視線を落とした青年の手に、少女の手が重ねられていた。


「世継ぎが必要なんだよ。わたしが産まねえとダメだろ?」

「……左様で」


 少女は気にした様子もなく、喋り続けている。


「そういや、老師せんせいが女遊びをしてるの見たことなかったかも。実は不能だったりする?」


 少女のその視線が下の方へ向かうのを、青年の手が額を軽く抑えて止めた。


「慎みを持ちなさい」

「んー……。あ、わたしが女に見えないとか?」

「……私と同性には見えません」

「じゃあ女嫌い?」


 妙な圧の強さに居心地の悪さを感じ、青年はさりげなく距離を取ろうと試みた。

 が、一瞬の後に取った以上の距離を詰められた。


「女性に限定するつもりはありません。強いて言うなら人と関わることが好きではない」

「根暗。でも、女子おんなこどもには優しいだろ」

「立場に伴う責務を果たしているに過ぎません」

「まあ、そうかもだけどさ。責任感なんてもんでも、感謝はしてる。あんたのおかげで食うに困ってたどぶさらいのガキが、立派な服着て立派な椅子に座ってんだ」

「国と民のためにしたことです。腐り切った体制を壊すには、目新しい何かが必要でした。かつて賢君と称えられた帝の、その落とし種として、あなたは利用されただけです。私の理想のために」

「だな。三年前はそれがムカついたんだけど、何も即日出ていくことなかっただろ」

「帝たるもの、己の言葉に責任を持ちなさい」

「いや、うん、まあ、確かにそうだ。反省したよ。反省して、あれから迂闊な発言は慎むようにしてる。ちゃんとみんなの話を聞いて、その心の声まで聴くように努めてる。……なあ、わたしは、あんたの理想に適ってるかな」

「それを聞くべきは、今よりもっと先でしょう」


 これ以上問答を重ねても、よろしくない気がする。そう考えた青年は、会話を切り上げ立ち上がった。


「あなたは一刻も早く宮城へ戻りなさい。あまり長く不在にするものではありません。支度が整い次第、私も参ります」


 しかし少女は妙な根気強さで、立ち上がった青年との距離を詰めて来た。傍らに立ち、上着の裾を摘ままれた。


「まだ答えを聞いてない」


 青年の胸の辺りの高さから、見上げてくる大きな瞳がある。

 三年という期間、停滞していた青年とは異なり、少女は大人の女へと歩みを進めたのだと、その顔の位置から感じ取った。


「引き受けると、申し上げました」

「参謀はな。伴侶の方は」


 伴侶、とはっきりと明言されて思わず目を反らした。


「……なぜ、今さら、よりによって私なのです」

「顔が好みだから、って言ったら笑う?」

「呆れます」

「まあそう言うなよ。顔も結構好きだぜ? ……まあ、色々あってさ」


 僅かに言い淀んだ少女の様子から、青年には内容の想像が容易についた。


「世継ぎが必要だってのはわかってたんだ。わかってたけど、そんな気分じゃなかったし、様子見っていうかな。とりあえず国が落ち着いてから、って思ったし、他にもやることいっぱいあったし。そんでのらりくらりと躱してた。あと一応表向き、大人しい女みたいにしてた、ってのもあったんだろうな。動きづらい綺麗な服着て、なるだけ黙ってた。あんたに言われた通り」


 青年が少女を押し込め、置き去りにした宮廷は、まさにそういう場所だ。


「急に寝台に男がいたことがあってさ。一向にその気になりそうもない女帝をその気にさせるために、宮廷のやつらが選りすぐった『手始め』だって。どこぞのぼんで、まあ綺麗な顔してたよ。お上品で、口も上手くて、手慣れた感じだったな」


 分かっているつもりだった。それでも、沸き上がる不快感に、青年の内にある何かが締め付けられるような気がした。

 少女が笑みを浮かべ語ることで、余計に。


「断ってもしつこくて、抵抗したら、ゴミを見る目えしてたわ。どぶさらいが、だって。自分とこの帝にかける言葉じゃねえよな。ほんと、笑える」


 青年が、そうさせたのだ。

 まともな者がいない狭い世界に連れて行った。そんな場所にいたせいで、ごく普通の感覚を見失い、こんな時でも笑みを浮かべ、挙句に選ぶべきではない者を選ぼうとしている。

 そんな風にさせてしまった。


「……それで、どうしたのです」


 少女の行動は、分かる気がした。他の誰でもない、青年には理解ができる。


「半殺しにした。そのままの足で軍部行って、ひと暴れした。気晴らしと見せしめ。一番強いやつぼっこぼこにして、次からわたしを舐めたやつは同じ目に合わすって言ってやった。軍は楽でいいよな。強いやつに従うってのがあるからな。わかりやすい。おかげで今は禁軍なら手足の如く動かせる。軍が従えば、文官もそれなりに言うことは聞くようになった。まあ老師せんせいがその辺の官の整理はきっちりやってったから、ってのもあるけどさ。っていうか、それがほとんどか。問題はお貴族連中だな。その辺の破落戸より質が悪いし話も通じない。頭っからバカにしてくるし、全然うまくやれねえ。従いたくねえんだとよ。あいつら堂々とわたしを嘲笑いやがる。まあ実際どぶさらいのクソまみれ女だしな」


 少女の笑みが苦笑に変わった。青年は、そのことにほんの僅かな安堵を覚えた。


「あなたは、まず己を卑下することをおやめなさい。道行くすべての人間に暴言を吐かれたわけでもなし。全ての人間が同じ思いでいると考えるのは早計に過ぎるというもの。宮廷に雁首揃える者たちの面従腹背は今に始まったことではありません。ああいう思い上がった輩は、相手が何であれ貶める材料を見つけ貶めるものです。その材料が、あなたは分かりやすいものだった、というだけのこと。しかし堂々と帝を嘲笑うはよろしくありません。次にそれをした最初の一人は口を縫い鼻でも削いでしまいなさい。ああいう者たちは自らが与える痛みには愚鈍ですが、与えられることには慣れていない。良い見せしめになる」


 全てを押し殺し、涼しい顔で言った青年に、少女は顔を引きつらせた。


「え、いや、やりすぎだろ……」

「いいえ。帝はあなたです。この国で、あなたは最も尊い方なのですから。相応の扱いをされねばならず、序列は乱すべきではありません。それに、過去がどうあれ、自身を大切にする権利は誰しもが持っています」

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