#57 これでよかった
ジョードを村から逃がしたあと、リーシャは銃を持って村の中心へ向かった。
残る短剣使いはあと4人。彼らがラインハルトを殺す前に、仕留めなければならない。
遠くから観察すると、ラインハルトは村民を集めて集会所に籠城しているようだった。
(上から狙うか……)
荷車を足場に納屋に登り、納屋から民家の屋根の上にリーシャは上がった。集会所を見張れる位置だ。
見張りをしている近衛兵に見つかると面倒なので伏せて銃を構える。
雨に濡れた瓦が冷たいが、死ぬほどではないので我慢するしかなかった。
(そう時間はかからないでしょう……)
最初からラインハルトは罠の可能性を理解していた。援軍の手配はしているだろう。
それは当然、裏切り者のカディル・ケセリを通じて短剣使いたちにも知られているはずだった。彼らは時間をかけられないのだ。
(雨のせいで放火はできない。逃げ遅れた村民を人質にする? でも将軍はそれじゃ動かないわ……)
ラインハルトは戦争慣れしている。卑怯で残酷な状況には慣れっこだろう。
彼は親しい人間には優しいが、それ以外は冷酷に切り捨てる覚悟もある人だった。だからリーシャとタマルだけを別に避難させた。
(私なら退却一択だけど、彼らはどうかしら……)
答えはすぐに知れた。暗殺者たちは赤ん坊と若い娘を人質にして集会所を訪れ、ラインハルトを罵った。
(分の悪い賭けに出たわね。人質ごと撃たせたら将軍は無傷で勝利よ)
だがラインハルトは撃たせることなく集会所から出てきた。代わりに近衛兵のほうが怒り狂ってあまり統制が取れていない。仲間が数人、死んだのかもしれない。
ラインハルトが背後に隠した手で回り込むよう命じたのに気づいたのは、リーシャの義兄であるセディクだけだった。
(お義兄様……単独行動で冷静に判断できるのかしら)
案の定、彼は刺客が別の民家の屋根に潜んでいることに気づかず、そばを素通りした。
(お義兄様、上、上)
頑張ってリーシャは義兄に念じたが、彼に届くことはなかった。
仕方ないのでリーシャは義兄の代わりに刺客を撃ち殺した。
胸に当たって彼は屋根から転がり落ちた。
空から降ってきた刺客の死体に近衛兵たちは驚き、ざわついている。練度が足りない。
ラインハルトは屋根の上を気にしていたので刺客の存在を予想していたようだが、怪訝そうなところを見るにセディクが撃ったとは信じられないようだった。
当のセディクは銃声に驚いてきょろきょろしている。周囲を気にするタイミングが遅い。
(残り3人……いえ、ジョードは1人は女性だと言っていたわ)
裏切り者であり通訳でもあるカディル・ケセリの他に4人いるとジョードは言ったのだ。
リーシャからは見えない位置に潜んでいる可能性はあるが、ラインハルトたちは刺客の中に女がいるとは思っていないはずだ。その優位を最大限に活かすなら――。
(あの人質、ひょっとして……?)
長い髪と宗教上の装具である頭巾で顔が隠れているので判別できない。
(だから人質なんか助けようとせず、まとめて撃ち殺すべきだったとなってしまうわね……)
どちらにしろここからは狙えないので、リーシャは屋根から下りると義兄とは反対方向から回り込んだ。うっかり銃を持って近づいたら、緊張で張り詰めた義兄に誤射されかねない。
走りながら、リーシャは惑った。
(どうしてハサンが人生をかけて作り上げた短剣使いを殺そうとしてるのかしら……)
夕食を持ってきてくれた日から、ハサンは暇さえあれば母親の目を盗んでリーシャのところへやってくるようになった。
母は気の向いたときはハサンを可愛がるが、気が向かないときは邪険にするので、ハサンは幼心に混乱し、変わらぬ愛情を注いでくれる相手を求めていたのだ。
リーシャを見つけると満面の笑みで、全速力で駆けてくる弟が可愛くて仕方なかった。
城砦の周囲に出かけては、リーシャは小さな動物を捕まえる罠の仕掛けや、食べられる植物の見分け方をハサンに教えた。生き抜くための助けになるように。
自信をなくしているハサンを出来るだけリーシャは褒めちぎった。頭の良い子で、ハサンはリーシャの言うことをよく吸収した。
『あねうえみたいに、いつかぼくもなれる?』
『……なりたいの?』
『うん。りっぱなたんけんつかいになって、ちちうえにほめられたい』
はにかんでハサンは笑った。
あのとき、短剣使いは悪だと教えるべきだったろうか。
だがルザール派全体が短剣使いを「死を恐れぬ戦士」と称える中、ハサンにそんなことを教えたらどうなったか――。
(過ちを、今度こそ正さないと……)
人質の女は案の定、ラインハルトに襲いかかった。
狙いを定めてリーシャは彼女を撃ち殺した。
彼女は「白い悪霊」の後継者になるはずだったとジョードは言った。だがあまりの出来の悪さに山の長老は激怒し、実戦に出すことは決してなかったという。
山の長老が危篤の中、なんとしてでも将軍暗殺という成果を出したいと、彼女は最初で最後の仕事に臨んだのだ。
リーシャには過去の自分を撃ち殺したように感じられた。だからそこまで抵抗はなかった。
撃たなければラインハルトが殺されていたから。
だが――。
(ハサン……)
赤ん坊を人質にする最後の一人を、リーシャは撃てなかった。
弾を込めて狙いを定め、あとは引き金を引くだけだったにも関わらず――。
(大きくなったね……)
イルハン朝の征西軍がアラムート城砦に攻めてきた夜、リーシャは泣いて嫌がるハサンを任せ、数人の女たちと脱出させた。
ハサンを見たのはそれが最後。あの子はまだ五歳だった。
リーシャには想像することしかできなかった大きくなったハサンが、そのままそこにいるようだった。
彼がアリ。血の繋がったハサンの孫だ。
アリは怒りと憎悪に顔を歪めてリーシャを睨んだ。
(当然の反応ね……)
無意識にリーシャは微笑んでいた。向けられるのが殺意だけでも、とても大事だったあの子の痕跡を目にして、偽りのない嬉しさがあった。
「殺すなら私にして」
彼らが殺しでしか存在を証明できないのなら、人質の赤ん坊やラインハルトではなく、すべての元凶であるリーシャこそがそうされるべきだった。
祈るような願いが届いたのか、アリは赤ん坊を盾のように構え、短剣を振り上げてリーシャに突進した。
「なにしてるんだ、撃て!!」
ラインハルトの怒号にもリーシャの体は動かなかった。心が静止していた。
――終わらせたい。
このまま呪いが続けば、いつかリーシャは本物の怪物になる。その自覚があった。
何もかも憎んで滅ぼしたくなる日は必ず来る。でもそうなりたくない気持ちも、確かにあるのだ。
この命でアリを止められるなら、有効な使い道だった。
「死ね……っ!!」
最後までリーシャは目を閉じず、アリを見ていた。ハサンによく似たその顔を。
見上げた拍子に帽子がずり落ち、髪がこぼれる。その色を見て、アリの動きが一瞬止まった。
「銀の……」
銃声がした。
アリの利き手がわずかにえぐられ、うめいて彼は短剣を落とした。
駆け寄ろうとしたリーシャの目の前で、アリの胸からサーベルが生える。
息を切らしてサーベルごとアリに体当たりしたラインハルトは、力任せにアリの体を切り裂いた。
大量の血が吹き出して、一部がリーシャにかかる。
アリは最後にリーシャを見た。助からないと察したのだろう。彼は差し出すように、人質の赤ん坊をリーシャに押しやった。
リーシャは赤ん坊を受け取った。ぐったりとした赤ん坊はむずがるように弱々しく泣いている。
「リーシャ――」
セディクが駆け寄ってくる。撃ったのは彼だ。ラインハルトはリーシャではなく、セディクに撃てと命じたのだ。
リーシャの手から赤ん坊をひったくって、ラインハルトはセディクに押しつけた。
「え、これ、どうすれば……」
「知らん。あやせ」
困惑するセディクに無情に言い放ち、ラインハルトはリーシャを抱き上げると道の隅へ連れて行った。彼は
リーシャを下ろすと、ラインハルトは膝をついてリーシャの顔をのぞきこんだ。
「怪我してない? 短剣でどこも切られてないね?」
ラインハルトはリーシャが毒のついた短剣で傷を負ってないか危惧していた。かすり傷でもラインハルトは死にかけた。リーシャなら助からないだろう。
念の為、リーシャは自分の身体をあらためた。小さな傷なら気づいていないだけの可能性もあったが、大丈夫そうだ。
リーシャが頷くと、ラインハルトは手袋をした両手でリーシャの頬を包んで叱責した。
「無茶ばっかりして……っ、母上と一緒に居てと言っただろう? 死んだらどうするつもりだったんだ!?」
大声を上げる将軍をリーシャはぼんやり見返した。それでもよかったとは言いづらい雰囲気だ。
(そうか。この人、私のこと大事に思ってるんだ……)
遅ればせながらリーシャはそのことに気づいた。
きっとリーシャが死んだら、この人は深く傷ついて悲しみ、苦しむのだろう。
母を殺されたときや、親友が自分をかばって死んだときのように。
「……ごめんなさい。思慮が足りませんでした」
自分の命をゴミのように思っていると、誰かにとっては大事なこともあるという事実をつい忘れてしまう。
「それでもあなたを助けたかったんです。……友人だから」
前世でリーシャはハサンが何より大事だった。でもその人生は終わった。
今の人生でリーシャが守りたいと思ったのはラインハルトだ。彼もまた怪物になることを恐れ、生まれたことを呪いだと言ったから。
彼も自分の命なんかどうでもいいんだろう。だから平気で自身を囮にするのだ。
リーシャと違ってラインハルトの命は一つだけだから、無駄死にさせてはいけないと思った。ましてハサンに、たかだか営利目的で殺してほしくなかった。
「……っ、無事でよかった」
震える手でラインハルトはリーシャを抱きしめた。大事に思われているのがわかっても、申し訳ない気持ちになるばかりだった。
(あなたを殺そうとしたのは、私の弟なんです……)
そっとリーシャはラインハルトの背中に手を回した。
「……ライネさんが無事でよかったです」
心からリーシャはそう思い、ほっとした。
誰かを大事に思ううちは、怪物にならずにいられるから。
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