#09 貴族たちの窮地


 新年の祝賀行事が終わってしばらく後、クレンマー筆頭宰相が失脚した。

 汚職に脱税、諸々の不正行為を暴かれて、重い罰金と強制労働が課せられるようだ。

 後任の宰相はラインハルト将軍の要精を受け、速やかに戦死者の慰霊祭の実施を決定した。新年会での騒動が耳に入っていれば、身の安全のために全力を尽くすのは当然だろう。


(将軍の高笑いが聞こえるようだわ……)


 いつものように自室で新聞を読みながら、リーシャはげんなりしていた。

 新年会で短気を起こして宰相を殺していたら、こうはならなかっただろう。リーシャがあの時ラインハルトを止めたのは、単に目の前で人死を見たくなかったからだが、結果的にラインハルトは最良の形で自分の望みを叶えた。


 一人勝ちしたラインハルト将軍の一方で、アシールギル家を含めた高位貴族には逆風が吹いていた。

 クレンマー筆頭宰相の失脚にともない、多くの貴族家が芋づる式に不正に関わっていたとして取り潰しになったのだ。

 数が多すぎたせいで貴族全体に疑惑の目が向けられ、皇帝は直々に厳格な調査を命じた。

 叩いたらホコリが出るのが権力者である。結果、連日のように不正や汚職が見つかり、大々的に新聞で報じられたせいで市民は大激怒。「貴族を潰せ!」と公爵家にも石が投げ込まれる事態になった。


(皇帝陛下の冷笑が目に浮かぶようだわ……)


 先々代の皇帝には子女が100人以上いた。皇家の困窮もあり、持参金を持たせられないので、帝国の有力者に名誉という名の爵号を与え、皇女を引き取らせたというのが帝国貴族の始まりだ。

 だが「ただより高いものはない」というのが世の中である。

 皇女を引き取ったことを盾に、貴族たちは無理な要求を押し通し始めた。皇女を娶ったことで彼らは皇帝の婚戚になり、子供が生まれれば皇帝の血縁となった。

 権威を保たねばならない皇帝は、婚戚や血縁者の権威を否定できない。持参金を持たせられなかった負い目は弱みとなり、ささいな要望を聞き入れているうちに貴族たちは増長した。


(出るわ出るわ……持病をでっち上げての出兵拒否に、賄賂や権力を使っての官僚試験合格、所得隠しに納税拒否。新年会があんな状態になるはずだわ……)


 先代皇帝は貴族たちの横行に嫌気がさし、やる気をなくして政治に無関心になったという噂がある。

 若くして即位した今の皇帝は賢帝と謳われるが、先帝と先先帝のせいでガタガタになった帝国を立て直すため、大変な苦労をしてきた。

 外敵は多いのに国庫に金はなく、官僚制度は腐敗――。政治に無関心だった先代皇帝のもと、帝国の政治を牛耳っていた宰相たちは即位直後に問答無用で処刑された。だが貴族たちの反発も大きく、当時はそれ以上、果断なことはできなかった。


(満を持して、という感じなのかしら。しばらく放置して証拠を集め、油断した頃に一気に処断というのは上手い手だわ……)


 リーシャは感覚が庶民なので、不正をしていた権力者が重罰を受けたと聞くとスっとしてしまう。

 しかし今は公爵令嬢なので、そういうわけにはいかなかった。



◇◆◇



「ディランを軍隊に入れる。もしもの場合に備えて、ファトマには婿を取ってもらう。アシールギル家の遠縁の親族だ。例の四男とは別れなさい」


 新年会から数週間後。家族が集まる夕食の席で唐突に公爵は言い出した。

 ディランは咳込み、ファトマは固まり、リーシャはため息をこらえた。


(食事の味がしなくなった……)


 なぜいま言うのか。和やかに食事をはじめたタイミングで言うことじゃないだろう――そう責められる人間はあいにくこの場にいなかった。


(お父様……本当に政治むいてないな)


 新年会での皇帝の反応から始まり、一連の貴族処断で彼がずいぶん悩んでいるのはリーシャも気づいていた。しかし結果として出した結論がそれなのかと頭を抱えたくなる。


「い、いやです」


 震える声でファトマは拒絶したが、公爵の反応はにべもなかった。


「決定事項だ。お前に拒否権はない」

「私は家の道具なの!?」


 泣き叫ぶような声を上げてファトマは立ち上がった。

 公爵のほおにカッと赤みが差した。


「そうだ! お前だけじゃない、私やディランもな! アシールギル家のために義務を果たすのが、この家に属する者の責任だ! どうして一人だけそれを放棄することが許されると思う!?」


 兄のディランは青ざめた顔で黙ったままだ。

 驚いた様子はないのは事前に聞いていたのだろうか。嫡男としてファトマよりは正確に家の状況を把握しているものの、正直ディランは軍人に向くタイプではなかった。本人もそれはよく理解しているだろう。

 ファトマがすすり泣き、夕食の席はまるで葬式会場のようになってしまった。

 家が安泰だったらファトマを駆け落ちさせるのも手だが、その後に公爵家が処断されたら一生の傷になるだろう。

 口を出すべきか悩んで、リーシャは食事の皿を押しやった。


「得策ではないと思います」


 父の視線をリーシャは受け止めた。

 新年会からの数週間で公爵はずいぶんとやつれていた。ファトマやディランに無理を強いるのは彼とて本意ではないのだろう。


「戦争の前ならいざ知らず、終わってから嫡男を軍に入れたところで皇帝陛下の歓心は得られません。保身目当てと、かえって顰蹙ひんしゅくを買いかねませんよ」


 予想外の指摘だったのか、公爵はうろたえた。

 辛い決断に疲弊して効果を考えないのは非効率だ。


「だいたい、息子を帝国のために働かせるつもりがあるなら、なぜ戦争の前にしなかったのか……なんと説明する気なのですか?」

「それは……たった一人の嫡男だから」


 公爵の声は消え入りそうだった。


「ではそれを貫かなくてどうするのですか」


 ぴしゃりとリーシャが言うと、公爵は黙った。


「出兵拒否した貴族が批判を浴びているのは、我が身可愛さで逃げ出しておきながら開き直ったからです。皇帝陛下の息子であるラインハルト将軍が前線で戦ったのに、貴族が恥ずかしげもなく出兵拒否して宴には元気に参加していたら不興を買うのも当然でしょう」


 やっと公爵家の人々は新年の宴に豪奢な服でうきうきと出かけたことのまずさに気づいたようだった。居心地悪そうに顔を見合わせている。


「セディクが冷たくなったのもそういうこと……?」


 気まずそうにぽつりとファトマがつぶやいた。


(お姉様、新年の祭りが楽しかったと、無邪気に戦争帰りの人に喋ったんですね……)


 リーシャの視線にファトマは泣き出しそうだった。


「い、言ってよ……」

「説明するべきでしたか? 彼は幸運にも帰ってきましたが、そうじゃない兵士がたくさんいること。泣きくれる家族の元に、一緒に戦った仲間がどのような最期を迎えたのか説明しにいくこともあること。仲間は死んだのに、自分は帰って来たことに罪悪感を抱いて一生苦しむこともあると――お姉様の恋人がどのような状況か、本当に私が説明するべきでしたか?」


 無知なのは仕方がない。公爵家のお嬢様に戦争のことなんて想像もつかないだろう。

 ファトマにはわからないと思ったからセディクも何も話さなかったはずだ。


「私……ごめんなさい」


 ぽろぽろとファトマは泣き出した。結婚したいと父に食い下がる一方で、恋人のことを思いやれていなかったことにやっと気づいたようだった。


(ひょっとして、あまり上手くいってなかったのかも……)


 ファトマは強固に彼と結婚したいと訴えていたが、セディクがどう思っているのかはわからない。案外ファトマは彼の心が離れつつあるのを感じたから、好きな相手と結婚したいと言い張っていたのではないだろうか。

 傷つけてしまった居心地の悪さに、リーシャは姉にハンカチを差し出した。ファトマはハンカチを受け取ったが、泣き止む様子はなく、しゃくり上げた。


「ごめんなさい。自分が恥ずかしくて……」

「いいえ。私こそ言い過ぎました。ごめんなさい」


 リーシャは謝罪したが、ファトマは首を振った。

 泣き続ける妹を心配そうに見ながら、ディランが気になって仕方ないという様子でリーシャに尋ねた。


「……わかってて新年の宴には黒いリボンを? 喪章の代わりに?」


 さすが布を扱う事業をしているだけに、ディランは服装に関する記憶力が良かった。

 肩をすくめてリーシャは兄に頷いた。


「喪服はさすがに止められるかと」


 父と兄がうめいた。


「戦勝祝いの場でもあったのに、軍服を着た人は誰もいませんでした。追悼式が行われないことへの抗議の欠席だったのでしょう。ラインハルト将軍が来たのは宴を楽しむためじゃありません。筆頭宰相を締め上げに来たんです」


 残念ながら彼の怒りの正当性を理解した人は、あの場にはほとんどいなかったけれど。

 リーシャは言葉を失った父と兄に繰り返した。


「お兄様を軍に入れるのは得策ではないと思います。保身目当てで入隊して、歓迎してくれるとも思えませんし。そもそも我が家には出兵要請も来ていません。お兄様にもしものことがあれば、嫡男がいなくなるのは事実ですから。……焦って失点を取り返そうとしても、ほうぼうの不興を買うだけですよ」

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