55.自分じゃない、誰かに
髪や肌が白いのは生まれつきだった。
クリスマスイブの夜、雪がぱらぱらと舞っていた日に生まれたことで『舞白』と名づけられた。かつては気に入っていた名前も、今では呪いのように思えてならない。
仄かに金色がかった白髪に、薄く赤みを帯びた両目――赤ん坊の時から白皮症であることは明らかだった。遺伝病だが、両親や親戚が健常でも発症するケースが稀にあり、舞白もその一人だと考えられた。
白皮症は皮膚や体毛、瞳などに色素の欠乏が見られ、それに伴い光に弱い体質になる。眩しさを感じやすい目は不快感や痛みを覚えることがあり、皮膚も日に焼けやすい。程度によっては日常生活を送るのに支障をきたす者もいる。
舞白は幸いにも軽度の部類だったが、それでも生きづらさは常にまとわりついて離れることがなかった。
眩しさに俯きがちになり、人と上手く目を合わせることができない。学校に通っていると物珍しさから好奇の目を向けられることもあり、つばの長い帽子を目深に被って視線を遮っていた。疎外感は日増しに募り、教室に入りづらくなると保健室登校が増え、果ては外へ出ることさえ億劫になる時季もあった。
――どうして、こんな体で生まれてきたの?
――自分だけが、こんな色で……。
悲観的な自問に塞ぎ込んでいく日々――そこにわずかな希望の光を灯したのが、両親が買い与えてくれたバイオリンと、母の知り合いだというフランス人の先生。
日本人の母を持つ先生は、舞白と同じ白皮症を抱えた男性だった。癖毛の長い髪は抜けるように白く、肌はところどころに赤みが焼けついた白皙。それでも、いつも穏やかに微笑んでいる青い瞳と、ややたどたどしい日本語で和ませる、優しい先生だった。
『僕はバイオリンを教える。でも、本当に教えたいことは違う。舞白に音色を教えたい』
『ねいろ……?』
『音の色と書いて、音色。音にはそれぞれに色がある。そのことを知っている日本語は、美しい。目を瞑って音色を奏でていると、その音色に自分が染まることができる』
自分自身の色に強いコンプレックスを抱いていた舞白にとって、同じ境遇を持つ先生の言葉はなによりも心強く、支えになるものだった。
もし先生のように、自分も音色に染まることができたら――先生のように、笑うことができるだろうか。
『目を瞑りなさい。そうすれば、音色が舞白を包んでくれる』
バイオリンを習い、先生が奏でる音色と同じになるまで練習に打ち込んだ。学校にも通わずバイオリンばかりに明け暮れたが、舞白が活き活きと練習する姿を知った母は喜んでくれた。上達は自分でも驚くほど著しく、先生の勧めで発表会や小さなコンクールにまで出られるほど活動的になった。
目を瞑っていれば人目も眩さも、自分の容姿も気にならない。頭の中にある音色を忠実に奏でるだけ――違う自分になれるような感覚を知り、それが舞白に活力を与えた。
『赤毛のアン』を教えてくれたのも、先生だった。
赤い髪の毛や瘦せ細った青白い体躯、名前に対するコンプレックス。作中のアンが抱えている悩みは、そのまま舞白自身にも重なるものが多かった。
想像の翼を大きく広げ、自らを鼓舞しながら懸命に生きるアンの姿に勇気を得ていた。アンが想像するコーデリア・フィッツジェラルドのような、烏の羽のように真っ黒な髪や薔薇の花びらのような顔色にも強く憧れた。
なにより羨ましかったのは、アンには腹心の友とまで呼べる親友・ダイアナがいることだった。舞白には親友はおろか、同い年の知り合いさえ一人もいない。いつかダイアナのような友人ができることを夢見るようになり、学校にもまた少しずつ通い始めた。
暗かった日常が次第に好転していく。なにもかも先生のおかげ――そう思い始めていた矢先、最初の絶望は突如として訪れた。寝つけずにいたある夜、リビングで言い争う両親の姿を偶然目にした。
耳を疑ったのは、信じられないほど荒い声で放たれた父の言葉。
『じゃあ検査を受けて、はっきり証明してみせたらどうだ――舞白が本当に、俺の子供だってことを』
泣き崩れる母の姿が、幼い舞白の瞳に痛々しく突き刺さった。
『あの先生なんだろ? 舞白と同じ病気だ。違うって言うならなぜ検査を受けない? やましいことがあるんだろ?』
なおも追及をやめない父を見て、舞白は逃げるように家を飛び出していた。
父がなにを言っているのか、もう分からない年頃ではない。
だからこそ混乱し、すぐにでも確かめたかった。深い夜の中、恐怖も忘れて先生の住むマンションまで急いだ。裸足だったことさえ途中まで気づかないほどに。
夜更けの突然の来訪にもかかわらず、先生は温かく舞白を出迎えた。理由を訊ねられ、舞白は長く逡巡したのちにようやく問いただした――自分の本当の父親が誰なのかを。
『……僕は、知らない。なにも知らないんだ、なにも……』
先生の様子はみるみるおかしくなった。いつもの微笑みは消え失せ、意味の分からない言葉ばかり呟いていた。
『大きくなったんだよ。こんなにも。なのに、なんで、どこに――』
胸を弄られたのはその時だった。顔をうずめるように抱き着かれて、背筋がぞっと震えた。この頃、急激に膨らみ始めていた胸元は悩みの種でしかなく、他人に触れられることには堪えがたい苦痛と嫌悪感を覚えた。たとえそれが恩人であっても――あるいは、恩人だと思っていた先生だからこそ。
気づいた時には、先生の体を突き飛ばして部屋を飛び出していた。泣きながら帰路を歩き、ほどなく、夜道を捜し回っていた母に見つけ出された。血眼になった母の目は今にも溢れ出しそうな重い涙を溜めていた。
コツコツと積み上げてきたはずの幸せは、積み木ではなく脆いジェンガだった。父はいなくなり、先生と会うこともなくなった。バイオリンを持つことさえ怖ろしくなっていた。
なにもかも自分のせい――こんな体で生まれてきた、自分のせい。
膝を抱え込む毎日に逆戻りしながら、それでもまた一縷の希望を持ったのは、母から勧められた純桜女学院のSNSを見た時だった。
のちにセイラの弾くバイオリンであると分かった『アメイジング・グレイス』――包み込むような温かさ、確かな力強さを兼ね備えた音色に魅了され、舞白は再びバイオリンを手に取った。SNSの動画を何度も繰り返し聴き、自分の手で再現しようとした。
こうしている間だけは、今の自分を忘れることができる。自分の体にまとわりつく色。決して剥がれることのない嫌いな色を、理想的な音色が塗り潰してくれる。
ほかの誰かになりたかった。自分ではない誰かに。
そのために『アメイジング・グレイス』を弾き、今の自分に別れを告げた。できる限り自分を隠し、新しい自分に――自分ではない誰かに、なろうとしていた。
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