第2話 革命まであと——

 日を改めて。教室から適当に抜け出し王宮敷地の茂みに姿を消す。誰も知らない抜け道を通れば、お膝元の街に出ることができる。


 物売りの出店と飲食店の外席のせいで道は狭まり大混雑だ。せわしく行き交う人々の隙間を、フードを深く被ってすり抜けていく。魔法〝かくれんぼの時間ハイド・レイン〟の効果があって、人が僕に目を留めることはない。


 約束の場所は街の西側。ボロボロの長屋に痩せた者たちが横たわる——いわゆる貧民街である。憲兵の巡回も多いので、注意して路地に身を隠しながら進む。


 ——こんなところに来るのは初めてだ……冒険だな。


 ワクワクしていた、折に。


「お前、誰だ?」


 背後から肩に手を置かれた。驚きに心臓が跳ねる。


 ——し……しまった。人混みならともかく、こんな目立つところじゃあ〝かくれんぼの時間ハイド・レイン〟の効果が薄かったか。


「随分綺麗なマントだが。貴族のガキが紛れ込んだか?」


 男の声は異様に低い。肩を握る力は抗えるものではなく。ギリリと痛む。

 鼓動が加速していく。


「人質に取って身代金でも貰おうか」

「身代金だなんてものが成功すると思ってるのかい資金の受け渡しで捕らえられるのがオチだよそれよりも僕がもっといいビジネスを教えてあげるから考え直して——」


 出まかせ上等、頭に浮かんだところから情けない逃れ文句をまくし立てていたところ。


「ごめんザーグ、その人、私のお友達なんだ」


 ベルが通路の縁に手をかけながら現れた。このあいだ見た人形のような服ではなく、少年風の短パンである。ガキ大将といった印象で、猥雑な背景に妙にマッチしていた。透き通って美しい銀髪がやけに浮いて見えた。


「べ、ベル! あ……フッ、遅いじゃあないかまったく」

「何を強がってんだよビビリがよ」

「ん? 友達? それは悪いことしたな。——ああ、魔法を教えてくれるってガキか。それは丁重に扱わないと、失敬失敬、許してくれよ?」


 それは、気になる発言だった。





 ベルに連れられて場所を移した。貧民街の建物の一つ。

 柄の悪い男たちがたむろしていて、無遠慮に視線を向けられる。直射日光が無いのだろう、空気が湿っていて、排水溝のすえた臭さがあった。バーカウンターがあるが誰も立っていない。

 やたらに恐怖心を煽る様式である。僕は声を震わせながらベルの袖を掴んで進む。


「随分と雰囲気のある場所じゃあないか。中々どうして心踊るよ」

「はっはっは。みんな怖いのは顔だけだって」


 ——う、嘘だよ~。


 奥の部屋は狭かったが、机が一つに椅子が二つ、ちゃんと用意されていた。

 それぞれ席に着いて向かい合う。確認したいことがいくつかあったので、口を開いたのは僕から。


「集合場所はともかく、ここでお勉強するのはどうしてだい? 叔母さんの家に伺うものと思っていたんだけれど」

「叔母さんの家からは追い出されちゃった。もう二度と来るなって。ここはきっと狭いだろうけど、我慢してほしいな」

「じゃあもう一つ。えっと——僕が君に魔法を教えるって、ここらの人に言ったの?」


 僕が懸念していたのは、僕が城下にまで降りてきていると王宮にバレる事だった。僕がサボりのダメ王子なのは王宮周知の事実だが、王宮から抜け出していることまでは、今のところ兄さんにしか知られていなかったのだ。


「でも、貴方が誰かって言うのは言ってないよ。王宮に連れられて行ったときに出会った子だとしか言ってない」


 ベルは僕の懸念を先回りする形で返答した。


「ビビるのは分かるけどさ。ゼンも時期に慣れるよ。あっゼンってのは偽名ね。私が考えたの。気に入った?」


 ——ビビっているのは確かなんだけど……。


 漠然とした不安も心をもやもやとさせていた。とはいえそれはすぐに言語化できるものではなく。


「ゼネリオだからゼンか。まあ及第点をあげるよ。ゼン……うん、気に入ってきた」





 机の上に僕の持ってきた本を積んでいった。一番上は児童向けの単語帳だ。


「簡単な単語なら分かるけどな」

「そう? なら調べながら読んでいこうか」


 二冊目は小説。実在の賢者を主人公のモデルにしたもので、魔法関連の言い回しもよく出てくる。


「この小説を一本読破できれば魔導書も読めるくらいの単語力が着くと思う。だからまずはそれを目標にしようか」


 ベルは机に突っ伏して小説の表紙を眺めた。気だるげな様子だ。


「すぐに魔法を覚えられるわけじゃあないのかあ。地道だあ」

「実用までは最低でも二年……早くたって一年半くらいはかかるね」


 最後の一冊が、魔法の基礎教本である。めくって確認していく。


「魔法には詠唱、魔法陣、杖が必要だ。これらを扱う技術は、どんな魔法を学んでいくにせよ必要になってくる。これについても、同時に理解を深めていくよ」

「はーい」


 ともかく僕とベルの教室は始まった。





 数時間後。僕は自分用に持ってきた魔導書を読んでいて、ベルは単語帳をめくっていたところ。

 まったりした時間が流れる中で、ベルはふとこんなことを口にした。


「へー、これって『革命』って意味だったんだ」


 顔を上げないまま適当に返事をする。


「どこかで見たことがあるのかい?」

「うん、姉さんが背中に掘ってた気がする」

「ふーん……」


 文字を追う目が止まる。努めて調子を変えないままに尋ねる。


「姉さんって?」

「ここらのごろつきを纏めてる女の人。私の……育ての親ってやつかな。優しくて、カッコよくて、憧れの人でさ。ゼンもすぐに会えると思う。楽しみにしてて」


 僕は本を閉じて机に置いた。マントを手に取る。


「少し散歩してくるとするよ」

「ん。行ってらっしゃーい」


 逸る心臓を鎮めながらドアノブに手をかける。


 ——一刻も早く王宮へ戻らないと。





 部屋から出た僕は後ろ手に扉を閉めた。暗いホールには男が一人だけ残っていた。スキンヘッドに割れ眼鏡。おっと顔を上げて僕を見る。


「お出かけか?」

「ああ、そうだね。少し外の空気を吸おうかと」

「ハッ! 小僧にはここの空気は慣れないか!」

「ベルのためにも慣れなくちゃあいけないね」

「ああそうだ、姉さんがお前に会いたいって言っててな。時間があるか?」


 ギクリ。なんとか自然な微笑みを作って答える。


「いや今日は遠慮しておこうかな。姉さんって言う人は、ここらの偉い人なんだろう? ここに来たばかりの僕が、初日に会うなんておこがましい気がするよ」

「アッハハハ!」


 今の笑い声はカウンターの奥からだ。ぎょっとして見れば、カウンターの影から一人の女性がにょきっと軽快に現れた。


「そんな逃げることはないじゃんねえ」


 女は左手で簡単なジェスチャーをして男を出て行かせた。これでこのホールには僕と彼女の二人だけ。


「さ、て……」


 深い森のような緑の髪を持つ妙齢の女性だった。丈の短いシャツが胸に持ち上げられて張っている。ショートパンツとブーツの合間から太ももが覗く。この場で出会ったのでなければ、お洒落でクールなお姉さんと言う感じだが。

 内心では恐る恐る、しかし表層では得意げに、こう尋ねた。


「どうして一度、彼を経由したのかな?」


 彼女はカウンターの上のコップに水を注ぎ——。


「んー? そりゃあ、少年がこのアタシを警戒しているか、確認するためだよねえ」


 ゆっくりと押し出し、僕へと勧めた。


「どうぞ?」


 彼女の態度は歓迎のそれだ。仕草の一つ一つはひょうきんで愉快な印象。だというのに、見殺さんばかりの赤い瞳孔が——。


 ——こ、こわい。


 僕はしぶしぶ椅子に上った。椅子が高くて、座るのに多少苦労した。


「いただきます」


 少しだけ口を付けた。女は豪快に笑う。


「アッハハ! 走って出て行こうものなら、撃ち殺さなきゃいけないところだったからねえ。そうならなくてよかったよう」


 彼女はなんてことないようにそう言った。おもむろに僕のコップを奪い取る。再び置かれたコップには僅かに口紅が付いていた。


「アタシのことはリリーって呼んでくれればいいよ、少年のことは何て呼ぼうか?」

「じゃあゼンで」

「可愛い顔してるじゃんね」

「こんなお洒落なお姉さんに目を付けられてしまうなんて。自分の可愛さが憎く思えたのは初めてかもしれない」


 心臓はバクバク言っててうるさいくらいだが、それをおくびにも出そうものなら舐められる。強気に、こんなこと何でもないといった態度でいかなければ。

 そうでなければ——一手でも間違えた暁には、生きて帰れない気がした。


「アッハハ、面白いねえゼン少年! さて、そろそろ少年も気になっているだろう要件に入ろうか。君は今さっき、このアタシのことを警戒したね。てぇことは、アタシが『革命』をチラつかせている事実を耳にしちゃったんじゃーない?」


「おっと? 何のことだか。今なんて?」

「アッハハ! だーかーら! 少年をただで返すわけにはいかないってこと!」

「となると、お姉さんのおうちに泊めてもらえるの? ちょっと緊張するな」


「あいにく人を監禁できるような大層な部屋は無いんだよねえ……。そもそもアタシは少年に物騒なことをするつもりはないんだよ? ベルガーリャのお友達らしいし。本心ではもてなしてあげたいくらい」


「それなら——」


「でも少年を王宮に返してしまっては、アタシらは明日には憲兵に捕らえられてるってワケ。だからねゼン少年。なんとも残酷だけれど、アタシはこんな契約を迫るしかなくってさ」


 蛇の舌なめずりが聞こえた気がした。


「ベルガーリャの命はアタシらが預かっている」


 これが貧民街の長。革命を率いる者。


「人質じゃんねえ、君の口を塞ぐための。さあどうだい? 伸るか反るか」


 おあいにくさま、僕にとってベルはそれほど大事な存在じゃあない。あくまでこれは暇つぶしに過ぎないのだから——と、真実を答えようものなら、僕はここで殺されていただろう。


「それは困るな。ベルに死なれたら非常に悲しい」

「アッハハ、交渉成立だ! これからよろしく頼もうじゃあないか、ゼン少年!」


 握手を求められる。僕は——まさしく大人に脅された子供のように、怯えに震えながら——その手を取った。リリーは面白そうに口角を上げていた。





 夕方、ベルは大通りまで送ってくれた。


「ちゃんと宿題やってくるから! 今度採点してよ!」

「もちろん、また来るよ」


 ベルは楽しげに腕を大きく振っていた。僕はそれに背を向けて王宮へと戻り——。





 憲兵へと全てを報告することにした。

 簡単なことだ。貧民街のあの店が反乱分子の拠点になっているのだと言えばいい。そうすれば明日の朝にはみな捕まえられて万事解決、王国安泰、僕は英雄、王子の立場でもってそうするのは当然にして常識的であって逆にそうしない理由は一つたりとも見つけることはできない。なにせ僕はこの国の王子なのだ。国営の中枢に関わることこそが僕の運命にして人生なのだから、国家安寧を揺るがす存在を見逃すことは僕の人生全てを棒に振っても構わないと自分で認めるようなもの、ということは分かっているし重々承知してるし嫌というほど理解してはいてさしものこのダメ王子にだってそれくらいは分かるんだけど、いやでもまあそのあのさあ色々正論は思い浮かぶんですけれど結局のところ僕は言えなかったというか報告できなかったというか言えるわけがない。


「はあ」


 自室の椅子で脱力して天井を仰ぐ。


「どうしよ」


 母親の顔も知らず、父親には結局認知されず、その血が生んだ資産は本人に還元されず——辛うじて貧民街に居場所を見つけた彼女が、死ななくてはならない理由などあるわけがないのだから。


 とはいえ僕が王宮を裏切る理由もない。


「今日はもう寝ちゃうか」


 ということで僕は考えることを放棄した。問題の解決を先送りにして、ベルに魔法を教え続けたのである。




     ~〜革命まであと100日~〜

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