第38話 新しい家族

 去年から始めた感謝祭も無事に終え、ようやくひと息という時に港にある商会の事務所にその知らせが舞い込んだ。

 通信魔道具からサミエルの興奮した声が聞こえ、私は事務所を飛び出した。

 私に付いてくれている侍従のレスターが直ぐに馬車を回してくれた。

 早く早くと気持ちが逸る、一層走ってしまいたい衝動に駆られるがそれをレスターが諌めた。

 「落ち着いてください、これから長丁場になるらしいので今はクリストファーさまも少し休んでください」

 レスターに言われて、先に受けた専属医の説明を思い出す。

 「陣痛が始まっても直ぐにお産になるわけではありません」

 「初産ですからね、時間もかかるでしょう」

 それから。

 「本格的な陣痛が始まるまで側で励ましてあげてください」

 勿論だ!そう思ったのを思い出す。

 普段は淡々とした妻が説明を受けた時に不安に瞳を揺らせていたのを思い出した。

 

 邸に着けば邸内は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 私はサミエルの婚約者であるカタリナに案内されてグロリオサの居る寝室に入った。

 ベッドに入り背中に枕を重ねて上半身を起こしていたリオが部屋に入った私の顔を見てホッとしたように眉尻を下げた。

 「まだまだ時間がかかるみたい」

 「今のうちに休んでおこう」

 私の言葉に小さく頷いたリオの手を両手で握る。

 時々痛むのか呻き声をあげるリオの手を私はずっと握っていた。


 昼過ぎにはカタリナ嬢とオフィリア嬢が手伝いに駆けつけた。

 二人は助産師や年長の侍女頭たちの指示を仰ぎながら細々とした作業に手を貸している。

 「頑張ってくださいませ」

 「お義姉さま、私も微力ですがお手伝いしますからね」

 リオに声をかけながら安心させるように拳をギュッと構えて見せる二人にリオが「ありがとうございます」と笑った。

 夕方にはサミエルが、それから少し遅れてジオとフィンが邸に集まる。

 リン殿は夏の終わりに自国から来た友人で協力者でもあるイチ殿を連れて、産後に食べれそうなものをと厨房へ食材を運んでいた。

 そんなリン殿が私たちの元へ簡単に口に出来るはずだからと米を炊いて握り固めたものを運んできた。

 「あまり食欲はないのだが」

 そう遠慮した私にリン殿は優しく諭す。

 「これから伯爵さまは大変になります、クリストファーさまは伯爵さまを支えれるように体力を付けておかなきゃならないですから」

 そう言いながらオニギリと呼ぶそれを私の手に置いた。

 ほんのりと塩の効いたそれを口に入れると、存外腹が減っていたことに気付いて用意されたオニギリを結局三つほど腹に入れた。


 夜も更けてくるといよいよ本格的にお産が始まり、私たち男性陣はサロンに追いやられてしまった。

 暫くはウロウロと忙しなく動いていたが、そのうち私もソファに深く腰掛けると両手を組んで額を押し当て、祈るような思いに駆られた。

 邸全体が緊張感に包まれシンと静まり返っている。

 時折パタパタとメイドが水と湯を汲みに行く足音だけが邸に響いていた。


 私はたまらずサロンを抜けて執務室に向かった。

 いつもそこにいる主人の居ない執務机に向かい私に用意されている執務机の椅子に座る。

 兎に角無事にといのりながら、こんな風に祈る自分を不思議に思った。

 学園で三年生にあがり、魔道具を使い擦り寄ってきた女子生徒を見た時に思い付いた所業。

 それを成せば幽閉なり放逐なりされるだろう、そうなれば当然のちに禍根を生まないためにも断種は免れない、その覚悟はあった。

 まさか王籍を抜いて婿養子に入るだけで解放されるなど夢にも思わなかった。

 あっという間に私はカルバーノへと婿養子に入りグロリオサの伴侶となった。

 グロリオサにしてみれば私のような本来日陰に生きていかなければならない男が突然夫になるなど、不幸でしかなかっただろう。

 けれど、カルバーノで望んだ生き方を与えられた。

 目まぐるしい日常、それまでの当たり前が覆る環境、それを思い付き大胆に実行していく彼女に惹かれるまで時間はかからなかった。

 毎日が夢のようで目覚めれば全ては夢だったと、またあの色のない生活に戻っているかもしれないと朝起きるたびに不安に駆られ隣にある体温を確かめているなどグロリオサは知らないだろう。

 初夜の日、グロリオサは「まあお祖父さまの考えなんてわからないけど、一緒に生きると決まったのだから一緒に幸せになりましょう」と言った。

 私はあれからずっと幸せなのだと、知らないんだろうな。

 

 時間だけが過ぎていく、月はすっかり傾いて姿を見せる直前の太陽が空に薄く明るく照らし始めた。

 私は寝室に向かいドアの前に座り込んだ。


 泣き声が聞こえた。


 バンっと開かれた扉から普段とはすっかり様相の変わったオフィリア嬢が飛び出してきた。

 座り込んだ私を見て目を丸くしている。

 「クリストファーさま!産まれました!産まれましたよ!」

 ハッと我に返ったオフィリア嬢が私を引き起こしながらポロポロと泣いている。

 押されて寝室に入る。

 まだメイドたちに囲まれていたベッドを遠巻きに見ていると、私に気付いたカタリナ嬢が私をベッドまで導いてくれた。

 「お義兄さま、労ってあげてください、お義姉さますごく頑張ったんですよ」

 そう言って私の背中をトンっと押した。

 疲れ切った顔で目を閉じたグロリオサに膝を付いて手を握ると、ゆっくり開いた瞼から薄紫の瞳が私を映した。

 「っっ、大丈夫かい?よく頑張ったね」

 「はい」

 「ありがとう、ありがとうリオ」

 上手く言葉に出来ず鼻の奥がツンと痛む。

 「グロリオサさま旦那さま、とても愛らしい男の子です」

 そう言って助産師がグロリオサの隣に白い布に包まれた赤子をそっと置いた。

 真っ赤な髪はファステンのグロリオサの色だ。

 薄く開いた瞳は私と同じ緑。

 「ふふ、はじめまして、まあお顔はクリスにそっくりね」

 「どうだろうか、清廉とした顔付きはリオじゃないかな」

 産まれたばかりの小さな命を挟み和やかな時間を過ごしていたが、直ぐに侍女頭から部屋を追い出されてしまう。

 「身支度と少し休憩を取っていただいてからまた時間を設けますので、旦那さまは一度顔を洗ってきてください」

 どうやらいつの間にか泣いていたようで私は普段穏やかな侍女頭から苦言が出るようなひどい有様だったらしい。


 子どもの名前はセオドア、彼女が持つ『前世の記憶』では神の贈り物という意味があるらしい。

 私たちの息子にピッタリだと二人で決めた。

 オフィリア嬢とカタリナ嬢もサミエルもジオも、そしてフィンまでもが泣いて喜んでいた。

 サミエルはファステン前侯爵にジオは国王陛下に、無事に産まれたことを通信魔道具で報告したらしい。

 王妃陛下は泣いて喜んでいたと話していた。


 私たちに新しい家族が産まれた。

 

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