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    春を届ける人への応援コメント

    確かに、我々は「春の精」といった言葉を何の気なしに綴ったりしますけども、それを具体的な形として想像することは少ない気がしますね。こういう年老いた春の精(だったもの)も、味なのかもしれません。船乗りとなったのはやはり、何かを成すことの困難を悟り、流されるままに身を委ねたことの象徴なのか、それとも何かを成そうとする者の為の渡し守となったのか……いやこれは、あくまで私の身勝手な想像ですけども。

    それにしてもこの話の後半に登場する親子のやり取りは、科学的軽信が通弊となった我々に鉄槌を喰らわすかのようだと感じるのは私だけかしらん? 童心こそが最後の砦だと、ふとそのようなことを思った次第。いやいや、思うだけではイケないのですがね。なかなかどうして、春の精を心から信ずることのできない己の嘆かわしさよ……と、何だか酒に酔ったかの支離滅裂な感想になっちまいましたが、勘弁してください。

    作者からの返信

    コメント有難う御座います。
    自分は決して科学自体を否定する者ではありませんが、科学を語る際に付随する、万物を死物と見做す発想に危機感と嫌悪感を示す者です。

    何らかの現象を語る際、其処に”意思”を見い出さない。単なる流れ乃至運動のみを語り軽んじる。其処から見出される旨味だけを啜り、そこに恩恵を感じない。自分以外に意思、心を持たない死滅した世界。それに慣れ切った目は、やがて人にも容易く向けられる事でしょう。

    どの様に優れた存在であろうとも、人一人の為せる事などたかが知れた物。如何に頭が回ろうとその様に閉じられた狭い世界でどれ程忙しなく回った所で、其処に果たして意味が有るのか。最早速い遅いの区別すら意味を為さない出口のない小さな空間。

    果たして其処に意思がないなどと何故言えるのか。自らを狭く何も無い世界に封じる、この科学的軽信。其処に言い様の無い危機感を覚えるのです。

    恐らくこの思考に対抗しうるのは、古くから伝わる日本的宗教観、万物に宿る”カミ”なる存在を見る考え。科学的軽信の真逆を行くこの発想こそが、これより人の生きる上で必要になる物ではないか、と密かに考えます。

    長くなりましたが、何れ語ってみたい事であるので、ついつい筆が進んでしまいました。ご容赦下さい。

    読んで頂き有難う御座いました。

  • 春を届ける人への応援コメント

    素敵な物語でした。
    老船乗りが全てを注いで助けようとした子供は、春の精に。老船乗りとの再会に胸が熱くなりました。
    読ませて頂きありがとうございます。

    作者からの返信

    此方こそ、コメントに勇気付けられました。有難う御座います。

    当初は、老船乗りが身の上話を語って、それで終わる筈でした。けれどもいざ話を〆ようと云う時になっても何故か手が止まらず、気付いたらこの結末になっていました。

    時輪様の想いの籠った言葉を見ると、それが正解だったと、今になって実感します。