一粒の麦もし死なずば

 1932年3月5日。

カリフォルニア工科大学のモーガン研究室―モーガンは1928年にコロンビア大学から弟子と共に移籍したーは朝から騒然としていた。

ヴィクターは扉に手をかけたまま、顔に戸惑いの色を浮かべる。

「どうした?今日は何だか騒がしいな」

「あ、ブリッジス博士!ペンシルヴァニア大学からウッズホールへ来ている、日本人のカツマ・ダンはご存知ですか?」

「ああ、ウニの帯電性を研究しているという。直接話したことはないが」


 困惑するヴィクターの前に学生が新聞を勢いよく差し出す。

「彼の父が暗殺されたんです!!今日の新聞に載っています、ほら、ここ!男爵バロン・ダン。マサチューセッツ工科大学の卒業生でミツイ財閥の実業家ですが、過激思想の青年にピストルで撃たれたと!!」

「え⁉今日本の世情はそんなに不安定なのか⁉そして彼はそんな大立者の息子だったのか?」

「カツマはいたって気さくな若者ですけどね。でもそういえば一度、父の知人だという富豪に専用モーターボートでウッズホールへ送り届けられてきて、我々の度肝を抜いたことがありましたっけ」


 ヴィクターはその夏ウッズホールに姿を見せたカツマ・ダンに言葉をかける。

「お父上のことは気の毒だった。MITの卒業生だと聞いたが」

「はい、父は最近体調が優れなかったので、留学を決めた時に覚悟はしていました。さすがに暗殺までは予想していませんでしたが……日本は暗い時代に入ってしまったようです」

眼鏡をかけた小柄な若者は固く沈んだ表情で語る。それから少し口元を緩めた。


 「父は14歳で留学生としてアメリカに渡り、MITで学びました。その頃の事は父にとって大切な思い出だったようです。そういえばウッズホールで学んだ日本女性、亡くなられたミス・ツダも当時7歳で、父と同じ船に乗っていたそうですよ」

「え……⁉モーガン博士と共著論文のあるミス・ウメ・ツダのことかい?」

「彼女をご存知なのですか?」

「ああ、知っている。私よりずっと優秀だった。モーガン博士は彼女が生物学の世界を離れたことをずっと惜しんでいたよ」

「そうなのですか!!驚きました。彼女が創設したツダ・カレッジは英語教育で高い評判を得ている女子大学です。それはミス・ツダが引退し、亡くなった後も変わりません。日本女性の名前はChildを意味する「子」が最後に付くことが多いので、正式な名前を「ウメコ」に変えられたようですね」


 「そうか……お父上とミス・ツダは同じ船でこの国に。何という奇縁なのか」

「彼女は国が多額の費用をかけて留学させてくれたのだから、日本の女性の為に役立ち、恩返ししなければならないと言っていた。同時に、意思を通すことを望むならば周りの全ての人に満足してもらうことは不可能だとも。お父上もきっと、そのように一途に生きられたのだろう」

「……温かいお言葉、ありがとうございます」

黒髪黒目の青年は俯く。

(ああ、君と同じ色彩だ。黒絹の髪、黒玉ジェットの瞳。この若者も、彼の父もきっと。ウメ。君は既に世を去ったのに、またこんな風にその名に出会うとは……)

ヴィクターは内心で呆然と呟く。



 翌年1933年。アルフレッド・ノーベルの生誕百周年。

トーマス・ハント・モーガンは遺伝学の業績でノーベル生理学・医学賞を受賞した。

受賞報道のためにカメラマンが要求した肖像写真を撮るのを嫌がり、新聞紙面には庭でご近所の少年たちわんさかに囲まれた眼鏡の老人の写真が載ることになった。

型破りだったのはそれだけではない。受賞記念講演は元々予定していた翌年のスウェーデン旅行まで延期し、単独受賞の賞金を自分と共同研究者の子ども達に山分けした。

スウェーデンへ出立前に滞在した友人宅で1865年のブランデーでもてなされ、「ぴったりだ。卵としての私は1865年に生命をうけたのです」と語った。

何時如何なるときでもモーガンはトーマス・ハント・モーガンだった。

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