようにベルゴが手を横に突き出した。


「……どうやらお出迎えが来たようだ」

「え゛っ」


 制す手を柄へと戻し、ベルゴは正眼の構えを取る。


 コツリ、コツリと。


 急ぐでもなく、ゆっくりとそれは近づいてくる。


「っ……!?」

「ベルゴ?」


 息を呑むベルゴに気が付き、シャックスが声をかける。

 が、強張った顔つきを浮かべるベルゴは、必要以上に力を込めて柄を握りしめるばかりで答えてはくれなかった。


 コツリ、コツリと。


 通路の奥に人影が覗いた。

 遠目から見てもわかる見目麗しい女性だった。そよ風に靡く金髪は、曇り空から辛うじて差し込む淡い光を浴びるだけでも、燦然とした神々しい輝きを放っていた。


 だからこそ際立つ違和感。


「だ、誰だよ……ありゃあ……!?」


 かような場所にただの美女が居るはずもない。


 仮に地獄に立つ天使が居たとしよう。


 それを我々は救いの使者と見るだろうか?

 それとも不義を働き叩き落された堕天使か。


 答えは──。


「……アニー?」


 ベルゴが名を呼んだ。

 先に逝っていたはずの女は、まるでその声を聞いたかのようなタイミングで振り返った。


「っ──まずい!!」


 しかし、咄嗟にベルゴが聖霊を召喚し、天井に穴をあける。


「シャックス! オレを連れて上へべ!」

「は、はぁ!?」

「早くっ!」


 怒鳴るように急かすベルゴに言われるがまま、彼の巨体を持ち上げて上の階へと逃げ込んだシャックス。

 その迅速な行動が間違いでなかったと気づいたのは、足元を赫々と染め上げる業火を目の当たりにしてからだった。


「ヒィ!?」

「おのれ、アニーまでも……!!」

「知り合いなのか!?」

「元ディア教国聖女の故人だ!!」

「じゃあ死霊術で……!?」

「十中八九そうだろう!!」


 ええい! と上の階に降り立つベルゴ達。

 そんな彼らを追うように刻一刻と迫る足音は間隔を狭めていく。


「くっ……!! このままでは探すのもままならん!! 一旦外を目指すぞ!!」

「ああ!? 一体どうして──」

「アニーは元聖歌隊隊長でもある!! 魔法に関してはオレよりも上だ!!」

「んなっ……!?」

「屋内で戦えば囚われた人が巻き込まれる!!」


 手加減できぬ相手が不利な場所で襲い掛かってくるとなれば戦場を移すしかない。


「走れ!」

「お、おおおおおっ!?」


 叫ぶベルゴを、シャックスは食らいつくように追いかけていく。

 しかし、それは彼に言われたからではない。

 今もこうしている間、背後から次々に飛来する魔法を見て本能的に恐怖を覚えたからだ。


 聖霊による防御がなければ、きっと今頃は物言わぬ焼死体の仲間入りだっただろう。


 そうならない為にも一刻も早く外を目指す必要がある。

 だが、


(想像以上に……攻撃が激しい!)


 嵐のように飛来する魔法に、ベルゴの頬には一筋の汗が伝う。


「くっ! こっちだ!」

「こっち!? って、お前……!」


 壁を剣で切り開くベルゴ。

 そのままシャックスを引っ張って開いた穴から飛び出す彼だが、そもそもここは二階だ。


「う、うおおおおお!?」


 真後ろで巻き起こる爆風の煽りを受け、シャックスはベルゴ共々宙へと放り出される。

 咄嗟に翼で羽搏いたはいいものの、十分な勢いをつけられなかった二人は、多少落下速度を衰えさせながらも、ほとんど墜落するように着陸した。


「俺はあんたみてえに頑丈じゃねえんだぞ……!?」

「す、すまん」

「それよりここは? どこに出た!?」

「……運動場に出たようだな」


 二人が来たのは広場だった。

 しかし、外周を囲むように聳え立つ刑務所を見れば、ここが受刑者として投獄された者達用の広場であることは明白だ。


「ケッ! 犯罪者の健康配慮が行き届いてるこった」


 毒を吐きながら背後に目を向けるシャックス。

 その怯えた瞳は、まさに今、自分達を付け狙っていた襲撃者を探していた。


「あの女はッ……!?」






「──ネズミの方から来てくれるとはぁ……殊勝なことだぁ」






 どろりと。

 粘着質な液体に塗れた手で触れられたかのような不快感が、シャックスの鼓膜を擽った。全身の鳥肌が立つのに一秒と掛からなかった。


(この声は……!!?)


 ある意味で、最も出会いたくなかった存在。

 ある意味で、最も出会わなければならなかった存在。


 その声の主は立っていた。

 この罪人を捕える監獄の中央に。


「お前は……ネビロスかッ!?」


 意を決し、振り返ったシャックスが声を上げた。

 いいや、聞くまでもなかったかもしれない。

 この濃密な魔力、それでいて邪悪な感触。どれを取っても、かつて出会った木っ端悪魔とは比べ物にならない圧倒的存在感がそこにあった。


 地獄から来た?

 違う、馬鹿を言うな。

 奴の立つ地こそ地獄と化すのだ。


 そう言わんばかりの死の気配を撒き散らし、ネビロスは口角を歪に吊り上げる。


「ほぉ……? 断言しないかぁ……というとおまえはおれの顔を知らない三下かぁ……」

「てめえ……!!」


「待て、シャックス」


 対面するなり煽られて拳を握るシャックスであったが、それを一歩前に出たベルゴが手で制する。


 こちらもまた覇気を放つ。

 ネビロスの周囲を畏怖させるものとは違い、周囲に立つ仲間を勇気づけるような、そんな空気が辺りに満ちていく。


「……貴様の方から出張ってくれるとは、こちらとしても好都合だ」

「ほぉ……?」

「貴様に一つ聞きたいことがある」


 文字通り、単刀直入に。


「シャックスの姉──イノはどこだ?」


 コナトゥスの鋩をネビロスへと向け、ベルゴは問いかけた。

 前置きなど必要ない。

 そう言わんばかりのベルゴにシャックスの表情は強張った。彼だけではない、ベルゴ本人でさえただでさえ厳めしい表情に剣呑な色を乗せていた。


 しかしだ。


「あぁ? あぁ~……」


 ネビロスの反応は乏しかった。


 思い出すかのように顎に手を当て、小首を傾げる。


 一秒が長い。

 まるで死刑が執行される直前にも似た張りつめた空気が、今この場には流れていた。


 頼む、と。

 ベルゴとシャックスは祈りながら、その“答え”を待っていた。


 一縷でもいい。

 僅かな希望さえあれば立ち上がれるのだから。


 その時、不意に背後から足音が奏でられた。

 聞いたことのあるやや軽めな足音。

 すぐさま二人が振り返れば、そこには金糸のような長髪を靡かせるアニエルが──。


「……あぁ」


 現れた一人の女を見て、ネビロスの口元が醜悪に歪んだ。


 そして、枯れ枝の如き腕がゆっくりと上げられる。

 罅割れた爪を携える指先は、生気を失った瞳を湛える一人の女を指さした。


使

「……あ?」


 間の抜けた声を上げたのはシャックスだった。

 今一度、ネビロスが指差す方を見やる。

 そこにはやはりアニエルが立っていた。自分達を襲撃した屍の兵士。それでいて自身の姉とは似ても似つかないはずの女だ。




──違う。そんなはずは、ない。

──違う。アレは姉貴じゃない。

──違う。見た目だって、全然。

──違う。だって、だって、だって……。




 シャックスは恐る恐るネビロスの方へと振り返る。


 嗤っていた。

 奴は、今も。


「ハハッ」

「ネ……」


 






「ネ゛ビロ゛ォ゛ォ゛ォオオオオオオオオオス!!!!!」






「っ、待て!!? シャックス!!!」

「死ぃねぇえええええええ!!!」


 ベルゴの制止も間に合わず、激昂するシャックスはネビロスへと突撃する。


 自分の命など最早どうでも良かった。

 今はただ、このクソッタレに一矢報いられればいい。


 その一心で鋭い爪を振りかざす襲撃者に対し、ネビロスは慌てる素振り一つ見せずに杖を掲げた。

 左手を象った禍々しい杖。

 次の瞬間、爪先に火が灯ったかと思えばシャックスは身動き一つ取れなくなり、慣性のままネビロスの下へと転がっていく。


「んな゛ッ……!!?」

「──〈闇魔法ネブラ〉」

「ぐっ──!!?」


 爆ぜる暗黒。

 杖先より迸る黒い爆炎をその身に受けたシャックスは、防御も取れず直撃を喰らってしまった。


 弧を描いてシャックスは墜落した。

 それから彼はピクリとも動かなかった。


「シャァァアアアックス!!!」


 叫びながら駆け寄ろうとするベルゴ。

 しかし、どうにも体は言うことを聞かなかった。


(奴の杖のせいか!!?)


 魔道具か、あるいは罪器か。

 どちらにせよ敵の目の前で身動きが取れないとは致命的だ。何とか全身に力を込めて動かそうとはするものの、やはり体は蝋で塗り固められたように微動だにしない。


「く、そぉぉおおお……!!!」

「フ、フフ、フ……雁首揃えてこのザマたぁ……あの世のレイエルも泣いてるぞぉ……」

「貴様っ……レイのことをッ……!!?」

「幼馴染なんだってなぁ……おまえとレイエルぅ……それに、アニエルもぉ……」


 ネビロスが手招けば、アニエルは飛天にて一瞬で大悪魔の隣に舞い降りた。

 生気を失った瞳とは裏腹に、顔は随分と血色が良い。本当に血が通っているような顔色だ。


 しかし、どれだけ顔が似通っていたところでそこに彼女は居ない。

 在るのはただただ顔を似せて作られただけの肉人形。


 命の温もりなど欠片も残されていない冷たい魂の鳥籠でしかなかった。


「アニーを……解放しろ……ッ!!!」

「なんだぁ、この女に惚れてたかぁ……? それなら一つ提案だぁ……おれの下につけぇ」

「なん……だと……!!?」

「そうすりゃあこの女をおまえにあてがってもいいぞぉ……?」

「貴様ぁ……!!!」


 怒るベルゴを面白がるように、ネビロスはアニエルの口を手で掴む。

 すると彼は何を思ったのか、彼女の口をパクパクと動かしてみせた。


「『やぁ~ん、わたしをお嫁さんにして~♡』……なんてなぁ」

「ネビロスゥーーーッ!!!」

「ままごとは嫌いかぁ?」


 『まあいい』とネビロスは手を放し、


「ならぁ……まずは死んでもらうかぁ」

「ッ!!」


 刹那、アニエルが肉薄する。


 回避か、あるいは迎撃か。

 二つに一つの選択肢を選ばなければならない中、ベルゴはどちらも選べないまま棒立ちするしかなかった。


(やはり……体が動かん……!)


 しかし、思考はしっかり働いていた。

 全てを諦めるにはまだ早い。


(魔力は……巡る! だが放出ができん!)


 頼みの綱であるコナトゥスも、魔力を注ぎ込まなければただの大剣だ。

 こうなってはいよいよ切れる札がなくなってくる。

 絶体絶命の状況。こうしている間にもアニエルは両手に魔力を収束させ、こちらを焼き払おうと掌を構えてきた。


(どうすればいいのだ!?)


 体力はある。だが動かない。

 魔力もある。だが放てない。

 ならば、残されたのはただ一つ。


(──そうか)


 目の前が紅蓮の炎に包まれた。

 一切の慈悲なき〈極大火魔法イグニエル〉。常人であれば骨も残らぬ大火力が、ベルゴを飲み込んだ。


「いくら“大罪”とは言ぇ……これなら堪えるだろぉ?」


 勝ち誇った笑みを湛え、ネビロスは燃え盛る炎を眺めていた。


 が、しかし。


「ぬぅん!!!」

「ッ──なにぃ?」


 業火を切り裂く巨剣が振るわれる。

 寸前で退いたからいいものの、あと一歩前に踏み出ていれば、まず間違いなく首を切り落とされていたであろう一閃。

 これにはネビロスも不快な表情を隠さず、眼前の光景へと目を遣った。


「ほぉ……なるほどなぁ」

「はぁ……はぁ……!!」

かぁ……」


 ベルゴに背後に立つ炎の巨人。

 魂が具象化した化身、聖霊がベルゴを猛々しい火勢より、その身を守っていたのだった。


 けれども無事とはいいがたい。

 直前で防御しただろうが、周囲に燃え盛る炎の熱波まではどうにもならない。今、こうして立っている間にも彼は焼け付くような熱さに身を焼かれているに違いない。


「無駄な足掻きをぉ……だからおまえらは無意味に苦しむぅ……」

「無意味では……ないッ!!」


 再びアニエルより解き放たれる魔法を聖霊で防ぐベルゴ。

 炎だけではない。水流や旋風、岩石までもが、息を吐かせぬ間隔でベルゴの身を削りに来る。


(このままではじり貧か……!!)


 しかし防戦一方。

 反撃に出られなければ敗北はすぐそこだ。


(あの杖……あの杖さえなければ!!)


 現状、身動きが取れない原因がネビロスの杖──罪器シニスターにあると見たベルゴは、隙を窺っていた。


(せめて月天げってんを飛ばせれば……!!)


 ディア教国に伝わる剣術の流派、〈十天流アストラ〉の技が一つ──魔力の斬撃を飛ばす〈月天〉であれば遠い場所でも斬り捨てられる。

 しかしながら、攻撃が苛烈過ぎてが作れない。

 〈十天流〉は人と聖霊を問わぬ剣術。だが身動きが取れぬ今、聖霊の方で放つしか道はない。


 その聖霊が迎撃で手を回せない以上、やはり八方塞がりだ。


(ならばアニーの魔力が尽きるまで粘るしか……!!)


──できるのか?

──いや、違うだろ。


(やってみせろ、ベルゴよ!!)


 己を奮い立たせるベルゴ。

 それに呼応してか聖霊の動きも心なしかキレを増す。


 聖霊とは魂の力。

 心の持ちようで如何様にも転がる。


 だからこそ、ベルゴは確固たる意志を宿して眼前の敵に相対した。


「忘れてはいないかぁ?」


 だがしかし。


「おれがぁ……何もしないとでも思ったかぁ……?」

「なっ……!!?」


 ネビロスが杖先に魔力を灯す。

 暗澹たるあの光は〈闇魔法〉のもの。


「フ、フフ、フ……さぁて……どこまで耐えられるかなぁ……?」


(こやつ──!!?)


 ただでさえギリギリなのだ。

 これ以上攻撃が激しくなれば、瀬戸際の拮抗が瓦解。間もなく自分が斃れる未来が目に浮かぶようだった。


(クソぉ!!)


 だが、ベルゴは耐えるしかない。


 いいだろう。

 どこまで耐えられるのか知りたいのなら試してやろうではないか。


(オレは死なん……死ねぬのだ!!)


 帰りを待つ家族が居る以上、たとえどのような苦境に立たされようが耐えてみせる。

 決死の覚悟で迎え撃たんと身構えるベルゴ。


 そして、ネビロスの杖より〈闇魔法〉が──。


「……なんだとぉ?」


──放たれることはなかった。


「へ、へへへ……」

「おまえかぁ……?」

「俺の〈シン〉は……〈劫奪ごうだつ〉……!」


 シニスターは他者の手に渡っていた。

 一時は沈黙し、地に伏せていたはずの悪魔。


「こいつが……俺の罪魔法だ……!」


 今も尚血を流して倒れている彼が、強がる笑みを浮かべ、その手に奪取した杖を握りしめているではないか。


「こいつさえ……なけりゃあ!!」

「……アニエルぅ」


──殺せ。


 と、ネビロスはアニエルに命令を下した。

 直後にシャックスは飛び立とうとするが、これはアニエルの魔法で翼を捥がれ、あえなく失敗に終わる。


「シャックスーッ!!」

「っソが……!!」


 ベルゴの声を浴びながら、いや、浴びたからこそ立ち上がったシャックスは、シニスターを抱きかかえたまま逃げ出す。

 これを追うのはアニエルだけではない。

 己の罪器を奪われたネビロスもまた、怒りを表情に滲ませて足を動かし始めた。


「させるか!!」

「チィ……!!」


 しかし、これはベルゴが阻止する。ベルゴしか阻止できない。


(待て、シャックス!! 一人で逃げるな!! それではお前が……!!?)


 追いかけたいのは山々であるが、アニエル以上に苛烈な魔法攻撃を前にその場から離れられないベルゴ。


──これではシャックスを守りに行けん!


 早々に救援へ赴かなければ、アニエルの魔法に殺されてしまう。

 だが、易々と敵前逃亡を許すほどネビロスは甘い相手ではない。


(なんとか抜け出せるまで耐えろよ……シャックス!!)


 今はただ信じるしかできない。

 それしかできぬ自分が歯痒かった。




 ***




「いい加減にしなさい、シャックス」


 姉貴の優しい声が聞こえる。

 ああ、きっとこれは走馬灯だ。


「なんでだよ、姉ちゃん」


 当時の思い出が蘇ってくる。


 ドゥウスが滅んだ後、俺と姉貴は余所の町へと流れついた。

 両親は早い内に死んでいたから、俺も姉貴も孤児院暮らしだった。今度もまた孤児院の世話になろう……それが甘い考えだとはすぐに気づいた。


 聖都が落ちた直後、似たような境遇のガキは山ほど流れ着いた。

 そいつら全員を養えるはずもなく、当然、飢えた大人も飯を求めて教団に縋りついた。飯にありつけないことなんてしょっちゅうだ。


 けれど、俺にはそれが許せなかった。


 姉貴は体が弱かった。

 ただでさえ病気がちというのに、聖都から逃げてくる長旅で疲弊していた。当たり前と言っちゃなんだが、その時の姉貴も風邪をこじらせていた。


 だから俺は盗みを働いた。

 畑や店、時には町に来た隊商から。

 飯でも薬でも、姉貴の病気を治すためだって──そう自分に言い訳をつけて盗んで回った。


 だが、姉貴はそんな俺を咎めた。

 それどころかわざわざ盗ってきた物を返して回って頭を下げた。

 時には殴られたりだってした。だってのに、姉貴はやめなかった。


「そんなことをして何になるんだよ!」


 そう叫ぶ俺に、姉貴はこう言ったんだ。


「いい? 悪いことをしたら、いつかその報いが返ってくるの。だからどれだけ苦しくたって人の道を外れちゃダメ」


 俺は……馬鹿だと思った。


 死んだらそれまでだろうが。

 姉貴の命の代えはないだろうが。


 けれども、姉貴はそれを許容しなかった。

 俺の盗みを咎めて、何度も何度もおんなじ内容の説教を繰り返した。


 いつしか俺は──姉貴から離れてった。

 もう、面倒を見れねえと。


 でもな、姉貴。

 あんたが正しかったよ。


 一度盗みに手を染めたからだろう。

 別の町に行って真面目に働こうとしたって、苦しくなった途端、いつも“そいつ”が頭を過るんだ。


──腹減った。盗もう。

──金がねえ。盗もう。


 それの繰り返しだった。


 俺が姉貴の面倒を見られなくなった? 馬鹿言うんじゃねえ。

 姉貴はずっと俺の面倒を見ていてくれたんだ。


 なのに、俺はそいつをふいにした。


 だからだろうな。社会にも溶け込めねえ落伍者が行きつくのは、いつだってそういった奴らの吹き溜まりだ。俺は盗賊になっていた。


 でも……それがイケなかったんだろうな。


 盗賊になって、悪魔と出くわして、そして悪魔に堕ちた。

 それだけなら自業自得だ。

 でもな、姉貴は違うだろう? ドゥウスに連れ込まれる姉貴の姿を見て、俺はようやく取返しのつかないことをしたんだって思ったよ。


 なあ、神様。これが天罰かい?

 俺への報いは姉にも来んのか?


 ごめんなさい、神様。

 俺が馬鹿だったんです。

 俺がてめえの罪も直視できねえような屑だっただけなんです。

 だから姉貴は関係ありません。

 俺が人の道を外れちまったのは、全部俺が悪いんです。


 お願いです、神様。

 お願いです、神様。

 お願いです、神様。


 報いなら受けます。

 死んでも文句はありません。

 地獄にだって喜んで行きます。


 だから、姉貴だけは!


 ……そう反省するのも遅かったんだろうな。


 もう前があんまり見えねえや。

 涙で滲んでいるのか、意識が朦朧としているのかもわからねえ。

 背中はとんでもなく痛いのに、体の感覚がどっか遠いところに行っちまったみてえだ。


「ヘ、ヘヘ、ヘヘヘ……」


 自分でも分からない間に倒れていた。

 ここは……刑務所ン中か。

 まあ、盗みを働いたコソ泥の死に場所とにゃあ悪かない。


「ザマァ……見やがれ……」


 せめてもの意趣返しに盗んだこの杖だけは死んでも放さねえぞ。


 こいつさえなけりゃあ、ベルゴはてめえになんか負けやしねえんだ。

 ライアーやアータンだって居る。リーンの怖い姉ちゃんだって居る。


 あいつらさえ来てくればどうにだってなるんだ。

 きっとそうさ。そうなんだ。


「なぁ……神様ぁ……」

「──」

「こんな俺でも……あいつらの役に、立てたかなぁ……!?」


 足音が近づいてくる。

 ああ、光もだ。

 死ぬ時だってのに、目の前は真っ暗にならねえんだな。


 これじゃあまるで天使が迎えに来てくれたみてえな──。






「なぁ~に寝ぼけてんだ」






 光が遮られた。

 あれだけ眩かった光が消え、代わりに大きな影が俺に覆い被さる。


「ハハッ、なんだよ……! 折角よぉ……天使が迎えに来てくれたかと思ったのに……!」

「お前の目は節穴かぁ? どっからどう見てもきゃわいい天使様だろうが」

「俺にゃあ……堕天使にしか見えねぇな……」


 俺を殺そうとする金髪の天使に立ち塞がる胡散臭い鉄仮面。

 そんな奴、堕天使の方がお似合いだろう?


「堕天使ねぇ」


 そう軽口を叩いてやったら、当の嘘吐きライアーはこう嘯いた。




「ま──あながち嘘じゃあねえな」




 馬鹿言えよ。

 今のてめえは天使でも堕天使でもなけりゃあ……。




──俺にとっての勇者だよ。



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