#29 竜の姿


「賢竜エシャリアーデ! どうか祖国を救うため、お力を貸していただきたい!」


 滔々とうとうと響く役者の声と共に劇は始まった。

 古めかしい甲冑をつけた男が舞台の真ん中に立っている。

 ポスターの宣伝文によれば、劇は古代神話を元にした創作劇らしい。ベースになっているのは、放浪の騎士タッザハルトが賢竜の力を借りて困難を乗り越えていく英雄譚だ。


「俺のほうが美形じゃない?」


 ラインハルトが隣のリーシャに囁いた。


「代わりに舞台に立ちますか?」


 小声でリーシャは尋ね返した。


「姫の視線を独り占めするのは悪くないね」

「頑張って長ーい脚本の台詞せりふを暗記してくださいね」

「そんなことしなくても、悪そうなやつを片っ端から倒せばいいんだろう? 得意分野だよ」

「それじゃただの暴力鑑賞会ですよ……」


 涼やかな音楽とともに、客席の後ろから賢竜が登場した。


「去るがいい、人間! 人の世は人が導くが道理、いたずらに我が眠りを妨げるでない」


 竜は威厳のある声で英雄を拒絶した。

 誇り高く、人とは異なる姿。竜の演者はそれを表現していた。

 口が開閉する竜の被り物を纏い、鱗柄の大きな布をかぶって二人一組でうねうねと動く。不気味な動きと姿に客席がざわついた。


「思い切ったな……あれじゃサリマ教から苦情が入るんじゃないか?」


 竜はいくつもの宗教において古代に存在した神聖な生き物とされる。帝国の国教であるサリマ教でも同様だ。表現手法がコミカルすぎて冒涜していると判断されたら、正式な抗議が行われることも珍しくない。


「竜は……竜はもっと荘厳で美しいです」

「え、姫……泣いてるの?」


 スカートを握りしめてリーシャは「泣いてません」と否定した。


「ただの悔し涙です」

「泣いてるじゃないか」


 リーシャの胸中では葛藤がうずまいていた。表現の自由は大切だが、神秘的で厳然とした竜があんな姿にされるなんて。かといって野外劇を上演するような劇団なら資金不足だろうし、立派な舞台装置が作れなかったのも理解できる。

 ぐるぐると考えた結果、リーシャは結論を出した。


「あの竜が出てくるときは目を閉じておくことにします」


 視界に入れないのが一番だ。見てると腹が立ってくる。


「そこまで!? わかった、実況はまかせてくれ」


 幼児をなだめるようにリーシャはラインハルトに抱き寄せられて、ハンカチで涙をぬぐわれた。上演中は笛が吹けない上に、心情的にもそれどころじゃなかった。


「賢竜よ、どうか苦しむ民の声に耳を傾けて欲しい。邪竜は村を焼き、川を枯らし、人々を殺し続けているのだ。どうしてこれを見捨てられるだろうか」


 芝居は続き、放浪の騎士タッザハルトは切々と賢竜に語りかけた。


「竜の力を利用するものは、竜の報いもまた受けなければならない。あやまたない力などないのだ。わかっていてお前たちは竜を求めたはず。自国の竜が狂えばまた違う竜を求めるか。それはおごりというものだ、人間よ」


 ラインハルトはリーシャにささやいた。


「竜は口をカチカチさせて、体はくねくねさせている」

「竜はカチカチもくねくねもしませんっ」


 遠い遠い記憶をリーシャは思い返していた。鏡のように磨かれた金属の体に、深い湖のような瞳。竜は思慮深く、聡明で、愚かな人間を導いてくれる唯一の存在だった。あれほど美しい生き物はほかにいなかった。

 竜に仕えることがリーシャにとって誇りであり、救いだった。


「竜と国はどういう関係なんだろうな?」


 リーシャの頭を撫でながら、ラインハルトは劇の内容に首を傾げている。


「……この劇には、モチーフとなる英雄神話があるんです。それを知らないと理解が難しいかもしれません」


 古代、竜は人に請われれば国を守護した。竜の吐く息は魔法となり、国に豊穣と富をもたらした。


「竜の守護を得られれば、国は大きくなりました。ですが人々が竜への感謝を忘れ、竜の教えを破れば報いもあったんです。災害、病気、飢饉……竜は人々の善良さを映す鏡でもありました。放浪の騎士タッザハルトの祖国は、そうして竜の加護を失ったんです」


 罰がなければ人は簡単に堕落する。竜は決して人に都合の良いだけの存在ではなかった。

 ひとたび怒れば、やすやすと国を滅ぼすこともあった。でもそれさえ、人間の自業自得だ。


「……まるで神だね。見放されて人間は嘆き苦しみ、新たな神を求めても、拒絶されて救われない。なら竜になんか頼らず、人間同士で協力していくべきだと俺は思うけど」

「竜がいない世界のほうがいいんですか……?」


 呆然としてリーシャはラインハルトを見つめた。彼は困った顔で、あやすようにリーシャにささやいた。


「姫は泣くほど竜が好きだもんね」

「竜がいない世界はあまりにも残酷で……私には耐えられません」


 ずっと竜を探した。呪いを解けるのは竜だけだから。

 だがもう世界のどこにも竜はいない。だから呪いも解けず、リーシャは絶望しながら生きていくしかない。

 ラインハルトは大きな手でリーシャの頭を撫でてささやいた。


「それでも、生きてて良かったと思える日は必ずくる。竜がいれば何もかも解決するほど世の中は単純じゃないし、竜がいないことがすべての不幸の原因なわけでもない。……大丈夫だよ、姫。辛くなったら声をあげて。必ず助けるから」

(助けなんかいらないんです。私はただもう……終わらせたい)


 繰り返す転生に疲れ果てて、リーシャはただ終わりだけを求めていた。

 でもそれは、到底ラインハルトには言えなかった。

 彼には助けられないことだから。


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