36.探偵(仮)からの招待状
†
アリサの休暇はまず、両親と水入らずのディナーから幕を開けた。仕事で遅くなることが多い父親も、この日ばかりは夕食に間に合うよう帰ってきてくれた。
「実力考査でもトップだなんて、さすがはセイラの妹ね。あの子も入学したあとの最初の試験からはずっとトップだったわよね?」
「ああ、セイラはすべての科目で満点だったな。だが、あの時はもう一人トップがいた」
「そうそう、あの子も凄かったのよね。ほら、大学病院の教授のお宅の」
思い出そうとする母の言葉で、アリサはすぐにピンときた。
「貴船さまではないかしら。貴船瑠佳さま、わたくしのスリーズの」
「そう、そんなお名前だったわ。じゃあその方が、アリサのお姉さまでもあるのね」
「ええ。やっぱりお姉さまも瑠佳さまも凄かったのね。お二人とも満点で首席だなんて。わたくしは、満点は国語だけだったから」
「そんなことないわよ。単独で学年トップなのも凄いことよ? ねえ、あなた」
「ああ、得意なことは人それぞれ違う。セイラのようになれなくとも、アリサはアリサの道を歩めばいい」
「ええ……ありがとうパパ、ママ」
久しく触れた両親の優しさと団欒の時間に、アリサは心の安らぎを感じていた。セイラのいない寂しさも、昨日のお茶会で起きた恐ろしい一件も、この時ばかりは考えずにいることができた。
けれど再び心の中がざわつき始めたのは、翌日の昼過ぎになってから。
(お姉さま、まだなのかしら。てっきりお昼前にはお帰りになると思っていたのに)
使用人にはお姉さまが戻り次第すぐ知らせるようにと伝えているが、まだ自室のドアをノックした者はいない。おかげで休暇中の課題に集中できたかと言えば却って気もそぞろで、取り組んだ時間に見合った進捗にはなっていなかった。
課題はタブレットで解くドリルだが、難易度はそれほど高くない。それがまたやる気の起きない原因の一つでもあった。アリサは一度机から離れ、やるせない気持ちをぶつけるようにベッドへ身を投げた。
(舞白さんの具合がよくないのかしら。まさかこのまま、お帰りにならなかったりして)
一抹の不安を拭い切れないでいた。壁際に押しやっていた毛布を丸めて手繰り寄せ、縋るように抱いた。ベッドがわずかに軋む音と、物足りない温もりで寂しさを紛らわせた。
しばらく経った頃、開けっ放しにしていたタブレットがメールを受信した音を鳴らしたため、アリサは渋々と体を起こした。
(お姉さま……ではないわよね。学内メールでやり取りなんてしたことがないもの)
予感通り、送信者はセイラではなかったが、学院からの事務的なメールアドレスからでもなかった――差出人欄の名前は『聖澤悠芭』で、件名欄には彼女らしい茶目っ気たっぷりの一文が添えられている。
――『招待:初代アリスさまの謎解き披露会へのご招待状(遅刻厳禁です!)』
悠芭からのメールにはオンラインミーティングへの出欠確認が添付されており、招待を受けているゲスト一覧には菊乃と小雛、舞白の名前もあった。
(時間は、今日の夜九時から……もう少し余裕を持って招待してくれないかしら)
今晩に予定があるわけではないが、もしもセイラが帰ってくれば事情が変わる。悠芭には悪いが、姉妹水入らずの時間を優先したいと考えていた。
けれど夕方には、熾乃から今日もセイラが帰らない旨を聞かされた。悪い予感が当たったことを悲嘆しつつも、アリサは招待メールにあった出席ボタンをクリックしていた。
――気を紛らわせるのにはちょうどいいかもしれない。それにもし、舞白も披露会に出席するのであれば……淡い期待を抱きながらアリサは夜を待ち、開始時刻の三十分前にはミーティング参加のためのURLをクリックした。
『おや、アリサさん? もういらっしゃったのですか』
すでに待機していた悠芭の顔が映し出される。三つ編みを解き、眼鏡もかけていないラフなスタイルだった。
「悠芭さんこそ、主催者なのに随分早く待機しているのね」
『主催者だからこそですよ。手前勝手ながら遅刻厳禁などと書いて、私自身が遅れるわけにはいかないと思いまして』
「遅刻されると都合の悪いことでもあるの?」
『お恥ずかしながら、どれほどの長話になるか分かりませんので。できるだけつつがなく進行できれば、と』
「悠芭さんのことだから、長話になるくらいはこちらも織り込み済みよ。わたくしはもうお風呂も済ませてきたから、この披露会のあとはもう寝るだけにしているわ」
『さすがはアリサさん、ご用意のいい――むむっ、つまり現在のアリサさんは湯上がりでございますか? でしたらその可憐な寝巻き姿をもう少しよく拝見させて……』
「カメラ切るわよ?」画面の下部に指をかける。
『ああ、申し訳ありません、出過ぎた真似でございました。こうしてお話しできるだけでも光栄至極、もう寝惚けた発言はいたしませんので!』
机に突っ伏す勢いで頭を下げる悠芭に免じて、アリサは「冗談よ」と前言を撤回する。
「それはそうと、ほかの方たちはちゃんと来るの? あなたの招待、随分と急過ぎるものだったけれど」
『今のところ、雛菊さん方には出席のご返答を承っております。しかし舞白さんについては、まだなんのお返事もいただけていない状態です』
「そう……」やや落胆したような相槌が零れた。
『念のため、先ほどもメールで確認を行ったのですが、やはりお返事ありませんね。タブレットを一度も開かれていないとは考えにくいのですが』
悠芭の疑問は尤もだった。ゴールデンウィーク中の課題であるドリルは日ごとに配信される。最終日まで溜めて取り組むようなことはできないため、タブレットは基本的に毎日開く必要がある。
学内メールはデスクトップ通知されるため、タブレットの操作に疎い舞白と言えど確認漏れになることは考えにくい。悠芭がメールを送る前に今日の分のドリルをすべて終わらせ、以降タブレットを開いていない可能性もなくはないが、アリサはそう思わなかった。
「そういえば、悠芭さんは知らないのよね。舞白さんのこと……」
昨日の放課後、練習中に舞白が体調不良を訴えた件についてアリサは話した。もしそれが長引いているのだとすれば、メールに気づけない状態なのも仕方がないことも。
『……そうでございましたか。でしたら、無理なお誘いは軽率でございましたね』
「悠芭さんは知らなかったんだもの、仕方がないわ。それにたとえ体調が万全でも、舞白さんがオンラインミーティングに出席できたかは疑問ね。タブレット操作は本当に苦手みたいだから」
『では、舞白さんには日を改めて別の形でお伝えしましょう。なぁに、真実は逃げませんので』
「それでいいと思うわ。それより、悠芭さんに少しお訊ねしたいことがあるのだけど、いいかしら」
『おや、雛菊さん方がいらっしゃる前に密談ですか。一体何事でしょう……むっ、もしやお胸のお悩みですか? これは遺伝的な要素が大きいだけの早熟であって、アリサさんもきっとあと数年後には――』
「い、いい加減な早とちりはよしなさい! 大体わたくし、そんな些末なことで悩んでなんていないから」
『私は今年の身体測定で二センチアップしておりまして。遂にFの70を買う羽目に』
「え、えふのななっ――って、だからそんなのいいって言っているじゃない! お訊ねしたいのは全っ然違うことよ」
風呂上がりの時よりも顔を赤くさせたアリサは、大きく息をついて気を取り直し、
「確かあなた、学院内のお嬢さまにお詳しかったわよね。たとえば篝乃会の……五十鈴川さまや姫裏さまについてはどう? なにかご存知?」
『五十鈴川さまと姫裏さまですか。もちろんお名前は存じ上げております。どちらも由緒あるお家柄でございますね。そのお二人がどうかされたのですか?』
「いえ、その……」
なにか悪い噂はないかと訊きたかったが、悠芭の様子を見る限りでは望むべくもなく、むしろ質問の意図を勘繰られて面倒な事態になりそうな気もする。
どう話せばよいか迷っていた時、タブレットが軽快な電子音を鳴らした。
『あ、繋がったかな』
『これ、もうヒナたちも映ってるの?』
画面が二つのタイル表示となり、新しく生成された画面に菊乃と小雛が映されている。どうやら同じ場所に並んで座っているらしい。
『おお、雛菊さん方もお早い入室でございますね。実に日本人らしい心構えです』
『まずその呼び方、許したわけじゃないんだけどね』早速、菊乃が不満そうに言い、『覗いてみたら、もう二人が入っているの分かったから。稲羽さんはまだみたいだけど』
『ああ、舞白さんはご欠席です。なので今晩はこれにて全員集合のため、始めさせていただきたいと思うのですが……まさかこれほど夜遅くまでご一緒にいらっしゃるとは。どちらかのご自宅でございますか?』
『ううん、別荘だよ。ヒナのお家の』
安易に即答する小雛の横で、菊乃がバツの悪そうな顔をした。
対して、悠芭は分かりやすく瞳を輝かせる。
『なんとっ、別荘のお部屋にお二人きりとは。いやはや、本当に仲がよろしいようで、こちらも妄想が捗り――もとい、感心いたしますっ』
『変な言い方しないでほしいんだけど。大体あたし、ただの目付役っていうか』
『ヒナね、お家にいると成績のこととかであんまり遊べないの。でも菊乃ちゃんに勉強見てもらうって言うと、別荘にも遊びに来れるの!』
『今のところ、遊びメインで課題以上の勉強はできてないけどね』
『大丈夫、明日からはちゃんとやるから!』
『典型的な明日バカ……明日やろうはバカ野郎、みたいな』
頭を抱える菊乃と、満面の笑みを浮かべたままの小雛。対照的に見えつつも、二人がそれなりに充実した休暇を送っていることが想像でき、一緒にいたい人がすぐ傍にいる二人の間柄が今のアリサには羨ましかった。
『相変わらずの尊み全開トーク、眼福でございます。さてさて、雑談も名残惜しいですがそろそろ定刻ですので、披露会を始めさせていただきたく存じます。長丁場になるかもしれませんが、ぜひ最後までお付き合いいただければと』
『初代アリスさまの話なんだっけ。悠芭、まだ調べてたんだ』
『菊乃さんのそのご反応、数日前のアリサさんと同じでございますね。もちろん調べておりましたし、私なりの仮説がご用意できたので集まっていただいた次第です。前にお話しした伝承の内容を踏まえた上でのご説明になりますが、よろしいでしょうか?』
『もし伝承のこと忘れたって言ったら?』
『復習の意味で、もう一度最初からお話しいたします』
『……いい。なんか不思議と思い出してきたから。ヒナも大丈夫でしょ?』
『うん、たぶん完璧!』
威勢のいい矛盾だったが、菊乃も突っ込みはしなかった。
「わたくしも問題ないわ。悠芭さんがお話ししようと考えていたところから始めて」
アリサからも了承を得ると、悠芭は早速タブレットの操作を始めた。
ほどなく画面共有機能が立ち上がり、プレゼンテーションの画面のみが映し出される。
『僭越ながらスライドも準備もいたしましたので、こちらをお見せしながらお話しさせていただきます――タイトルはもちろん、「初代アリスさまの謎について」です』
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