第57話 堰を切る思い、通じ合う心

「私は……姿が変わったとしても、私を見て欲しかった!」


 包んだ拳が、確かに揺れた。


「中学の時、V系が好きになって髪型を、髪色を変えた! でも、好きなものを好きっていうのはいけない事なの!? 好きなものに近い姿をしたらいけないの!?」


 今まで聞いたことがないような嵐山さんの声を聞いて、俺も心が痛んだ。

 ああ、彼女は自分の心の内を夏樹さんにぶつけられていると、そう思ったから。


「ちがっ……それはっ……」


 夏樹さんは嵐山さんの言葉に目に見えて狼狽えていた。

 でもそれは、嵐山さんの言葉が夏樹さんに届いたっていう事だと、そう思う。


「本当なら受け入れて欲しかったよ……でもダメって言われてもまだ良かった。お母さんがダメって言って、それでも私は貫くつもりだったけど、そんな関係でも良かった! でもなんで!? どうしてなの!? どうして私の姿が変わったら、私から距離を取るの!? 私を見てくれないの!?」


 感情がごちゃ混ぜになっていて、言っていることがまとまっていなくても、最後の一言は痛いほど伝わった。

 どうして自分自身を見てくれないのか、それが嵐山さんの、一番の心の声だった。


「あっ……」


 だからこそ、夏樹さんは目を見開いた。

 彼女は気づいた、気づかされたのだ。

 嵐山さん自身を見ていないと、気づかされた。


 もう嵐山さんの言葉は止まらない。

 堰を切ったように、彼女の感情が爆発するままに、言葉を紡ぐ。

 夏樹さんに、言葉を叩きつけ続ける。


「財布の事件の時だってそう! 私がやってないって、信じて欲しかった!」

「違っ、私は――」

「違わないっ!」


 否定した夏樹さんの言葉を叫び声でかき消した嵐山さんは左の手のひらをテーブルに叩きつけた。

 その頬に涙が流れるのを、確かに見た。


「私がやってないって言ったからでしょ!? なんで……なんでなの!?」

「莉……愛……」

「なんで最初からやってないって言ってくれなかったの!? あなたはそんなことするわけがないって、言ってくれなかったの!?」

「あ……ああっ……」


 叩きつけられた嵐山さんの手のひらに、夏樹さんの両手が伸びる。

 その両手はまるで縋るように、嵐山さんの手の甲に覆いかぶさった。


「私が昔みたいにいい子のままだったらお母さんは信じてくれたでしょ!? 昔のままだったらこんなことになってないでしょ!? でも……でもっ……」

「……っ」


 静かな声で、涙をこらえながら言葉を必死に紡ぐ嵐山さん。

 彼女の手を握る夏樹さんが、唇を強く噛むのが見えた。


「この姿になったら信じてくれないの? こんな風に髪を染めて、ピアスを空けて……それをしたらもうダメなの?」


 嵐山さんの見た目は確かに周りから誤解を受けやすい。

 でも彼女はあまり関わりのない他人はどうでも良かった。

 それ以上に、彼女が傷ついたのは。


「私を見てよ……姿が変わったら私は私じゃないの!?」


 他ならない自分の母親に、自分の好きなものを肯定でも否定でもなく、距離を取られたから。

 外見だけを見て、その中の嵐山さん自身を見てくれないと、そう思ったから。

 だからその叫びはさっきからずっと嵐山さんの魂の叫びで。


「違うわ!」


 そしてそれを、とても大きな声で真正面から夏樹さんは否定した。

 痛いほどの嵐山さんの叫びは、深く深く、夏樹さんの心に突き刺さったから。


 叫び、夏樹さんは席から立ち上がる。

 そしてテーブルを駆けるように周り、嵐山さんを横から抱いた。


「違う……違うっ! ……でもごめんなさい! 私は見れていなかったっ! 莉愛はずっと莉愛のままだったのにっ……私が変に強制して、そして変な見方をしていただけ!」


 そうして夏樹さんは、今まで気づかなかったことに気づいて、それを深く悔やんだ。

 嵐山さんの気持ちを、知ることが出来た。


「私が……私が悪いの……ごめんなさい莉愛っ……ごめんなさいっ」

「っ……」


 大切なものを自分の腕の中に抱きしめる夏樹さん。

 涙を流して謝罪する彼女の腕の中で、嵐山さんもまた涙を流していた。

 けれどそれは悲しみからくる涙じゃなくて。


「ごめんなさいっ……私も……私もやってないのにやってるって言っちゃって……ごめんなさいっ」

「いいの……あなたは何も悪くない……っ……何も悪くないの……ごめんねぇ……」


 強く抱きしめる夏樹さんの腕に、しがみつくように嵐山さんの腕が伸びた。

 堪えきれずに涙を流す二人。

 その二人を、画面越しの冬真さんは穏やかな、けれども少し潤んだ目で見ていて、愛奈さんも目元を指で拭っていた。


 ――あぁ、やっぱり。二人には話す時間が、足りてなかっただけだったんだ

 ――ただすれ違ってしまっていただけだったんだ


 心の中で先生の言う通りだったよ、と告げて、俺は席を静かに立つ。

 今この場に俺は、もう必要ない。

 しばらくは嵐山さんの家族だけにした方が良さそうだったから。


 なるべく静かにリビングを出て廊下を歩き、靴を履く。

 少しだけ視界が潤んだからか、靴を履くのに時間がかかった。


 なんとか靴を履いて、なるべくゆっくり玄関を開けて外へ出る。

 外は、暗くなり始めていた。

 俺も早く帰ろうかな、今日は疲れたし、よく眠れそうだ、と思いながら嵐山家の門に手をかけた時。


「待って!」


 声が聞こえて振り返る。

 家から出てきていたのは、愛奈さんだった。


「愛奈……さん?」


 俺が声をかけると、近づいてきた愛奈さんはまっすぐに俺を見たまま口を開いた。


「ありがとう」


 突然の言葉に驚くものの、愛奈さんは言葉を続ける。


「莉愛を連れて来てくれて……お母さんと仲直りさせてくれて……本当にありがとう」

「いえ、自分は……」


 少し返答に困っていると、愛奈さんは首を横に振った。


「私が言っても、お父さんが言っても莉愛は一切聞かなかった。でも優木君は違う。……知ってる? 莉愛は中学にあんなことがあったのに、高校は楽しいって、そう言ってくれたんだ。

 それはきっと君が居るから……だと思う。君が莉愛を苦しみから救ってくれた。私たち家族を、前に進ませてくれたんだよ」

「…………」


 愛奈さんが感謝してくれているのは分かる。

 けど、今はあまり考えがまとまらなかった。

 愛奈さんの言う通りなのかもしれないし、大げさだと思う自分も居る。


「ねえ、優木君、教えて? ただのクラスメイトなのに、どうして莉愛を大切に思ってくれているの?」

「…………」


 どうして? どうしてだろうか?

 考えれば答えが出てくるような気がするけど、上手く言葉に出来そうにない。

 頭がぼーっとしていて、なんか変な感じだ。


「どうして……なんでしょう? 自分でもよく分かりません」


 何だろう、少し体が熱い気がする。

 愛奈さんが、少しぼやけて見える。

 ああ、これは薬が切れたのかもしれない。


「……優木くん? 大丈夫?」


 その言葉に、はっとした。


「え? ……あ、ああ、すみません大丈夫です。ちょっと疲れてしまったみたいで……すみません、俺はこれで失礼します。愛奈さんも、嵐山さんの側に居てあげてください」

「あっ、ちょっと!」

「じゃあ、今日はありがとうございました!」


 制止する声を振り切って別れを告げて門を開ける。

 そのまま嵐山さんの実家を後にして、駅へと早歩きで向かった。

 さっきは少しぼーっとしたけど、今は比較的思考ははっきりしている。


 ただ頭痛は鈍いけど感じ始めていて、こりゃあ帰ったら寝た方が良いな、なんてことを思っていた。

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