〈クチナシ〉

PM3:00

「はぁ。」

わざとらしくため息をついてみる。ゆらゆらとブランコを動かしながら、浮かせた足は宙を掻く。両手は、強く鎖を握りしめていた。

「……………クチナシ。」

目を閉じて、自分の名前を繰り返す。体に染み込ませるように。初めてここに来た夜、私は今と同じように何度も名前を呟いていた。怖かった。自分が自分じゃなくなるみたいで、私がどこにもいなくなるみたいで。


『…………………』


「誰?」

すぐ近くに気配を感じた。だけど、返事はない。その代わりに――――

「きゃあっ!」

目の前に小鳥が飛び出してきて、そのまま私はブランコから転げ落ちた。

「なんなの、もう。」

目の前で飛び回っている鳥を睨みつける。小鳥はそれに気づいたみたい。


『ケッケッ、転ンダヨ。』


うん、きっと空耳。そうだよ、鳥が喋るわけないんだから。


『ケッケッ、俺様ノ声ガ聞コエナイッテ。』


きっと、これは悪い夢だわ。


『ケッケッ、馬鹿ナヤツ。』

「煩いわね、本当に!」

思わず大きな声で叫んでしまった。

「大きい声を出すつもりは、なかったんだけど………その、ごめんなさい。」

『ワカレバイイ。』

「やっぱり謝らなきゃ良かった。」

はぁ、と思わずため息が漏れる。なんて生意気な鳥なの?それに喋る鳥なんて、見たことない。

『ケッケッ、俺様ノコト覚エテナイッテ。』

喋る鳥は私の周りをクルクル飛び回って、腹が立つ笑い方をしている。

『ケッケッ、俺様ハ覚エテル。オマエ、クチナシ。俺様ハ天才!』


―――――オマエ、クチナシノ…………


「あんた!コハクの鳥ね。」

『オオ、思イ出シタ。オマエモ天才!』

「はぁ、本当に調子が狂うわ。そんなにここに居たいなら、せめて鳥籠に入ってなさいよ。主人の傍にいてあげなさい。」

喋る鳥は急に黙って、屋敷の方を見つめた。この鳥、会うのは初めてじゃない。前に、コハクの部屋の鳥籠にいたのを見たことがある。その時も急に話しかけられて絶叫した。


あれ?なんで今まで忘れてたんだろう。


『サアナ。自分デ考エロ。』

「……今夜の夕飯は焼き鳥がいいかしら。」

『ヤメロ、ヤメロ!俺様ハ美味クナイゾ。』

バタバタと鳥が飛び回る。一体何がしたいのか、本当に分からない。

するとその時、屋敷の方から誰かの悲鳴が聞こえて、それからすぐに何かが割れる音がした。庭まで聞こえるということは、それだけ大きな音だったってこと。

「戻らないと。」

『ソウダ、ソウダ。早ク見ニ行ケ。』

「あんたも籠の中に戻りなさいよ。」

『ケッケッ、ヤダネ。アンナ狭イ場所。』

そんな無駄な会話をしてたとき、急に2回目の悲鳴が聞こえた。さっきとは違う声。

「………………行かなきゃ。」

怖い。身体中を嫌な予感が這い回って気持ち悪い。それでも行かないといけない。私は屋敷に向かって走った。庭に出るためには一度玄関の方に回らなければいけない。走っても、かなりの時間が必要になる。


あの悲鳴は誰のもの?


一体何が起きてるの?


私は走った。屋敷の中に入ると、倉庫の方から声が聞こえる。

「アサギさん、待ってください!」

倉庫から飛び出したアサギの背中にスミレが叫ぶ。それが聞こえていないのか、アサギは倉庫の向かいの治療室へと入っていった。スミレが、アサギを追いかける。

私は、恐る恐る倉庫に入った。

そして、そこで私が見たのは………………


真っ赤に染ったテツグロの死体と、そのすぐそばで座り込む血塗れのシノノメの姿だった。

「何が、あったの?」

私は少し離れたところにいたゾウゲに聞いた。

「テツグロが殺された。この屋敷の誰かに。」

「僕じゃない!僕じゃないんです!信じて、信じてください!」

淡々と話すゾウゲと対照的に、シノノメは慌てた様子で私にすがりついてくる。


………………あれ?

シノノメの服についた血、もしかして。

でも、どうして?


「シノノメ、何があったのか教えてくれる?」

「わ、わからない。だって僕、目が覚めたときはここにいたんだ。そしたら、目の前に、」

「わかった。ごめん、思い出したくなかったよね。少し落ち着いて、まずは着替えよう。ゾウゲ、ここを見ててくれる?私はシノノメを見てるから。」

「わかった。」

こくりと頷いたゾウゲを残して、私はシノノメを連れて倉庫を後にした。

まだ動揺しているシノノメを部屋に押し込んで、血の着いた手や足を拭いて、着替えるように言いつけて部屋を出る。

扉に背中を押し付けて、そのままズルズルと床に座り込む。身体中の力が抜けたみたいだった。まだ、心臓がうるさい。

「クチナシ、そこにいる?」

「………………いるわよ。」

扉越しに、シノノメの震えた声がする。

「クチナシは、僕を信じてくれる?」

「そうね。今は、信じてるわ。」

しばらくの間、私たちは黙っていた。信じてる、そうは言ったけど、本当にそうなのか自分でもわからない。

「ねぇ、クチナシ。」

「どうしたの?」

「クチナシは、いなくならないよね?テツグロみたいに、姉さんみたいに、急にいなくなったりしないよね?」

「………………えぇ、もちろん。」

そう言うと、ゆっくり扉が開いた。着替え終わったシノノメは、少し顔色が良くなった気がする。それでも、私よりもずっと子供なんだ。相当なショックを受けているはず。

それでも、私が思っている以上にシノノメは強い子だった。

「戻ろう、クチナシ。誰がこんなことをしたのか、僕たちで見つけないといけないんだ。」

「そうね。ゾウゲ1人だと不安だし、早く行きましょうか。」


こうして、私たちはテツグロ殺しの犯人を探すことになった。犯人を探してどうするの?そんなことは誰も聞かない。この事件に隠された真実を、知りたいだけだから。


第1話 【完】

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