盾岸盾奈はネトゲの戦友

すめらぎ ひよこ

第1話 寝ぼけてゲームの技を叫ぶ女

「クソッ、邪竜ラグナロクめ……!」

 獣人の魔法剣士ブラストは、弱々しく膝をついた。

 HPバーは赤く点滅し、瀕死であることを告げている。


 邪竜ラグナロク。最強と名高いドラゴンには、生半可な攻撃は通用しない。


「諦めるな、ブラスト!」

 大柄な女騎士が、ブラストと邪竜の間に割って入った。その騎士の手には、それぞれに大盾が握られている。大盾の二刀流だ。


 ブラストは憧れの戦友の背中を見て、目に光が戻る。


「私がやつの攻撃を受け止める。その間に、お前の一撃を食らわせてやれ!」

「シルディア、君がいれば……!」


 大盾騎士シルディアは、両手に持つ大盾を掲げる。

「《キャッスルウォール》ッ!」

 そう唱えると、二つの大盾がまばゆい光を放ち始めた。


 光を纏う大盾が、邪竜の凶悪なブレスを弾き返す。


「今だ、ブラストッ!」


 シルディアが邪竜の攻撃を受け止めている隙を狙い、ブラストは魔法を唱える。

 発動までに時間はかかるが、その分ダメージが強力な魔法だ。


 ブラストは剣を天高く掲げ、詠唱する。


「《黒炎のブラックフレイム――


 * * *


「《黒炎の裁きブラックフレイム・ジャッジメント》ッ!」


 授業中、寝ぼけてネトゲの技を叫んでしまった黒森くろもり炎太えんたは、平穏な学校生活が終わったことを確信した。


 教室が笑いに包まれる。


「僕の……平々凡々な学校生活が……」

 空来からき高校の二年生、平々凡々男子、黒森炎太は嘆いた。


 その一方で、授業は淡々と進む。


「そうだな黒森炎太、このとき主人公は『黒炎の裁きブラックフレイム・ジャッジメント』と思ったに違いない。鋭い考察だ、あとで職員室に来い」

 先生は無精ひげを撫でながら言った。現代文の教科書で顔は隠れているが、怒っているのは静かに伝わってくる。


「すみません、早退しまーす」

 説教、確定。

 逃走、推奨。

 炎太は荷物を置いたまま、教室のドアを開けた。


「待て待て、からかって悪かった、すまん」

 現国教師はようやく炎太に目を向け、からかったことを謝罪する。


「お前には言っておきたいことがある、席に戻れ」

「…………」

 その真剣な顔を見ると、炎太は羞恥を受け入れて席に戻るしかなかった。


 炎太は自分の席への道すがら、ちらりと教室のとある席に目を向ける。


 学年一の清楚美少女である姫野ひめの真白ましろが笑っていなかったという事実が、かろうじて本当に帰宅するのを思いとどまらせていた。


 ただ、苦笑いではあったので、いっそのこと思いきり笑ってくれた方がよかった気もしていた。


「……それで、言いたいことって?」

 席に戻った炎太は、気恥ずかしくて目を逸らしたまま尋ねた。


「《黒炎の裁きブラックフレイム・ジャッジメント》は瞬間火力が高いだけで、継続的な戦闘においてのダメージ効率は悪いぞ。エフェクトが派手で、宴会芸にはなるがな。俺のダメージ検証によると――」

 眼鏡をくいっと直しながら、先生は言った。


「ロマンがあるからいいんですー!」

「ロマンで敵は倒せないぞ?」

 ガチ勢とエンジョイ勢が出会うと、こうなる。


 しばらく睨み合いが続いたが、授業の中断を気づかせるように、姫野真白が咳払いをした。


 二人はハッとし、自分を落ち着かせるように深く息をする。


「ともかく、ゲームにかまけて授業中に寝るな」

「その点につきましては、本当にすみませんでした……」

 炎太は深々と頭を下げる。

 悪いのは自分だ。

 授業中に寝ていたあげく、寝ぼけて叫び、授業を中断させてしまった。


「ったく、俺を見習え。徹夜で大型アプデ(※)の攻略情報をまとめてたってのに、眠気ひとつないぞ?」

※大型アップデート:多くのコンテンツが追加され、全プレイヤーのテンションが爆上がりする。


「じゃあ教卓のそれ、何なんですか?」

 炎太は、教卓に置かれたエナジードリンクの缶を指さす。

 それは先生が無理やり目を開けているだけだという証拠だった。

 むしろそんな回りくどいことをしなくても、鏡を見せれば一発な気もする。


「何って……水だが?」

 はて、と不思議そうな顔をした。

 かっぴらかれた目は充血しており、で縁取られている。


「そんなブラックライトで光りそうな水があってたまるか! 授業中にエナドリ飲むな!」

 ビタミンB2が光るらしい。


 眠気なしの正体を看破されたというのに、先生は動じない。


「ンなことより……」

 それどころか、パッキパキの目をすっと横にズラし、炎太の隣の席を見た。


 炎太も視線の先を追う。


「うおッ……」

 驚きと恐怖が同時に口から漏れ出た。


 そこには、目をかっぴらいたまま微動だにしない女子がいたからだ。


「隣の盾岸たてぎし盾奈じゅんな、お前は目を開けたまま寝やがって。おい、起きろ」


 盾岸盾奈。

 愛嬌のある顔立ちに似つかわしく、気さくな性格で友達が多い。

 肩に掛かるほどの髪は少しボサついており、男女問わず目を惹く健康的なスタイル。

 起きていれば元気な子だが、今は静かに眼球を乾かしている。


 炎太は隣の席なのでたまに言葉を交わしているが、深い仲ではない。姫野真白と仲がいいことだけは知っている。


 それと……。


「何でも屋じゅんな……」

 何かにつけて人助けをしている。荷物持ちやら、探し物やら。炎太自身も、日直の仕事を手伝ってもらったことがあった。


 いい子だが、ちょっと変わっている。


 そんな盾奈のカッピカピに乾燥した目が、かすかに揺れた。

 続いて、唇も動き始める。


「《キャッスル――……」


 そして、えた。


「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオル》――ッ!」

 盾奈は勇ましく立ち上がり、両腕を掲げて叫んだ。


 咆哮が校舎を揺るがす。

 クラスメイトは言葉を失い、他教室は混乱を極め、辺り一帯の鳥は逃げ、近所の犬は吠え始めた。


 驚天動地は間もなく一転、世界は静寂に包まれる。


 しばらくして状況を把握した盾奈は、掲げた両腕で顔を隠す。


「きゃ、きゃっする……ぅぉ~る……」

 もう一度、消え入るような声で唱えたが、もちろん《キャッスルウォール》が発動することはなく……。


「お前もあとで職員室な?」

「すみません、早退しまーす」

 盾奈は荷物を置いたまま、すぐ隣の窓を開けた。


「盾岸さん、そこ窓! ここ三階!」

 炎太は盾奈の肩をひっつかまえ、窓から帰宅しようとするのを必死に阻止する。


「大丈夫、わたし《聖鉄の加護(※)》授かってるから!」

※聖鉄の加護:ダメージ軽減効果があるが、現実では発動しない。


「落ち着いて、盾岸さん! ここ、ゲームじゃないから!」

 窓から引き剥がそうとするが、炎太は力負けしそうだった。本当に何かが発動しているのかもしれない。


 そして炎太は違和感に気づく。

「……ん?」


 《キャッスルウォール》は、自分がプレイしているゲームの技だ。

 だがそれは、盾を強化するスキル。普通ならば、盾は片手に装備している。掲げられるのは、片腕のはず。

 つまり、両腕を掲げた盾岸盾奈は、両手に盾を持っていることになる。


 炎太には、両手に盾を持つ大盾騎士に心当たりがあった。


 それと同時に、盾奈もあることに気づく。

「……って、あれ?」


 盾奈の顔は急にキリッとなり、声は凛々しい調子に変わった。


「その声は、我が戦友――ブラストではないか?」


 声を聞き、炎太は確信する。


「その声は、我が戦友――シルディアではないか?」


 ゲームの外で、ブラストとシルディアが出会った瞬間だった。

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