りゅうのこと
@enohara
プロローグ つきとりゆう
大きな月が出ていた。
天を衝く二つの塔の間に架けられた連絡橋の上で、エンリは月を見ていた。
港を扼する王都市街から、少し離れた低山に築かれた城である。裾野のほぼ全域に展開している厩舎や倉庫、家臣たちの家といった建物に取り巻かれ、白亜の石壁が月光を照り返す三重の城壁が更に取り巻いている。平らに均された頂上に、城壁と同じ白亜の城が海と街を見下ろしている。その背後を支える二本の背骨のように、二つの塔が聳え立つ。
白塔城、と呼ばれていた。それがエンリの生まれた家だった。
月光に照らされる陸と海の間に、港と街の灯りがぼんやりとした輪郭で浮かび出し、遠い潮鳴りとともに街区の喧騒がエンリの耳に蘇った。ヴィサリア王国の王都サグレスは、商業港として大陸では無類の規模を誇る。目に映るのは爛熟した都市の景色であり、国が、街が、これほどの明かりを灯せる力を持っているということなのだ。ただ、今夜の海を彩るのは人の、文明の光ではない。海に落ちた月光が強すぎる。
月明かりが水面に光の道をつくっていた。月と海。それをエンリはいつまでも見飽きることはないと感じていた。何かが、どうしようもなく自分を惹き付けるのだ。喧騒の中、文明の光の中にいるより、月光に照らされた静寂の世界が好きだった。
それに誘われるように、橋の胸壁の上に登った。手をついた時、胸壁の石は月の光のように冷たかった。身体に勢いをつけて、月へ向かって跳躍した。
凪いでいた風が落下するエンリの全身を強く撫でる。呼吸にして二つ数え、大きく息を吸った。一瞬、エンリの全身が炎に包まれた。それは月の光と同じ色をしていた。月光色の火の中から、竜が顕れた。竜の身体を覆う鱗もまた月の光を透かしたような色を発していた。花開いた次の瞬間から消えていく炎と月が竜の鱗を照らし、宵闇の中で明滅した。
竜の翼が一度大きく空を搔いた。空気を裂く音のほか、咆哮もあげず静かに滑空する。すぐに風を掴み、竜は海面へ頭を向け、陸地を離れた。
沖合まで飛んだ。月光を浴びるように飛んでいるうちにエンリは歓びに満たされた。月と、舞えるか。月と、語り合えるか。それだけが胸にあった。竜の姿で空を飛んでいる間だけは、王子であることも、母のことも、竜に化けることそのものも忘れられた。月に酔いて踊るただひとつの生きものでしかなかった。
月の中に何かがいるような気がして、エンリはもう一度、高く、月まで飛ぶつもりで、翼を大きく拡げた。
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