連邦の制圧と魔女(後編)


 ヴァリラ連邦の陣地は恐慌の中にあった。

 『ば、ばかなあ!』

 『う、うそだろお』

 『やめろ、やめてくれえ』

 ヴァリラ連邦の将兵が地に転がり、そして伏せている。慄きながら頭を抱える者や、立っていることができず、転がりながら喚き散らす者、地に膝をついて自分が信仰する神に祈ったりする者などでもう軍隊として進軍はできないぐらい混乱している。

 揺れ動いていた大地の揺れがゆっくりとなくなっていき、動きを止めた時、ヴァリラ連邦の将兵はようやく頭を上げた。やがて立ち上がって辺りを見回す。構築された陣地には何も変化は見当たらない。

 落ち着きを取り戻してきた将に命令された兵が陣地内を調べ始めてからしばらくして、兵が驚愕の叫びをあげた。

 『山が!山が見えない!』

 『ほんとだ!山がない!』

 喚き散らし、恐慌に陥る兵に将も取り戻しかけた落ち着きをなくし、慌て始めた。

 『騒ぐな!』

 指揮を執っていた旧公爵家の陪臣が怒鳴る。

 しかし、兵の動揺は収まることなかった。そして、兵士の指揮を執っていた将も事態を把握したときに恐慌に陥った。

 『なぜだ!なぜ我が陣地が!』

 ヴァリラ連邦の陣地は大地が隆起して台地になっていた。それを目の当たりにしていても、ヴァリラ連邦の将兵は現状を信じられなかった。

 『・・・こ、こんなことなどできるはずない・・・』

 呆然とした呟きが指揮官の口から洩れた・・・。


 ヴァリラ連邦の陣地の恐慌からアストリットがハビエル王国軍の陣地に到着してすぐのことだまで時を遡る。

 用意された天幕内の戦場で使うようにと工夫された簡素なテーブルのこれまた簡素な椅子からアストリットはゆっくりと立ち上がった。

 その動きに、侍女と護衛騎士たちが同じようにして一斉に立ち上がった。かまどの火が勝手に消え、天幕の入り口が勝手に膜れ上がる。

 アストリットが天幕の外に出ていく。侍女イレーネと護衛の女性騎士が後に続いた。


 陣地の中にはアストリットのことを認められないまま、忌々し気な視線を向ける多くの将兵が突っ立ち、無関心で居ようとしていながらそれを果たせず、こっそり横目でアストリットを観察していた。

 アストリットはその中を周囲に目もくれず進んで行った。

 ハビエル王国軍の陣地は丘の上にあるが、丘の頂点に当たる場所には岩が重なったところがある。その丘陵に柵を二重に巡らせ、柵の中の岩を避けるようにしてハビエル王国は陣地を構えていた。そしてアストリットは頂点にある重なった岩へと近寄って行く。

 侍女と護衛たちが一瞬顔を見合わせる。

 「どこに行かれるのですか?」

 思わずイレーネが声をかけた。

 「・・・ちょっと気になるのよねえ・・・」

 アストリットが足を進めながら答えるが、声をかけた侍女には意味が分からない。

 「な、何が気になるのですか?よくわかりません・・・」

 「・・・ちょっと気になってるだけ」

 そう言ってからアストリットはなぜかにこりと笑った。


 その岩の周りには、不思議と天幕も何もたてられていない。

 何の変哲もない巨大な岩だったが、そもそもこの丘については、この地方の古老たちには忌地として伝えられている土地だった。古老は言い伝えから、この丘を避けるよう伝えている。さらには側で過ごすにしても極力騒がないようにと、滞在も長くならないように念押しをしてくる土地だった。

 アストリットは岩の前に立ち、しばらく岩を見つめていた。アストリットの周りには侍女と護衛の四人が立ち、落ち着きなく周囲を見渡している。

 「・・・お嬢様、何を為さるおつもりなのです?」

 沈黙に耐えられなくなった侍女のイリーナが恐る恐る声をかけた。

 「・・・ここはね、神聖な場所よ。大いなる存在が眠っている。・・・そう言い伝えられているし、古老たちは、ここには近寄るな、祟られると言っている」

 アストリットの言葉にイリーナと護衛たちが不安そうな表情になる。

 「そ、そんな場所で、な、何を・・・」

 イリーナの声が震えた。

 「大いなる存在に助けてもらうのよ。・・・ついでに一族も護ってもらえるようにお願いするつもり」

 アストリットの言葉に、侍女と四人の護衛が顔を見合わせた。

 「・・・お、お嬢様・・・、気を確かに・・・」

 その言葉に、アストリットが眉を寄せた。

 「・・・失礼ね。わたしは正気」

 「・・・」

 大丈夫か?という調子でアストリットの表情を盗み見る侍女と四人の護衛たちに、アストリットは眉を吊り上げる。

 「・・・お嬢様、さすがに国王陛下の依頼は無理なのではないのですか?ですから今回は焦っておられるのではありませんか?」

 アストリットが国王から無理な難題を吹き掛けられたのだと考えていた侍女のイリーナが、心のうちを口に出す。

 「・・・何を言い出すの・・・?わたしは焦っていないし、無理をするつもりもない。わたしはできることしかしないから」

 アストリットの言葉に、あまり懐疑的な表情をしていて咎められたらと考えたイリーナと四人の護衛たちが、何とか表情を消すことができたところをアストリットが見て、やれやれというように一度軽くため息をつく。

 「・・・もういい・・・そこで大人しく見てなさい」


 侍女と四人の護衛に二、三歩ほど離れるように言いつける。言われたとおりに彼女らが離れるのを待ってから、アストリットは岩に近付く。

 「・・・では呼びかけてみましょうかね」

 そう呟き、アストリットが目の前の岩に手を押し当て、頭を垂れた。

 「・・・」

 アストリットの周りの空気が圧縮されたのように濃密な空間が作られたように遠巻きにしていた兵たちには感じられた。兵たちがざわめく。

 「な?なにを?」

 「・・・」

 急に岩の輪郭が二重三重にと霞んでいく。ゴロゴロと地中から音が響いてきた。

 ガキンッと音が立つと、音が止む。ふわりと小さな人影がアストリットの前に現れた。

 アストリットがすっと片膝をついて、その小さな人に首を垂れる。

 『・・・』

 しばらく何も言わず周囲を見回してから、しばらく遠くを見つめた後、首を垂れたままのアストリットには視線を移すことなく何事か言い始める。

 『・・・呼んだのは、そなたか?』

 ぶかぶかのローブを着込んだ姿で、杖を持っていた。

 「その通りでございます。偉大なる精霊様」 

 アストリットの言葉に、最初は訝し気に思っていた侍女と女性騎士たちも畏怖の表情を浮かべ、その場に膝をつく。

 『そうか・・・』

 精霊と呼びかけられた者はしかめっ面のまま、目の前で片膝をつき、首を垂れているアストリットを見ることもせず、再度ぐるりと周囲を見回した。

 『この世界に呼び出されたのは久しぶりだな。・・・思いもよらぬ時が経っておるようだ』

 そのひとりごとのような言葉にアストリットが答える。

 「左様でございますか」

 『そうだな・・・我が時を感じるほどに、な』

 「それは太古の昔のことでございますね」

 『・・・おう、その通りだな・・・主様が地を作れと仰ってな、我を呼び出したのだ』

 「主様が、この大地を作れと仰られたのでございますか?」

 『・・・そういうことだ・・・主様に頼まれたことが嬉しくてな、力の限り地を作り出したわ・・・あのあとな、主様が大層喜ばれた・・・よくやってくれたと頭を下げられたのだ・・・』

 「そのようなことがあったのでございますね」

 『・・・そうだ・・・勿体ないことを仰せだった・・・』

 遠くを見るかのように目を宙に向ける。哀しむような喜ぶような人に似た表情を見せている。

 風のそよぎのようなふうわりとした時間がしばし流れた。

 アストリットは片膝を地につけたまま、首を垂れて待っていた。

 相手は太古の精霊だった。勝手な判断で動いて機嫌を損ねたらどうなるかはわからない。時間は過かってもここは待っていなければならない。

 『・・・主様に労われた後、我は岩を作り、のんびり過ごすことにした・・・主様が好きにして良いと言われたからだ・・・あの時は主様に作られた人が我を祀ったが、人の時間は短いしのう、次第に祀る者も途切れてな、その頃には関わることもなく眠りについた・・・我を呼び出そうと言う人もおらず、時間だけが経ったということだろうて』

 精霊はただただ淡々と言葉を紡ぐ。

 アストリットは口をはさむことなく、それを首を垂れたままで聞いていた。

 『・・・久方ぶりに世界に呼び出されたわ・・・』

 「・・・今の世界はどうでしょうか?」

 首を上げてアストリットが訪ねる。

 『・・・主様の気は残っておるようだ・・・世界にも・・・そして、そなたにもだ』

 精霊がまともにアストリットを見た。

 『・・・さて、そなたの願いを申してみよ、主様に力を与えられた者よ』

 アストリットが首を垂れ、礼を述べる。

 「はい、ありがたき仰せにございます」


 『・・・』

 「今から我とともに歩んでいただければと思います」

 『・・・ほほう?・・・側に控えよと申すのか?』

 「・・・精霊の御方に、控えよなど烏滸がましいというもの。ただただ我らとともにその威容を示していただきたく、ここにお願いを申し上げるものでございます」

 『・・・側におればよいのか?』

 アストリットはここで顔を上げた。

 「・・・その通りでございます」

 空気が張り詰めたまま、しばらく何もなかったが、やがて雰囲気が和らぐ。

 『・・・よかろう。この世界に呼び出せる力は、主様からの委託だろう。・・・そなたなら側にいるのも良かろうて』 


 アストリットは馬車の脇に立っていた。

 その馬車の前をハビエル王国軍が慌ただしく列を乱しながらも陣地の門から外へと進んでいった。

 左手のそそり立つ崖を念のため大きく迂回し、ハビエル王国軍は陣地を放棄し残りの都市に向け進むことになった。ヴァリラ連邦の最後の主力である将兵がここに集まっており、残る二都市の制圧は程なくして完了することだろう。

 ハビエル王国軍の司令官であるブアデス子爵が、背後に側近たちを従えてアストリットに不服そうにおざなりな騎士礼をし、苦虫をかみしめたような表情のまま何も言わずに自らの騎馬に跨ると、駆け足で走り去っていった。その子爵の後ろに側近が続いた。

 長く陣地を作って籠っていただけで何もできなかった軍人であるブアデス子爵をはじめとする将兵は、到着したその日にアストリットが起こした奇跡に、自分たちがアストリットと比較される未来を見て、無表情な者と睨みつける者と、悔しそうに顔を伏せている者と、洋々な表情を見せてアストリットが立つ馬車の脇を進んで行く。ただ将兵の中には単純にもう籠らなくても良いことに喜びを見せている者もいたが、大半の将兵は自分たち軍人は睨み合って悪戯に時間を消費しただけで何もできず、反対に魔女は到着してその日のうちにヴァリラ連邦軍を無力化してみせたことに、自分たちは戻ったらどんな叱責されるかということに複雑な思いを抱くものも多い。

 アストリットはただ残りの都市を制圧することができれば、少しは国民の心証を良くできるだろうと考えていた。応援する意味でおもむろに進んでいく将兵に軽く手を上げてから、隣に立っているイリーナと護衛騎士たちを顧みた。

 「・・・では、家に戻りましょうか」

 アストリットの声に、ほんの数時間前にはなかったそそり立つ崖をまじまじと見つめてから、侍女と護衛たちがため息をつく。

 「・・・それで・・・このまま戻ってしまってもよいのですか?」

 恐る恐るイリーナが尋ねる。

 「?・・・何か問題でもあった?」

 侍女の言葉にアストリットが疑問の顔をする。

 「・・・いえ、あのそそり立つ台地は・・・どうされるのです?」

 その言葉に、アストリットが精霊に頼んでヴァリラ連邦軍の陣地ごと持ちあげて作り上げた台地をちらりと見上げた。

 「・・・どうもしないから。どうせそのうちに道でも作って降りてくるでしょう」

 「兵たちが王国軍に向かってきたらどうされるおつもりですか?」

 アストリットの言葉にイリーナが慌てる。

 「大丈夫。何も出来はしないはずだから。下へ降りるための道を作るだけで疲れて戦もできないでしょうよ。・・・それにその頃にはヴァリラ連邦という国自体無くなっているでしょうし、ね。・・・それにねえ、王国には陣地ごと台地を作って持ち上げてしまう魔女がいるのよ。抵抗などもう無駄だと悟っているはずだから」

 アストリットは初めて自分を魔女だと認識した。確かに精霊は言った、創造主の力がアストリットにはあると。たしか古代の書の一節に魔女には失われたはずの創造主の力があると書かれていたはずだ。そういうことなら、アストリットは創造主に選ばれたものであると言っても差し支えない。

 それよりもと、アストリットは考えていた。

 『それよりも、あのブアデス子爵に相当深く恨まれたでしょうね・・・長い時間をかけても進軍できなかったのを、私が着いたその日に即動けるようにしたしね・・・無能だと国王に叱責されるでしょうけど、それを私のせいだと言って勝手に恨むでしょう・・・自分が無能で、そんな無能を総司令官にした国王も人を見る目がなかっただけなのにね・・・』

 しかし、アストリットはそう面倒だと思いながらも、それも些細なことだとわかっている。

 『あの子爵も、それに国王でも私を襲撃することすらできない・・・返り討ちにされたくなければ、ね』

 アストリットはうっすらと笑った。

 「?・・・どうかされました?」

 アストリットの笑いに気が付いたイレーネが尋ねる。しかしアストリットは軽くかぶりを振る。

 「なんでもないわ」

 そう答えて、アストリットは馬車の扉に手を掛けた。慌てて、護衛騎士の一人がアストリットへ手を差し出す。馬車に乗り込もうとして、アストリットは陣地の柵越しに見える大地の精霊が作り上げた台地をちらりと見た。

 「・・・精霊か・・・」

 侍女のイレーネがアストリットの呟きを耳にしてちらと視線を寄せたのに、わざとらしくにこりと笑って見せた。


 ハビエル王国軍全部が陣地を後にするまでにまだ相当掛かりそうだったが、アストリットは強引にその将兵の間に割り込む。畏怖の目で見る将兵が道を譲ると、アストリットの馬車と護衛騎士の騎馬、そして近衛騎士の騎馬はそのまま軍とは反対方向のハビエル王国王都に向けて進みだした。


 持ち上げられた台地から何とか道を作ってヴァリラ連邦軍が地上に立ち戻ったのは約四か月もたってからだった。その頃にはハビエル王国軍が、都市に抵抗する将兵がいない状態のヴァリラ連邦を制圧しており、連邦を構成する旧公爵家は皆ハビエル王国に降伏を申し入れており、ハビエル王国の属国となって統治を受け入れていた。

 ヴァリラ連邦の兵の中には未だにハビエル王国の統治を受け入れることなどできないと声高に騒ぐ者もいたが、大半の者はすべてハビエル王国の統治を受け入れていた。

 ハビエル王国国王は旧ヴァリラ連邦の公爵家の爵位は落としたが、統治自体は旧公爵家に任せたからだった。ハビエル王国はそれぞれの旧公爵家の領都に徴税員を置き、税を取り立てたのみで済ませたからである。これにより制圧された不満はあるが、圧政を敷いたわけではないために、ハビエル王国の統治姿勢は、ハビエル王国の農産物が幾らでも手に入る民にとってはおおむね好評だった。

 自治制を認められた旧ヴァリラ連邦地方はほぼ同じ面々で統治されることになった。ただ旧ヴァリラ連邦貴族たちにとっては辛い結果になったと言える。つまりハビエル王国に併合された旧ヴァリラ連邦の貴族にはハビエル王国の貴族として義務が発生してしまい、軍の派兵要請に答えなければならなくなったのだ。

 旧ヴァリラ連邦の貴族はアストリットによってヴァリラ連邦が消滅してからはヴァリラ連邦時代の特典を失い、不満を持っている。アストリットがハビエル王国に力を求められ、その力を示せば示すほど、アストリットの立場は強化され、立場が強化されればされるほど妬みからアストリットに対する不満が高まる。そして、その不満はハビエル王国の内部至る所から現れて来ていた。

 アストリット本人はどこ吹く風と気のない素振りで相変わらずだったが、周りを固める侍女と護衛たちにはその不満がやがて溢れ出して、自分たちの主人が害されるのではないかと思われた。そしてその不満は、漠然とした不安となって肌を焼くかのようにありもしない痛みを感じさせたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女の一撃 花朝 はた @426a422s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ