第15話 旅の終わりに

 内装はやはりというか現代離れしていて、安易な表現にはなるかもしれないけど異世界に来たような感覚になった。家具のひとつひとつから西洋の雰囲気を感じ取り、かと思えば壺だったり扇子だったりと、昔の中国のものが置かれていたり。冷静に考えれば、狛犬も西洋発祥のものではないし。


 まさに、和洋折衷を文字通り表現したような空間に仕上がっていた。

 そんな場所に、こと読書オタクである明日奈が足を踏み入れれば、テンションが上がらないはずがない、と思っていたのだけど、予想に反して彼女の反応は淡々としたものだった。


 や、やばい。まさか展示そのものも楽しめないのは予想外過ぎた。

 僕に愛想尽かすのはありえたかもしれないけど、まさかここまでとは。

 これは本格的にまずい。で、でも……。


「……わかんないよ、こんなの初めてで」

 明日奈の柔らかな性格もあって、今まで喧嘩らしい喧嘩を僕らはしてこなかった。だから、こういうときにどうすればいいのか、全くもってわからない。


 なんせ、僕の人間関係の全ては、明日奈と言っても過言ではないから。

 一歩、二歩、三歩と徐々に開いていく明日奈と僕の距離。遠くなっていく彼女の背中に、僕は昨日犯した間違いの重さを今になって噛みしめていた。


 坂の上の異人館を見終えると、次は北野外国人倶楽部という建物が待ち構えていた。が、しかし。

「ご、ごめん明日奈。ここ、後で回るでもいいかな?」

 開いてた数歩の差を僕は駆け足で埋めて、やや強引ではあるものの明日奈の腕を取って次の施設に入ろうとする彼女を引き留める。


「……え? なんで?」

「ちょ、ちょっと理由があるんだ。先にパワースポットの残りふたつ回ってから、また戻ろう?」

 僕は、この建物のあるものを予約するために、朝ダメもとで電話を掛けた。そしたら、たまたま空きがあったから、枠を抑えてもらった。


 今だと、まだ時間的に予約までちょっと早い。

「ゆ、裕典がそう言うなら、それでもいいけど」

「ありがとう。よじ、じゃあひとつ飛ばして、次は山手八番館だね」


 僕の頼みを否定することなく、明日奈はコクリと頷いて僕についてきてくれた。

 ひとつ飛ばした先の山手八番館には、サターンの椅子と呼ばれるふたつで一組の椅子に人だかりができていた。


 冊子を見ると、女性は右側の椅子に、男性は左側の椅子に座って願いごとを唱えるとその思いが叶う、とか。

 僕らも例に倣って揃って椅子に座り、それぞれ願いごとを唱えた。明日奈が何を願ったかは、聞かせてもらえなかったけど。


 さらに、次のうろこの家にあった鼻を撫でると幸せになると言われるカリドンの猪にも訪れた。僕は明日奈に撫でてもらおうと思ったのだけど、

「いいよ、裕典が撫でちゃって。これ以上は、なんか、バチが当たりそうな気がして」

 明日奈はそう言って固辞してしまい、結局僕しか鼻を撫でなかった。


 改善しない状況に焦りを覚えつつも、予約の時間といい具合になったので、

「ごめん、時間になったし、北野外国人倶楽部行こっか」

「う、うん。でも、何をするつもりなの……?」

「行けばわかるよ」

「い、行けばわかるって……?」

 僕は明日奈を連れて作戦の実行に移った。


 緑溢れる入場口に向かい、受付の人にフリーパスを差し出すと同時に僕は、

「あの、正午からスタジオ予約してた、鳴沢と言いますが」

「鳴沢様ですね、お待ちしておりました。すぐご案内いたしますので、少々お待ちください」


 仕掛けておいた種を回収する。当然、明日奈は何のことかわからないので、キョトンと口を半開きにさせて固まっている。


「ここの施設、好きなドレス一着選んで写真撮影できるんだ」

「……え? え? わ、私が?」

 このスタジオ、事前予約が必須のものらしく、僕が当日の朝に電話して枠を抑えられたのもたまたまキャンセルが出たかららしい。何はともあれ、これで少しは罪滅ぼしになるといいんだけど……。


「……昨日のこと、申し訳ないって思って。だから、喜んで欲しくて、た、誕生日プレゼントみたいなものだと思ってくれたら。あっ、元々用意してたのも別にあるから、だからっ、そのっ……」


「……ほんと、裕典はそういうところずるいよ」

「ず、ずるい?」

「……責めるに責められなくなっちゃうじゃん、そういうことされると」


 目を細めた明日奈の横顔が、このときばかりは笑っているのか、表情を歪まさせているのか僕にはわからなかった。


「お待たせしましたー、それでは、ご案内しますねー」

 少しして担当のスタッフさんがやって来たので、話はここで打ち止めに。

 ……よ、喜んでくれてはいるのか? ど、どうなんだろう。


 明日奈のリアクション、ベクトルの方向が理解できずにいるけど、とりあえず、上手くいって欲しい。僕が考えられるのは、それだけだった。


 ドレスの着用は女性のみ、ということだったので、僕は別室で部屋の内装をぼんやり眺めながら明日奈が現れるのを待っていた。

 少し時間が経った頃合い、扉からコンコンコンと、ノックの音がするとともに、


「お待たせしました、お連れ様の準備が整いましたよ」

 スタッフさんの声が扉越しに聞こえてきた。

 やがてガチャリと扉が開くと、そこには──


「……っっ」


 僕が思わず言葉を失ってしまうくらいに、綺麗な明日奈の姿があった。

 ウェディングドレスとは、微妙に違うものなのかもしれない。白色を基調にしつつも、薄く水色がかった生地に、スカート部分に慎ましやかに花の模様が描かれている。


 肩は綺麗に露出されていて、明日奈の真っ白な肌色とほのかに桃色がかった頬の色のコントラストが眩しい。

 胸元もそれほど大きく見せることはなく、それでもフリルにリボンにとアクセントは十分効いていた。


 後ろ手に持っている、明日奈が好きな向日葵のブーケも見え隠れしていて、もう彼女の魅力を余すことなく表現していた。

 つまり、要約すると、


「……き、綺麗だ」


 その一言しか、言葉にならなかった。


「よろしければ、直接外に出てチャペルをバックに写真撮影もできますが、どうされますか?」

 そんな明日奈の姿に見惚れていた僕と、声も出さずに顔を赤くさせていた明日奈を微笑ましい目で眺めていたスタッフさんは、そんなことを案内してくれる。


「ど、どうする? せっかくだし、撮ってもらう?」

 僕の問いに対して、明日奈が首を縦にコクンと振ったのを見て、

「じゃ、じゃあ、お願いします」

 僕らは、その案内に乗ることにした。


「どうします? 彼氏さんも一緒に写真入りますか? いい記念になると思いますけど」

 夏の陽射し照りつける神戸の昼下がり。外に出た僕と明日奈は真っ白に塗られた建物をバックに、スタッフさんに何枚か写真を撮ってもらった。


「はいはーい、おふたりとも、緊張で表情が硬くなってますよー、リラックスして、もっとニッコリしましょうー、ニッコリー。はーい、いい笑顔―」

 時折他の観光客の人も、僕らの横を通っていって、「へー、いいなー、楽しそうー」「女の人、可愛いー」といった声がチラホラと耳に入り、気恥ずかしさが拭えない。


 ただ、それは明日奈が僕の贔屓目抜きに綺麗な姿をしているという裏返しにもなるので、それはそれで嬉しかったり。

「あ、そうだ。彼女さん、小物にブーケを選んだことですし、彼氏さんに渡す絵で一枚撮ってみますか? ブートニア、とは微妙に違いますけど、いい絵になると思いますよ?」


 ブートニアとは、結婚式で行われるセレモニー。新郎が新婦に渡したブーケから、新婦が一本の花束を新郎の胸元に挿すことを指す。

 なるほど、今回だとそもそもブーケは借り物だし、僕の胸元にも挿せないけど、雰囲気だけという意味なら選択肢としてはアリなのかもしれない。


 ちら、と真横に立つ明日奈の様子を窺うと、何か数秒考えこんでから、おずおずと僕の目の前に向日葵の花束を差し出した。

 それは、明日奈が僕に告白してくれたときのシチュエーションとそっくりで。


「あっ……」

 そんな大切な思い出と重なっていることに気づいた僕は、ゆっくりと落とさないよう、大事にその七本の花束を受け取る素振りをする。


「お、いいですよいいですよ―、そのまま、自然体でっ、はーい、ありがとうございまーす」

 それから屋内に入ってからも、何枚か写真を撮ってもらった明日奈は、

「……ありがとう。こんな時間用意してくれて」

 終了間際に僕にそんな言葉を残して、更衣室へと戻っていった。


 良かった……楽しんではもらえたみたいだ。最悪の事態は、回避できたと思う。


 その後も異人館を順々に巡っていった僕らは、夕方になる前に予定していた行程を全て終えた。行きのときと同じように、新大阪駅までは在来線、そこから新幹線で新横浜駅へと移動。


 旅の疲れからか、帰りの新幹線に乗り込むやいなや、明日奈はスイッチを切ったように座席で僕の肩に頭を預けて眠りについた。


「……長い時間動きまわったわけだし、そりゃ疲れちゃうよね」

 僕はそんな明日奈の寝顔を横目で眺めながら、東京までの家路ひとり本を読みながら過ごしていた。


 新横浜で下車した頃には、もう夜の帳が落ち切っていたので自宅まで明日奈を送る。

「あのっ、さ」

 別れ際。家に入ろうとする明日奈を呼び止めた僕は、バッグからあるものを取り出す。


「これっ……あの、元々渡すつもりだった誕生日プレゼントで」

 小分けの紙袋に包まれたそれを、明日奈に手渡した僕は、彼女がそれを開けるのを確認する前に、


「そ、それじゃあ、僕はこれで。二日間、ありがとう。楽しかった。またね」

 そう言って小走りで駅へと向かいだした。プレゼントを目の前で広げられるのが、少し恥ずかしかったから。


 その日の夜のうちに明日奈からラインが届いた。


深浦 明日奈:プレゼントありがとー

深浦 明日奈:今開けたよー

深浦 明日奈:すっごく嬉しい、大事に使うねー

深浦 明日奈:写真を送信しました


 喜んでくれた彼女のリアクションと、僕が渡した向日葵の飾りがついたネックレスを着けた自撮り写真を見て、ホッと一息胸を撫で下ろす。

 これで、許してもらえるといいのだけど……。



 そんな淡い期待は、しかし予想しない形で裏切られることになった。


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