第8話 闇の狩場でメイドが微笑む

森は息をしていなかった。

ただ濃く、重く、ねっとりと闇だけがまとわりついてくる。


「タロー……あれ、見える? 光……だよね?」


カリンが震えた声で指さす。

木々の裂け目の奥、ぽつ、ぽつ……と弱々しく明滅する灯り。


救いの光――のはずなのに、この闇の中だと魚の死んだ眼みたいで、逆に心がざわつく。


パパタローは震える指でライトを消して、また点ける。

直後、森の奥で――点く。消える。

後をつけてくる“何か”が、同じリズムで真似していた。


「……はは、気味悪っ」

カリンは苦笑いしながらも、パパタローの腕に触れた指は氷みたいに冷えていた。


爆音が止み、だれかに耳を塞がれたみたいに静寂が落ちる。

自分の心臓の音だけが、車内でドラムみたいに鳴り響いていた。


「行くぞ。あの灯りまで……絶対に辿り着く」


パパタローはバックミラーを覗き込む。

闇の底から、ぬらり、と剥き出しの白い牙が揺れた。


狼の背にまたがったゴブリンが、じわじわ距離を詰めてくる。その口元からは、獲物への殺意よりも、甘い蜜の匂いに狂ったような涎が垂れている。


「クオオ……溢れてるぞ、甘い『愛(ちから)』が。もっと、もっと、だだもれに……」


数匹……いや、さっきより“増えてる”。 彼らを突き動かすのは、魔力という資源ではない。それは、根源的な『愛への飢餓』だった。


どこから湧いてるんだよ、これ。


「カリン、アクセル押せ」

「こんなときにアタシに丸投げ!? 音だけで速度調整とか無理だってば!」


文句を言いながらも、カリンの足はペダルに沈む。

エンジンが吠えた瞬間、森がぐにゃっと揺れ、視界が暗く沈んだ。


泥濘がタイヤをつかむ。 離さない。絶対にその「愛」を逃がさないと言わんばかりの粘着質な執着が、車体の底から這い上がってくるような重み。


「出ろよ、クソぬかるみッ!!」


パパタローが叫んだ瞬間――

“ドン”という腹の底に響く衝撃。


前方の大木が、ゆっくり、ゆっくり、首の折れる音みたいに悲鳴を上げながら倒れた。


「タロッ!ブレーキ!!」


カリンが泣き声で叫び、車は横滑りしながら倒木をかすめる。

ゴブリンを何匹か“なぎ潰す”感触が、車体の下を乱暴に走り抜けた。


潰れた何かの温度が伝わってくる。

胃がひっくり返りそうだった。


「……あ。轢いちゃった」


あまりの精神負荷に、逆に脳がふっと軽くなる。

“糸が切れた”というより、“常識が落ちた”。


「なんかさ……遠慮いらなくね? (奴ら)殺しにきてんだし」


呟くパパタローの声は、妙に静かだった。


ミラーの中、ゴブリンが車を取り囲む。

じわ、じわ、じわぁ……と湿った好奇心を滲ませながら近づいてくる。


「そろそろだな」

鼻歌まじりの声が車内に落ちた瞬間、背筋に冷水が流れた。


斧や棍棒を持ったゴブリンが飛び出す。

パパタローは瞬時にハンドルを切り叫ぶ。


「アクセル全開ッ!」


車は泥を噴き上げてスピンし、ゴブリンをまとめて跳ね飛ばした。

生暖かい肉片がフロントガラスに“ぺちっ”と張りつく。


「ギャアア目が回るぅぅぅ!」


カリンが目を押さえたそのとき――

天井が“ゴンッ”と凹み、赤い瞳が穴からぶら下がってきた。


「見つけたぁ!あぁ、この愛の洪水!俺たちに!全部よこせ!」


涎を垂らしながら笑っている。それは、愛を前にして理性を失った、飢えた獣の顔だった。


「ヒィィィィ!!」


ブン、と風が切れ、ゴブリンの首が消えた。

次の瞬間、大木に叩きつけられて潰れた。


肉片が雪みたいにひらひら落ちる。


「……今の、何?」


車の前に立つ“影”がこちらを振り向いた。


その影は、確かに“人の形”をしていた。

だが――人とは限らない。


まるで闇から切り抜かれたような輪郭が、ゆらりと揺れる。


そして、遠く、屋敷の灯りが少しだけ強く瞬いた。


救われるような光。

“地獄の底”から一気に引き上げてくるような光だった。

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