第18話

 あの後は全員で漁協の会議室へと戻っていた。警察官を表に立たせ人払いを行い、部屋の中には朱音と田中、遠藤、福井が居る。馬場だけはシャワーを浴びに部屋を出ていた。

 「さてメインの1人が居ませんが先にお互いの情報交換といきましょう。」

 田中がそう言った。

 「まず、あなたが使用したのは真言マントラで間違いないですね?」

 「……はい。やっぱり真言マントラを知っているのですね?馬場さん?でしたっけ?護衛の方が使ったのも真言マントラですよね?」

 田中達は顔を見合せて、

 「そうです。」

 と答えた。

 「でしたら、あなた達も使えるのですか?」

 「それは残念ながら無理でした。」

 福井が答えた。

 「何故使えないのか?同じ発音を真似てみてもできない。いや、発音を真似ても意味不明な言葉にしかならなかった。」

 田中がそれの説明をする。

 「どういう事ですか?」

 「真言マントラで発した言葉は誰が聞いても何故か意味が分かる。が、しかし発音を真似て発した言葉は意味が通じない。これは真言を録音して聞いても録音の音声は意味が分からない。人が真言マントラとして発した言葉でなければ意味が通じないんだ。」

 ガチャ

 突然扉が開いた。馬場が戻って来たのだ。

 「早かったですね。」

 「当たり前だ。俺以外の真言マントラ使いが現れたんだ。急ぐに決まっている。」

 そう言う馬場の髪は濡れたままで、まだ水が滴っている。

 「それで嬢ちゃん、あんたは何で真言を使える?」

 馬場がいきなり核心へと迫る。

 「私は……これです。」

 持って来ていた始まりの書を出した。本を拾ってからと言うもの出かける時には必ず持ち歩いている。理由は分からない。何故だか持っていないと駄目な気がしていたのだ。

 「始まりの書。真言マントラで書かれているのか?見覚えのない字だが読めるな。」

 「これを海で拾ったんです。」

 「海で?それにしては綺麗だな。濡れた跡も無さそうだか?」

 開いて中を見ようとするが

 「ん?この本、中見が何もない。真っ白だぞ?」

 「え?確かに何も書いてない所は多いけど、最初の方は書かれてましたよ?」

 朱音が本を渡して貰い本を開いて渡す。

 「書いてありますよ?」

 そのページを見た馬場は狐につままれたような顔をする。

 「どういう事だ?」

 朱音が開いたままの本を馬場が受け取ると

 「何も書かれていないぞ?」

 「え?ちゃんと真言マントラで文字が書かれてますよ?」

 「俺には白紙にしか見えない。」

 馬場がそう言うと

 「僕もですね。」

 田中も他の人達もそれに同意した。

 「本自身に真言マントラによる何らかのセキュリティがあって本人にしか見えないようになっているのかもしれませんね。」

 そう言ったのは田中。

 「まあ真言マントラ自体が人間の常識外の物だ。そんな機能があっても不思議じゃねえな。」

 「確かにそうですね。しかし、こんな事なら彼女も連れて来たら良かったですね。」

 だなのその発言に馬場が渋い顔をする。

 「まあ、確かにな。しかしこんな事があるとは想像もできんかったしな。」

 「残念がるでしょうね。」

 「そうでもないだろ?新しい研究対象が増えたのだから。」

 そう言って馬場は朱音の事を見る。

 「……その研究対象って私?」

 「もちろんそうだ。俺も仲間が増えて嬉しいぞ。」

 「えーと、どういう事なのか誰か教えてくれません?」

 「実はまだ公表されてないけど魚人に対して政府の対策機関があるんだ。僕達はその機関に所属している。」

 田中が答えた。

 「本当の事を言うと魚人の姿はもう3月前には確認されていたんだ。」

 そう言って福井は馬場を見た。それを受けて馬場が語りだす。

 「話せば長くなるんだがな。……俺は元々海上自衛隊に所属していた。同期の仲間と無人島でのサバイバル訓練中の出来事だ。」

 その日は生憎の大雨で食糧を調達するのも難しい状況だった。普段なら海で魚を獲ったりするので野営地も比較的に海の側に作っていた。訓練に持って行けるのは最低限の装備だけ。テントも無く自分達で雨風を凌げる場所を木や葉っぱを使いロープでそれらを固定して作っていた。そんな中、

 「1、2、3……」

 日課の筋トレに馬場が励んでいると、

 「ちょっと馬場よ、狭いんだから筋トレは外でやれよ。」

 仲間の1人、竹本がそう言った。

 「ならどうせ濡れるんだから食糧の調達もして来てくれ。」

 それに同調して吉井がそう言う。

 「馬鹿な事を言うな。そんな事をしたら俺の筋肉が風邪をひくだろうが。」

 「筋肉が風邪をひくって何だよ。」

 こんな馬鹿な事を言い合いながら雨の日を過ごしていた。

 「ちょっと待って、馬場さん。このサバイバル訓練には何人居たの?」

 「この時は6人編成だったな。この2人の他に3人、中野、比嘉、村瀬が居たんだ。」

 その日の雨は降りやまず、激しさを増すばかり。後で知った事だが、この時はどうやら嵐が来ていたそうだ。外に出る事もままならずに過ごしていたのだが、どうにもならない事がある。そう、トイレだ。無人島のサバイバルにトイレがあるはずもない。野営地の直ぐそばに作ると臭いがするから浜辺を隔てた少し離れた所に穴を掘り簡易のトイレを作成していたんだ。

 「あー、嫌だな。せめて小降りにならないかな。」

 「どうした?中野。」

 「んー、やっぱり限界!トイレ行って来る。」

 そう、雨の中だとトイレに行くにもずぶ濡れだ。そう言って中野が濡れる事を覚悟し、野営地を出ていった。するとおかしな事に中野がいつまで経っても帰って来ない。辺りはすでに暗くなり始めている。

 「中野の奴、幾らなんでも遅くないか?」

 「そうだな。腹でも壊したか?」

 「どうする?」

 「どうするも何も行くしかないだろ?」

 「だよな。全員か?」

 「全員で探した方が早い。完全に暗くなる前には見つけたいしな。」

 今回の装備に灯りは無い。灯りをつけようと思うのならば火をおこすしかないのだが、この雨の中では火をおこす事は不可能だった。

 「そうだよな。仕方ない。覚悟を決めてさっさと見つけよう。」

 こうして馬場達5人は中野を探す為に野営地を出たのだ。と言ってもトイレにした場所はそう遠くない。直ぐに見つかるだろうと考えていた。浜辺を越えてトイレに近づくと

 「ん?おい、何か聞こえないか?」

 先頭を歩いていた竹本が後ろの馬場に問いかけた。

 「雨の音で分からん。どんな音だ?」

 「何かピチャピチャと水が落ちるような。」

 「それこそ雨の音だろう。そんな音は水滴が落ちている音しかない。」

 馬場はそうは言ったが、トイレの場所に近づくにつれ馬場にもそれが聞こえだした。

 「……何の音だ?」

 「やっぱり聞こえるよな?」

 草木をかき分け雨に濡れながら歩を進める。このザーザーと降る雨の中で聞こえる筈も無い水の滴り落ちる音。それがどんどんはっきりとしてくる。その音は竹本と馬場だけではない、この場にいる全員に聞こえていたようだ。

 「何か嫌な予感がするな。」

 そう馬場が言うと、それに同意したのか全員がナイフを取り出した。今現状で装備出来る武器と言えばこれしか無かった。

 「おい!中野!居ないのか?」

 竹本が叫んだ。だがそれに対する答えは帰って来ない。焦燥感だけが膨らむ。

 「迷子にでもなったか?」

 「だと良いがな……。」

 トイレの場所までもう直ぐだ。

 「おい!中野!」

 竹本がもう1度叫ぶ。が、返事は無い。代わりにガサガサと草木の動く音が。その音に

 「居るのなら返事くらいしろよ!」

 竹本がそう言いながら更に近づき、草木をかき分ける。

 「う、うわあ⁉️」

 突如として竹本が叫んだ。何があったのか馬場には竹本に隠れてよく見えなかったのだが、竹本が何かに押され凄い勢いで馬場の方に倒れてきた。それを咄嗟に受けとめる事しか出来なかった。そしてその横を何かを担いだ人のような物が海の方へと走り抜けたのが見えた。それはガサガサと音をたてながら海の方へと去って行く。

 「何だ?何があった?」

 馬場が竹本を支えながら他の隊員に問いかける。すると村瀬が呆然としながら

 「中野さんを担いだ何かが凄い勢いで……。」

 「中野?中野が居たのか?」

 「何だったんだ?今の?」

 「おい!どうした?しっかりしろ!」

 村瀬の肩を揺するが反応はイマイチだ。

 「中野を担いだ奴が居たんだな?くそっ、追うぞ!」

 「駄目だ!」

 竹本が叫んだ。

 「……野営地へ戻ろう。暗くなる。」

 「中野はどうするんだ!」

 「中野は!……もう駄目だ。」

 「何⁉️どういう事だ?」

 竹本は答えない。しかし馬場以外の隊員はその竹本の提案に従った。

 「おい!皆どうしたって言うんだ?」

 「馬場、お前は見て無いんだな?」

 「?ああ、竹本で見えなかった。」

 「そうか……見ない方が良い。その方が良かった。」

 「どういう事なんだ?」

 馬場は問いかける。が、誰も答えない。そして全員が何かに恐怖し震えている事に気がついた。それ以上馬場は何も言う事がでなかった。戻るにはさっきの奴が消えた方へ進むしかない。

 「最大限に注意しろよ。」

 周りを警戒し、足音1つ鳴らないように神経を張りつめる。それほど脅威な者が居たというのか?姿を見る事のできなかった馬場は疑問を募らせる。しかし全員から感じる緊張感。ただ事ではないと感じた。全員が無言で野営地へと戻り、馬場以外の全員が何かに恐怖しながらナイフを握りしめ、夜明けを待ち望んだ。

 雨が止んで陽が昇り始めると、全員の緊張も少しは緩んだ。それでもナイフから手を離す事はしない。

 「なあ?何があったんだ?中野が死んでいたのだろう?何故犯人と思われる奴を追いかけなかった?それともこれはドッキリか何かか?いい加減に教えてくれないか?俺にはお前達が何に恐怖しているのか分からない。横を通り過ぎた奴なんだろう?」

 「……。そうだな。言うよ。」

 重い口を開いたのは竹本。

 「俺が最初に見たのは中野の姿だった。」

 やはりあそこに中野は居た。

 「中野は魚の顔をした奴の肩に担がれていたんだ。」

 「魚の顔?」

 誰かがお面でも付けてこの島に居たのか?しかしそれでは中野が死んだ事にはならないだろう。馬場が疑問に思っていると、

 「中野の腹は抉られていた。何かに食い破られたかのように。そこから大量の血が滴り落ちていた。あの時に聞こえていた水の音はあの血の音だったんだと思う。」

 「何の冗談だ?」

 そんな事があり得る訳が無い。この島には大型の肉食獣でもいるのか?

 「中野を担いだ奴がやったのだろう。奴の口は真っ赤に染まっていた。」

 理解が追いつかない。魚のお面の口が赤く染まっていたのか?

 「いや、あり得ないだろう?なあ?皆!」

 中野を担いだ奴は少なくとも2足歩行の筈だ。そうじゃないと肩に抱える事なんて出来やしない。魚の顔をした2足歩行の何かが中野を殺し、その腹を食い破った?何の冗談だ?笑えもしない。しかし誰もが無言で竹本の話を否定しない。

 「魚の顔をした奴が中野を食ったって言うのか?そんな話を信じられる訳無いだろ?なあ?」

 「……馬場、信じる信じないはお前の自由だ。しかし、お前以外は全員がアレを見たんだ。」

 「……、嘘だろう?嘘だと言ってくれ!」

 しかし馬場の問いには誰も口を開かない。

 「訓練終了まであと2日。それまでは迎えも来ない。それまでに奴はまた俺達の所へ来ると思うか?」

 「それは……。普通の肉食獣で考えれば来ない。1度腹を満たしたら直ぐに獲物を狩る事は無いはずだ。」

 「そう考えると迎えが来るまでは安全か?」

 「かもしれません。しかし、得体の知れない相手ですから、はっきりとは……言えません。」

 「そうだな……。」

 俺がおかしいのか?中野が殺されたんだぞ?何故犯人をそのままにするんだ?そんな馬場の想いを読んだのか竹本が

 「なあ、馬場。お前は見なくて済んだ。このまま見ないで済めばそれに越したことはないと思う。けどな、納得しないかもしれないが、ここは俺達の気持ちを汲んでくれ。」

 「……。迎えが来たとして中野の事はどう言うんだ?」

 「ありのままを言うさ。それしか無い。」

 「現場に居る俺が信じられないのに、上がそれを信じると?」

 「信じる信じないは自由さ。だがきっと中野の捜索隊が結成される。その時は……。」

 静かに隊員達の心に火がついた。惨劇を目の当たりにして絶望の淵に立っていた隊員達に。

 その後はただただ迎えが来るのを待ち、時間だけが過ぎて行く。誰も特に何も話さない。静かに時が来るのを待っていた。ついに明日に迎えが来る日になった。

 「明日だな。」

 「そうだな。」

 その日は珍しく会話が行われた。馬場を除いた隊員達は誰も語らないが共通の想いがあった。中野の復讐だ。結成されるであろう捜索隊に志願し、装備を整えた上であの魚人に復讐を果たすつもりでいたのだ。しかしそんな想いを裏腹に事態は動き出す。もう陽が沈み始め夕暮れまであと少しの時に

 「大変だ!」

 見張りをしていた吉井が野営地へと入るなり酷く慌てた様子でそう言った。

 「どうした?」

 馬場が聞き返す。

 「奴だ!奴が現れた!」

 「何⁉️」

 これに反応したのは竹本。

 「どうする?」

 「どうするも何も殺るだけだろう?」

 そう言ってナイフを取り出した。

 「しかし、勝てるか?」

 「相手は1体か?」

 「ああ、1体だけだ。」

 「なら大丈夫だろう。俺達は5人もいるんだ。数で優っていて負ける訳が無い。」

 「そうだよな。中野の仇だ。」

 皆の中で静かに燃えていた復讐の火がその勢いを増した。その中で馬場だけが1人冷静だった。

 「とりあえず捕まえて中野の遺体なり遺留品まで案内させないか?」

 人数が多いので負けるとは馬場も一切考えていない。

 「いや、駄目だろう。そもそも言葉が通じるとは思えない。」

 「そうなのか?」

 「ああ、それに言葉が通じる相手ならば中野は殺されてなんかいないだろう。」

 「そうか。そうだな。……分かった。」

 もう皆は殺る気十分だ。これを止めるのは不可能だろうと馬場は判断した。しかしこれが後になって後悔の元となるとは思いもよらなかった。

 「奴は今どこだ?」

 「砂浜だ。海から現れた。」

 「よし!ならば奴が森に入った所を奇襲しよう。行くぞ!」

 全員が音をたてないように注意しながら砂浜へと急ぐ。草木をかき分け砂浜に辿り着くとそこには銀色の鱗に覆われた体をしている今で言うイワシの魚人。その姿があった。ソイツはちょうど森の中に入って行く所だった。その姿を初めて見た馬場は驚きの表情だ。

 「魚の顔をした奴……。」

 そう、魚の顔をした奴は確かに存在したのだ。実際に見るまでは半信半疑だったのだが、これは否定のしようがない。

 「奴が……。」

 中野が殺されたという事に対して皆が一様に嘘のような事を言っていたので馬場には中野が殺されたという実感が無かった。しかし、皆の言う魚の顔の奴を目の当たりにして急に実感が湧いてきた。

 魚人は辺りを見渡した後、味をしめたのだろう。獲物を仕留めた場所、即ちトイレだった場所に向かおうとしているのが見てとれた。

 「よし、一気に行くぞ!」

 全員が魚人に襲いかかった。流石にこれには魚人も自分が襲われるとは予想していなかったのか、慌てた様子が見れる。

 「うらあ!」

 竹本がナイフで切りかかる。しかしナイフは何かに弾かれ魚人を傷つける事すらできない。

 「何⁉️」

 次々と吉井が、村瀬が、比嘉が、そして馬場が切りかかるが、ナイフは全て弾かれ魚人に傷1つ入らない。それを見てとった魚人は余裕だと判断したのだろう。慌てた様子は微塵も無くなった。

 「どうなっているんだ?」

 馬場が魚人の足下に落ちている物に気がついた。

 「もしかして、鱗か?」

 そう、鱗に邪魔されて魚人の皮膚にナイフが届かないのだ。しかしそうなると

 「鱗をどうにかしないと刃が通らないぞ。」

 「考えがある。とりあえず囲むぞ。」

 そう言って竹本が村瀬だけに何かを話した。すると村瀬は魚人の背後に回るようにゆっくりと移動した。それに合わせ全員で魚人を取り囲む。しかし囲まれても攻撃が効かなかったからか魚人は余裕だ。

 「おらあ!」

 横に回った馬場が魚人に切りかかる。それを魚人が腕でガードした。今度はそれに合わせて竹本が魚人に飛びかかり抱きついた。

 「今だ!エラを狙え!」

 その言葉に従い村瀬が魚人の背後からエラの内側にナイフを突き立てる。が、ナイフが短い。エラの中に幾ばくかの傷を負わせる事は出来たようだが、致命傷には程遠い。魚人が背後の村瀬に裏拳でその顔を殴った。村瀬が後ろに倒れる。その勢いでエラのナイフが抜け馬場に血が飛び散った。そして魚人が力任せに竹本を引き剥がし、そのまま村瀬に向けて投げた。村瀬は竹本を躱せずに竹本の下敷きとなる。

 「何て力だ⁉️」

 倒れた竹本の腹を魚人が力任せに踏みつける。

 「ガハッ」

 竹本の口から鮮血が飛び散る。一撃で内臓をやられたのかもしれない。近くに居た比嘉が、魚人へと切りかかるが魚人はそちらを見向きもせず平然と左手でガードし、右の拳を比嘉の腹へ叩きこむ。比嘉は体がくの字に折れ曲がり宙に浮き、そのまま倒れこむ。

 「くそっ!」

 馬場がナイフの柄に左手を添えて魚人の背中に下からナイフを突き上げた。鱗の構造からすると上から狙うとその並びによってナイフの刃を反らされてしまう。しかし下から狙う事で鱗と鱗の隙間へ刃を入れ込む事が出来た。

 「×§」

 ナイフが突き刺さり血が飛び散る。魚人が振り向き怒りのままその拳を馬場に振るった。馬場は落ちつきその拳をいなした。そしてそのままカウンターで魚人の顔に拳を叩きこむ。しかまるでタイヤを殴ったような感触がした。カウンターで入った拳でも大した効果は無いだろうと馬場は確信した。

 「竹本さん!」

 村瀬が叫ぶ。そちらを見る余裕が馬場には無いが竹本はかなり危険な状態なのだろう。

 「村瀬!比嘉!竹本を担いで逃げろ!どうせ勝ち目は無い!逃げて生き延びろ!」

 馬場が叫ぶ。どうにか村瀬と比嘉が竹本を担いで逃げる時間を稼がなければ。しかし村瀬はそれに従わず吉井の元へと向かった。吉井に何かを手渡してから比嘉をどうにか起こし竹本を担いで行った。魚人は馬場から目を離さない。背中を傷つけられた事がそうとう頭にきているようだ。

 注意は俺に向いている。俺が囮になれば皆が助かるかもしれない。しかしどうやって?俺には武器も何も無い。素手での攻撃はこっちの拳を痛めるだけだろう。すると隣に吉井が来て馬場に何かを手渡した。

 「村瀬から。」

 感触で分かる。ナイフだ。馬場のナイフは魚人の背中に刺さったままなので、無いままでいるよりはずいぶんとマシだ。それに時間稼ぎに吉井も付き合ってくれるようだ。

 「吉井。時間を稼いで隙を見て逃げるぞ。」

 「はい。」

 2人でこの魚人相手に戦いどれ程無事でいられるかは分からない。分の悪い賭けでしかない事は分かっているが、それでもやるしかない。

 「吉井、関節を極める。その隙にエラから中を狙え。今度はしっかりと奥まで入れろよ?」

 「分かりました。なら先に行きますね。」

 吉井が仕掛ける。足で砂を蹴り上げ魚人の顔に砂を飛ばす。それに合わせて馬場が魚人の腕を掴み、そのまま飛びついた。飛びつき腕十字だ。両足で魚人の腕を挟みそのまま全体重をかけて魚人を後ろに倒しこむ。このまま腕を極めれば完成だ。馬場は力を込め魚人の腕を極める。すかさずそこに吉井が魚人のエラの中を狙いナイフを突き立てようとするが、

 「§」

 魚人が何かを叫ぶとそのまま馬場を持ち上げ、吉井にそのまま馬場をぶつけた。

 「うわっ!」

 その予想外の攻撃に吉井は後ろに倒れた。そして魚人はそのまま馬場を地面へ叩きつけた。

 「ぐっ!」

 馬場は堪らず手を離す。追撃されてはかなわない。すかさず馬場は立ち上がり距離をとり吉井と合流した。

 「なんて力だよ。」

 「あの状態で馬場さんを持ち上げるなんて。」

 「力のスペックが違い過ぎるな。」

 どの攻撃も魚人に対してあまりにも無力だ。それでも馬場が仕掛ける。ナイフを魚人の腹を目掛けて下から突き上げた。しかし今度はそれを魚人は左手で掴んだ。人の手ならばそのまま切れているだろう。しかし魚人の手のひらは小さな鱗に覆われていて刃が通らない。そして掴んだナイフをそのまま力任せに引っ張った。馬場はその動きに危険を察知してナイフを手放した。それは正解だった。引っ張った先には魚人が大きく口をあけて噛みつこうとしていたのだ。

 「くそっ。厄介だな。」

 魚人は格闘技は当然知らない。それ故に対処出来ている所もあるのだが、知らないからこそ予想外の動きをしてくる。そこに吉井が切りかかる。それを見た馬場が叫ぶ。

 「吉井!避けろ!」

 馬場が手を離した事で噛みつこうとする対象が今切りかかろうとしている吉井に向いたのだ。馬場の声に何とか反応した吉井は後ろへと飛びずさる。吉井の居た所へガチンと魚人の歯が音を響かせた。どうにか直面した危機は切り抜けた。しかし、あくまでも直面した危機だけだ。これからしばらく村瀬と竹本が逃げれるだけの時間を稼がないといけない。果たして

 「できるのか?」

 思わず口にしてしまった。殊更これからの戦いは厳しい物になるだろう。そこに否定的な想いを口にしてしまった。吉井は聞いていただろうか?仲間がこんな事を思っていると知れば連携が上手くいかなくなる可能性もある。

 「ですよね。」

 しかしそれに吉井が同意してきた。その上で

 「けど、僕らがやらなくちゃ。ですよね。」

 そうだ。ここでアイツを食い止めないと竹本は間違いなく殺られるだろう。弱った獲物を確実に仕留める。これは野生の動物には間違いなくある習性だ。

 「そうだな。すまんな。」

 「いいえ、良いんですよ。僕も正直に言うと逃げ出したいですから。」

 ここでこう言える。吉井を強い男だと思った。そして自分もこう在りたいと。

 「やるぞ!」

 「ええ!」

 ここから魚人との戦いは熾烈を極めた。正直に言えばどう戦ったのか覚えていない。それだけ必死だったのだろう。そして気がつけば朝を迎えていた。どういう訳か分からないが俺は木の上の枝に引っ掛かっていた。おぼろげな記憶を辿ると、魚人に蹴りあげられ吹き飛ばされた記憶がある。たぶんその時に木の枝に引っ掛かって気を失ったのだろう。この時、俺は生き残れたのだと思った。そしてそれと同時に皆は無事なのか?と。

 「吉井は?吉井は無事なのか?」

 体中が痛む。しかし、そんな事よりも皆が無事かどうかを知りたい。まずは吉井の安否を確認する為に魚人と戦った浜辺へと向かう。向かうにつれ心臓の鼓動が早くなる。まだそこに魚人が居るかもしれない。もしかしたら吉井の遺体があるかもしれない。馬場を恐怖が包み込む。1度足を止めゆっくりと深呼吸をした。

 「しっかりしろ!俺!前に進むんだ!」

 自分に活を入れ、そして慎重に、周りを警戒しながら浜辺へと向かった。しかし、そこには戦いの痕跡や、血の跡は残っていたが吉井の姿も魚人の姿もそこには無かった。魚人の姿が無いことに安堵したが、それと同時に吉井が殺された可能性が高いのだと気がついた。

 「吉井。すまん。」

 俺が気を失わなければ、一緒に戦っていれば吉井は無事だったのでは無いか。そんな事を考えてしまう。

 「合流地点へ向かおう。もしかしたらそこに吉井も居るかもしれない。」

 竹本達も合流地点へと向かっている筈だ。そこに行けば誰かに会える。

 「竹本は無事だっただろうか?」

 重い足を動かし合流地点へと向かった。そこに吉井も居る事を願って。

 「そんな……。」

 合流地点へと辿り着いたがそこには誰も居なかった。

 「いや、まだ来てないんだ。きっとそうだ。そうに違いない!」

 そう思い込んで誰かが来るのを祈りながら待っていた。また魚人が来るかもしれないという恐怖と戦いながら。

 どれだけそうしていたのだろう。気がつけば遠くから人工的な音が聴こえてきた。ヘリのローターの音だ。その音に安心感を覚え、それと同時にこの場に現れない仲間の事に焦燥感を覚えた。ヘリの音はどんどん大きくなる。この音を聞いて隠れていた誰かが出てくるんじゃないかと期待した。

 「竹本!村瀬!吉井!比嘉!何処だ?何処に居る!」

 馬場が叫ぶがそれに答えを返す者は現れない。ヘリの音で声が掻き消されているのか、自分の声すら聞こえない。誰も現れない事に虚無感を感じる。何で俺だけ残ってしまったんだ。ヘリが降下してくる。自分1人しか居ないのをどう思うのだろうか?虚無感の中そんな事をぼんやりと考えていた。その事に対しての尋問が行われるに違いない。しかしその予想とは裏腹に

 「何があった⁉️急げ担架だ!」

 ヘリから降りて来た隊員が叫ぶ。俺以外に誰か無事にこの場に居るのか?馬場は辺りを見回した。しかしそんな姿は見当たらない。慌てた様子で隊員が駆け寄って来た。

 「何があったんだ?喋れるか?」

 担架を持った隊員も馬場の元へと駆けてくる。そこで初めて自分の様子に気がついた。服はあちこち破れ、そこらじゅうから血を流していた。これだけ時間が経っているのに止まらないという事はそうとう深い傷なのだろう。

 「謎の生物にやられた。」

 「え?何だって?」

 「謎の生物に……」

 そこで気づいた。ヘリの音で聞こえないのではない。声が出ていないんだ。馬場は必死に伝えようと声をだそうとするが、口からはヒューヒューと息の漏れる音しか鳴らなかった。

 「声が出ないのか?」

 馬場は黙って頷いた。そうして俺は担架に乗せられ運ばれ、すぐさま病院へ入院する事となったんだ。

 「こうして、俺の、いや、人間と魚人の最初のコンタクトがあったんだ。」

 「その時の現場検証をしたのが僕。戻った馬場君が入院先で語った証言を信じられるはずもなかった。だからこそ現場の確認が行われ、それと同時に皆の捜索が実施さました。島中、果ては海の中までも。それでも死亡を証明するような遺留品は見つかりませんでした。そして、馬場君の証言を元に現場に行きおこなった現場検証では無数の巨大な鱗が落ちていた。」

 遠藤がそう言った。

 「そこで田中君に鱗の正体を確かめる為に調査を依頼した訳だ。」

 「その時の鱗と今回の鱗は同じ物だった。だから今回の鱗の調査はすでに結果は出ていたんだ。」

 田中が付け足す。

 「そして未知の生物に襲われた事件としてそれに対する専門の機関が設立されました。それが2月前の事です。」

 「俺は最初は魚人を知る唯一の生き残りとして機関に参加する事となった。傷が癒えてからは何度もあの島へ足を運び、仲間の手かがりを探した。」

 「でもね、おかしな話しなんですよ。馬場さんの怪我は完治するには3ヶ月はかかると言われていました。それが1ヶ月後には完治していましたからね。」

 「そうだな。俺もそんな直ぐに治るとは思っていなかった。しかしそのおかげで島の探索をする事ができた。島全体的を人海戦術で捜索した後だが、それでも遺品の1つでも見つかればと考えていた。それと同時に魚人に復讐するチャンスがあれば、と。」

 「あれ?それなら真言マントラは?使えるようになったのは最近なんですか?」

 「ああ、そうだ。もし使えていたなら仲間を殺される事もなかっただろう。」

 「ならいつ使えるようになったのですか?」

 「それはな、俺が3回目の島を探索していた時の事だ。ついに魚人が現れたんだ。この時はそれなりに装備を整え、銃も所持していた。ついに復讐の時が来たと思っていたんだ。」

 「思っていた?」

 「この時はまだ機関としても立場が弱くてな、銃の使用に許可が必要だった。」

 「この時は?」

 「今は緊急時に限りですが任意で使用出来るし、許可を出す事も出来ます。」

 田中が補足した。

 「当然、俺は銃の使用許可を求めた。が、上の連中は頭の堅い奴らばかりで応援が行くまで待機しろと言われたんだ。使用許可が出なかったんだ。こっちは既に魚人と相対しているのにな。」

 「それって大ピンチなんじゃ?」

 「そうさ。期待していた銃は邪魔物にしかならない。魚人は襲いかかってくる。最悪の事態だ。それでも何とか攻撃を凌ぎながら何度も通信し、許可が出るまで粘ろうとした。しかし、身体能力に差が有り過ぎた。たいして粘る事も出来ない。命令違反を覚悟で銃を使おうともしたが、魚人の槍を防いだ時に銃身が曲がってしまって使い物にならなくなってしまった。もう無理だなと思ったそんな時だ、脳裏に不思議な言葉が浮かんだのは。」

 「それが真言マントラだったのですか?」

 「そうだ。今にして思えば何故そう思ったのか分からないが、それを口にすれば闘えると確信していた。それが筋力強化の真言マントラだった。そしてそれを口にした途端に劣勢だった戦況が一変した。相手は槍を持っているだけの素人、こっちは訓練を積んでいる。身体能力で負けてなければ十分に闘える。」

 「それじゃあ余裕で勝てたのですね?」

 「いや、それでも奴には鱗がある。殴っても蹴ってもたいしてダメージがあるようには見えない。それに比べて奴からの攻撃はこっちにとしたら大ダメージだ。正直ジリ貧だったな。攻撃の決め手に欠けていた。」

 「締め技とかは?」

 「そもそも相手は人間じゃない。首を締めようにもエラがあって正直そこに触りたくない。」

 「えー?そうですか?触ってみたいですけどね。」

 そう言ったのは田中。その言葉は無視する。

 「そう思った時に浮かんだのが」

 「顕現せよバスターソード」

 「そうだ。」

 「けど何でバスターソード?」

 「あー、それはあれだ。俺がやっているゲームの影響かも知れん。」

 「ゲーム?」

 「そうだ。それで俺のキャラが使っているのがバスターソードなんだ。」

 「いや、だからって関係ある?」

 「分からん、しかしそれ位しか思いあたる事なんてない。それこそ真言マントラだからな。何が関係するかなんて分からん。」

 「確かにそうでしょうけど。」

 「それに見た目がゲームの中のやつとそっくりなんだよ。」

 「え?そうなの?それならそうなのかも?」

 「それを考えると不思議なんですよね。」

 遠藤が言った。

 「それだと人間の脳、記憶にアクセスしていると考えられます。もしくは人間の脳が記憶を元に武器を出現させたのか?」

 「それはどっちにしろ分からない事だろ?そもそもどんな技術で剣を何も無い所から出してきているのか不明なんだから。」

 「確かにそうなんですけどね。何処かからか転送しているのか、しかし記憶が元だとするとそこに具現化しているのか?そもそものあの剣の材質は何なのか?」

 「調べてはみたのですか?」

 「調査はしたが不明だ。重さもそれを単体で計ると重さは無い0だ。しか馬場さんが持った状態で重さを計ると明らかに剣の分が増えている。そして写真にも写らない、音波による調査でも反応無し。レントゲンでも写らない。まるで人の目には存在しているように映るのに、実際にはそこに無いかのような反応だった。」

 「存在しているのに無い?」

 「そう、まるで脳が錯覚して見せているんじゃないかとも思える。しかし、手に持つと質感や重量はあるし、切断能力もある。しかし調査では存在しないとしか表現出来ない。そう!現代科学ではあの剣の存在を証明できないのだ!これは脳による幻覚であり、真言マントラの力でその物を感じているだけなのか?それともまだ発見出来ない未知の物質があって、それによる作用なのか?いや、しかし」

 「おーい、戻って来い。」

 「はっ!すいません。」

 「どうも研究者ってのは没頭しだすと突っ走るよな。」

 「研究者の性ですから。」

 「まあ分からんでもないがな。それで話を戻すが、バスターソードを手にした俺は魚人と戦いどうにか片手を切断する事ができた。ちょうどその時に応援のヘリが現れた。その影響か、それとも片手を失くしたからかその魚人は逃げ出したんだ。」

 「そこからですね。我々が本格的に動き出せるようになったのは。」

 田中がそう言った。

 「そうだな。魚人の証拠である腕。銃身を曲げる身体能力。それらがあって始めて魚人を脅威として認めるようになった。」

 「そして真言マントラの研究が始まり、僕が呼ばれた。まずは通常時の身体能力。そして真言を口にした時の身体能力。比較すると単純に5倍の力を発揮した。」

 福井が言った。

 「そして次は言語の調査だ。言葉がそんな影響をおよぼすのか?と。それがここには居ないが高遠綾音と言う女性が担当している。」

 「そしてその女が最悪だ。」

 「え?それってどういう?」

 「会ってみたら分かる。俺は何も言いたくない。」

 「何よそれ?まあ、私には関係ないし別にいいけど。」

 「関係ない訳ないよ。真言マントラを使う人間を見逃すと思う?」

 「それは……。」

 「どう足掻いても君は近い内に僕達の仲間になる。それが運命だ。」

 「まあ、言っても君は就職先が政府の機関になるだけだろうがね。」

 「どういう事?」

 「僕達は転勤になるんだよ。」

 「へ?」

 「さっき確認したら魚人の情報は他には出ていない。ここだけ異常発生しているんだ。」

 「だから拠点をここに移すんだとよ。」

 「マジか⁉️」

 馬場が驚いたいる。

 「ああ、さっき正式に決まったと連絡が来た。」

 「ああ、また引っ越しか。最近越したばかりなのに。」

 「お前はまだいい方だ。俺なんて家のローンあるし、嫁や子供は絶対着いて来ないから単身赴任になるんだぞ。」

 それぞれが好き勝手に話し始めた。

 「あのー……。」

 「ああ、ごめんごめん。そう言えば朱音ちゃんは今何歳?」

 「え?21です。」

 「21か、大学生?」

 「いえ、高校卒業して働いていたんですけど、神災でそこが廃業してしまって……。」

 「ならちょうど良い。」

 「何がですか?」

 「君には真言マントラの件もあって僕達の仲間になって貰う。そんな訳だから君は地元で政府の特殊機関に就職決定。拒否権無しだ。」

 「あー、そうなんですね。まあ、就職が決まるのはありがたい、かな?」

 「なら決定だ。なに特殊機関だけあって給料は期待して貰っていいぞ。機密が多いから人には言えない仕事になるだろうけど。」

 「それはどうなんですか?」

 「さあ?僕達はまだ研究者だから元々秘密の部分が多いからね。それは周りも理解しているし大丈夫。でも君は難しいよね。いきなり機密の多い部署で仕事って怪しまれそうだよね。」

 「なんか他人事っぽい。」

 「実際に他人事だからね。そこは自分で考えて。相談には乗るよ。」

 「分かりました。まあその時になったら考えます。」

 「まあ詳しくは上の者から後日話しがあるだろうからその時にね。真言マントラとその本に関してもその時に詳しくかな。」

 「それと21歳なら親御さんにも話しを通さないと駄目だろうね。今度話しをしに行こうか。」

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