第4話

 店じまいもロクにせず、ぼくと葛城はタクシーに飛び乗った。

 運転手のおっちゃんは、手ぶらで秩父山地に向かおうとする二人組を大いに不審がっている様子だったが、葛城はさらにそこへ油を注いでしまった。


「大急ぎで向かってください。高速でも何でも使ってくれて結構なので」

「そりゃ構わないけどさ。お二人さん、こんな夜更けに何しに行くの? 目的地のところ、完全に山中だよコレ」

「実はさっき、この人がうらな――」


 ちょっと待て。ぼくは慌てて、葛城の口を塞ぎに掛かった。

 そして、あっさり反撃に遭って腕を捻じり上げられた。


「なんの真似?」

「『なんの真似』じゃありませんよ。なに口走ろうとしたんですか。それ言ったら、完全に危ない人じゃないですか」


 一瞬考えこんでから、葛城は小声でこう切り返した。


「いや、危ない人でしょ」

「え」

「髪は食べるし、おさげが美味そうとか言うし、芳賀は殺されたとか言うし。完全に危ない」


 危ないのは三つ目だけだと思う。

 そんな私見は脇に置いて、ひとまずぼくは腕の拘束を解き、


「そう言う割に、タクシーには乗ったじゃないですか? ぼくのことが信じられないなら、付いてくる必要もないはずだ」

「現状、唯一の手掛かりを逃せるはずないでしょ。それに付いてくる必要がないっていうのは、むしろきみの方じゃない?」

「ぼくが行かなかったら、貴女は独りで行くことになってましたよ。『霊媒で殺人の様子を目撃した』なんて、警察に言ってもイタズラだと思われるのがオチだろうし」


 とにかく覚悟しておいた方が良い。ぼくが念を押すと、葛城はやや納得いかない様子ながらも首を縦に振った。こうなると、落ち着かないのは蚊帳の外になっていたおっちゃんだけになる。ぼくは余所行きのトーンで、運転席に声を掛けた。


「心配しなくても大丈夫ですよ。この女性のご友人に会いに行くだけです」

「ああ、そう? そんなら良いんだけどね。送った先で失踪とか心中って話になったら、こっちは堪らないからね。事情聴取とかされそうだしさ」

「お察ししますよ」


人が死ぬと寝覚めが悪くなる。よく分かる話だ。ぼくも相変わらず、パイプクリーナーが無いと悪夢を見る。いま眠ったら、芳賀の末期を夢に見るのは確実だろう。


 ハイウエイのジョイントが奏でる単調なリズム、等間隔に過ぎ去る白線と照明灯のすべてが憎かった。高速道路催眠現象ハイウェイ・ヒプノーシスとはよく言ったものだ。寝息を立て始めた葛城を他所に、ぼくは延々とおっちゃんに話し掛け続ける。


 タクシーが秩父山中に到着したのは、大宮を発って1時間半が経過した頃だった。


     ◆◇◆


 芳賀の記憶で見た場所とはいえ、世闇の中、山道を行くのはそう楽なものではない。


 スマホのライトを使っても照らせる範囲はごく限られるし、片手が使えないとなると動きがかなり制限される。せめてもの救いは、ゴール地点のアテがあることだ。木々の隙間から、僅かだが光が漏れている。それは人工的な光。照明の光だ。


「丑の刻参りにでも鉢合わせそうな雰囲気だね」


 先を行く葛城が、ゲンナリした調子で言う。

 しかし、その口ぶりには怯えの色はなく、また息が上がっている様子もない。こちらは既に疲労困憊だというのに。


「殺人現場より、丑の刻参りの方がまだマシですよ。なんせ、そっちは犯罪行為にあたらない。いや、器物損壊罪には問われるかもしれないけど、少なくとも殺人未遂にすらならないわけですから」

「そうなの?」

「因果関係が証明できませんからね。呪いや超能力で人を殺せる人間がいたとしても、そいつを裁くことはできないというわけです。 “不能犯”ってやつですね」

「詳しいんだ」


 それは、家庭の問題だからだ。

 他人の肉体を乗っ取れる人間――即ち、侵襲霊媒師に掛かれば“呪殺”のような真似も容易いことだ。ターゲットに意識を入り込ませ、飛び降りなり割腹なりさせれば良い。そうすれば、疑いの余地なくその人間の死は自殺として処理される。


 毛塚一族はそうやって、家を大きくした歴史があるのだと至さんは言っていた。

 いつの時代の話なのか、訊く勇気はなかった。


「静かに」


 明かりの出処が近いことにかこつけて、ぼくは話を遮った。

 ランタンが放つ明かりの中で、一人分の影が揺れている。よく見れば、そいつはぼうぼうとした茶髪の持ち主で、見上げるような体躯の大男だ。ぼくは、この男を知っている。


 この男の名は、芳賀ヒロキ。二時間前に刺殺されたはずの男だ。

 そいつが、シャベルで穴を掘っている。己が眠るべき墓穴を繕うように。


「芳賀くん」


 制止する間もなく、葛城が芳賀のもとへ走り出す。

 ぼくは思わず凍り付いてしまった。あれは、芳賀ヒロキじゃない。

 あの遺骸を動かしているのは、芳賀の意識ではない。


「やあ、葛城先輩」


 振り向きざま、芳賀がシャベルを振り上げた。そして、勢いそのまま葛城の脳天に向けて振り下ろす。


 逃げろ。間の抜けたタイミングで、ぼくの口が言葉を発する。

 逃げろ。身体は霊媒を受けているかのように言うことを聞かない。


 葛城の頭蓋が打ち砕かれようとしたとき、不思議なことが起きた。彼女を殴打しようとしていた芳賀の腕が、バネ仕掛けのように跳ね上がった。シャベルは直撃の寸前で、もと来た軌道を急速に折り返した。


 無理な挙動が、反動となって芳賀の上半身を襲う。彼の骸は、サバ折りでも食らったような態勢で地面に倒れ込んだ。近くの木陰からは、男の悲鳴がこだまする。


「今のは?」

「芳賀くんを動かしていた霊媒師でしょ、たぶんね」


 事もなげに葛城は応え、口に含んでいた何かを引っ張り出した。

 見間違えでなければ、それは芳賀の毛髪のようだった。


「そうじゃなくて、貴女がしたことだ。今のはまるで……」

「侵襲霊媒。その通りだよ」


 教えていないはずの単語が飛び出した。それでぼくは、彼女が霊媒師であると気付かされた。彼女は初めからすべてを知っていたのだ。霊媒の仕組みも、虹天球の存在も。


「なぜだ」


 なぜ、誘起霊媒をしたときに見抜けなかったのか。

 なぜ、こうなることを読めていたのか。

 なぜ、ぼくに近づいたのか。


「君の言うところの“不能犯”を秘密裏に取り締まるのが、私たちの仕事だからね。霊媒師を欺く術も持っているし、倒す術も知っている。芳賀くんはそれが上手くできなかったみたいだけど」

「ぼくも捕らえる気か?」

「とんでもない。きみは稀有な能力の持ち主だ。そのうえ、経歴もクリーンだしね。今日はそれだけ確認できればと思っていたんだけど。結果的にこんなことになってしまって、本当に申し訳ない」


 申し訳ないの一言で、こんな惨事に巻き込まれるのは御免こうむる。

 それこそ、警察は要らないってやつだ。


「――そうだ、警察。警察に通報しなきゃ」

「どうするつもりなの?」

「決まっているでしょう。起きたことを洗いざらい話すんです。人が死んでいるんだ。少しはまともに取り合ってもらえるはず」

「それはちょっと頂けないな」


 一一〇番を入力し終えたところで、葛城の手がぼくのスマホを掴んだ。

 慌てて距離を取ろうとしたが、その前に上着の襟首も捕まえられていた。


「知らないことを口にしない、っていうのは美徳だけどね。知っていること全部を話すのは困りものだよ」


 襟を引っ張られたのとほぼ同時に、カチンと歯と歯が当たる音がした。

 前髪を噛まれていると気付いた時にはもう手遅れで、ぼくは微睡むように意識を失った。

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