#12 婚約式

 3月。リーシャの姉・ファトマの結婚が決まり、婚約式が公爵家で行われた。


「おめでとうございます、お姉様」

「ああ、リーシャ! あなたのおかげよ、ありがとう」


 美しく着飾ったファトマは感極まった様子でリーシャの頬にキスした。


「一体どうやって、お父様を説得したの?」


 魔法のからくりを知りたがるように、ファトマはリーシャを問い詰めた。


(不安がっている人に道筋を示す振りをして誘導しました。詐欺師の手口ですね)


 本音は言えないので、リーシャは微笑んで嘘をついた。


「クーアさんが良い人だと説明しただけですよ」


 はじけるような笑顔が消えて、ファトマは複雑そうな顔をした。


「あなたには感謝してるけど……セディクのことは好きにならないでね?」

(なんの心配をしてるんですか、お姉様……)


 呆れを顔に出さないよう気をつけながら、リーシャは本心から答えた。


「良い人だとは思いますが、私の好みじゃありません」

「そうなの? 本当に……?」


 気が抜けた様子で、ファトマはうかがうようにリーシャを見た。


「もう行ってください。主役が登場しないと始まりませんよ」


 二人の婚約を祝うため、夜会には親しい人々がすでに集まっていた。


「ありがとう。あの……あなたのことを今まで気にかけてあげられなくてごめんなさい」


 謝罪は心からのものだった。そもそも気にしていなかったが、彼女の誠意に敬意を払ってリーシャは受け入れた。


「クーアさんとお幸せに、お姉様」


 満面の笑みで、彼女は大広間へ向かった。

 

(幸せオーラが溢れ出てる……)


 今まで関係の良くなかった姉とはいえ、恋愛結婚にはしゃいで、飛び跳ねそうな後ろ姿を見ると可愛らしいと思う。

 とはいえ、二人の今後は前途多難だ。

 公爵は娘の我儘を受け入れたものの、現実を思い知らせようと、結婚後は一切援助はしないと宣言している。

 船の事業にセディクを引き込む案は見送られた。長女バルゼの嫁ぎ先であるヴェニスの商家に公爵は計画をすべて話してしまったのだ。

 商家は大変興味を示し、全面的に協力すると申し出てきたので、公爵はそちらと手を結ぶと決めてしまった。

 あちらの思惑は計画を横取りし、乗っ取ることだ。公爵家の財産を占有出来るようになればなおいいと考えているだろう。

 だからファトマとセディクが婚約する前に、向こうからは二人を祝福する品が送られてきた。ファトマが厄介な家と縁付いて邪魔されることのないよう、無害なセディクと結婚させたいがための小細工だ。

 娘を御しきれない父親と見られるのを嫌がって、公爵は追認する形で二人の結婚を認めた。援助がなければ1年と持たずにファトマは音を上げると考えているようだ。

 初婚でなければ娘の価値は落ちるが、持参金を多めに持たせれば再婚先はいくらでもある。一度結婚で失敗すれば、ファトマも大人しくなるだろう。──そんな父の思惑にファトマは気づいていない。


(結婚がうまくいくかどうかは努力次第ですよ、お姉様……)


 結婚生活にまで手を貸す気はリーシャにはなかった。二人が努力して乗り越えるべきことだ。

 セディクのほうは薄々察しているふしがある。祝いを述べる客人たちに笑顔で応じながら、時々彼は暗い目をした。格差婚を揶揄するばかりの無礼な客人たちに苛ついているだけかもしれないが、ファトマが婚家に馴染むのは大変なことは彼も理解しているだろう。


(私も頑張らないと……)


 今晩、リーシャは婚約式の責任者だった。公爵には兄と二人で取り仕切るよう言われたが、面倒くさくて地味な仕事が嫌いらしいディランは、仕事が忙しいと言ってリーシャに丸投げした。

 『女性はお茶会とか企画するの好きだろ? やらせてあげるよ』というのが兄の言い分だ。丸投げしながら、彼は本気で自分が優しいと思っていた。最悪である。

 しかも父に任された慈善事業は与えられた予算をばら撒くだけで帳簿は人任せ、船の事業に首を突っ込みたがって、邪魔ばかりしているらしい。


(そっちは知ったことじゃないわ……)


 公爵も息子の出来の悪さに頭を悩ませているようだが、今までだってろくに子供の教育に関わっていないのだ。矯正は不可能だろう。

 二十年後には公爵家は没落するというのがリーシャの見立てだった。防ぐ手立てはいくらでもあるが、彼ら自身で対処できなければ意味がない。

 セディクとの結婚が長続きすれば、ファトマは被害を免れるだろう。公爵と跡継ぎは自業自得だ。


 公爵家の広間には大勢の人が集まっていた。

 婚約式は二人が結婚することになったと周囲に伝えるためのものだ。結婚式より堅苦しくなく、二人を祝いたい者たちが集まる。時間も招待者も厳密には決まっていないので、にぎやかな気配に惹かれ、通りがかりの人間がやってくることさえあった。

 婚約式では酒と食事が振る舞われる。めでたい席であることに加え、公爵家の面子もあるので臨時で人を雇い、手抜かりのないようリーシャは努めてきたが、頼りにしていた女中が二人、運悪く熱を出してしまった。症状を見る限りただの風邪で、リーシャが裏庭で育てている薬草を煎じて飲ませた。一日休めばよくなるだろうが、婚約式は二人なしで乗り切らなくてはならない。

 前掛けをして、リーシャは二人の代わりに忙しく動き回った。二人は臨時雇いの人間を取り仕切る立場だったので、代わりになれる人間が誰もいなかったのだ。

 そうして働いていると、誰もリーシャが公爵家の令嬢だとは気づかなかった。例外は一人だけだ。


「ええと……何やってるの、義妹さん?」

「塊肉を切り分けています。召し上がりますか、お義兄さま?」


 本日の主役であるセディクは「大きめにちょうだい」と皿を差し出したが、リーシャが要望通りにすると絶句した。


「今日のために練習したの?」


 ドネルケバブは垂直に立てた串に肉を何重にも刺して、炙り焼きにする伝統料理だ。刃物でこそげ落として食べるが、素人がうまく切るのは難しい。公爵令嬢が身につけているはずのない技能だった。


「なかなか上手でしょう?」

「とてもね。塊肉を切るのが上手な義妹だって家族に紹介したい」


 面白い冗談だと思ったら、本当に彼の家族のところに連れて行かれ、リーシャは慌てて前掛けを取った。


「今日の会の最大の功労者で、僕が公爵家で一番信頼する人」

「リーシャです。急な欠員の穴埋めをしていたので、こんな格好ですみません」


 クーア家の人々はなぜかほっとした顔をした。


「それでお忙しかったのね。言ってくだされば娘たちを手伝わせましたのに」


 感じよくそう言ったのはセディクの母親だった。髪の白い年配の女性で、優しげだが七人の子供を育てた逞しさも感じる人だった。


「今日はお客様ですから、ごゆっくり楽しんでください」


 セディクの双子の妹たちは、晴れの日のために綺麗に着飾っていた。手伝いに駆り出して、服が汚れてしまったら悲しむだろう。


「公爵がいらっしゃらないのも、何か不測の事態で忙しくされてるんだろうか?」


 不安そうにリーシャに確認したのは、立派な顎髭のセディクの父だ。文官と聞いていたが体格がよく、顔立ちも厳ついので正対すると少々怖い。


「父ですか……? すみません、把握していませんでした。すぐ確認します」


 クーア家の人々が不安そうにしていた理由がわかった。挨拶したいのに公爵家の人間が見当たらず、ボイコットされているのではないかと不安になったのだろう。

 婚約式だというのに、父も兄も婚家に挨拶もしてないとはずいぶん失礼な話だ。

 急いで広間に戻ると、兄のディランは友人たちと酔っ払っていた。


「公爵はどちらに?」


 前掛けは外したとはいえ、女中と間違われるような格好をしているので、リーシャはあえて父とは呼ばずに兄に尋ねた。


「ええ? 知らないよ。サーディンに聞いたら?」


 リーシャは怒りを押し殺した。


「わかりました、そうします。……クーア家の方々が探してらっしゃいましたよ」

「なんで?」


 このバカ兄に水でもぶっ掛けて酔いを覚まさせてやるべきだろうか。


「向こうのみなさんは常識的な方々だからです」

「おいおい。言われてるぞ、ディラン。使用人の躾がなってないんじゃないか?」


 同じく酔った兄の友人がリーシャを揶揄しても、兄は妹だと紹介どころか、使用人じゃないとすら言わなかった。気分を悪くした様子で、リーシャを見ただけだ。

 兄には何を言っても無駄だと諦め、リーシャは公爵家の家令であるサーディンを探した。


「父はどこです?」


 リーシャの質問に、彼は気まずそうに顔を曇らせた。


「……屋敷にはいらっしゃいません」

「出かけたんですか? お姉様の婚約式の日に? 何かあったんですか?」


 商会の社屋が火事になって怪我人が多数出ているような急事でも起きたのかとリーシャは考えたが、サーディンの返答は想像を超えていた。


「クズルクの別宅に行かれました」


 クズルクは帝都アシャラの住宅街だ。富裕層が多く住むあたりで、公爵家は別宅をひとつ持っている。

 そこにはある女性が暮らしていた。


「愛人の家に行ったんですか? 娘の婚約式をすっぽかして!」


 サーディンの苦り切った顔が肯定を示していた。

 公爵は妻を亡くして独身なので女性と関係を持つこと自体は悪くない。「クズルクの――」と呼ばれるその女性とは、十年以上の関係になるらしい。

 ただし彼女とは結婚出来ない間柄だった。若い時は売春婦をしていた女性で、公爵と関係を持ち始めたときには他に夫がいた。

 祖父も兄姉も彼女のことを毛嫌いしており、決して彼女を公爵家に入れないことで団結している。それが不満な「クズルクの女性」は、たびたび公爵に家族と縁を切るよう迫っているらしい。彼が子供たちにあまり関わろうとしないのは、彼女の機嫌を損ねたくない部分もあるのだろう。


「お姉様が婚約式への祝いすら断ったことへの腹いせですか?」


 サーディンは否定しなかった。めまいを覚えてリーシャは額を押さえた。

 父が「クズルクの女性」に逆らえず、彼女から離れられないのは周知の事実だ。そういう姿に家族が幻滅するほど、父には彼女だけが拠り所になる。それをわかっていて彼女は公爵を絡め取っている。


「だからって婚約式をすっぽかしますか? 婚家への非礼も甚だしいですよ」

「おっしゃるとおりです……」


 苦い顔でサーディンはうなだれた。ときには主人を諌めるのも家令の務めだが、彼女のことでは誰が何を言おうと公爵は聞き入れないだろう。そのことをサーディンもまた苦々しく思っているのだ。


「クーア家のみなさんには私から謝罪をします。私が説明している間、お兄様に事情を話して酔いを覚まさせてください。お父様がいない以上、お兄様に代わりを務めてもらわねばなりません」

「クーア家の方々に事情を正直にお話されるのですか?」

「こんな失礼な話、できるものですか。父の恩人が危篤で、最後に一目会いたいと苦渋の決断をしたとでも言いましょう」

「いっそあの女が本当に危篤になってくれれば、後顧の憂いもなくなるのですがね」

「気持ちはわかりますが、本音はしまってください。今日はお姉様の祝いの日です」


 サーディンは頷いたが、痛ましくて耐えられないという様子でリーシャに尋ねた。


「ファトマ様には何と伝えましょう?」


 父が娘の婚約式より優先する人間が誰なのか、ファトマにはわかってしまうだろう。自分の婚約式の日に愛人を優先されたと知ったら、ひどく傷つくに違いなかった。


「……まずセディクさんに伝えてください。彼ならきっとお姉様を支えてくれますから」


 この家を出るためにファトマは結婚するのだ。そのことをリーシャは心から祝福したい気分だった。

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