第2話
「あら、お帰り。今日は早いね。」
「姉ちゃん、うちに包帯ある?」
「あるけど、怪我でもしたの?」
「ちげえよ。」
私の姿を一目見た園田くんのお姉さんは、一瞬目を大きく見開いてから言った。
「リクが女の子連れてきた。」
「いいから包帯用意しろよ。こいつが怪我してんだよ。」
「女の子に向かって『こいつ』はダメでしょ。
ごめんね、こんな弟で。」
「いえ。」
「姫野、そこ座れ。」
「ヒメノちゃんていうの? かわいいね。」
「姫野
「結ちゃん。消毒して、ガーゼを当てた上から包帯巻くからね。ちょっとしみると思うけど、我慢してね。」
言い終わる前に、お姉さんは豪快に消毒液をかけてきた。てきぱきとこなす姿は、まさに大人だ。あっという間に、私の左腕はお姉さんの手で処置されてゆく。
初めてやった。気持ちいいって聞いていたけど、それほどでもない。確かにその瞬間は何かが解放されたような思いがしたけど、今はただ痛いだけだ。自分でやるより、人に傷付けてもらった方が絶対いい。私なんて、何もできないんだから、価値なんてないんだから。
園田くんがお茶を淹れてくれた。
「あの、すみません。こんなことしてもらって。」
「このくらい気にしないで、甘えとけばいいのよ。結ちゃん、何があったか知らないけど、こんな傷作ったら痕が残るよ。女の子なんだし、気を付けてね。」
二人が気を遣っているのが伝わってきて、居づらい。長居はしないで、早く帰ろう。
お姉さんは弟に、私を送るように言う。
「姉ちゃん、気づいてるぜ。」
「気づいてるって?」
「それ。おれにはわかんだよ。
お前さ、なんかノリが変だよな。なんつーか、遠慮しすぎなんじゃね? そんなんで疲れねえのかよ。」
「気にしなくていいよ。」
「それにさあ、小嶋たち、ひでえ奴らだよな。女子たちが噂してるの聞いたんだけど、元々は小嶋以外の四人と姫野が仲良かったらしいじゃん。なんで今はこんなことになってるわけ?」
口先だけのくせに、偉そうだな。
「私が悪いだけだから。」
「なんで姫野が悪いってことになるんだよ。どう考えても小嶋たちが悪いだろ。」
「違うってば。私が悪いの。」
「じゃあなんでお前はハブられてんだよ!」
「それは……」
「何だよ」
園田くんの圧が強い。絶対に聞き出すつもりみたいだ。
「私、約束破ったの。」
「約束?」
「うん。
小学校の時はね、私も仲良かったんだ。
みんな、私たちだけでずっと一緒にいるつもりだったんだよ。でも私、バカだから、勘違いしてて、あやちゃんと……」
「小嶋と? 友達んなった?」
「うん。」
「何だそれ。
殴られたいとか何とか、言ってたのはどういうこと?」
「私が悪いの。最低なの。だから、いっそ殴ってよ。殴ってくれる方がいいよ……」
「何言ってんのかわかんねえ、もっとデカい声で喋れよ!」
「私は、私が悪いから、もう傷だらけにしてよ! って。別にいいでしょ⁉︎」
パンッ
平手打ちが左の頬に飛んできた。
「お前は本当にバカだな。殴られたら痛いに決まってんじゃん。意味わかんねえよ!」
「ごめんなさい。ごめんなさい!」
「謝るだけじゃわかんねえよ!」
「ごめんなさい、私が約束を破ったから。私が最低だから!」
「お前のその約束って、破ったからってハブられるような大事なことなのかよ!」
もう一発、今度はもっと強く叩かれた。さらに何発も。何回も、何回も。
「絶対守るって言ったのに。ずっと守るって言ったのに。」
「やめてって一言がどうして言えないんだよ!」
分かってない!
園田くんは私たちのことなんか何も知らないくせに。
「瑠璃ちゃんや鳳蝶ちゃんたちに、言えるわけないじゃん!」
語尾が震えた。
「え、そっち? 小嶋じゃねえの?」
園田くんの勢いが急に弱くなった。
「絶対秘密にしてよ。言えって言うから、仕方なく教えるんだからね。」
情けない。自分の間違いを自分で喋る、それだけのことなのに、なんてみっともないんだ。
「私があやちゃんと仲良くなったから、瑠璃ちゃんたちに仲間外れにされたの。あやちゃんも、私がひどいことしたんだと思って、私を避けてる。でも、全部私が誤解してたのが原因。
ね? 馬鹿でしょ、私。」
「そんな友達なんて、くだらねえ。
いらねえよ。さっさと捨てちまえ。」
「捨てたらぼっちになる」
「ぼっちだって悪くないぜ。俺の姉ちゃんだって昔はずっと、」
「リク! 何やってるの!」
「え、お姉さん⁉」
「なかなか戻って来ないから、気になって見にきちゃった。
これは、いったい何があったのよ。」
「ちょっと言い合いになっちまっただけだぜ。」
「我が弟ながら、情けないなぁ……
で、何があったの?」
優しい声でお姉さんは尋ねた。
「姫野、言ってもいい?」
「ええ、秘密って言ったのに。」
「姉ちゃんならいいだろ。俺も姉ちゃんも、口は堅いぞ。」
「結ちゃんとコイツと、お姉ちゃんだけね。もちろんちゃんと守るよ。」
「はい。」
「姫野さ、学校でハブられてんだよ。それで、今日こいつが一人で河原にいるところを俺が見つけて、それでうちに連れてった。ハブられてる理由は、約束を破ったからなんだってよ。」
「小学校を卒業してもずっと一緒だよって言ってたのに、私がその言葉を誤解して他の子と仲良くなった。約束してた子たちは、他の誰とも仲良くならずに、中学でもずっとうちらだけで一緒にいるつもりだったんです。」
「小嶋たちひでえよ! な?」
「うーん、そうかな。」
「え?」
お姉さんは続ける。
「きっと、みんな結ちゃんが大好きなんだよ。好きだから、誰にも取られたくないの。その、小嶋あやちゃん、その子に取られそうになったから怒ったの。きっと。」
「まあ、姫野ってなんか、ノリが変だし。それが前は好かれてたけど……ってことか。」
「そうそう。リクわかってるじゃん。
でも、嫌だからって何でもしていいわけじゃないよね。」
お姉さんは一人で考えている。
どうにかしようとしてくれてるの?
「結ちゃんは、今も瑠璃ちゃんは鳳蝶ちゃんが好き?」
「はい……好きです。」
「そうは見えないんだよな。
無理してそう思い込んでる気がするんだよね。
あ、違ったらごめんね?」
私が、無理してる?
「一度ちゃんと話してみなよ。ね。」
私、瑠璃ちゃんも鳳蝶ちゃんも朱音ちゃんも蘭ちゃんも、あやちゃんも、みんな、好きじゃないの?
「大丈夫! 結ちゃんなら大丈夫だよ。」
「そんな、簡単に言わないでください。」
「ちゃんと話せばわかってもらえるよ。誤解をとけばいいの。」
「どうやって?」
「結ちゃんにとっての本当のことを、そのまま話せばいいんじゃない? 明日、早速やってみれば? 早い方がいいっしょ。」
「無理です。」
「なんで?」
「私は文句なんて言える立場じゃないんです。」
「そんなこと誰が決めたの? いいから言えばいいのよ、明日。ね。」
小指を差し出され、もうどうにもならないと観念した私は仕方なく指切りをした。
「がんばれ、結ちゃん。
でもね、もう無理って思ったら諦めたっていいのよ。」
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