#31 亡き人
「姫、泣き止んだ? 気分は?」
「……泣きすぎて頭がぼーっとします」
ラインハルトは苦笑した。
「あれだけ泣けばね」
野外劇は幕引きとなり、ほかの客たちは「面白かったね」と言いながら帰っていった。号泣していたのはリーシャだけだ。
「気分転換にデザートでも食べに行かない? 姫でも食べられる甘くないおやつを探しに行こう」
「おやつより、お茶が飲みたいです……」
泣きすぎて喉がカラカラだった。
「よしきた。歩きたくないなら抱っこしようか?」
ふざけてラインハルトは両手を伸ばした。本当に歩きたくなかったので、リーシャは恥も外聞も捨てて抱っこしてもらった。
「……姫、大丈夫?」
自分で提案しながら意外だったようで、ラインハルトは本気で心配し始めた。
「竜が死んでしまって悲しいので何もしたくありません」
「そうか。その気持ちはわかるよ。俺も戦争で親友が死んだとき、同じ状態だった」
よしよしとラインハルトはリーシャの背中を撫でた。
その手が心地よくて、リーシャは泣き言をもらした。
「竜に会いたいです……」
「うーん、さすがに俺でも竜にはツテがないな。――そうだ」
良いことを思いついた様子で、ラインハルトはリーシャにささやいた。
「いつか姫に竜遺物を見せてあげるよ」
竜を唯一殺すことの出来る武器。竜から創られる、竜の遺産。
リーシャは体を起こしてラインハルトを見た。
「竜遺物? 本物ですか?」
「――と、言われてる。建国王エルトゥールが夢で託宣を受け、手に入れたとされる伝説の剣だ」
「……それは皇帝陛下が受け継ぐ帝位の象徴なのでは」
皇帝の息子であるラインハルトでも簡単に持ち出すことは出来ないものだ。誰が次の皇帝になるか定まらず、皇子たちが競い合っている中では特に悪い憶測を招きかねない。
「儀礼用だし、普段はどこかの保管庫にあるはずだから、見学できないか聞いてみるよ。確約はできないけど、見るくらいならなんとかなるだろ。……だから元気だして、姫」
リーシャの背中を撫でながら、ラインハルトは優しく笑った。
こくりと頷いて、リーシャはラインハルトの腕から下りた。
(竜が消えても竜遺物が残ってる……)
リーシャには小さな希望が見つかったように思えた。
屋台でラインハルトはたくさんの甘いものを買い込んだ。バクラヴァ(薄い生地を何層にも重ねてナッツなどの餡をはさみ、甘いシロップをかけたお菓子)、シミット(丸い形のゴマをふりかけたパン)、レヴァニ(シロップのかけられたスポンジケーキ)。甘いものが豊富なのは帝国が豊かなしるしだ。
リーシャは甘いものが苦手なので、お茶だけでいいと言うと、ラインハルトは焼き栗とトウモロコシを買ってくれた。トウモロコシは食べ切れる気がしないので、ラインハルトに食べさせよう。
大きな容器を背負ったお茶売りからお茶を買うと、二人は屋台が並ぶ広場から離れ、公園の奥のベンチに座った。
お茶を飲んで喉をうるおすと、リーシャはラインハルトに尋ねた。
「……亡くなったのは、一緒に帝都で遊んだと言っていた友達ですか?」
「うん? どうしたの、姫」
「さっき、親友が死んでしまったとき何もしたくなくなったと言っていたので」
打ちのめされるほど親しい友人を亡くしたのだと察すると同時に、リーシャは思い出していた。身分を隠して一介の軍人として生きていた頃、休みのたびに一緒に遊び倒した悪友がいたとラインハルトは言っていたのだ。
大量の甘いものを腹に消して、少しだけ寂しそうにラインハルトは頷いた。
「……北の前哨基地に入隊した時の同期でね。俺は年をごまかしてたから向こうのほうが4つ年上だった。あの頃、俺は余裕がなくて誰も彼もに噛みついてたから問題児扱いで、そいつ――シドがお守りを押し付けられてた。小言を言われるたび反発して、あっちも怒ってよく殴り合いのケンカになったよ。いつも俺が負けてたけど、おかげでよく鍛えるようになったし、毎日苦しくなるまで食べてたらこんなに大きくなった」
ラインハルトの隣でリーシャは笑った。
「ライネさんが大きくなれたのは、その人のおかげですね」
「そいつの母君がとても良い人でね。身寄りのない俺のことを心配して、家に招いては食事をごちそうしてくれたんだ。俺の母は家事なんかしない人だったから、普通の家の母親ってこんな感じなのかと興味深くて、温かく迎え入れてくれるのが嬉しくてね。料理もおいしかったからいつも褒めてたら、ある日シドが激怒して『母を口説くな!』って二度と家に入れてくれなくなった」
吹き出しそうになるのをリーシャはこらえた。
「どんな褒め方をしたんですか」
「母直伝の女性への賛美を言葉の限り尽くしただけだよ」
「それは息子さんが怒るのもわかります」
「父親を早くに亡くして、母一人子一人で生きてきたせいか、なおさら自分が母親を守らないとと思ったみたいだ。ただ俺は当時はそういう感覚に疎くて、母君がどんなに素晴らしい人か、優しくて好きか力説したら……逆効果になった」
「よく友情が崩壊しませんでしたね……」
「当時は意味がわからなくてさ。母は後宮に入る前、どんなにモテたか自慢する人だったし、女性を褒めない男は最低だって言われて育ったから、本当に良かれと思ってたんだ」
なんて悲しいすれ違いだろう。
「口もきいてくれなくなって、さすがに落ち込んでたら先輩たちが話を聞いてくれて、女性への付き合い方を学んだほうがいいって街に連れて行かれたんだ。俺の褒め方が変なのかなって女性たちに聞いてもらったら――すごくモテた」
リーシャは額を押さえた。たぶん彼らは忘れてたんだろう。ラインハルトが度を越した美形であると。
「みなさん、後悔したでしょうね……」
「後宮で女中たちにチヤホヤされるのに慣れきってたのが余計によくなかったみたいだ。俺をめぐって女性たちで争うようになっちゃって――でも俺は女性だらけの後宮育ちだったから、そういうのも普通だと思ってて、火に油を注いじゃってね。後宮と違って、誰が俺を手に入れるかで熾烈な争いが起きたんだ。恋人はいないとか、夫は死んだってウソまでつかれたりして、結構ひどい目にあった。俺を街に連れて行った先輩たちにも手のひら返されて、いびられるようになっちゃってね。見かねたシドが忠告しに戻ってきてくれて、休みはトラブルにならないように帝都まで出るようになったんだ」
「ライネさん……その美貌で小さな街を崩壊させたんですね」
「悪気はなかったんだよ」
甘いおやつを食べながら、あまり罪悪感もなさそうにラインハルトは肩をすくめた。
「シドは女を見る目がない上に、女運がなくてね。俺とつるんでるせいで、余計に不運な目にもあってた」
想像がついて、リーシャは眉根を寄せた。
「お友達の恋人がライネさんを好きになっちゃったり?」
「それを秘めてくれればいいんだけど、露骨に迫ってきたり、俺目当てでシドと付き合うような女にばかり引っかかってね。『その女はやめとけ』って言うとケンカになるし……本人は母君を安心させるために、早くいい人を見つけて結婚したがってたんだけど。……出征前に恋人の五股が発覚したのはさすがに気の毒で、戦争が終わったらいい女性を見つけて仲介してやるって言ったのに、叶わなくなっちゃったな」
目を伏せてしんみりと言ったラインハルトは本当に寂しそうだった。
軽食を片付けて、リーシャは立ち上がった。
「行きましょうか」
「え、どこへ?」
「ライネさんのお友達に、私も会いたくなりました」
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