白銀砂漠の魔術師は、呪われた少女と疑似家族の夢を見る

漂月

第1話

 白銀砂漠の真ん中に、ぽつんと建っている俺の四角い研究塔。

 塔のてっぺんにある研究室を恩師が訪ねてきたのは、今から6年前のことだった。

「こんばんは、シオン君」

「あ、ペストマスク先生。お久しぶりです」



 すると恩師は黒いマント姿を屈めながら、律儀に訂正してくる。

「僕はペストマスクではなく、ペフトムスクです」

「知ってます」



 知ってるけど、ペストマスク被ってるんだよな俺の恩師。190cmぐらいある長身なので、マスクと相まって物凄い威圧感がある。でも凄くいい先生だ。

 異世界に転生した俺を「この子は只者ではない」と見抜いて弟子にしてくれた恩師だからな。転生しただけの一般人だと知った後も俺を大事にしてくれたので、とても尊敬している。



 ペフトムスク先生はペストマスクをいじりながら、小さく溜め息をつく。

「君のいた世界にペストという疫病が存在していたことは聞きました。実際、僕も疫病を扱う魔術師ですからね。このマスクは重宝していますよ」



 そう。ペフトムスク先生は疫病と死を司る魔術師だ。といっても殺す側ではない。あくまでも防疫の専門家で、あちこちの国や都市に招かれて疫病の流行を終息させている。

 俺が先生の弟子になったのも、前世の衛生知識を評価された部分が大きい。俺自身はそんなに賢くない。



 俺は研究室の加熱器で湯を沸かし、貴重な茶葉で茶を淹れる。

「先生、とりあえずお茶を」

「ありがとう。助かります」



 ペフトムスク先生はマスクを脱いだ。

 綺麗に切り揃えた短い銀髪に、少女のような可憐な美貌。黒づくめの長身とは全く異質な、だが不思議な調和が取れている美だ。

 一門の女性陣はみんな先生のファンだが、こんな美形が恩師では無理もないだろう。



 その美形の先生が渋い顔をしている。

「君の淹れる茶はいつも薄いですね」

「先生が普段飲んでるのは茶の煮汁です。そのうちカフェインの摂り過ぎで死にますよ」



 先生には長生きしてほしい。まだ百歳ぐらいのはずだ。この世界には数百年も生きている魔術師が何人もいると聞く。

 すると銀髪の美青年がニコッと笑う。



「長生きできるよう養生しますね」

「はい、それで結構です」

 茶を飲み終えた先生は再びマスクを被る。先生自身は免疫力が低いらしく、疫病を研究しているのも元々は自身の治療のためだったと聞いている。



「人の生き死には思うようにならないものですが、病や老いではなく剣によって命を閉ざされるのはつらいことです」

「なにかあったんですか?」

「ええ。二十年来の友人が殺されました」



 どうやら重大な事件が起きたらしい。俺を訪ねてきたのは、もしかするとそれが理由か。

「戦いですか? 呪砂(じゅさ)なら大樽で何個か用意してますが」

「いえ、そちらは必要ありませ……作りすぎです。戦争でも始めるつもりですか?」



 先生があきれた顔をしているので、俺は真顔でうなずく。

「必要なら」

「おやめなさい。君にお願いしたいのは、もっと大切な用件です」



 先生が印を結ぶと、床に光り輝く魔方陣が現れる。転移術だ。何かを呼び寄せるらしい。

 光と共に出現したのは、おくるみにくるまった赤ん坊だった。燃え盛る炎のような、明るい色の赤毛が印象的だ。

「先生、この子は?」

「友人の一人娘です。かろうじてこの子だけは救えましたが、この子も追われる身です」



 よく見ると、おくるみには血痕が残されている。まだ変色していないところを見ると、この子を抱いていた人物は今夜殺害されたようだ。心の中で冥福を祈る。

 先生は赤ん坊を抱き上げ、悲しみを圧し殺すような声で言う。



「この子だけは守りたいのです。もちろん養育もしなければいけませんが、僕一人では厳しい。もし良ければ協力してくれませんか?」

「先生の頼み事を断れるはずがないでしょう。しかし俺よりチモさんとかの方が適任では?」



 同期の彼女なら母親代わりになってくれそうな気がする。他の姉弟子たちは……うーん、ダメだな。やっぱりチモさんぐらいしかいない。

 しかし先生は首を横に振った。



「君以外の弟子は町中で暮らしていますから、周辺の住民を危険に曝します。ここなら何者かの襲撃を受けても僕の使い魔を召喚できますからね」

「ああ、黒死術……」



 ペストマスクのペフトムスク先生は凶悪な病原体を使い魔としている。人類がまだ発見していない未知の病原体だ。たぶん菌か何かで、致死率はほぼ100%。

 毒素をばらまいて他の菌まで殺すので殺菌に使えなくもないそうだが、一般の人にはもちろん秘密だ。



 そのとき、天井から吊るしているモビールがくるくると回り始めた。白銀砂漠の砂で作ったガラス細工が涼しげな音色を奏でる。

「話は後です、先生。大型生物がこの塔に接近しています」



「このモビールはシオン君が作った【鳴子の結界】ですか。大型生物というと?」

「砂鮫か、大砂虫の幼体か、あるいは人間か」

 俺と先生は無言になる。この状況を考えれば、可能性が最も高いのは人間だろう。砂鮫も大砂虫も白銀砂漠のこんな深部には来ない。餌がないからだ。



 俺はポケットに【呪砂】の革袋をいくつか突っ込むと、白いマントを羽織ってバルコニーの扉を開いた。

「様子を見てきます。先生は赤ん坊をお願いします」

「危険ですよ」



 先生が俺の身を案じてくれるが、俺は笑った。

「見つからないように、そっと見てくるだけです」

「ですが、君がそういう顔をしているときは必ず無茶をしますからね」

 バレてる。



 俺は飛行術をかけてふわりと宙に浮かび、それからバルコニーの手すりを蹴った。

「すぐ戻りますから」

「あっ、待ちなさい!」

 先生の声を上に聞きながら、俺は月夜の砂漠へと緩やかに落下していく。



 飛行術で飛んでいけたらカッコいいのだが、垂直移動は覚えたものの水平移動はあまり上手にできない。俺は落下しつつ、空中でゴーグルを着ける。

「起きろ、【砂舟】」



 砂に埋もれていたサーフボード状の板が静かに浮上してくる。砂の上を自走する魔法の乗り物だ。

 ちなみに砂以外では動かない。雪上も水上もダメだ。砂利だとギリギリ動く。

 そんな砂舟の上にふわりと降り立つ。



「行け」

 俺が命じると砂舟は砂の上を滑り始めた。

 ガラスのモビールが感知したのは、何者かが砂上を移動する震動だ。砂鮫や大砂虫の震動とはパターンが違う。歩行する生物の震動だな。



 ゴーグルには震動の発生源が投影されている。ここから数キロ離れた砂丘の裏側か。人間より少し大きい生物で、統制が取れている集団のようだ。嫌な予感がする。

 俺は目的地の砂丘のてっぺんで砂舟を止め、【呪砂】の小袋を取り出した。白い砂をサラサラと足元に散布する。



 見下ろすと完全武装の騎兵たちが20人ほど。

 砂漠に適応した二足歩行の大型鳥類、通称「騎鳥」にまたがっている。軍馬ではないが、これもれっきとした騎兵だ。

 統制の取れた動きから、軍隊に近い連中だと判断できる。まずいな。

 とりあえず警告はしておくか。



「ここで何をしている」

 俺が問いかけた瞬間、ヒュッと何かが飛んできた。

 足元の砂が水柱のように噴き上がり、飛んできたものを撃ち落とす。【呪砂】に守られた俺に矢など通用しない。

 月光に照らされたのは、何かをべっとりと塗りたくられた矢だった。毒矢か。



「それが返答という訳だな」

 また矢が飛んできた。話にならない。

 ほぼ間違いなく、こいつらは先生を追ってきた刺客だ。いきなり襲ってきた攻撃性といい、生かして帰す訳にはいかないだろう。



「恨むなよ、こうなったのはお前たち自身の選択だ」

 俺は別の革袋から黒い【呪砂】を地面に撒き、片手で印を結ぶ。

「呑み込め、【砂地獄】」



 次の瞬間、刺客たちの足元の砂が大きくうねり始めた。

「ケエエエエッ!」

「うわっ!?」

 騎鳥たちが驚いて翼を広げ、騎手を全員振り落とす。



 騎鳥たちは翼をバタつかせて懸命に揚力を確保し、流砂の上をトトトトと軽快に走り去っていった。

 騎手を振り落としたのは、鎧を着た人間なんか乗せていたら砂に沈むからだろう。非情だが賢明な判断だな。



 俺はこの世界に転生して、砂を操る魔術師になった。

 厳密に言うと、「主成分が二酸化ケイ素で直径2ミリ以下の物体」だけを動かせる。要するに普通の砂だ。2ミリを超えると「礫」と呼ばれる。確か前世でそう習った。

 条件に適合すればガラスなども操れるが、直径2ミリの制限があるのであまり機会がない。



「なっ、なんだ!?」

「何が起きている!? 魔法か!?」

 見捨てられた刺客たちは弓や槍を手にしたまま、砂の上でもがいている。だが手が届く範囲の砂は全て流砂となり、もがいた分だけ体が沈んでいく。



 こんなふうに物理的な力を生じさせて物を動かしたり変形させたりする術を、ペフトムスク先生は「力術」と分類している。俺は砂専門の力術師ということになるな。かなり地味で限定的だ。



 だがここは砂漠のど真ん中。見渡す限り砂しかない。俺の力が最大限に発揮される場所だ。

 だから住んでる。



「こっ、このバケモノめ!」

 膝まで埋まった刺客が槍を投げつけてきたが、足腰が定まらない状態ではまともに届きもしない。むしろ反動で体が沈みこみ、その刺客は腰まで埋まる。



 俺は砂しか動かせない分、パワーも操作性も桁外れだ。魔力を封じた【呪砂】でブーストすれば、砂丘まるごと自由に動かせる。

 ちなみに白の【呪砂】は砂の防壁を、黒の【呪砂】は流砂を生み出す。



「このガキ、あの男の仲間か!」

「殺してやる!」

 命乞いした方がいいんじゃない? 赤ん坊を殺そうとするようなヤツを生かしておく気はないけど。



 俺は無言のまま、砂舟の上で彼らの最期を見届ける。命を奪う以上、その光景は見る義務があるだろう。あと誰も逃がす訳にはいかないし。



 もがく者、味方をつかんで自分だけ助かろうとする者、動くのをやめて耐えようとする者。

 いろいろいたが、結局は全員が砂の中に消えていった。効果範囲を考えると10メートルぐらい沈んでいったはずなので、もう二度と出てくることはない。水とは訳が違うからな。



 やがて【呪砂】の効果が解け、流砂は止まる。大きなすり鉢状の窪地ができていたが、そのうち風に洗われて消えてしまうだろう。

 ゴーグルにはもう他に反応はない。地平線の向こうに大砂虫の巣がひとつあるぐらいだ。



「帰るか……」

 自衛のためとはいえ、人を殺した後はなんだか気が滅入る。

 この世界では他所者を殺したぐらいでいちいち気にしてたら暮らしていけないのだが、それでも俺は21世紀の日本人だ。



 夜の砂漠を砂舟を走らせて塔に戻ると、先生は赤ん坊を抱いたまま俺の帰りを待っていてくれた。

「ああ、よかった……。いきなり飛び出していくから心配しましたよ」

「すみません、先生」

「その様子だと、追手を殲滅しましたね?」

 先生鋭いな……。



「あいつら何者です?」

「僕も詳しくは知りませんが、この子の呪いについて知っている者たちでしょう」

「呪い?」



 するとペフトムスク先生は黒革手袋の指先で、おくるみをそっとめくった。

 俺は息を呑む。

「これは……!?」



 赤ん坊の小さな掌に、不気味な紋様が明滅していた。

 刺青のようにも見えるが、普通の刺青は発光しない。明らかに魔術的な、しかもかなり高度なものだ。魔術紋の密度と折り畳み方が尋常じゃない。

 先生は溜め息をつく。



「『渇きの魔女』の呪いです。術者は亡くなっているのですが、呪いだけが転生を繰り返しているのですよ。この子は生まれた瞬間から呪われていました」

 エグい呪いだな。



「もしかして、この子の親が殺されたのはこれが原因ですか?」

 恐る恐る尋ねると、先生は静かにうなずいた。

「はい。この呪いの紋様が全身に広がると、この子の周囲からは水が消滅します。氷や水蒸気はもちろん、生物を構成する水分もです」



「……つまり干物に?」

「干物で済めばまだマシな方で、たぶん粉々になると思いますよ。いずれにせよ呪いの範囲内にいる者は全て死にます。厄介なことに効果が持続し、その土地は枯れ果てます」



「土地ごと死ぬじゃないですか」

 俺が恐怖を感じながら言うと、先生は静かにうなずいた。

「それゆえ、誰もがこの呪いを恐れるのです。この砂漠はもともと乾燥していますし、誰も住んでいませんから、被害は最小限で済みますが」



「俺が住んでるんですけど……」

「その点については本当にすみません」

 まあ仕方ない。俺も先生と同じ立場だったら、同じ判断をするだろう。



 先生は赤ん坊を慈しむようにそっと抱き締めた。

「この呪いの紋様は、この子の恐怖や憎悪を糧として成長します。『呪われた子』として敵意に晒されれば、必然的に恐怖や憎悪を抱えて生きることになるでしょう。いずれ呪いが全身を侵食します」



 これもある種の「呪いの自己成就」といえるな。「呪われている」ということ自体が呪いとなるのだ。

 なるほど、隔離して養育した方がいいのは間違いない。

 俺はだいたい納得したが、最後にひとつだけ確認しておく。



「もしこの子が亡くなったら、呪いの力はどこに行きます?」

「時間と空間を隔てて、どこかの赤ん坊に移るでしょう。追跡は困難です」

 つまり殺してしまうのは愚策もいいところだ。人の道にも背いている。



「じゃあ、この子を恐怖や憎悪とは無縁の環境で育てて、人生を楽しみながら思いっきり長生きしてもらうしかなさそうですね。もしかするとその間に解決策が見つかるかもしれませんし」

「そう思ってくれますか?」



 俺は力強くうなずく。

「はい。この子が先生の保護下にある限り、呪いはどこにも逃げません。解決策が見つからないとしても、これから数十年は誰も死なずに済みますよ」



 俺は指を伸ばし、赤ん坊の手に触れる。柔らかくて温かい。無垢な命だ。

「あぇうー」

 俺の指を握ると、赤ん坊はチュッチュッと吸い始めた。衛生的じゃないからやめさせたいが、思っていた以上に力強いぞ。怖がらせるとまずいかな?



 指をチュウチュウ吸われながら、俺は溜め息をつく。

「前世はそれなりに生きましたけど、今世はまだ12歳なんですよ俺」

「未婚の父どころじゃないですよね。もちろん僕が親代わりになりますから、君は兄のつもりでいいですよ」

「そういう問題じゃなくてですね」



 困った恩師だなあ。赤ちゃんのお世話なんて前世の甥っ子以来だ。不安しかない。

 かといってここで恩師を見捨てるなんてことはできない。もちろん、この赤ん坊もだ。

 誰かが助けなければいけないのなら、俺が助けよう。



「仕方ありません。防疫業務で多忙な先生にワンオペ育児なんてさせられませんからね」

「ワン……なんですかそれは」

 俺はクスクス笑いながら、赤ん坊を見つめる。



「俺の名前はシオンだよ。よろしくな」

 それから俺はふと首をかしげる。

「そういえばこの子の名前は?」



 先生は少し沈黙し、それからぽつりと答える。

「フィルリンフィオーネ。遠い異国の言葉で『祝福と希望』ぐらいの意味です。ただ本名は隠した方が安全でしょう」

 それもそうか。



「呪いに負けない良い名前ですし、全部隠すのはもったいないですね。フィルと呼びましょうか」

「やや危険な気はしますが、その方がこの子の両親も喜ぶでしょう」

「よーし、今日から一緒に暮らそうか、フィル!」

「あえー」



 フィルがにっこり笑った。まさか言葉が通じてる、なんてことはないよな?

 次の瞬間、俺は笑顔の意味を悟る。

「なんか臭いな……うわ、この子ウンコしてますよ!?」

 出してスッキリしたから笑ってるだけだ、これ。



 先生は深くうなずいている。

「それこそ生きている証拠ですね」

「いいからそこの布取って、先生!」



「シオン君、この布でいいんですか?」

「雑巾で何をするつもりですか先生! そっちに置いてある洗濯済みの布巾!」

 これがフィルとの出会いだった。

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