第二章 嫉妬

第-5-話

生活の変化

 彼女と出逢ってから一ヶ月が経った頃。

 彼女は一人暮らしをするべく実家から一つ隣の駅の近くに引っ越した。

 大学二年である彼女は、高校生の頃からしていたバイトで稼いだ貯金があったらしい。

 今ではそのバイトは辞めているらしいが、せっかく貯めた貯金をほぼ全額使う勢いで引っ越した彼女は、「彼との思い出が至る所にあるから、心機一転したかったんだ」と言って、どこか清々しそうに笑っていた。


 彼女の言葉は、あの男とのことを“思い出”という過去にできていない証拠だった。俺は、煩わしさからその決断をしたのだろうと、そう思っていた。

 前に進もうとする彼女の意思を尊重する意味もあったが、俺にとっては、彼女とあの男との繋がりがまた一つ切れたことのほうが大きい意味をもっていた。


 この時からだろう。

 俺が、彼女視点で彼女のことを考えられなくなったのは。

 無意識だった。彼女のことを考えている気でいて、それは自分視点での彼女に過ぎなかった。

 だから気づかなかった。彼女が、彼女自身と戦っていることに。



 彼女の生活は今までとは打って変わって、目まぐるしいほど忙しないものになった。

 以前とは違う場所でバイトを再開したかと思えば、大学とバイトの行ったり来たりで、休みができたと思えば遊びやら買い物だかで外に出かけて……、家にいることのほうが圧倒的に少なくなった。

 彼女は家に帰れば風呂に入って寝るだけで、以前まで毎夜あった俺との時間も気づけばほとんど無くなっていた。


 それがひどく気に食わなかった俺は、ふと病室の女にぼやいた。すると女は、「同じところに住めれば、一緒にいる時間は自然と増えるのにねぇ」と言った。

 そして俺は、ある時行動に移した。


 玄関で「ただいまぁ」と誰に言うでもなく発せられた彼女の言葉に、人間の真似事をするように、俺は「オカエリ」と返す。

 途端物音が聞こえなくなり、俺は仕方なく部屋を出て玄関まで彼女を出迎えた。そこには立ち尽くし呆然としている彼女の姿があった。


「いや、え? ……なにしてるの? なんで人間の姿で家の中にいるの??」

「俺もここに住む」

「え? なんで?」

「俺がそうしたいから」


 断固譲らぬ意思で堂々と答えて見せると、彼女は諦めたのか深く溜息をつき「そう……わかった」とか細い声で了承の意を示した。


 そうして俺は、昼は死神として外に出て、夜は彼女の家で人間の真似事をするようになった。


 この時の俺は、自分が何かをしたいという欲が出てきたことに驚き、そんな自分自身が面白くて仕方なかった。

 自分でもなぜ欲がでてきたのかは理解できなかったから、よくわからないままに、行動に移せばいずれわかるだろうと思っていた。



 事が起こったのは、俺が彼女の家に居座るようになって数日経った頃。彼女はベッドで、俺はソファで寝ようとしていたときだ。彼女にきた、一本の電話。

 鳴りやまない着信音に胸騒ぎがして、彼女の方を見ると、着信画面を見つめて固まっていた。その表情は髪に隠れ見えない。


「どうした」

「…………」


 声をかけてみるも、返答はなかった。着信画面には、“健人”の文字。

 彼女の顔を隠す髪をとかすようにしながら耳にかける。見えた彼女の表情には見覚えがあった。

 彼女の実家の玄関で、俺の背後を見つめながら同じ表情をしていた。それで察した、――相手があの男なのだと。


「出なくていい」


 出ないで欲しい。欲が、形を変えて口から出た。そんな自分が情けなく感じ、気づけば祈るように彼女の名を呼んでいた。


 しかし祈りも虚しく、彼女の表情が歪んだかと思うと、その指は“応答”のボタンを押していた。

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