第三十五話 暗闇にいたもの

 会社員のGさんは、T県内のマンションで、ペットの小型犬と一緒に暮らしている。

 ある夏の夜、一帯が嵐に見舞われた時のことだ。

 Gさんがリビングでテレビを見てくつろいでいると、近所に落雷があり、突如家中の明かりが消えた。

 いや、明かりだけではない。たった今点いていたテレビも、家電のデジタル時計も、あらゆる光が室内から消えている。

 停電だ――。Gさんがそう気づくと同時に、廊下の方から、タッタッタッタッ……と、小さな足音が響いてきた。

 突然の暗闇に、犬が驚いているようだ。Gさんはすぐに「おいで」と声をかけた。

 足音が一瞬、ピタリとやんだ。それから再び、タッタッタッタッ……と走り回り出す。

 廊下から玄関へ。ドアに阻まれてまた廊下に戻り、リビングへ。落ち着きなく辺りを駆け回り、奥の寝室へと消えていく。

 同時に雷が、再び落ちた。

 タッタッタッタッ……と、また廊下で、駆け回る音が始まった。

 あれ、とGさんは首を傾げた。犬は寝室に入ったのではなかったか。

 それがなぜ、また廊下に現れたのだろう。

 ――何にしても、明かりを点けないと。

 Gさんはスマートフォンを操作し、ライト機能をオンにした。

 まばゆい光がリビングを照らした。

 くぅん……と鼻を鳴らす声が聞こえた。

 急いでリビングの隅に光を向けると、ソファーの脇に犬がうずくまって、こちらを見つめている。

 廊下からは、タッタッタッタッ……と駆け回る音が、相変わらず聞こえている。

 ……うちの犬は、ここにいる。

 ……じゃあ、廊下にいるのは?

 ……それに、さっき寝室に入っていったのは?

 思わず、ゾクリ、と寒気がした。

 Gさんは飼い犬のもとに寄って抱き上げると、そっとライトを消した。

 それからしばらくの間、ずっと息を殺し続けた。

 謎の足音は、それから数分の間、一つになったり二つになったりしながら、室内を走り回っていた。

 しかし外の雷が遠退いた頃には、すでに聞こえなくなっていた――ということだ。


  *


 『絵本百物語』に「かみなり」と題された章がある。描かれているのはいわゆる「らいじゅう」で、筑波の辺りでは山に棲むとされる。普段は猫のように穏やかだが、夕立雲ゆうだちぐもの起こる時は荒々しく空へ駆け上がるという。

 Gさんの家に現れた謎の存在も、この「雷獣」に近いものかもしれない。

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