第56話 今、彼女達に必要なことは

 嵐山さんと一緒に、彼女の実家に向かう。

 自転車で行ける距離ではないらしいので、最寄りの駅に自転車を止めた後に電車に乗り込んだ。

 駅にして3つ、意外と離れていないんだなと思いながら嵐山さんと一緒に電車を降りて、歩き始める。


 事前に駅から歩いて15分程度と聞いていたものの、意外と分かりやすい道のりで、始めて来た俺でも覚えられるようなところに嵐山さんの実家はあった。


「……ここだよ」


 やや大きな一軒家を見て、嵐山さんがそう言う。

 この中に嵐山さんのお母さんと、お姉さん、それとテレビ通話で繋がったお父さんが待っているのかと思うと少し不安になる。

 この状況で不安にならない方がおかしいだろうとは思うけど、ここに来ると決めたのは俺自身だ。


 俺が自分自身に喝を入れると同時に、嵐山さんは家の門を開いた。

 遠慮なく入っていく嵐山さんの後を追う。

 鍵を取り出し、玄関の鍵を開けた彼女は何の迷いもなく家の中へ。

 もちろん俺も嵐山さんに続いた。


 嵐山さんの後に靴を脱いで、他人の家だからという事で靴を揃えると、リビングから人が出てくる気配がした。


「莉愛、おかえり。……そっちが話してた優木くん?」


 振り返ると美人な女性が立っていた。

 俺は慌てて立ち上がり、頭を下げる。


「こ、こんにちは。優木です」

「これはご丁寧に。莉愛から話は聞いています。私は嵐山愛奈、莉愛の姉です」


 嵐山さんの話に何度か出てきたお姉さんの愛奈さんか。

 そう思って頭を上げて、彼女のことを見る。

 穏やかな笑みを浮かべているものの、気の強そうな雰囲気の女性だ。


 飯島先生に近い、カッコいい女性というイメージがぴったりだと思う。

 その一方で、あれ? と感じた。

 どこか見覚えがある気がしなくもない。


「……んん?」


 お姉さんは俺をじーっと頭の先からつま先まで見てくる。

 値踏みするようなその視線に、少しだけ居心地の悪さを感じた時。


「お母さんはもうリビングに居る?」

「あ、うん、居るよ。お父さんも待ってる」


 お父さんという言葉にちょっと緊張する。

 昔から友達の家に遊びに行くことはあった。

 でも会うのは決まってお母さんで、友達のお父さんと顔を合わせたことはほとんどない。


 けれど横を見ると、嵐山さんは少しだけ不安そうな顔をしていた。

 自分の実家なのにそんな顔をするのは、これからお母さんと話をするからだろう。

 それなのに俺が不安に感じている場合じゃないと、そう思った。


「行こう嵐山さん。ここまで来たんだ。お母さんと話をしよう」

「……うん、分かってる」


 頷いて返してくれる嵐山さん。

 まだ不安そうな顔をしていたけど、リビングに向かってくれた。

 それを追いかけようとしたところで、俺達を見ていたお姉さんと目が合う。


 彼女はにっこりと微笑んだあと、行って行って、と俺を促した。

 その声に応じて、嵐山さんを追いかける。

 彼女の後に続いて部屋に入ると、そこは思った通りにリビングで、大きなテーブルと4つの席が置かれていた。


 そしてそのうちの一つには一人の女性が座っている。

 この人が、嵐山さんの。


「莉愛……」

「……お母さん」


 思った通りだという事を、嵐山さんが言葉で教えてくれた。

 この人が嵐山さんのお母さん。

 不安そうに嵐山さんを見ていた嵐山さんのお母さんは、俺に気づいたのか視線を動かす。


「えっと……そちらの方は?」

「優木です。嵐山さんの友人で、彼女と仲良くさせてもらっています。今日は同席するために来ました」

「は、はぁ……」


 どうやらお姉さんから話を聞いていないらしい。

 曖昧な返事を返すお母さんに、これから先大丈夫かと、少し不安になった。


「はいはい、莉愛も優木くんも座って座って」


 お姉さんに促されて、俺も嵐山さんも席に座った。

 お母さんの前に嵐山さん、そしてお母さんの隣がお姉さんで、お姉さんの前が俺の配置だ。


「あ、お父さんも久しぶりに莉愛を見たいよね」


 そう言ったお姉さんは、自分とお母さんの間にあったタブレットを俺達の方に向ける。

 大きな画面に映し出されたのは、優しそうな風貌をした一人の男性だった。

 この人が嵐山さんのお父さん……なのだろうか。


「せっかく優木君が来てくれたんだから自己紹介しないとね。莉愛から聞いているかもしれないけど、私は嵐山愛奈。気軽に愛奈さんって呼んでね」

「えっと……よろしくお願いします……愛奈さん」

「うんうん、いいね。じゃあ次はお母さん」


 ありがたいことにお姉さん……いや愛奈さんがリードを取ってくれるらしい。

 慣れた様子で自己紹介を嵐山さんのお母さんに促す愛奈さんはこの場ではありがたかった。

 愛奈さんに言われて、嵐山さんのお母さんは俺と嵐山さんを順に見た後に、静かに口を開いた。


「……嵐山夏樹(らんざん なつき)です。優木さん、今日は忙しい中お越しいただいて、ありがとうございます。あ、飲み物を用意してあるんです。お茶で良いですか?」

「え、ありがとうございます」


 慌てて立ち上がった嵐山さんのお母さん……夏樹さんはキッチンに向かう。

 少し待っていると、お茶を淹れてくれたのか、トレイに四人分のお茶を持ってきてくれた。


「えっと優木さん、コート掛けますか?」

「い、いえ、大丈夫です。椅子に掛けます」


 夏樹さんに言われたものの、俺は遠慮して椅子に自分のコートをかけた。

 最初こそ困惑したけど、初めて来た俺の事を気にしてくれているようだ。


 でも一方で、隣に座る嵐山さんには気にかけるような視線を投げつつも声をかけはしない。

 嵐山さんも嵐山さんで、自分で椅子の背もたれに自分のコートをかけていた。

 嵐山さんと夏樹さんの間にあるこじれた関係を、一瞬だけ見たような気がした。


 出されたお茶を一口飲んだ愛奈さんは、切り替えるように口を開く。


「……ふぅ。じゃあ最後にお父さん、自己紹介して」


 愛奈さんの言葉に、視線がタブレットに行く。

 画面の中の男性は俺の事を見つめていた。


『あ、ああ……嵐山冬真(らんざん とうま)だ。優木くん、今日はようこそ……その……君は莉愛のクラスメイト……いや、友人なのかい?』

「は、はい、そうです」

『そうか……』


 どこか難しい顔をするお父さん……いや冬真さん。

 けれど彼はその後も何かを言うことはなく、俺をただじっと見るばかり。

 別に怒っているとか、そういうわけじゃないのは分かるけど、少し居心地が悪いというか。


「それで? 話があるんでしょ? 莉愛」


 愛奈さんの言葉に、ピクリと嵐山さんが反応する。

 彼女の方を見ると、今までに見たことがないくらいに硬い表情をしていた。

 緊張しているのも、心臓がドキドキしているのも伝わって来そうな雰囲気だ。


 それも当然だろう。

 これから彼女は夏樹さんと話をする。

 すれ違い始めてから約三年、それとこれから向かい合うのだから、その緊張は俺には計り知れない。


「う、うん……えっと……その……」


 声が震えている。

 言葉が出てこないっていうのが、よく分かった。

 それでも必死に声を出そうとして、でもやっぱりなかなか声は出てこなくて。


 俺は、待った。

 嵐山さんが話してくれるのを、待とうと思った。

 でもその中で、俺は目の前に座る愛奈さんの顔を見た。


 彼女は嵐山さんを温かい目で見ていた。

 頑張れと、そう強く思っているのがよく分かった。

 そしてその隣に座る夏樹さんは、ただただ不安そうな表情で嵐山さんを見ていた。


 不安そうな夏樹さんと、緊張でなかなか話せない嵐山さん。

 それらを見て、俺は思わず隣に座る嵐山さんの膝の上の手に自分の手を重ねる。

 彼女の握った拳を優しく手のひらで包んだ。


「……夏樹さん」


 声をかければ、夏樹さんも、愛奈さんも、冬真さんも俺を驚いた表情で見た。


「俺は嵐山さんと仲良くなって、そしてつい先日、彼女から過去の話を聞きました。嵐山さんがV系が好きになって、髪形や髪色を変えたこと。それに対して夏樹さんが怒って、嵐山さんも怒って、収拾がつかなくなったこと」

「…………」


 俺の言葉に夏樹さんの顔が苦痛に歪む。

 それでも止まるつもりはなかった。


「中学の時の事件についても聞きました。財布を盗めと命令した真犯人にさせられたこと。信じていた友人や担任に裏切られて、悲しんだことも」


 愛奈さん、冬真さんの表情も歪む。

 当然三人は嵐山さんの中学時代の事件を知っていて、悲しみを感じているんだと思う。


「……分かっています。莉愛は絶対にやっていない。それは、母である私が――」

「そうじゃない……そうじゃないんです」


 夏樹さんは、きっと子供の事を考えられる母親なんだと思う。

 ただ子供の意見を、心の中を聞くことが出来なかっただけなんだ。


「夏樹さんは嵐山さんに話を聞いたんですか。あなたが嵐山さんの事を思っているのは見ていて分かります。嵐山さんから聞いたときも、そうなんじゃないかって思ったくらいに。

 でも……嵐山さんが見て欲しいところはそこじゃないんですよ。本当に見て欲しかったことを、聞いて欲しかったことを……聞いてあげてください」

「…………」


 言葉を失う夏樹さんを見た後、俺は左手に力を入れた。

 包んだ嵐山さんの拳に伝わるように、大丈夫だよと、彼女が勇気を奮い立たせられるように。


「わた……しは……」


 嵐山さんが、必死に言葉を紡ぐ。

 夏樹さんも冬真さんも、そして愛奈さんも嵐山さんを見る。


 そうだ、そうだよ嵐山さん。

 もう我慢しなくていいんだ、自分の心の内を、自分の言葉で伝えていいんだ、ぶつけていいんだ。

 きっとそれが嵐山さんにとって一番良い事で、今必要としていることだから。


 だから大丈夫だよ、嵐山さん。


「私は……姿が変わったとしても、私を見て欲しかった!」


 そして彼女の三年貯め込んだ思いが、ついに爆発した。

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