地獄

 足場が無い。


 俺を中心にノートを含めて半径五メートルほどを残すのみだ。天帝が抉った溝に湖の水が流れ込み、池に浮いた孤島の様。


 静かだ。


 全てが止まって見える。


 奴はまだ上空。


 ノートは俺のすぐ後ろだ。


 心は凪いでいる。いや、高揚している? わからない。とにかく──。


 ──笑いが止まらない。


「剣気・夢幻……」


──。


「……!? 消えた?」

「いるよ?」


 俺は奴の背後で囁く。


「っ!?」


 奴は振り向くが、俺はそこに居ない。


「こっちだ」


 次は奴の耳元だ。奴の耳に斬り込みを入れてやる。ブン、常闇が奴のぐるりを薙ぎつける。ポタリ、奴の血が滴り落ちる。


「はは、こっちこっち♪」


 奴の頭を小突く。そして肩口を斬りつける。ブンブン、常闇を振り回すが空振りだ。袖が落ちて片腕が血塗れだ。


「ふ……、よかろう。遊びも終わりだ」


 奴は不敵に笑うと、常闇を胸の前に構える。何をするつもりか知らないが──。


──ガキ! 常闇がノートを狙う。


「させるかよ……二度と、ノートには触れさせねえ!」


 ジャッ、聖剣で常闇を弾く。


「ん……るかぁ?」

「ノート!」


 良かった、意識もある。


──ブン……。常闇が二本?


「地獄門・鉄処女アイアンメイデン


 常闇から黒い霧がブワっと噴き出して、辺りが暗闇で覆われる。これは……!?


「剣気・籠女!」斬撃の結界。


──キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキン!


 真っ暗闇の中、斬撃に囲まれ籠女で弾いているが……。


──キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキ……


 終わらない斬撃。そして。


「地獄門・鬼火」


──ボワッ! 暗闇の中が蒼い炎に包まれる。やべぇ。


──ドボン!


 俺はノートを抱えて水中へ飛び込んだ。蒼い光が水中を照らすが、やつの斬撃の溝、底が見えねえ。そして水中なのに熱を感じる。このままだと窒息もあるし、水温が上昇し続ければ詰みだ。


 ノートに視線を送り、心の中で回復を頼んだ。これでノートなら解ってくれる。ノートがこくり、頷いたのを確認すると、ノートの腕を首に回し掴まらせる。


 あとは……俺が奴の闇を斬るだけだ。


 水面へ上がり。


「剣気・三万大万世界!」「アイフヘモヲスシ!」


 俺とノートは鬼火に焼かれながら、溶けてゆく身体を回復し、超特大の斬撃をお見舞いする。

 

──ビキキキキキキ、バリン!


 暗黒の結界らしき闇は斬った。奴の顔が歪む。


「ふむ……」


 今なら解る、奴の強さの根源が。あの溢れ出ていた妖気は、奴がずっと練り続けていたものだろう。そして極限に到達したので溢れ出ていた、そう言うことなのだ。剣鬼にはその上、つまり剣神があることを奴は証明して見せた。俺はまだ──。


「上を目指せる!」

「ルカ、嬉しそう♪」

「ノート! 俺、もっと強くなるからな!」

「ん、アズラエルよりもね!」

「おうよ!」


 天帝は静観していたが、アズラエルと聴いて口を開く。

 

「……アズラエルよりもか。面白い、ならば朕ごときは超えねばなるまい。まあ……させないがな?」


 天帝の妖気がブワリ、いっそう膨れ上がる。


 集中しろ。


 奴の気が見える。とてつもなく大きく、とてつもなく濃厚で、とてつもなく禍々しい。


 しかし俺は──。


「剣気・鬼神!」


 ──天帝を超える。


 バリッ、身体と聖剣が紫電を纏い、身体はうっすらと光り、剣身は眩しいくらいに輝き、ビュン、とその長さを伸ばす。


「うっ……んん……」

「ノート、もう少しだ。我慢してくれ……」

「ん!」


 天帝の妖気は少しづつ硬質化してゆきながら奴の身体を覆ってゆく。斬り付けた筈の傷も塞がっている。腕と剣の境も既に判らないくらいだ。


 ズズズ……、空気が奴に引っ張られる。奴を中心に旋風が起こり、気流が生まれ、その大流に呑み込まれないように足に力が入る。

 ドウ、湖の水面がうねりを上げ、大聖堂の瓦礫を巻き込んで、竜巻となって天高く上昇してゆく。ゴゴゴ、地震が起こり地面に亀裂が入り地盤が変形してゆく。


 奴は何もしておらず、これが奴の妖気のみによって起こされる現象だと言うこと。そしてこれから、奴が何かを仕掛けて来ると言うのだ。


 俺は何を相手にしている……いや、奴は云った、神に似たようなものだと。ならば合点がいくと言うもの。何が起こったって不思議ではないし、奴はアズラエルより自分を下に見ている。そして、奴は神ではないのだから。


 超えなければならない。



 さあ、世界を斬ろうじゃないか!



「地獄門・地獄百景……」


 俺の目が歪んで視える。否。これは──。


──世界が歪んでいる。


 天空に巻き上げられた湖が降ってくる。とてつもなく大きな氷塊となって。構わず斬る。バラバラ砕け落ちる。ビュッ、横殴りの風。鬼火の蒼い炎が混じる。それも斬る。が、砕け散った氷塊が瞬時に蒸発。空気が燃える。喉が焼ける。目が焼ける。髪が燃える。肌も焼ける。湖は無い。トン、地面を蹴り上空へ。バン、地面が二つに折れて挟まれる。粉微塵に斬って土に返す。パン、空を蹴って更に上空へ。


「アイフヘモヲスシ!」ノートの回復。


 奴が朱い大きな月を背にして、優雅に高みの見物を決め込んでいる。逆光なのに奴の吊り上がった口元がくっきり見える様だ。


 奴に近付くに連れて黒い無数の点が、ポツリ、ポツリと増えてゆき、ポツ、ポツ、ポ、ポ、ポポ……加速してゆく。朱い月が黒点で見えなくなる頃、剣の壁が空一面に創り上げられ、墜ちてくる。


 しかし俺は、にやりと笑い。


「ノート、愛してる!」

「ん! 私も!」


 そうだ。こうして笑っていられるのはノートのお陰だ。今や彼女に絶対の信頼を寄せている。何も考えずに全てを賭けられる。


 聖剣に剣気を流すと、伸びる光の剣身。直視出来ないほどに眩い輝きを放つ。

 一振りすれば空に一条の線。二振り、三振り、常闇の壁は十も振ればすっかり消えて無くなっていた。


 笑い続ける天帝。まだ何か仕掛けて来るのだろう。奴の元まであと少し。

 なのに、近付けば近付くほど奴の身体が小さくなってゆく。


 違う!


 奴の背後の月がデカくなってやがる!


 月が奴の妖気に引っ張られて来たと言うのか!?


 物的質量が桁違いだ。斬れるとか斬れないとかの問題じゃない!!


「ルカ!!」

「ん?」

「やっちゃって!!」


 ノートの鼓舞……俺、弱気になってた?


「わかった!!」


 奴を超えるって言った!!


 世界を斬るって言った!!


 そうだ、斬れる斬れないは関係ない!!


 斬るんだ!!


 ふっ、息を吐く。


 月明かりで世界が朱く染まる。


 父ちゃん、母ちゃん……ノート!


「俺に力を!!」


 ノートの腕に力が入る。


「ん! トホカミヱヒタメ・アイフヘモヲスシ・ヤキヌエコヨユヰ・ハチムネオソツナ!」


──!?


 何だ? 身体の奥から──


「うおおおおおおおおおお!!」


 ──得体の知れぬ力が!!


 爆発しそうだ……いやこの力。


 聖剣が熱い……過負荷オーバーロードが過ぎるのだろうか、耐えてくれ!


 俺は聖剣で九字を斬り。


「剣気・阿耨多羅三藐三菩提ア・ノク・タ・ラ・サン・ミャク・サン・ボ・ダイ!!」


 俺の前で斬られた印が光を放つ。


「うおわあああああああああああああああああああああ!!」


 ずっと練り上げて来た、特大の剣気を、惜しみなく解き放った!


 ブワッ! 光が膨れ上がる!


 バチバチッ! プラズマが弾ける!


 ドゥン! 重低音のような振動!


 ン…… 全ての音が消えた。


 真っ朱な世界が白い光に包まれて、ホワイトアウトしてゆく。


 ドン! 強烈なソニックに、世界が後退するような感覚を覚える。

 

 ……。


 ……。


 少しづつ、世界が色を取り戻してゆく。


 あかではない。


 突き抜けるほどに黒だ。


 まるで空を丸く刳り貫いたように、朱い月の粉末がまあるくリングを作っている。


 そうだ……奴は?


 漆黒の空洞の奥、小さな人影?


 まさか!?


 俺は空を蹴って奴に肉迫する!!


 ……。


 奴の……残骸?


 身体中斬り刻まれ、筋肉が削げ落ち、骨は剥き出しで、内蔵なんてものはほぼ無い。


「ああ……きさま、か……」


──!?


「案ずるな、朕はもう……」

「こんな……お前は何がしたかったんだ!?」

「世直し……だ」

「馬鹿な!? 何が世直しだ!! 誰も喜んでなんて──」

「──争いは……無くなっただろう?」

「それは……」


 聴いた話では、人族は戦争の歴史を長年繰り返していたのだと言う。確かに帝国が支配するようになって、争いはなくなったのだ。


「神族は……地上の争いには……介入せんからのぉ……奴らの怠慢だ。だから……くっ!」


 確かに神族は地上の争いには介入しない。彼らにはそれが出来る力があるのに、と言いたいのだろう。


「だからって魔族が介入して良いわけじゃないだろう!?」

「……魔族は世界平和を望むな、と……きさまは、そう……言うのか?」


 ……そうじゃない。しかし、これが合っているとも思えない。だからと言って、明確な答えなんて、今の俺には……無い。


「きさまには、力がある。思うところがあるならば、変えて見せればよい……。朕は……もう……」


 ……。


 そこまで言うと、天帝は、静かに、息を引き取った。


 顔だけ見れば、俺と変わらない青年だ。しかし──。


 ──酷く疲れて、げっそりとやつれている。


 世直し……か。


──ピシ……。


 空気が凍てつく。


 冷気!?


「ルカあああああ!!」


 ノートの叫び声が──。



 それが、俺とノートの十二日目だった。

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