第二十八話 いつも没になる話
「この話、今まで何人かの怪談関係者に話したんですけど……。嘘くさいし怖くなさすぎるっていう理由で、いつも没になってるんですよ」
そう言って、ご自身の恐怖体験を僕に語って下さったのは、Gさんという男性だ。
Gさんは都内在住の会社員で、某運河沿いのマンションに住んでいる。
問題の恐怖体験というのは、Gさんが三十代の頃――今から十年以上も前、夜遅い時間に運河沿いの遊歩道を歩いていて、起きたことだそうだ。
春半ばのことだった。
陽が落ちればまだ肌寒い季節。Gさんは夜風に身を縮こまらせながら、すっかり遅くなった帰路を、一人静かに歩いていた。
辺りに人の気配はない。街灯は所々に立っているものの、柵一つ隔てた先に流れる運河は、水面にわずかな夜明かりを映すのみで、まるで、ただ黒い奈落の裂け目がどこまでも並走しているかのように思えてしまう。
時おり、ぼちゃ、と何かの跳ねる音が響く。魚だろうか。
もう少しでマンションの近くに着く。Gさんは自然と足を速めかけた。
と――その時だ。
行く手の暗がりに、何やら異様なものが見えた。
背丈は一メートルほどだろうか。妙に細長い影が、遊歩道の端に、じっと音もなく佇んでいる。
……人ではない。
思わず足を止めかけた。だが、早く家に帰りたいという想いが、その足を無理やり先に進ませた。
近づくにつれて、影の様子が、次第にはっきりと見えてきた。
鳥だ――と気づいた。
首の長い、ひょろりとした水鳥だ。サギだろうか。
この辺りにサギが生息しているのは知っているし、時々遠目に見たこともある。決して珍しい鳥ではない。ただ、今まで間近で見たことなどなかったから、少し驚いた。
サギは暗闇に佇み、小さく真ん丸な目で、じっとGさんの方を窺っている。マンションに向かうには、このサギの前を横切らなければならない。
――大丈夫だろうか。いきなり飛びかかってくる、などということはないか。
妙にドキドキしながら、Gさんはそっと、サギの正面を抜けた。
サギは何もしてこなかった。鳴きもしなければ、わずかな身じろぎすらも見せない。
……そう、何もビクつくことなんてない。
Gさんは、自身の臆病さに苦笑しながら、改めて足を速めた。
と――行く手の暗がりに、また新たに細い影が見えた。
サギだ。
あれ、ここにもいるのか。Gさんはそう思いながら、そっとサギの前を通り過ぎた。
そうしてさらに進むと、またその先の暗がりにも、サギが佇んでいる。
……今夜は、やたらとサギがいる。
変に胸騒ぎがする。いや、たかが水鳥を相手に、何を不安がっているのか。
マンションが見えてきた。Gさんは遊歩道の出口から道路へ出ると、そのまま足早に、マンションのエントランスをくぐろうとした。
そこで――ふと後ろから、とん、と肩を叩かれた。
え、と思って振り向いた。
……サギがいた。
Gさんのすぐ背後に音もなく立ち、小さく真ん丸な目で、Gさんをじっ……と見つめていた。
――何でサギが肩を?
得体の知れない悪寒が走り、Gさんは大急ぎでマンションに逃げ込んだ。
幸いエレベーターは一階にあった。すかさず乗り込み、自分の部屋の階のボタンを押す。カゴがゆっくりと上がり、やがて目的の階で停まる。
エレベーターを降りてすぐに、外廊下に迎えられた。Gさんは、見慣れた夜景には目もくれず、まっすぐに自分の部屋へと向かった。
そしてポケットから鍵を取り出し、ドアを開けようとしたところで――。
とん、とまた背後から肩を叩かれた。
とん、とん、とさらに叩かれた。
とん、とん、とん、とん、とん、とん、と何度も――。
Gさんは肩に痛みを覚えながら、恐る恐る振り返った。
――サギがいた。
――何羽もいた。
それが廊下中にひしめいて、揃って小さく真ん丸な目で、Gさんをじっ……と見つめていた。
Gさんは悲鳴を上げ――そこで意識が途切れた。
「気がつくと、私は玄関で寝ていました。サギはもう、どこにもいませんでした……」
Gさんはそう言って、この体験談を締め括った。
彼はこの話を、今まで複数の怪談関係者に話し、そのたびに没になっている。嘘くさいし、怖くなさすぎるからだ、という。
「でも、実際に体験した私は、めちゃくちゃ怖かったんですけどね」
そう語るGさんの言葉を信じて、僕は敢えて採用してみようと思う。
……果たして読者の皆様は、怖がっていただけただろうか。
*
『絵本百物語』に曰く、ゴイサギの息は、闇夜の中では青い火のように光る。またゴイサギに限らず、すべての鳥や獣の息は光るという。同書では「
また他の文献にも、サギが光ったという話はいくつか残っている。かつてはサギもまた、怪しい動物の一つと見なされていたようだ。Gさんが遭遇した怪異も、そういった類のものだったのかもしれない。
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