第26話 清水さんと相合傘③

「雨止まないね」

「……そうだな」


 駅を出て数分、僕たちは雨空の下を歩いていた。


「清水さん、僕の歩く速度が速かったりしない?」

「大丈夫だ」

「なら良かった」


 会話が続かない。さっきまでは普通に話せたはずなのになぜだろう。あまりない経験なので自分でもどうすればいいのか分からない。


「おい」

「何、清水さん?」

「こっちに寄れ」

「急にどうしたの?」

「肩濡れてんだろ。風邪引くぞ」


 傘を持っている手の反対側が濡れていることを清水さんは気にしてくれたらしい。


「いいよこれくらい」

「傘貸してもらってるのにお前に風邪を引かれたら困る。いいからこっちにもう少し寄れ」

「狭いけどいいの?」


 折り畳み式ということもあってこの傘はそこまで大きくない。

濡れないようにするには肩と肩が接触するくらいまで近づく必要がある。


「……いい。だからこっち来い」


 そこまで言ってくれるなら断る理由もないだろう。

僕は清水さんの方に肩が触れるか触れないかくらいまで近づいた。


「そ、それでいいんだよ」

「ありがとう清水さん」

「お前の傘なんだから礼なんていらねえよ」

「ふふっ」

「何笑ってんだよ」


 清水さんにジロッと睨まれる。しまった、思わず笑ってしまった。


「清水さんはやっぱり優しいなと思って」

「は? 急になんだよ」

「いや、こっちの話」

「それを言うならいるかどうかも分からない奴のために駅に戻ってきたお前の方がよっぽどお人好しだろ」

「僕は……自分が後悔しないように動いてるだけだから」

「前も言ってたが、それどういう意味だ。なんか理由でもあるのか」


 あれ、清水さんに前にも言ったことがあっただろうか。覚えていない。


「理由というほどでもないけど、昔ちょっと後悔したことがあったから、もう後悔したくないってだけ」

「……何があったんだ?」


 そこに興味を持たれるとは思っていなかった。話すか迷うが別に隠すことでもないか。


「小さい頃の話なんだけどね。僕にはゆう君って友達がいたんだ。ゆう君はどこの子なのか知らなかったけど、いつも公園にいてさ。一緒に遊んでるうちに僕とゆう君はいつの間にか仲良くなってた。」


 清水さんは黙って僕の話を聞いてくれている。


「近くの公園で毎日遊んでたんだけど、一年くらい経った頃に僕たちより年上の子が公園に来るようになって……」

「それで?」

「その子たちが僕とゆう君をからかってくるようになったんだよね。僕は無視してたし、ゆう君も反応してなかったから気にしてないと思ってた。でもそれは違ったんだ。ゆう君はある日を境にぱったり公園に来なくなった」


 清水さんは何も言わない。僕が続きを話すのを待っているようだ。


「それから何回公園に行ってもゆう君はいなかった。その時すごく後悔したんだよ。あの時に僕がからかうなって言えていたならゆう君はいなくならなかったのかもしれないって。だからそれからは後悔だけはしないように行動するようにしてるんだよね」


 話し終えてみれば大した話ではないように思う。

楽しくなるような面白い話ではないけど。

僕も清水さんもそこから言葉が続くことはなく雨の音だけがよく聞こえた。


「……悪かった」

「え?」


 先に口を開いたのは清水さんだった。

まさか謝られるなんて思っていなかったのでとっさにまともな言葉が出なかった。


「お前にとってはあまり思い出したくないことだろ」


 清水さんは僕に苦い記憶を思い出させてしまったことを気にしているみたいだ。


「確かに会えなくなったことは悲しかったけどそれでもゆう君との思い出は楽しいことがたくさんあったからさ。別に思い出すのはそこまで嫌じゃないよ」

「無理してないか?」

「大丈夫だよ、それに僕、嬉しかったんだ」

「何がだ?」

「清水さんが僕に興味を持ってくれたこと」

「なっ」


 清水さんが僕から距離を取ろうとするので濡れないようにその分慌てて移動する。


「急に動かないで清水さん」

「お、お前が急に変なこと言うからだろ!」


 変なことを言ったつもりはないのだけれど。言葉が足りなかっただろうか。


「だって僕から清水さんに話しかけるのはよくあるけどさ。清水さんから僕に聞いてきてくれることって一年の時はあまりなかったから。だから今みたいに僕のことについて質問してくれると、清水さんと距離が少し近づいたみたいで嬉しいんだよね」

「……私なんかと仲良くなって嬉しいのかよ」


 僕に聞こえるか聞こえないかくらいの声で清水さんがボソッと呟いた。


「嬉しいに決まってるよ」

「はあ? な、なんでだよ」

「なんでって……。清水さん一緒にいて楽しいし」

「一緒にいて楽しい……」

「うん。清水さんと話してるといつも楽しいよ」

「……物好きな奴め」


 清水さんは顔を下に向けてしまったため、その表情は分からない。


「そうかな? 清水さん聞き上手だし話してて面白いから、他の人も話してみたら楽しいと感じる気がするんだけどな」

「勝手にそう思ってろ」

「そうする。それにしても清水さん、さっきからちょっと耳とか赤いけど大丈夫?」

「はあ? 赤くなんかねえよ」


 反射的に清水さんが僕の方を向く。


「やっぱり顔がちょっと赤いよ。寒かったりとかしない?」

「しない。お前の思い違いだ」

「そうだったらいいんだけど」


 風邪だったらどうしようと思っていたので今のところ症状がないのであればよかった。


「清水さん、なんか緊張してたりする?」

「なんで緊張なんてしなくちゃいけないんだよ」

「いや、緊張して顔赤くなる人とかたまにいるから、もしかしたら清水さんもそうなのかなって思って」

「し、してねえよ」


 どうやら緊張のせいでもないらしい。

だったら顔がいつもより赤く見えたのは僕の勘違いなのだろうか。


「そんなこと言うお前の方が緊張してるんじゃねえか?」


 今度は僕が疑われる番みたいだ。僕は緊張しているのか考えてみる。


「……そうかも」

「そうかもって、お前は何に緊張してんだよ」

「え? 相合傘って緊張しない?」

「は? ……はあ?」


「は?」と「はあ?」の間に清水さんの表情は大きく変化した。

具体的には何を言っているのかコイツは、とでも言いたそうに見えた表情が、お前そんなこと思っていたのかみたいな表情に変わった。


「そんな変なことは言ってないと思うんだけど」

「お前さっきまで平然としてただろ」

「そう? 僕、思ったことが顔に出ないタイプなのかもね」

「それにしてもだろ」


 自分では気づかなかったけど僕は案外ポーカーフェイスなのかもしれない。


「緊張してたのは嘘じゃないんだけどなぁ」

「そしたらどう思ってたんだよ」

「言って引かない?」

「内容によるだろ」


 それはそうかもしれないけど、言って引かれるのはなんだか嫌だ。

そう思っていると清水さんが小さくため息をついた。


「……分かった。努力はする。それでどう思ってたんだ?」

「普段この距離まで清水さんと近づくことなんてないから、少しドキドキするなって」

「お、お前」


 清水さんがすごい勢いで僕から距離を取ろうとするので、僕は傘を持ったまま慌てて動く。


「さっきも言ったけど急に動かないで清水さん! それに引かないって言ったじゃん!」

「努力するって言っただけだ! それに……お前がそんなこと言うから……」


 後半はかすれるような声で、聞くのに少し苦労した。


「清水さんは平気なの? 誰かと相合傘したことあるとか?」

「私の周りは傘を持ってなくて一緒に濡れるか、予備の傘まで持ってて貸してくれるかの二択しかねえよ」

「愛さんは傘持ってなさそうだね」

「アイツは雨降ってても下手すりゃ傘持ってねえよ」

「ふふっ」


 思わず笑ってしまった。

傘を差さないで雨の中を全力ダッシュする愛さんは容易に想像がつく。


「そしたら愛さんはこの雨が降ってる間は帰れそうにないね」

「まあさすがに愛が帰る前には雨も止んでるだろ」

「だといいね」


 会話がまたとぎれる。聞こえてくる雨音は先ほどよりも少し弱くなっている気がした。


「それにしても災難だったな。愛に捕まって私たちに付き合うことにならなきゃ雨が降り出す前に家に帰れたのに」

「そう? 僕は今日清水さんたちに会えてよかったけど」

「なんでだよ?」


 清水さんは理由が分からないみたいだ。と言ってもそんな難しい理由ではないけれど。


「だって僕が知らない清水さんに会えたから」

「なっ」

「愛さんと仲良くしてる清水さんとか、ゲームに夢中になってる清水さんとか、学校だと知らない清水さんの一面が見れて嬉しかったよ」

「お、お前」


 なぜだか清水さんの顔は先ほどより更に赤くなっていた。そのことに自分でも気づいたのか、顔を背けてしまったがもう意味はない気がする。


「……いい」

「清水さん?」

「傘はここまででいい」

「いいってまだ雨が……」


 降っていると言おうとして、もう雨音がしていないことに気づいた。空を見ると雲の隙間からところどころ日が差し込んでいる。


「雨止んだから傘はここまででいい」

「また雨降り出すかもしれないよ……ってあれ、清水さん?」


 横を向くと清水さんはそこにはいなかった。周りを見回すと数メートルほど離れた位置に清水さんの姿がありその姿は今も少しずつ小さくなっている。どうやら雨が再び降る前に走って帰ることにしたらしい。


「また学校で会おうね清水さん」


 僕はもう聞こえない距離にいる清水さんに向けてそう呟いた。

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