【日記】ケンタの食べ放題に行った/魔法が解けたあと

 ケンタッキー・フライド・チキンが、期間限定の食べ放題をやったんですよ。2000円でオリジナル・チキンをナンボ食べてもよし。こりゃもう突撃するしかないわけです。だってケンタのチキンは、ごちそうですからね。お腹いっぱいになるまでケンタのチキンを食べる、これは子どもの頃からの夢でした。そして大人になった今なら、その夢を叶えることができる。

 小学生の頃、ケンタのフライドチキンは本当に特別な存在でした。いくつかの条件を突破しないと食べることができないものだったんです。まず近所にケンタがなかった(今はある)。私の両親が特別ケンタが好きではなかった。加えてケンタの相場観が、我が家の経済事情と照らし合わせると、やや高めだった。さらに両親が、いわゆるファーストフード/ジャンクフードを子どもに与えることに、少しの抵抗感を持っていた。そして最大の問題は、私が子どもだったこと。自分でケンタッキーを買いに行くことはできませんし、自分の意見が通ることはあんまり無いわけです。こういった障壁があったせいで、ケンタッキーは特別な日に食べるものになりました。印象深いのは正月に身内が集まるときですね。子どもが何人もいるので「とりあえずケンタッキーを与えておけば黙るであろう」という感じで与えられました。狂喜乱舞して食べるわけですが……ただ、やっぱこちとら育ち盛りの食べ盛り。ガシガシ食べ尽くしたあとに、「まだ食べれるのに……!」と思うわけです。しかし、おかわりの要求が通ることはなかったのです。結局、子どもの頃にケンタをお腹いっぱい食べる経験はできませんでした。

 そんなわけで、私は心のなかに「ケンタのチキンを腹いっぱい食べたい!」と叫ぶ子どもを抱えたまま、38歳になるまで生きてきたわけです。もちろん実家を出た後にも、ケンタのチキン祭りを個人的に開くことはできました。でも、そこは私も大人になったので、どうしても経済事情と照らし合わせてしまうわけです。「もっと安かったらやるんだけどなぁ」と思うだけで月日は流れ、時に日本に何店舗か存在するケンタの食べ放題の店に思いを馳せていました。

 しかし、遂にその日がやってきたのです。どの店舗でも2000円でチキンを食べ放題。心のなかの少年が「食べたい!」と叫び、頭の中の大人が「この値段ならヨシッ!」と、同時にGOを出しました。

 で、食べたわけですよ。まずはクッキーとポテトと飲み物、そしてオリジナル・チキンを3ピース。これを食べ終わったあとに、念願の「おかわり」をしたわけです。年甲斐もなくガツガツ行けまして、これは10に行けるかなと思いました。

 で、6個目。その時、ふっと思ってしまったんです。

 「俺、ケンタの肉じゃなくて、油が好きなんだな」

 次の瞬間、冷静になった自分に驚きました。目の前にケンタの食べ放題がある。オリジナルチキンがある。なのに冷静になって、ケンタの何が好きなのかを考えている。そんな自分に驚いたのです。

 続いてケンタについて弾き出された答えに驚きました。それまでケンタの何が好きなんかなんて考えたことがなかったのです。「ケンタのチキン」は、ケンタのチキン以上でも以下でもなかった。それが肉と油と香辛料で構成されているなんて(知ってはいましたが)、考えたこともなかったのです。

 美味しすぎて、考えながら食べることなんてできない。無心になってかぶりつくものである。それが私にとってのケンタのチキンでした。しかし今、自分は「ケンタのチキン」について考えている。それがオリジナルチキンの6個目を食べ終えた時のことでした。

 突然に話は変わりますが、『殺し屋イチ』というマンガがあります。新宿を舞台に変態ヤクザと変態殺し屋が対決する話です。この中で超マゾのヤクザの垣原というキャラがいて、この男について中ボス格の暴力双子がこんなことを言う下りがあるんですね。垣原を殴ると、何故か倒れないで、優しい顔になってきて、おまけにドンドン強くなってくると。だから垣原に暴力を振っていると、こんな困惑を覚えると言うのです。「こっちは勝手に勝手に殴りゃいいのに、『殴る』ってことをやたら考えちまうっていうかさー」。

 7個目のオリジナル・チキンを食べ終える頃、このくだりを思い出しました。いくつ食べてもチキンは相変わらず美味しい。しかし、食べるほどにケンタのチキンについて考え込んでしまい、ドンドン冷静になっていくのです。「このままだと、俺はケンタのチキンに飽きてしまうのではないか?」そう思った途端、手が止まりました。ケンタに飽きるなんて、想像もしなかった境地です。そしてそこには、決して辿り着きたくない。

 残っていた8個目で、注文を止めました。もっと10まで行けたかもしれません。けれど、それよりもケンタに飽きる恐怖心の方が勝ったのです。しかし……。

 子どもの頃、ケンタで腹いっぱいになるのが夢でした。吐くまで食べたいと思っていたほどでした。私の中でケンタは永遠に食べ飽きない、魔法の食べ物だったのです。その魔法が、この時に解けてしまった。他の食べ物と同じで、「飽き」が来るものなのです。冷静に考えると、当たり前のことなんですが……子どもは、特別な存在があると信じる生き物じゃないですか。

 8個目を食べ終え、コーラを飲み、店を出ました。私の中にいた「ケンタを腹いっぱい食わせろ」と叫んでいた子どもは、どこかへ無事に成仏しました。そして心のなかの彼がいた場所には、普段の私がいました。

 「何事も、ちょっと足りないくらいがちょうどいい」

 38歳になると、歳を重ねることに、子どもの頃ほど心が動かなくなりました。年齢が1~2歳上がったところで、何が変わるのかと思ってしまうわけです。

 しかし……この日、私は確実に一つ大人になりました。子どもの頃にかけられた魔法(勘違い)を解くことで、人は大人になっていくのかもしれない。そんなことを思いながら、私はケンタを後にしました。

 とは言え、二回目があったらまた行きたいです。そのためにケンタに飽きる前に止めたのですから。もしかすると、かけられた魔法が完全に解けないように、自分を誤魔化す(「自制する」とも言う)ことも、大人をやっていくために必要な技術なのかもしれません。

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