陥穽

「ルークさん? これはいったい……?」

「悪いね、ルカちゃん。ギルドからの依頼なんだ。『忌子とそれを拐った者を捕獲せよ。生死は問わないが、持ち物は残せ』って言うね?」

「じゃあ、初めから?!」

「そうさ、だから大人しく捕まってくれないか? 僕も女の子に手荒な真似はしたくないんだ……」

「……」


 俺はバカだ。初めから罠だった。こんな奴らを信用していただなんて……。

 考えろ。以前、天帝に捕まった時は地下牢へ放り込まれた。あそこに入ったら出ることは出来ないかも知れない。てことは、抜け出すなら入る前だ。しかし、この人数……逃げたとしても、ここは帝都だ。いったい何処へ逃げるってんだ?

 あの時みたいに上手く力が使えたなら、逃げれたかも知れない。だが俺は、まだあの力を自在に使うことが出来ないでいる。万が一にもノートに何かあっては困るのだ。


「んん~……」

「ノート……起きた、のか?」

「ムニャムニャ……オキテナイニャ」

「そうか」それで良い。


 どうするか……? やはりしかないか?


 剣気・覇!


 ぶわり、と俺を剣気が包み込む。途端、びりびり、とギルド内の空気が張り詰め、そこにいた冒険者や受付嬢の顔が強張る。


「気を抜くな、こいつは竜殺しだ。生半可な強さじゃねえぞ!?」

「ひぃっ!? り、竜殺し!?」

「怯むんじゃねえよ、こちとらこの人数だ。ざっと100人は居るだろう? これなら、竜だって倒せるだろうが? それに外には──」


 ルークさんが俺の情報を垂れ流す。そして俺たちに明らかな敵意を向けてくる。そして、透けて見えるその欲望。ここに居る全員が教皇のように見えてくる。


 豚どもが……。頼む、もう少し寝ててくれ、ノート。


 剣気・斬!


「うわあ!」


 ルークさんに斬撃で身に纏っているブリガンダインごと斬りつける。


 胸部から腕にかけて一閃、斬れ込みが入って血が拭き上げる。ユラリ、よろめいて、踏み止まるが、表情は恐々としている。


「ば、バケモノめ!」


 と、言いながら後退っている。他の者も、構えたままかかって来る気配はない。


 時間を稼がれて騎士団が来ても面倒くさい。一気に抜ける!


 剣気・龍牙!


 俺は入口に向けて指を指す。


「うわあああああっ!?」


 俺と入口の間に居た何十人かが、血飛沫をあげる。入口までの道は開けた。


 俺は迷わず入口へと駆け、ギルドの門扉まで来て、足を止めることになる。


 ……。


「これ……何百人いんだ!?」


 俺の眼前には無数ともとれる冒険者で、広場が埋め尽くされていた。


 ふふ……、父ちゃん? 父ちゃんはこんな中を歩いて、俺を助けに来てくれたのか? すげえ、さすが父ちゃんだぜ。


 剣気・嵐!


 俺の剣気が何倍にも膨れ上がり、俺を軸に旋風が巻き起こる。旋風に俺の剣気を乗せて、一気に蒔き散らす!


──グアアアアアアアアア!!


 ギルドの入口を中心に冒険者がバタバタと斬り刻まれてゆく。広場やギルドの入口が冒険者の血に染まってゆく。


 ちっ、全然減らねえな……。


 全滅させるか? いや、そんな事をしている間に騎士団が来るな。一気に逃げるか。


──タンッ! タタンッ!


 俺はすぐ横にあったガーゴイルを踏み台にして、ノートを背負ったままギルドの屋根に駆け上がった。


 すぐにスカウトやレンジャーのような冒険者が取り巻くが、これくらいならどうとでもなる。


 剣気・閃光!


 俺は剣気を解放し、放射状に光の糸を放った。


 バタバタと冒険者どもが、小バエの様に墜ちてゆく。


 俺は行く先を辿られない様に乱線を描きながら、建物の屋根を渡り、追手が居なくなった頃合いを見計らって、物陰に隠れた。


 ……臭い。


 しかし、どこか懐かしい記憶に触れる。


 ここはどこだろう? 饐えた匂いが鼻を突く。とても酷い悪臭だ。なのに、何故かノスタルジーな感覚に陥る。


 俺はどうかしたのか?


「んん……くっさ!」

「おお、ノート起きたか?」


 背中でモゾモゾとノートが動き出す。途中、ピタリ、とノートの動きが止まる。


「どうかしたか?」

「ン……トイレ……」

「おまえ……その辺で出来ねえのか?」

「ここ、どこさね?」

「ん〜……、スラム?」

「ふぇ?」

「貧民窟?」

「ルカ……まさか?」

「ん?」

「私のこと、捨てない……よね?」

「どうして?」

「スラムに、連れてきたから……」

「まさか? なんでそう思うんだ?」

「昔……病気でおかしくなっちゃったお母さんがね……スラムに捨てられたって聞いたんだ……だから……もしかしたら私も……って、思って……」

「ばっ! ばかノート!! 俺を教皇と一緒にすんじゃねえ!!」

「じゃあルカ……キス、して?」

「いっ!? ……ムリ!!」

「なしてさ!!」

「何か、めっちゃ見られてるだろ!?」

「ほんなこつ、えぇでないか!! ……え? ひゃわ、めっちゃ見られてる」


 俺はノートの手を引いてスラムを進んだ。どこに行っても人の目がある。みんな死んだような目をしているが、あれは違う。飢えた目だ。誰も死にたいなんて思ってはいない。どちらかと言うと、生を渇望している目だ。執着し、しがみついている目だ。


 何なら俺たちを喰ってしまうんじゃないかとさえ思えてしまう。


 ここに居ちゃイケない。そう思い、俺は宛もなくスラムを早足で往く。


 ノートのオシッコが持ち堪えるか……最悪はその辺の物陰に隠れて用を足してもらうほかない。そんなつまらない事を考えていた最中さなか


「ルカ!」


 突然だった。ノートが立ち止まる。


「どうした、ノート? もう限界か!?」

「ちがう!! そんなんじゃない!!」

「じゃあ、何だ?」

「あっち……」


 ノートが指を指す。


 その方向を見るが、ゴミ山の様な……死体の山? いや……あれは……。


「餓鬼の山!?」

「違う! そうじゃない……あれはぜんぶ人。そして、その奥に居る……私の、お母さん?」


──!?


 確かに一人の人が……いや、翼が生えた天使? いや、あれが翼人族か? エルフの婆ちゃんはノートのお母さんはヴァン神族ではないか、と言っていた。


 それならあの容姿は合点がいく。


 頬はこけ、唇はかさかさと水気がなく、髪はバサバサで絡まっている。目は虚ろで瞳孔は白く濁り、もはや視えてはいないようだ。翼は羽根が抜け落ちて、翼であったであろう何かと化していいる。


 しかし、何だろう?


 どうして……彼女は、


 笑っているのだろう?


 こんな廃れたゴミだめの様な貧民窟の、奥も奥。もはや人とは思えない有象無象の生き物が寄って集って……彼女の下に集まって来る。


 ある者は食料を。ある者は綺麗な石を。ある者は紙幣だった紙切れを。おそらくは、それぞれがとても大切にしているモノを持って集まり、彼女に捧げている?


 しかし彼女は、そのどれも受け取らず、ただ笑って、それらを愛おしく抱きしめては、キスをして、彼らに祝福を与えているようだ。


 こんな、掃き溜めの様な処に住んでいる様な者でも、救いが欲しい、と言うことなのだろうか。


 俺には理解は出来ねえが、この貧民窟スラムも、救いを求めているのかも知れない。みんな、生きる事に必死にしがみついている。


 とは言え、腐敗した屍や、糞尿などの汚物に塗れた有象無象の蠢動含霊が、彼女に伸し掛かる。もはや何かしらの病気にかかっているだろうし、余命すら幾ばくもないのかも知れない。


 いや……あれは……!?


 ぎゅっ、とノートが俺の手を握る。その小さな手と、唇を震わせる。眼には大粒の涙を溜めて。


 つ……、と流した。


 後から後から止め処なく流れる涙をそのままに、ノートは貧民窟スラムでそっと咲う、母の姿を眺めていた。


 俺は何もしてやれることはなかった。ただ、震える手を握りしめて、一緒にそこに居る事しか……。


 父ちゃんなら、何か出来たのだろうか? 父ちゃんなら……。


 そうだ、な。


 俺は腰に差していた短剣を抜いた。


「ルカ?」

「良いから見てろ」

「……う、ん?」


 俺は剣気を短剣に集中させる。


 剣気・息吹!


 ザ厶ッ! 地面に短剣を刺す。俺の剣気が地中を伝って、一帯へと浸透してゆき、地面を浄化させ、活性化させてゆく。

 そこへ、大気中の精霊が花の種を蒔くと、するとどうだ。


 一帯は花畑となった。


「わあ……」

「ノートの、お母さんへの手向けの花だ。喜んでくれると、良いな……」


 ノートが俺の手を更に握りしめて、そっと体重をかけてくる。


「ルカ、ありがと……」

「おお、大丈夫か?」

「ん、大丈夫!」

「そっか……」


 ノートのお母さんは、彼らを抱きしめてキスをしていたわけじゃなかった。その様に視えただけだ。そして、集まっている者たちも、決して生きているわけではない。そこに集まる魂が、彼女を媒体にして、浄化されているのが、そう視えただけのようだ。


 あまりに尊いその光景は、地中に埋める事も忍びない。なので、丸ごと花で埋め尽くした。色とりどりの花が咲き乱れ、あたり一帯を美しく彩って、枯れ果てたノートの母親は、さながら女神像の様だ。


 俺たちは今一度手を合わせて祈り、俺はノートの手を取って、ノートが頷くのを待った。


「ルカ、行こう!」

「わかった……」

「お母さん! 私、ルカと幸せになるね!」

「ノートの母ちゃん、俺、ノートを大切にします……だから……え!?」


 俺は何を見ているのだろう?


 いや、


 何が視えているのだろう?


 ノートの母ちゃんの横に、もう一人の女性。それも既視感……どこかで見た、どこかで会ったことが……どこだ!? いや、そんなことはどうでも良い。あれは……


「母ちゃん!?」

「え!?」


 間違いない。あの時、夢の中で見た、あの女性。名前は……ヘレン。俺の、母ちゃんの名前。


 ヘレンは、じっとルカを見つめ、ノートに視線をやると、にこり、と微笑んで、何かをつぶやいた。


「────。 ────。」


 何を言ったのか聞き取れなかったが、それでも俺は満足だった。

 何故、ここに母ちゃんが居るのか、わからない。何故ノートの母ちゃんと一緒に居るのか、わからない。

 ただひとつ言えることは、母ちゃんは俺のことを心から愛してくれていた。それは、母ちゃんが俺を見る眼差しから痛いほど感じて取れたことだ。

 情けない。涙が止まらないなんて。父ちゃんの息子なのに、情けない。そして、


 俺の右手が熱い。


 見ると、短剣が光っている。まだ淡い光だが、確かに薄っすらと光って見える。

 よく見ると、龍が巻き付いた十字架の模様。どこかで見たことがあるが、思い出せない。


 あの時、父ちゃんと母ちゃんは言った。聖剣が俺を守ってくれる、と。


「これ、聖剣……なのか?」 

「ん? なに?」

「……分かんねえ。どのみち確かめなきゃなんねえな?」

「ルカ?」


 俺は帝都にそびえる巨大な建造物、帝国城塞へと目を遣った。


 既に空は薄暗く、さらに黒い煙を城塞の煙突から空に向かって吐き出している。


 夜より黒い城、それが帝国城塞なのだろう。

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