12 黒猫、煽動

禍々しい黒い炎に包まれた人影が夜宵の背を押そうとする。


 思考するよりも早く桜は動いていた。『Star gazer』の銘が打たれた白銀の旗が弧を描く。霊力の尾が星の煌めきと共に、夜宵の横にいた影を打つ。強風に吹かれたように人影は煙を巻いて逃げていく。ホームへ落とされそうになっていた夜宵は銀が庇い事なきを得た。




「死ぬかと思ったよ、2人ともありがと」




 およそ死にそうだった人間とは思えない程冷静な言葉に、桜は一抹の不安を覚えた。時折、夜宵は自分の命に頓着していないのではないかと思うような言動をする。




「……惜しかったなぁ」




 声帯の歪んだような高い声、黒い炎の中で影がゆらりと蠢いた。それは桜がよく知る少女の人影だった。




 額には小さな角が一本、髪は逆立ち、口は両端まで裂け、目は爛々と輝いていた。夜宵や桜とは違う高校の制服。




「愛マナさん……?」




 あまりに変わり果てた姿にも関わらず、背筋が凍るような嫌な直感と共に理解した。理解できてしまった。




 かつての同級生、夜宵を虐め貶めた――その中心人物、大森愛おおもりまなからは夜宵に対する憎悪が熱気となって伝わってくる。




「桜、それに夜宵君の知合いか?……それが『眷属』に堕ちるとはまた因果な」




 銀が舌打ちする。『鬼』に生気を吸われた人間達は『眷属』すなわち操り人形と化す。彼らを突き動かすのは生前に感じた強く禍々しい負の感情。やがてはそれに喰いつくされて完全なる鬼へと堕ちるのだ。




「だが、完全に鬼とはなっていない、今ならまだ助けられる!」




 銀の力強い言葉に、本来なら『希望』を持つべきなのだろう。しかし、彼女を――愛を助けることを、夜宵がただ純粋に望むだろうか?




 そんな桜の葛藤を夜宵は見透かしたのだろう。ぽんと桜の肩を軽く叩いた。




「どうやら、ボクは相当恨まれてるみたいだしー、桜が助けてやるのが、一番だと思う」




 そう笑顔で言った。だけども、その笑みで包まれた鉄仮面の裏に何かとてつもなく暗い感情が隠されているようで、素直に桜は返事が出来なかった。




「私を助けてくれるの? 嬉しいなぁ!」


 


 愛が瞳を見開いたまま、顔を歪ませて嗤った。桜は夜宵を虐めた彼女を友達などとは思っていないのだが、愛は違うらしい。




「桜はいつでも私のこと見てくれてる! もうそんな気持ち悪い奴の事なんか放っときなよぉ!!」


 


 桜は彼女に似つかわしくない怒りを持って、霊具を振るう。旗はいつもの白から怒りで昂った真紅に変わり、空気を焼いた。寸前、アクロバティックな動きで愛がそれを避けて跳躍、電柱の上へと優雅に降り立った。




「あなたは助けます……だけど、その後で夜宵ちゃんの気が済むまで謝らせるから!」




「わぉ……」




 普段見たことも無いような鬼気迫る表情に、隣で霊具の銃を構える銀が気おされているが、桜は気づいていない。




 だが、愛はというと、怒りを向けられたことよりも、桜の口から夜宵の名前が出たことの方が堪えたようで、目の下がぴくりと痙攣する。




「アハ、待っててね桜ちゃん。こいつ始末して、また友達をやりなおそ? でも、そこのお兄さんもジャマだしなぁ……」




 恐らく人間の時であれば、そこまでの事は考えなかっただろう。タガが外れており、止まらない感情の赴くままの言動を取っている――と頭では理解できていても、桜は怒りが収まらない。


 そんな彼女の耳に悲鳴が届く。夜宵の声ではない。




「いや、助けて!!」




「ば、化け物!」




 桜と愛のやり取りを後ろから黙って見守っていた意識のある乗客に向かって、有象無象の鬼達が壁の隙間、潜んでいたホームの下から這い上がり襲い掛かっていく。




「ほらー、私にばかり気を向けてると、他の人、ヤられちゃうよ?」




 ハッとする桜の横で、銀の判断は流石に早かった。愛に向けていた銃のエイムを素早く、一般人を襲う『鬼』へと修正。一発で頭をぶち抜く。




「こいつら……、まさか『眷属』に過ぎない彼女の意のままに動いているというのか!?」




『眷属』は『鬼』の中でも最下位の序列であり、周りの『鬼』の意のままに人間を襲うことはあっても、その逆は今までに事例が無い。




「いいぞ、下僕達ぃ!」




 それが、今この場では逆だった。愛は『鬼』に対して明確に指示を出して一般人を襲わせている。




「誰1人通しちゃ駄目だかんねぇ?」




 桜と銀の周りもあっという間に『鬼』が取り囲む。その数は十以上、一般人に襲い掛かっているのも合わせると二十匹は下らないだろう。小柄かつ、そこまで強そうには見えない小鬼だが、これほどの数はいままで戦った事が無い。




 夜宵の目の前、どすんと石畳に愛は拳を入れて降り立った。獣のような唸り声の中に怨嗟が入り混じる。




「殺してあげるよ、お・き・さん?」




「やれるもんならやってみればいいよ」




 夜宵は心底どうでも良さそうな顔で『鬼』愛を煽る。それが気に入らないのか、愛は爪をカチカチさせながら、まっすぐ夜宵へと向かう。夜宵は一定の距離を保つように、ゆっくりと後ろへ下がる。




「可哀想な沖さん。誰にも信じて貰えず、目立ちたがり屋、自意識過剰の異常者だと思われて――あぁ、半分くらいは事実だった?」




「そうだね、ボクは自己顕示欲の強いヤバい奴……そう思っててくれて構わないよ。でも、1つ訂正して欲しいかな」 




 後ろは線路、逃げ場は無い。そんな状況で夜宵は『鬼』に負けないくらい意地の悪い顔で、影の差した黒い笑みを返す。




「桜だけは信じてくれたよ?」



キャラ紹介

大森愛(おおもりまな)


かつて、夜宵や桜と同級生だった中学生。常に自分が一番でないと気が済まないところがある。それはともかく、桜とは仲が良かった。夜宵とも別にさほど仲が悪いわけではなかった。

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