#55 花は怪物



 雨が降る間、リーシャはタマルの家の軒先でジョードから情報を引き出した。

 実際のところリーシャはジョードの降伏を疑っており、油断を誘うための演技と考えていたが、ジョードはリーシャの質問によどみなく答え、返答に矛盾したところもなかった。


「……どうして降伏したの?」


 優先すべき情報をすべて聞き出しても、まだ雨が降っていたのでリーシャは尋ねた。

 雨の間は短剣使いもラインハルトも動かない。吹き矢も銃も大きく性能を落とすからだ。


「降伏しなければ殺す気だったでしょう」


 リーシャとジョードは同時に銃を見た。ジョードが降伏を翻し、いつ襲ってきても返り討ちにできるよう、リーシャは銃を常に撃てるようにしていた。


「将軍だってあなたたちを殺す気よ。でもあなたは降伏しようとはしてない」

「将軍は人間ですからね。まだ付け入る隙がある」

「私は怪物にでも見える?」


 ジョードの怯えた目が答えだった。


「……勘がいいのね」


 傷ついたりはしなかった。隠しきれなくなっているのだと、ぼんやり思っただけだ。


「そろそろ止みそうね」


 軒先から手を伸ばして、リーシャは雨脚が弱まっているのを確かめた。西の空の雲は切れている。雨はまもなく止むだろう。

 そして最後の殺し合いが起きる。

 リーシャはジョードを振り返った。


「あなたは帝都に戻りなさい。帝国から逃がしてあげる。明日までに妹たちに荷造りをさせておきなさい」


 ジョードによると、妹といっても血の繋がりはないそうだ。過酷な暗殺訓練で大勢の子供が死に、山の長老ことハサン・フルシャーは手当たり次第に孤児を引き取るようになったらしい。

 少年たちは暗殺者に、少女たちは売春婦に。何人もの死者を出しながら、ルザール派の末裔はそうして生き延びてきた。

 リーシャを恐れ、自ら短剣使いを裏切りながら、ジョードは苦しそうだった。


「アリたちは……」


 残る暗殺者は4人。仲間の情報すらジョードはリーシャに売った。


「説得できると思うなら行ってもいいけれど。できなければ、あなたごと殺すしかないわ」


 ジョードは目を伏せた。説得は不可能だと理解しているのだろう。

 幼い頃から刻み込まれた洗脳は、説得なんかで簡単に解けたりはしない。まして裏切り者が何を言っても逆上させるだけだろう。

 悔しそうにジョードは拳を握りしめた。


「……ペルシアの短剣使いは英雄だった。悪の宰相ハンシャーフを討とうとするも叶わず、アラムート城砦で悲劇の全滅を遂げた。彼らが成せなかったことを俺達が成すんだと言われて、誇らしかった。山の長老の期待に応えたかった。そのためなら死も厭わず戦う戦士になれると思ってた……」


 ハサン・フルシャーが作り上げた短剣使いは、今日、全滅する。

 ジョードが裏切っても裏切らなくてもそれは変わらなかった。死体がひとつ増えるかどうかの違いだ。

 彼もそれを理解しているから、妹たちは逃がしたいとリーシャに降伏したのだ。


「……もう行きなさい。ぐずぐずしていたら将軍を助けに援軍が来るわ。こうなったのはあなたたちのせいじゃない。……指導者が道を間違えたの」


 援軍とはちあわせないよう、リーシャはジョードに川の上流に向かうよう指示した。

 泣き出しそうな顔をしながらジョードは頷き、村を出るため走っていった。

 その背を見送りながら、リーシャは打ちのめされていた。


(ハサンが道を間違えたのは、私のせい……)



◇◆◇



 リーシャには自分が怪物化している自覚があった。

 人を殺しても何も感じないのだ。

 繰り返す転生の影響で、リーシャにとって命の価値はなくなっていた。

 自分が死んでもどうでもいい。また生まれ変わってしまうから。

 他者についても、いつしかそう思うようになってしまった。


 世界から竜が消えて、呪いはもう解けない。どうして呪われたのかもわからない。

 そんな状況の中で、リーシャには疑念が生まれた。


 ――本当に転生しているのは、自分だけなのだろうか?


 実はすべての人間が転生しており、その自覚がないだけだとしたら。

 記憶の継続だけがリーシャの特異性だと考えたほうが、リーシャだけが転生している説より可能性は高いように思われた。

 どんな仮説も、否定も肯定もする根拠がないため、すべてはリーシャが何を信じるかだった。


 人を殺しても、また生まれるような気がするから躊躇や後悔を持てなかった。

 もし他の人間は転生せず、何もかもが終わって無になるのだとしても、それはそれでリーシャがずっと求めているものなので、ただ羨ましいと思うだけだ。


(私……たぶんもう、正気じゃないのね)


 転生を繰り返すたび、精神がすり減っていくのを感じていた。人として失ってはいけない倫理観すら保てなくなっている自覚があっても、もうどうにもならなかった。

 呪いをときたい。もう転生したくない。

 竜がいない以上、確実な手段はもう一つだけだった。

 人類を絶滅させるしかない。


 短剣でちまちま人殺しする程度では到底絶滅には及ばないが、人殺しの経験を積むのは有益だった。人殺しの集団を作るのも難しくはなかった。

 短剣使いを育てたのはルザール派の指導者である父・ルクン・ディーン・フルシャーの意向だったが、リーシャにとってはただの実験的試みにすぎなかった。


(次は戦争の起こし方でも学ぼうかしら……)


 ルザール派の拠点、アラムート城砦の自室から外を見ながらリーシャは考えていた。

 リーシャの寿命は残り数ヶ月だった。同時に東の帝国、イルハン朝イルハーナンが領土拡大のため西への遠征を始めていた。

 リーシャは一度だけ父に忠告したが、ここまでは来るまいと父は事態を軽視していた。危機が迫れば短剣使いを使って、遠征軍の将や幹部を暗殺すればいいと短絡的に考えているようだ。大軍相手の暗殺は容易いことではなかったが、父が理解しないならリーシャに説明する気はなかった。


 眼下に広がる城下町は美しい。荒地の中に建つアラムート城砦は水源を持っているので、自給自足のために付近では水路が引かれ農耕が行われている。

 悪の宰相ハンシャーフに迫害を受けた人々が集まり、作り上げた町だ。この場所で働きながら、人々はいつか短剣使いがハンシャーフを倒し、国全体を良い方向へ導いてくれることを願っている。


(例えばここが攻め込まれ、火の海になったとして……)


 できるだけ詳細にリーシャは想像してみたが、感慨はわかなかった。歴史の中ではそういうことも起きるという諦観だけだ。怒りや憎悪どころか、もしそれで呪いが解けるなら、自分が彼らを皆殺しにすることも厭わないだろう。


(私が人類の脅威になったら……転生が止まらないかしら)


 動物には脅威を排除しようとする本能がある。そうした防衛本能が高まれば、脅威となるリーシャの出産そのものが阻まれないか――と考えたが、そんな機能があったら歴史に大量虐殺者はいないだろう。


「あの……あねうえ」


 小さな声に振り返ると、リーシャの弟ハサン・フルシャーが扉から不安そうに顔を出していた。まだ五歳にも満たない子供で、リーシャを嫌う母親の意向で話したことはほとんどない。


「ハサン。どうしたの?」


 扉を開けると、弟は小さな両手をぷるぷるさせながらトレーを持っていた。


「ごはん……」


 トレーに乗っていたのは大麦のパンにチーズ、革袋に入ったぶどう酒という簡素な食事だった。リーシャは母親に忌避されているので、家族と食事を摂ることはない。

 普段から食事は部屋に届けられるので一人で食べているが、今日は他の人間の都合が悪かったのだろう。


「持ってきてくれたのね。ありがとう」


 リーシャが屈んでトレーを受け取ると、ハサンは興味深そうにリーシャの部屋をのぞきこんだ。


「入る?」


 扉を開けて招くと、おそるおそるハサンは入ってきた。珍しいものは置いていないが、初めて入る部屋は子供にとっては未知の遊び場のようなものだろう。


「おはな」


 ハサンは窓際に置かれた無数の鉢植えに近寄った。紫色の花を物珍しそうに見つめている。

 夕食のトレーをテーブルに置くと、リーシャは後ろからハサンを抱え上げた。


「見るだけね。この花は毒があるから」

「どく?」


 花の名はシラーン・カシュト。意味は「ライオンを殺すもの」。これから精製された毒はウズと呼ばれ、短剣使いが暗殺に使う。


「……触ると痛くなったり苦しくなったりするの」


 純真無垢な子供に、人を殺す植物だとは言いづらかった。リーシャの説明にハサンは悲しそうな顔をして花を見つめた。


「きれいなのに……」


 ハサンは美しいのに人を苦しめる毒を持つ花を憐れんだ。子供特有の純粋な優しさに、なぜかリーシャは自分が憐れまれたように感じた。


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