#02 予期せぬ出迎え


 帝都最大の港に降りると、人と荷物でごった返していた。

 大量の物資は軍用品が多いようだった。砲弾に食料、医薬品。

 帝国中からそれらが集められているのは、戦争が近いからだ。

 世論に押されたバルカニア半島への遠征が目前だった。


「大丈夫、ハサン?」


 人にぶつからないよう気をつけながら、リーシャは猫の入った籐籠を運んだ。

 リーシャの荷物は猫と大きな旅行カバンが一つだった。旅行カバンは自分で運ぶのを諦め、船から降りた後、屋敷まで運んでもらうよう手配した。

 小柄なリーシャでは両方は運べなかった。最悪カバンは紛失や盗難の被害に遭っても諦めがつくが、ハサンだけは何があっても失いたくない。だから猫だけは自分で連れて行くしかないのだ。


「……大きくなったね、ハサン」


 肩が抜けそうな重みに、しみじみとリーシャは猫の成長を感じた。

 ハサンの母猫は、祖父の家に時たまエサを貰いに来ていた野良猫だった。子猫が数匹生まれて成長を見守っていたが、母猫がキツネにやられ、子猫たちもカラスに連れ去られそうになっていたのをリーシャが保護した。

 他の兄弟たちは貰い手を探したが、ハサンはカラスにやられた傷が元で瀕死の状態で、つきっきりの世話が必要だった。

 元気になる頃にはリーシャにすっかり懐いてしまい、他の人間には引き取ってもらえなくなってしまったのだ。


(片手に乗るくらいの大きさで、いつ死んでもおかしくないような状態だったのに……)


 こんなに成長してくれて嬉しい。それは本心だったが、現実として問題もあった。


(重い……)


 太り過ぎということはないはずなのだが、肩が抜けそうだった。


(辻馬車か乗合馬車で屋敷まで行くつもりだったけど……乗合馬車は無理だわ)


 停留所で下りたあと、ハサンを連れて屋敷まで行くのは大変な重労働だった。

 辻馬車で屋敷の前まで運んでもらうべきだろう。

 リーシャは辻馬車の待機所を探したが、あるものが目に入って足を止めた。

 「リーシャ・アシールギル様」と書かれた紙を持った見知らぬ男性が、船の客を出迎える人々の中にいたのだ。


(どういうこと……?)


 屋敷の住所はわかるから、出迎えは不要と事前に連絡していた。

 誘拐目的という最悪の可能性が一瞬浮かんだが、男性の隣にいるドレス姿の女性には見覚えがあった。


「ファトマお姉様……?」


 アシールギル家の次女で、リーシャの姉だ。彼女はリーシャを見て怪訝そうに「リーシャ?」と声を掛けた。

 お互いに「本人だろうか」という自信のない空気が漂った。


「姉妹の再会とは思えないね」


 紙を持っていた男性が茶化した。


「最後に会ったのは数年前だもの」


 ばつが悪そうに彼女は男性に言い訳した。

 その認識は一致していたので、リーシャはペコリと頭を下げた。


「大伯母様のお葬式以来ですね、お姉様。お久しぶりです。リーシャです。わざわざ出迎えに来てくださってありがとうございます」


 リーシャは記憶力がいいほうだが、すぐに姉と気付けなかったのは、面影はあれど彼女が大きく変わっていたからだ。

 大伯母が亡くなったのは5年前。当時ファトマは14歳の少女だった。濃い栗色の髪と瞳の美しい少女だったが、今は綺麗な女性になった。

 戸惑った様子でファトマはリーシャを見返した。


「あなたも元気そうで良かったわ……一人なの?」


 周囲を見回してファトマは首をかしげた。


「お祖父様は出発の二日前に腰を痛めてしまって」


 連絡したのだが届いていなかったのだろうか。


「それは聞いたけど……え? それであなた一人? 誰も付き添わなかったの!?」

「年配の家政婦さんが一緒に来るはずでしたが、当日の朝にお子さんがひどい高熱を出したんです。急な代役になれる人が誰もいなくて」


 船で3日かかる道程だ。往復になれば倍かかる。

 若い女性たちは生まれ育った領地を出たことがなく、案内人にはなれなかった。年配の女性は急に家庭を空けられない。男性との旅程は祖父が難色を示した。


「延期にしようかという話も出たのですが、戦争が始まれば船での移動もままならなくなる可能性があったので……」

「そうだね」


 頷いたのは紙を持っていた男性だった。

 ファトマの連れのようだが、身なりや態度を見る限り使用人ではなかった。

 赤毛の若い男性で、整った顔立ちをしている。体格もよく、役人や文官という感じもしない。誰だろう。

 リーシャの視線に男性はにっこり微笑んだ。


「はじめまして。僕はセディク・クーア。君のお姉さんの……友達だよ」


 未婚の女性と二人で出かける友達。身なりからしてそれなりの身分だが、婚約者と名乗らないところを見るとファトマの父には認められていない。つまり――。


(秘密の恋人か……)


 リーシャは微笑み返した。


「リーシャです。わざわざ迎えに来てくださってありがとうございます」


 迎えに来るのに積極的だったのは彼のほうだろう。リーシャの名前が書かれた紙を持っていたのが証拠だ。書かれた文字は姉のものではなかった。


「しっかりしてるね。うちの妹とは大違いだ」

「妹さんが?」

「うん。双子の妹二人に弟一人。兄も三人いて、大所帯なんだ。下の子たちは全員君より年上だけど……一人で船旅なんかさせたら目的地までたどり着けるかどうか。そう考えたら心配で仕方なくてね。無理言って一緒についてきたんだ」


 セディクの隣で姉のファトマは気まずそうにしていた。

 迎えは不要とリーシャは連絡していたので、彼女はその通りにするつもりだったんだろう。

 他の迎えがないことからもはっきりしていた。

 公爵家の誰もリーシャに関心はないのだ。

 セディクは違うのだろう。家族を迎えに行くのは当然と思っているから、ファトマを連れてリーシャを迎えに来てくれた。

 出迎えがなければ11歳の女の子は不安になるだろうと。


「お気遣い、ありがとうございます。うれしいです」

「どういたしまして。慣れない船旅で疲れただろう? 危ない目には合わなかった?」

「同じ港から乗った年配の御婦人に事情を話して、船にいる間は孫ということにしていただきました。あれこれ世話も焼いてくださったので、何の不便もなく楽しかったですよ。一つ前の港でお別れしましたが」


 子供が一人で乗っていると知られたら、良からぬことを企む人間も当然いるだろう。

 祖父も心配していたので、港で身分のある貴婦人にお願いし、そういうことだから大丈夫だと、港まで送ってくれた侍従に説明した。侍従も家紋を見せてリーシャの身元を証明したので、貴婦人は快く引き受けてくれたのだ。

 貴婦人と別れてからは人目の多い甲板にずっといたので、危ないことは何もなかった。


「賢いね。心配は無用だったかな。……馬車まで案内するよ。荷物はそれだけ?」

「はい。カバンは届けてもらうよう頼みました」


 セディクは猫の入った籐籠を持ってくれた。リーシャは両手でなんとか運んでいたのに、彼は左手で軽々と籠を持った。

 外の状況に怯えて、猫は籐籠の中で硬直していた。助けを求めるように「んにゃーん」とか細い声でリーシャを呼んでいる。


「可愛い猫だね。女の子?」

「男の子です。名前はハサン」

「小さなお嬢さんには重かったろう。頑張ったね」


 いい人だな、とリーシャは思った。猫を持ってくれたからではない。

 ハサンを可愛いと言ってくれたからだ。猫が好きな人は善人というのがリーシャの考えだった。


「……クーアさんは軍人ですか?」


 驚いてセディクはリーシャを見つめた。


「その通り。よくわかったね」

「歩き方でなんとなく。利き手を空けて、周囲をよく見てらっしゃいますし。……所属を聞いても構いませんか?」

帝国常備軍イエニチェリ、第一近衛隊所属、セディク・クーア一等兵です、姫君」


 籠を持ったまま、セディクはリーシャに一礼した。


「第一近衛隊ということは……ラインハルト将軍の護衛ですか?」


 セディクは目を瞬いた。


「その通りだけど……軍隊に詳しいの?」


 女の子なのに?とセディクは不可解そうだった。

 ラインハルト将軍は国民に絶大な人気があり、その行動は記事になりやすい。祖父の家ではリーシャは新聞を読むのが日課だった。周囲の人々はすっかり慣れて、リーシャが新聞を読んでいても何も言わなかったが、一般的には11歳が毎日新聞を熟読するのも、その結果、一般常識として軍隊の知識を持つのも奇異なことだった。

 セディクの反応でリーシャはそれを思い出し、適当に誤魔化した。


「ラインハルト将軍のファンなんです」

「あ、なるほど」


 セディクは全面的に納得した。

 若き美貌の将軍で、血筋もよく、英雄でもある。彼の似姿はとてもよく売れているらしい。セディクには何ら違和感のない理由だったようだ。


「将軍に会ってみたい?」


 自分で提案しながらセディクは気が進まない様子だった。困らせるのは本意ではないので、リーシャは「あまり?」と首を傾げた。本心はまったく興味がないが、ファンと名乗った以上は無難な反応をしておくべきだろう。


「苛烈な人柄だと聞きますし。どちらかというと、彼の戦術や軍の改革に興味があります。おじいさまがよく褒めていたので。将軍はゲルマニアの最新式の火器を導入したんですよね?」

「軍事機密だから言えないんだ、ごめんね」


 セディクは苦笑した。


「……今度の戦争でも、ラインハルト将軍は前線に立って指揮すると聞きました。クーアさんも行かれるのでは?」

「……うん。1週間後に将軍と一緒に発つことになってる」


 やはり今は最後の休暇中だったのだ。彼の所属を聞いたときからそんな気がしていた。

 リーシャは深く頭を下げた。


「大切な時間を、わざわざ割いてくださってありがとうございました」


 本来なら家族や恋人と過ごす時間だ。帰って来れない可能性だってあるのだから。


「どういたしまして」


 屈託なくセディクは笑った。


(本当に良い人ね……)


 リーシャに恩を売ったところで彼にメリットはない。

 だのに最後の休暇を使ってまで迎えに来てくれた。リーシャを気遣い、不安を和らげようとしてくれている。

 何より彼は、リーシャとファトマがまったく似ていないことに言及せず、態度にも出さなかった。

 濃い栗色の髪と瞳を持つファトマに対してリーシャは銀髪碧眼。顔立ちもまったく似ていない。

 リーシャが祖父のところで暮らしていた理由であり、家族の歓迎を期待できない理由でもあった。


「……いつになく静かだね、ファトマ」


 無言で二人の後を付いてくる恋人に、セディクは声をかけた。わずかに棘のある口調だった。

 ファトマは複雑そうに、セディクとリーシャを見つめた。


「なんでもないわ……」


 なんでもないと言いながら、彼女は不満そうだった。

 恋人がリーシャを気遣うのが面白くないようだ。


(まあ、彼女にしてみれば私は他人同然でしょうし……)


 リーシャから見てもセディクは気さくで人あたりが良かった。恋人の妹だから彼は気を使ってくれているが、当の姉がリーシャを妹と思えなければ、恋人が自分以外の女に優しくしているのを見せつけられているように感じるかもしれない。


「ごめんね。お姉様はご機嫌ななめみたいだ」

「そんなんじゃないわ」


 悪者にされてファトマの口調はきつくなった。

 顔をしかめてセディクはファトマに小さく首を振った。ここではやめてくれ、と訴えるように。


(あとでケンカになるかしら……)


 怒っているのはセディクのほうだ。リーシャの前だから抑えているが、ファトマの態度に苛立っているのがわかる。

 張り詰めた空気のまま、セディクに案内されてリーシャは馬車に乗り込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る