第4話 プロローグ


 医者が帰ったあと寝室に向かうと、妻が泣いていた。しきりにごめんなさいごめんなさいと謝りながら。

 私は彼女に謝ることはないお前はよく頑張ったと声を掛ける。それでも涙は止まらない。

 腹が減っているから悲しくなるのだなどと適当な理由をつけて寝室から出て、コックに用意させていたスープを取りに下の階に降りようとした……そのとき。

 子供部屋からガタンと物音がした。

 この家を建ててから二年ほど使っていなかったのだ。窓が風で軋んでいるのだろう。そう私は考えたが……しかし思うところがあり、その部屋の扉を開いた。

 ああ、窓が空いている。赤子をここに運んだ助産師の仕事だろうか。そこから見える空はなんとも綺麗な青で、雲一つ無いその透き通った色は子どもの誕生日としてはとても心に残るような風景で私は、……私は、


 「――クソがッ……」


 「キャハハ」


 笑い声が聞こえた。

 新品のベビーベッドからだ。

 そこには、そう、私と妻の子供がいる。

 何に笑っているのだろう。

 初めて感じる風、視界、世界にか?

 それとも、今私が付いた悪態にか?

 冷や汗をかきながらふと覗いてみると、そこには、










 ***


「バベル。俺がそろそろ結婚すること知ってるよな」


 愛しき兄弟カインが眉をひそめながら言った。

 俺はもちろんと返した。妹がさんざん言ってくるからな。それから適当におめでとうと祝いの言葉を贈る。

 すると兄弟はこう言い出した。


「そう。なら話は早い。今まで毎月やってたお小遣い、もう無しだから」

「え」

「あったりまえだろ。26にもなって既婚の兄弟から金貰ってる奴なんか何処にいる。妹に世話させるつもりか? そうならないようにお前にピッタリの仕事を探しておいたぞ。今度職員の人が来るから、ちゃんと家にいてくれ」

「……は?」


 つーわけで俺はとりま二、三日家出をすることにした。俺は頑丈だからな、そのくらい寝なくても平気だ。

 代償に妹がくれた携帯電話のコールが鳴りやまないが、それも気にしないことにする。


 家出してる間何するかって?


「よっすボケ共」

「あ、兄さんちわっす……」


 日課のチンピラへの挨拶。


「失せろ悪魔!」

「へいへい」


 町の小さな教会への顔見せ(いつも通り叱られる)。


「あ、バカのバベルだー」

「こら、アレは無視しなさいっ」

「ようガキ共ぉー、虫歯になれよー」


 孤児院のガキ共に手を振るのも忘れず。


 みんな良い顔をしない。それが俺様バベル様。

 気分がイイね。


 しかしそれはそうと腹が空いた。

 空腹は久々の感覚だ。いつもは使用人や兄妹がなんとかしてくれるが、今日はダメだ。

 う~ん。行きつけのダイナーに行くか。金はツケで。





 ちりん。扉を開けると鳴るドアベルの音。この音はわりと好き。


 ダイナーに入ってすぐ、俺は驚いた。この町には26年もいるが、こんな不思議な女は見たことない。

 ダイナーのカウンター席の奥に、長い白髪をなびかせた女が座っている。上は年季の入ってそうなレザージャケット、下は逆に真新しそうな深い青のジーンズ。素足に真っ赤なスニーカー。スラっとした体の持ち主が大口開けてバーガーを頬張る姿はなかなか衝撃的で、よだれが出そうだ。あの細くて白い喉に、ムズムズしてたまらない犬歯を刺してみたい。


「マスター、いつもの。もちツケで」


 すかさず俺は女の右隣に座る。

 それからあくまで気楽に、狙っていない風に見せかけて声を掛ける。


「よ、嬢ちゃん。見かけない面だな」


 彼女は漆黒の眼をちらりと向ける。


「この町は初めてか? よかったら案内しようか」

「……」


 彼女はコーラの入ったコップに手を伸ばし、刺さったストローに真っ赤なリップを付け、

 ズーーーーーーッ!

 女はものの数秒で、コップに満タンだったコーラを飲み干した。

 ……変な女だ。俺は片眉を上げる。

 それを見て女はようやく話し出した。


「オマエ、よゆうがないな。モテたくてモテたくてたまらない、ってかんじだ」

「……あ?」

「にんげんのカガミがいっていた。よゆうがもてると、オンナにモテる」


 ……その女は、変だった。

 舌足らずな発音。

 くそほどムカつく話の内容。


 そして、そして、なにより。

 まるで声変わり前の男児のような低い声……。


「えっ、お前男?」

「テーザーガン、はっしゃ」


 そいつの左手の平からデケェ筒が見えると、そこから糸の付いた矢のような何かが飛び出し、俺の肩に刺さった。

 瞬間、俺の体は痙攣した。


 ちりんちりんちりん。

 痺れながらも入口の方を見ると、重装備の客が大量に入ってきた。

 そしてこう叫びながら俺の体を床に押さえつけてきやがった。


「フリークス、確保!」


 ああくそ、デカい声出すんじゃねえ。


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