20.静謐なティータイム



 三人きりのティータイムは、始まってしばらくは静まり返っていた。

 その静謐が、上座で無言のまま紅茶を啜っているセイラが原因なのは明白だった。舞白に至ってはすでにカップを空にして、手持ち無沙汰のまま気まずげに俯いている。

 アリサはなるべく少量ずつ飲んでいたが、それでももう半分ほど減っているのに気づくと、緊張よりも苛立ちの方が強くなっていた。


(こんなに盛り上がらないティータイムがこの世にあるなんて誰が想像できるの? 稲羽さんも稲羽さんよ、気を遣って少しくらい自分から話したって……いいえ、分かっているわ。それができたらわたくしに頼ったりしないはずですもの。だけどわたくしを出迎えるのも、紅茶をカップに注ぐこともお姉さまに任せきりで、その上この有様だなんて)


 とはいえ、いつまでも呆れ返っているわけにはいかない。


「あの、セイラさま」


 セイラがカップを下ろした頃合いを見計らい、話を切り出す。


「本日は突然の申し出にもかかわらず、こうして茶話に参加させていただきありがとうございます」


「突然ではないわ。彼女の書き置きを見たから」


 整然と答え、視線のみで舞白を指し示すセイラ。

 舞白はハッと顔を上げたが、はにかむばかりで返事をするわけではなかった。

 一方、アリサは俄かに込み上げた幸せな気分に頬を綻ばせた。


(お姉さま、本当にお変わりありませんわ。常に凜とされていて、はっきりとした物言いで。お姉さまと呼べないことだけが残念ですけど、それでも、声を聞けるだけでこんなに幸せな心地になれるんですもの。もっと早くに伺えばよかったわ)


 部屋に来てまだ十分と経っていなかったが、すでに胸の中は満たされつつあった。たとえ多くの言葉を話さずとも、セイラとティータイムを過ごせるならそれだけで充分かもしれないとも思った。

 が、今回は自分だけが静かな満足に浸っているわけにはいかない。

 重々承知ではあるものの、実のところアリサは、二人の仲を近づけさせるための策など一つも考えついていなかった。


(ええそうよ、お姉さまに会えることで頭がいっぱいでそれどころではなかったのよ。お茶を囲めば自然とお話しくらいすると思っていたのよ。でも、今になって浅はかだったと気づかされたわ。お姉さまは相変わらず寡黙だし、稲羽さんなんて普段以上に息苦しそうなんですもの。このままにしておいてお話が弾むなんて、到底考えられないわ)


 やはり、自分がなんとかするしかない。

 意気込んだアリサは、早速セイラと目を合わせて微笑みかけ、


「セイラさま、お伝えするのが遅くなりましたが、入学式ではありがとうございました」


「入学式?」


「ロザリオのことです。首にかけていただきましたわ」


「あれは学校が用意したものよ。私がお礼を言われることではないわ」


 セイラらしい飾り気のない返事だった。

 無味乾燥な言葉でも、セイラの凜とした声であれば顔を綻ばせずにはいられない。


「それでもわたくし、嬉しかったんです。それにあの時は、緊張していてなにも返事ができなかったものですから」


 可能な限りの申し訳なさを付随させて伝えるも、セイラはやはり一つの表情も変えず、


「別に気にしていないわ。緊張するのは当たり前のことよ。あんなに大勢の前で挨拶をする必要があったのだから」


「ですが、セイラさまはあんなに堂々と」


「私も、とても緊張していたわ。アリサには分からなかった?」


「え、ええ。きっとどなたもお気づきにならなかったかと。ねえ稲羽さん?」


「え? あ、あの……」


 ようやく話を振ることができたが、舞白の返事はあまりに曖昧だった。頷いたのか、首を横に振ったのかも判然としない。

 遂には黙り込んだ舞白に、アリサは心の中で激しく叱責した。


(ちょ、ちょっと稲羽さん! なんで黙ってしまうの? 『そうですわ』とか『全然気づきませんでした』とか、簡単な相槌でいいじゃない。恥ずかしがり屋といっても限度があるわよ!)


 焦れったい気持ちが募ったが叱りつけるわけにもいかず、代わりに誤魔化すような微笑みを浮かべる。


「そ、その、稲羽さんはまだ緊張しているのね! そう、稲羽さんは極度の照れ屋ですもの。人前ではあんなに素敵なバイオリンを演奏できるというのに不思議ですわ。ねえセイラさま?」


「そう、そんなに照れ屋なの。初めて知ったわ」


「それはもう、教室ではいつも俯いて、はにかんでばかりですの。セイラさまはスリーズですから、とっくにご存知かと思っていましたけど」


「まったく話しかけてこないもの。どんな素性かまるで知り得ていないわ」


 本人を前にしているとは思えないほど率直な言葉。

 舞白は少しだけびくりと体を震わせながらも、やはり声を上げることはなかった。

 ここで愛想笑いの一つでも浮かべられるなら望みもあるが、真夏の炎天下に雪よ降れと願うようなものだ。無理と分かれば諦めもつきやすい。


「お二人はスリーズですから。いずれは心を通わせられる日が来ると思いますわ。ところで本日は、お話ししたいことがあってお伺いしましたの。篝乃会についてです」


 本来の目的を保留にして、アリサは話頭を転じる。


「篝乃会は純桜の生徒会執行部ですが、毎年何人かは、一年生も参加できるとお聞きしました。それで、わたくしもぜひ参加したいと考えています」


「そう。瑠佳さんから聞いたのね」


「はい。聖母祭のダンスパーティーにも出るつもりです。その時はセイラさま、わたくしと一緒に踊ってくださいますか?」


「そうなると思う。ダンスパーティーの演目はカドリーユだから」


 瑠佳から聞いていた通りで、アリサは心の中で盛大に喜んだ。

 篝乃会では毎年、新入生の中から庶務としての手伝いを募集している。

 人手の確保ももちろんあるが、入学して間もない一年生に篝乃会をより身近に感じてもらうことも目的の一つらしい。


 参加できるのは若干名と決まっているが、例年では二人以内が多いという。参加には篝乃会から過半数の賛成を得る必要があり、そのためのアピールとして、聖母祭の日の夕方に催されるパーティーは打ってつけの場とされている。

 聖母祭が行われるのは聖母月である五月の半ば。カドリーユとは二人四組となって踊るダンスで、パートナーが絶えず入れ替わる構成になっている。篝乃会のメンバーと触れ合い、顔見知りになるには絶好の機会といえた。


「セイラさまと踊れること、楽しみにしていますわ。カドリーユは踊ったことがありませんから、当日までにしっかりと練習を積みたいと思います」


「そう。篝乃会でも練習があるけれど、分からないことがあれば瑠佳さんに訊ねなさい。あの手のダンスは、彼女がとても上手だから」


「――セイラさまに、お訊ねしてはいけませんか?」


 思わず本音を漏らすも、アリサはすぐに後悔した。

 回りくどい訊き方では、セイラが自分の気持ちを察してくれないことはよく理解していたはずだった。


「私よりも、瑠佳さんの方が上手。そうでなくとも、スリーズに頼る方が賢明だわ」


「……それもそうですわね。申し訳ありません」


 予想通りの返答を残念に思うも、アリサは決して肩を落とさなかった。


(当日はお姉さまと踊れるんですから、贅沢ばかり言っていられないわ。それに篝乃会に入れば、お姉さまともっと長く一緒にいられるのだし、それまでは我慢よ我慢……。

 いいえ、むしろチャンスと思うべきよ。お姉さまも太鼓判の瑠佳さまからカドリーユを教われるんですもの。より完璧な状態でダンスパーティーに加わることができる。そうなればきっと、篝乃会にも……)


 前向きに考えながら、まだカップに残していた紅茶を口に運ぶ。

 だいぶ冷めていたせいで苦味があったが、顔には出さないよう頬を引き締めながら飲み干した。


「ところで、あなたはどうするの」


 お開きの頃合いが近づく中、不意にセイラが言った。


「篝乃会のお手伝い、興味はある?」


 その問いかけはアリサにではなく、終始俯いていたセイラのスリーズに対して向けられたもの。

 案の定、舞白は弾かれたように顔を上げ、


「い、いえ。私は、別に」


「そう。ダンスパーティーにも出ない?」


「それは、よく分かりませんけど……」


 どこまでも曖昧な返事だった。

 セイラはまた「そう」と答えると、壁にかかっている時計を見上げた。


「そろそろ、夕拝の時間ね」


 どこまでも端然とした言葉によって、この日のお茶会は静かに幕を下ろした。


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