第6話 ベッド

   ◇ ◇ ◇


 灰咲さんと話していたら、いつの間にか日付が変わっていた。


 誰かと一緒にいるとあっという間に時間が経ってしまうな。

 灰咲さんといる時間が苦痛じゃなかったから余計に早く感じたんだろう。むしろ、楽しかったし。


 女性と自分の家で過ごすのが久々だったからっていうのもあるが、もしかしたら灰咲さんとは相性がいいのかもしれない。


 女性でも人によっては一緒にいるのが苦痛だったり、気苦労が耐えなかったりするからな。


 単純に灰咲さんが気を遣ってくれて、俺が過ごしやすいようにしてくれていただけかもしれないが……。

 だとしたら申し訳ないので、寝る時くらいはゆっくり休んでほしい。


「――灰咲さんはベッドで寝ていいっすよ」


 背後にあるベッドにチラリと目配せした俺は、酒を飲みながらテレビを観ている灰咲さんにそう伝えた。


「え……いや、いいよ。私は適当にこの辺で寝るから、獅子原君がベッド使って。獅子原君のベッドなんだし」


 灰咲さんはベッドを一瞥すると、自分が座っているカーペットをさすって寝る場所をアピールする。


「いや、女性を床で寝させて自分だけベッドで寝るのはプライドが許さないといいますか……」

「紳士なんだね」

「そんなかっこいいものじゃないですよ。俺のくだらないプライドの問題なので」


 だってさ、女性が床で寝ているのに、自分だけベッドって落ち着かないじゃん。

 気を遣わないくらい親しい女性なら床で寝ろって遠慮なく言うけど、灰咲さんはあくまでも同僚の域を出ない関係だからなぁ~。しかも年上だし。


 それにこういう時くらいカッコつけたいのが男って生き物なんですよ。


「気が引けるから遠慮したいところだけど、せっかくの厚意だからありがたく受け取るのがマナーだよね。私、男性を立てることができるイイ女だからさ」

「それ自分で言うんだ……」


 灰咲さんは、レディファーストには男性を立てることで応えるという男女の付き合い方を良く心得ていらっしゃるようで。さすがです。


 まあ、俺にはレディファーストをしているつもりはないんだけども……。ただ単にカッコつけているだけだから……。


「なんなら、一緒に寝る?」


 灰咲さんはそう口にしてコテンと首を傾げたが、俺は予想だにしない言葉に「はい……?」と無意識に呟きながら目をしばたいた。


 揶揄からかっているふうでもなく、冗談を言っているふうでもない、真面目な顔つきの灰咲さんから察するに、どうやら本気で言っているらしい。

 変に肩肘張っているわけではなく、脱力感があるところが精神的にリラックスしていて無理をしているわけではないという証拠であり、余計に真剣味を増している。


「それなら二人ともベッドで寝られるでしょ? ちょっと窮屈かもしれないけど」


 俺のベッドはセミダブルだから確かに二人で寝たらちょっと窮屈かもしれないよ!?

 でも、そういう問題じゃなくてですね……!!


「いやいや、さすがにそれはマズイっすよ!」

「そう?」

「そうっすよ。俺たちはそういう関係じゃないんですから」


 親子でも兄弟でも夫婦でも恋人でもセフレでもないのに、大人の男と女が同じベッドで寝るのは控えるべきだろう。

 灰咲さんは元カレのせいであまり男にいい感情を持っていないはずだから、尚のこと避けたほうがいい。


 だというのに、灰咲さん本人がまったく気にも留めていないと受け取れる振る舞いをしている。

 もしかして……俺が余計に気を回しすぎているだけなのだろうか……?


「ふぅ~ん。真面目なんだねぇ。大人なんだし、そんなこと気にしなくてもいいのに。私がいいって言ってるんだし」

「灰咲さんが良くてもですね、俺の理性の問題があるわけで……」


 いくら灰咲さんのことを恋愛とか抜きにして、友人として接したいと思っていても、俺だって男なんだから我慢の限界があるんだよ。


 今は男女の関係的な気を起こすことはないが、セミダブルのベッドで密着したら理性が揺らいでしまうかもしれないだろ。


「さすがに無警戒すぎませんか?」


 もちろん、仮に理性が崩壊しても無理やりことに及ぶような無体な仕打ちを働くことは絶対にないと誓える。

 だが、男と女なんだから雰囲気に流されてしまうことだってあるだろう。


 まあ、色恋沙汰にりしている灰咲さんが雰囲気に流されることはないと思うけども。


 そもそも俺のことを人畜無害の男と思っていたり、異性として魅力を感じていなかったり、対象外で眼中になかったりする可能性もあるが……。――なんか悲しくなってきた……。


「別にそんなことないよ? 私は獅子原君ならいいと思ってるから」

「はい――?」


 空耳か……?

 ――いや、この場合は聞き間違いと言ったほうが正しいか?

 予想だにしない言葉に俺の脳内がちょっと混乱しているな……。


「そりゃ、男の家に一人で行く時点でも想定してるよ」

「え……」

「それに泊めてもらう代わりにをすることになる覚悟だってしてるよ」


 そうか……。

 女の人が男の家に泊めてもらうってことは、そういう覚悟が必要ってことなのか……。


「だからもしそうなった時のことを考えて、この人ならいいかな、と思える人の家に泊めてもらおうと思ったんだよ」

「……それが俺だったと?」

「そうだよ。獅子原君なら乱暴なことはしないと信用できたからね」


 果たして「この人ならいい」の〝いい〟の部分は、好意的な意味なのか、我慢できるという意味なのか、どちらなのだろうか……。

 前者なら光栄だが、後者なら複雑だな……。


「まあ、ほかに頼れる男の人がいなかったっていうのもあるけど……。事情が事情だから女の子は巻き込みたくないし」


 東京に知り合いが少ないっていうのもあるのかもしれないが、仮にいても女性には頼みずらいよな。元カレに見つかって乱暴沙汰とかになったら危ないし。


 立ち上がってベッドに移動する灰咲さんの姿を目で追いながらそんなことを考えていると――


「だから巻き込んでしまった謝罪と泊めてもらっているお礼を兼ねて、獅子原君がヤリたいならシてもいいよ?」


 ベッドに腰を下ろして足を組んだ彼女が、艶然と微笑みながら衝撃的なセリフを口にした。


「……それ、本気で言ってます?」


 動揺して反応が遅れてしまったが、なんとか口を動かすことができた俺は灰咲さんの顔をジッと見つめる。


「もちろん、本気だよ」

「そうですか……」


 視線を逸らさずに見つめ返してくる様子に本気度が伝わってくる。


「どうする?」


 小首を傾げて問いかけてくる灰咲さんの姿が妖艶であり、可憐であり、耽美であり、否応なく視線が吸い寄せられてしまう。


「……魅力的な提案ですけど、やめておきます。弱みに付け込む趣味はないので」


 とてもとても惹かれるお誘いですけども! 抗いがたいですけども!


「そう? 獅子原君って草食系? それとも私じゃ不足ってことなのかな?」

「いやいや、本当に魅力的なお話ですよ! ただ、趣味趣向の問題なだけで!」


 お互いに好意がある上での行為に魅力を感じる性癖なので、弱みに付け込んだり、無理やりやったりするのは気が乗らないんです!

 決して灰咲さんに魅力がないわけでも、食指が動かないわけでもないんです!!


 そりゃ、俺だってできることなら灰咲さんとをしたいですよ!

 でも、それはあくまでもお互いに前向きな気持ちだったらって話なんですよ!!


「それに今は灰咲さんと友達でありたいので、距離感を崩したくはないです」

「別に友達でもをすることはあると思うけど? セフレとかじゃなくてもさ」

「……そういうもんすかね?」


 確かに友達でも雰囲気に流されてことに及んでしまう時はあるかもしれないけども……。


「まあ、私も友達とそういう関係になったことないからわからないけど――」

「――わからないんかいっ!」


 てっきり実体験かと思ったわ!


「とにかく! 本当にそういうのは大丈夫なんで! 灰咲さんは変に気を遣わずにゆっくり休んでください」

「そう? 我慢してない?」

「してるけどしてないっす!」

「我慢してるんじゃん」

「我慢はしてるけど無理はしてないので」

「それ……なにが違うの……?」

「心の持ちようが違います」


 性欲的には我慢しているけど、気持ち的には我慢していない。

 本当に魅力的な提案には抗いがたいほど惹かれるけども、弱みに付け込んでも嬉しくない。むしろ萎える。


 だからまったく無理はしていない。


「よくわからないけど、獅子原君が紳士だってことはわかったよ。ありがとね」


 小さく笑みを零した灰咲さんは脱力したようにベッドに横になると、「良かった。頼ったのが獅子原君で」と呟いた。


 口ではヤリたいならシテもいいと言ってはいても、本心では嫌だったんだろう。

 そりゃそうだ。好きでもない、付き合ってもいない男と身体を重ねるのなんて嫌に決まっている。


 身持ちの軽い女もいるが、灰咲さんはそういうタイプじゃないみたいだからな。

 それに灰咲さんの場合は男にいい思い出がないだろうから尚更だ。


「でも、もし気が変わったら言ってね?」


 横になりながらそう口にした灰咲さんははかなげであり、色っぽくもあった。


「変わらないですよ。安心してください」


 尚も気を遣う灰咲さんに俺は胸中で苦笑しつつも、それをおもてに出さずに、安心させるように笑みを返した。


「うん……。もう寝るね。おやすみ」


 灰咲さんは掛け布団を手繰り寄せると、安心したように瞼を閉じた。


 その様子を目にした俺は押し入れから余っているタオルケットを取り出すと、部屋の照明を消してソファに横になった。

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