Epistle VIII — The Girl's Story-Background
34.物憂げな車窓
†
金曜日の放課後から、ほとんどの生徒が夢見荘をあとにした。
アリサもその一人だったが、学院が手配した送迎バスは利用せず、清華の家から回してもらった車に乗って帰宅していた。本来であれば賑やかな帰路となるはずだったが、車内は使用人の熾乃と二人きりだった。
「セイラさまもご一緒にと思っておりました。残念でございましたね」
熾乃からの気遣う声も、今のアリサには気休めにさえならない。
「仕方ないわ。今のお姉さまには、別のお姉さまとしてのお役目があるんですもの」
セイラが夢見荘に残ることになったのは、スリーズである舞白のためだった。
――今日の放課後。連休前最後のダンス練習中に、舞白は体調不良を訴えた。
保健室まで付き添ったセイラ曰く『大事ではない』らしいが、結局、舞白が練習に戻ってくることはなかった。
元から帰宅する予定ではなかった舞白は夢見荘に残り、セイラも今日のところは付き添うことが決まった。スリーズとして放ってはおけないと言われれば、アリサも我がままを通すわけにはいかない。
(お姉さまと一緒に帰れないのは残念だけど、こればかりは仕方がないわ。明日には帰ってこられるでしょうし……でも舞白さん、本当に大丈夫なのかしら)
セイラの言葉を疑うわけではないが、アリサにはどうも気がかりだった。
舞白は練習中に不調を訴えたが、練習そのものに原因があったとは思えない。今日一日ずっと、もっと言えば昨日のお茶会のあとから様子がおかしいような気がしていた。
(結局、あれはなんだったのかしら。ただの事故? それとも、やっぱり誰かが――)
考えるのはやめようと何度も思った。しかし考えないわけにはいかない。
アリサのカップに混入していた異物――コーヒーの表面に見えていた、小さなカッターナイフの刃先。
密かに回収したものをあとで改めて確認したが、やはり見間違いではなかった。
もし飲み込んでいればただでは済まない。想像するだけでも恐ろしい。
が、実際にその可能性は低い気もした。あの時は舞白の声で気がついたが、そうでなくともコーヒーの中に沈んでいたわけではないから、飲む前に気づいていた可能性が高い。少なくとも口に触れた時点で違和感を覚え、吐き出すことはできただろう。
しかしそうなっていれば、大事になったのは間違いない――篝乃会のお茶会で起きた異物混入事件。そんな風に広まればどれだけの混乱が起きていたか。
誰かが故意にやったことでも、あるいは単なる不注意だったとしても、その犯人捜しが始まっていれば――最も疑われるのは誰になるか。
(舞白さんは、自分のせいかもしれないと考えたのかも。そう思い込んだからこそ、また必要以上に自分を追い詰めて……)
昨日、コーヒーの準備は讃の指導のもと、舞白の手によって行われている。
それでアリサのカップにあんなものが入っていたのだから。舞白が自責の念に駆られるのも分からないではない。
けれど本当に、舞白のせいなのだろうか。
ただの不注意というには、混入していたものが物騒な上、不自然に思える。給湯室でなにをどう間違えばカッターナイフの刃が入るというのか。
そもそも通常、
本当であれば今、アリサの隣にはセイラが乗っているはずだった。セイラに今回のことを話せば、自分を心配してくれるのではないか――いや、心配してほしいと思っていた。
それが叶わない今、悩みはただ心の中で宙ぶらりんとなり、悶々とした気持ちを押し広げ続けている。
「そうして物憂げにされているお姿は、少しセイラさまに似てきましたね」
熾乃がちらりと、憐れむような眼差しでバックミラーを一瞥したのが分かった。
「まだ一ヶ月ですが、随分と大人びられたようにお見受けいたします」
アリサは返事をせず、眠るふりをしようと目蓋を閉じた。
早く明日になって、屋敷に戻ってきたセイラにすべてを打ち明けたい。舞白ではなく、今回だけは自分を見てほしい。心配してほしい――。
それだけが、今のアリサが望んでいるものだった。
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